第4話 ひなた荘へようこそ 2
津野幸が新たに住まうここは、ひなた荘という。
経年には耐えられず、見た目はその名前に反してかなりの古さを誇っている。これでも何度か改修工事はしたらしい。
近所ではお化けが出ると噂になっているそうな。
他にも、骨董アパートと呼ばれているだの、魔女が住んでいるだの、好き放題言われているとか。
外観だけを見れば、残念ながらここの住人になる津野にも頷ける噂だった。
八部屋あるうちの一つは管理人室であり、入り口側には共有スペースという名の大広間がある。
その他家賃や間取り、通学の利便性などを含め、姉に相談した結果決まったのがここだったというわけだ。
「あんたは絶対に自炊なんてしないんだから、ここにしときなさい」
と、姉に言われた通り、津野の自炊力はまさに「調理実習で
ひなた荘では、夕食のみ任意で管理人の手料理を食べることが出来る。
そこまでが家賃に含まれているので、参加しておいた方が得であり、住人のほとんどがその席につくという。
つまり、津野はこれから住人全員と会いに行くことになる。
既に何人かとは出会っているが、正式な場としてはここからがスタートだ。
「お腹痛くなってきた……」
津野の育ってきた地域ではその人口の少なさにより、物心ついて以降新しく誰かに出会うことがほとんどない。
つまり、彼は人見知りなのである。
そのうえ、彼はいやでも人の不幸を感じ取ってしまう。
新しい人との出会いは、彼にとって新しい不幸との出会いなのだ。
ただでさえ、さっきまで駅で不幸の渦に巻き込まれていたのだ。
都会の人間は皆不幸である。一人例外はいたが、そんな印象まで植え付けられて、楽しく食事に行けるはずもない。
嫌でも重くなってしまった腰を、さあどう動かそうかなんて考えていたときだ。
「行かないのかい」
「――っ!!」
本当に驚いたときには声も出ないものである。
ふと気づくと、隣に先ほどのおじいさんが座っていた。またしてもお茶をすすりながら。
「あ、なたは……」
こちらの質問など意にも介さないように、おじいさんは続ける。
「皆で食べる晩ご飯は美味しいよ」
そう言い、ただただ笑っている。
「ソウデスカ……」
津野にはもう、訳がわからなくなっていた。
この人がなんなのか。
かろうじて人間だと思っていたけれど、ここまできてそうとは言い切れなかった。
どれだけ悩もうと、何を尋ねようと、きっとのらりくらりと
なんかもう、それどころではなくなった。
つまりは処理落ちである。考えることが多すぎて、何も考えられなくなってしまった。
こちらの
ここはもともと自分の部屋だったとでも言わんばかりである。
幻覚の類いなのかもしれない。引っ越してきて初日で色々ありすぎたんだ。疲れているのだろう。
できうる限り様々な言い訳をして、津野は食卓へ向かうことにした。
観念したと言ってもいい。
もう帰りたい。
今帰れば姉は笑うだろうか。兄はなんと言うだろうか。
恐ろしい想像に、もう一度決意を新たにする。
たぶん、そういう人もいるんだろう。なんせ都会だから。
年月を感じる扉の音と共に不可思議な空気を外へ出す。
津野は鍵を閉めることを忘れない。これは引っ越す際、兄に口酸っぱく言われた事だ。
――やはりおじいさんの姿は見えなくなっていた。
念のためもう一度閉めてから、勢いよく開ける。
「まじか」
部屋の中は変わらず無人であった。
額に手をやりながら、津野は鍵を閉める。
疲れてる。やっぱり疲れてるんだ。
晩ご飯をいただいたら、今日はもう寝よう。
ふらふらとおぼつかない足取りで、津野は大広間へ向かった。
そんな津野の気分と、それを迎え撃つ大広間のテンションはまさに
「せーのっ」
『津野君! いらっしゃいませー!』
数発のクラッカーと共に津野は迎えられる。
紙吹雪が頭の上に降り注ぐ。大はしゃぎしている大人達の姿が見える。
「えーと」
いい大人達が――違う、自分たちよりも年上の人間達が、クラッカーを手に手に自分を待ちわびているなどと誰が想像できようか。
よく見れば、料理の乗っている机には一切紙吹雪が飛んでいない。
そこが大人と子供の境界なのかもしれない。
津野はよくわからないところで感心している。
「まあまあ、まずはお座りなさいな。君の席はここね」
と、管理人の横の席を勧められる。
自分を挟んで反対側には、同じくらいの年代の女の子が座っていた。
こちらをチラチラと見ているが、目を合わせてはもらえない。
「両手に花とは、羨ましいですね」
「おっと、一応間さんも私と柚子さんに挟まれてるから、両手に花なんですけど」
「はっは」
「わかった、喧嘩だ。喧嘩する気だ」
「さて、挨拶をしておきたいところですけど、まずは食べちゃってくださいな。冷めちゃうといけないから。では」
いただきまーす。
騒がしい中、食事は始まる。
聞いていたとおり、食卓に並ぶのはとても美味しそうな料理たちだった。
「うわっ!」
みっともなくも一口目を食べた瞬間、津野は声を上げてしまった。
食事中のしつけだけは徹底してたたき込まれた津野は、口の中にものがある時に絶対に声を上げることがない。はずだった。
「なん、これ、うま」
食卓と管理人を交互に見ながら、もごもごと声にならない声を上げる。
その様子を、周りの人間達は心底愉快そうに眺めている。
「審査委員長の
「いや、今のは間違いなく十点満点ですね。文句の付け所がありません」
「なるほど、解説の
「昨今の食リポは、いかに視聴者に伝えるかに気をとられすぎ、詳細に言葉を並べようとする。それに比べ、彼は一口しか食べていない、発した言葉もたったの六文字であるにも関わらず、それがいかに美味かったか、どれだけ自分にとって信じられないものを食べたかを
「ありがとうございます」
「うあ、管理人さ、これ、本当に美味しいです」
言葉にならない言葉を連ねる津野と、それをケラケラと笑う大人達の姿。真綿のように温かく柔らかな空気感の中、箸は進んでいく。
「いやあ、にしてもぶりの照り焼きとは渋い趣味だねー」
柏原と呼ばれた女性は、一口一口を噛みしめながらしみじみと言う。彼女は直前に津野に管理人と間違えられたが、その見た目はほとんど似ていない。
可愛いではなく、格好いい、洗練された、といった言葉の似合う色白の女性で、髪型は前下がりのボブカット、先述の通り身長は百六十五センチの津野よりもやや高い。
まさにキャリアウーマン、という感じだ。彼女をそう評価する津野は、実際キャリアウーマンというものを見たことがない。本当にただのイメージである。
「いや、でも美味しいです、本当、実は俺の大好物で」
「うん? 渋い趣味っていうのはまさに君に言ったんだよ?」
「ん?」
「?」
お互いにハテナマークを浮かべ合う二人。
「管理人さんはね、新しく人が入ってくるときは、必ず晩ご飯にその人の好きなものをだすんですよ。その方が話題に困らないからって」
間が解説をする。
なるほど、確かにそうだ。津野は自分が思ったよりも自然にこの輪の中に入れていることに、今更ながら気づく。
「津野君、味付けはどうかな? もう少し塩辛い方がいいとか、甘口がいいとか、どんどん教えてね」
バクバク食べる津野にニコニコしながら、管理人は尋ねる。間は続けて、
「管理人さんはすごいんですよ。住人全員の味の好みを把握していて、料理一つ一つの味付けをその人に合わせて少しずつ変えているんです」
「そうそう! 細やかな気配りがすごいの! ぶっちゃけ、家賃が一万や二万上がったところで、この料理のためなら喜んで払っちゃうんだから」
「日に日に美味しくなるので、楽しみにしていてください」
と、自分のことのように二人は語る。
話題に上げられている当の本人は、困ったように微笑むだけだ。
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