第7話 妖怪はここにいる 2
かろうじて津野は広間へ向かった。
誰かに会いたい。
津野が
誰でもいい。誰かに会ってここが安全な場所と再確認したい。
大丈夫だ、広間に行けば、きっと誰かがいる。
しかしそんな希望は簡単に崩れ去る。
「久しぶり、あたしのこと覚えててくれた?」
玄関にて、にっこりと笑う少女。
津野の視線はその少女にはりつけにされる。
聞かなくても彼女には筒抜けのはずなのだ。津野がどれだけ恐怖を覚えているか。
健康的に日焼けした肌、背中まである髪をゆるく一つにまとめ、快活そうに笑っている。
初めて会ったときとまるで変わらない。
津野と出会ったときのまま、恐怖もそのまま、それはそこに立っていた。
「約束通り、あんたを食べに来たんだ」
ポケットに手を突っ込み、集合時間より早く来ちゃった、とでもいうような気軽さで彼女は言う。口許で光る八重歯が、津野には恐怖でしかなかった。
「やー、そんなに見つめられると照れるわね」
わざとらしく頬を手で押さえる。
津野はこの少女から目を離せない。瞳が、顔が、自分の体が、言うことをきいてくれないのだ。
「他人の不幸に晒され続けた十……何年かはどうだった? やっとの事で吸えた幸せな空気はどう? 冷たい水の中必死でもがいて、やっと息が吸えた、やっと助かる。そんな時に見たあたしの顔はどうかな?」
津野は答えることが出来ない。動くことも出来ず、目の前の少女から目を離さないことで精一杯だった。
外の
彼女は一歩、また一歩と津野に近づいてくる。
「そう、そう! いいね! 最高! あんたのその表情が見たくて、その表情の君が食べたくて、あたし十年も待っちゃった。待てちゃった」
はあ……、とまさに
「今すぐにでも食べてしまいたいところだけど、死んじゃったらもうその表情見られないから……せっかく楽しみにしてたんだし、もっと味わってもいいよね」
すすす、と近づいてくる。
そのまま、緩く抱きしめられた。
全身から体温が奪われたように、震えが止まらない。
頭だけが熱く、体は氷のようだ。
「はあ、楽しみ。私の気持ちもあんたに伝わればいいのに。どれだけ焦がれたことか」
感触を確かめるかのように、少女は津野の体をさする。
「うん、変わらない。一緒。美味しそうな匂い」
すん、すん、と津野の耳元で鼻を鳴らす少女。
だが、次の瞬間、彼女はさっとその場から離れた。
「それじゃあ、あたしは来たからね。楽しみにしててね」
何かを感じたのか、少女は急に焦り始める。
背後から声をかけられるまで、津野は目の前の少女がいつの間にか消えていたことに気づかなかった。
全身からはとっくに力が抜けている。
へたり込みそうになったところで、背後の声の主に支えられる。
「おはよう、どうしたんだい」
背後を見ることも出来ないが、声でわかる。
「ぬらりひょん、さん」
「おじいさんでいいよ」
声だけだが、その表情が微笑んだのがわかった。
「あの、ありがとうござい――」
言葉の途中で背後の気配はふっと消えた。
背中には僅かにさっきの温かさが残っている。
ぬらりひょんとはそういうものだ。酒坂の声が聞こえた気がした。
しばらくあと、津野の元に間が現れる。
「おや、どうしたんですか? 誰かを待っているとか?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと……」
しかし、津野の様子を見て表情が変わる。
「広間の方にいきましょうか。酒坂さんもいるはずですから」
津野は立ち上がれそうにないと判断したのか、手を差し伸べられる。
それに捕まりなんとか立ち上がる津野。
「それで、何かあったんですか?」
二人の正面に座らされた津野は、答えに詰まる。
あんなことを言って、信じてもらえるだろうか?
妖怪に関しては大丈夫だろう。けれど、何処まで理解されるか。津野でさえあれは幻だと思っていたのだから。
言いあぐねていた津野に、間は観察するような視線を送る。
「なるほど、なるほど」
何がなるほどなのだろうか、津野は言いようのない不安を覚える。
「そう、昨日今日始まったことではないみたいですね」
言い当てるような口ぶりに、津野は目を見開く。
実際当たっているのだ。津野が彼女に会ったのは小学校低学年のとき。
「言いづらいことなんでしょう。それくらい
「あ、あ」
あなたももしかして。津野の中に恐怖が芽生える。
心の中を読まれるのは初めてではない。
もしかしてこの人も――
「騙されるな。こいつは詐欺師だ」
酒坂のその一言で津野は平静を取り戻す。
「詐欺師とは失礼な。僕の職業は探偵です。推理ですよ、推理」
「何を言う、バーナム効果だろう。津野、こいつが言ったことを思い出してみろ。言い当てられたわけじゃない、誰にでも当てはまりそうなことを言っただけだ」
間も津野の表情に怯えが見えたことですぐに態度を改める。
「ごめんね津野君、これは癖みたいなものなんです」
「いえ、大丈夫です。少しびっくりしただけで」
本当は少しどころか死ぬほど驚いたのだが、あえてそれを言う必要は無い。
「こいつに騙されたくなければまともに取り合わないか、詐欺の手口を知り尽くすことだ」
「い、意味も無く騙したりはしませんよ」
意味があったら人を騙すのか。
津野は間との付き合いを、ほんの少しだけ考えた方がいいような気がしてきた。
「さあ、ここらでいいだろう。津野、何かがあったことには違いないんだろう、話せ」
「は、はい」
津野は幼少期の記憶を少しずつ掘り返しながら語った。
小学校低学年の時の話である。
津野は遠足で近くの山へ行った。
津野の通う小学校は、児童の数が少なく、それに対応するように教師の数も少なかった。
管理の穴が出来てしまうのも仕方の無いことだろう。
津野ははぐれてしまった。
とはいえ、上っている場所は住宅のすぐ近く。
それに一歩外へ出れば山道、というような地域で生きてきた津野にとって、そこまで危機的な状況でもなかった。それは、教師達にとっても同じく。
地形的な条件で言えば、迷うはずもなかった。あくまでも人間の目に見える範囲では。
本来ならば人間が迷い込むはずもない場所。
妖怪達の住む領域である。
そこにおいて人間達は招かれざる客だ。
では、そこに招かれることがあれば、否、ひかれてしまう事があれば、人間はどうなってしまうのか。
津野はそこにいた。
目の前にいるのは高校生くらい、幼い津野からすれば充分大人に見える少女だった。
「こんにちは、待ってたんだよ」
何をだろう。それ以前に、この人は誰なんだろう。
津野の住む地域では小規模ながらも祭りが開かれる。
この辺りに住むものは皆それに参加するため、高校生とはいえ、見覚えのない人間がいるはずがないのだ。
「まあ、あたしのことはどうだっていいよ。待ってたのは君のことだ」
津野はまだ話していない。けれど目の前の少女にとって、口に出しているか否かは関係のない事だった。
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