第5話 ひなた荘へようこそ 3

「ここにいる酒坂先生はですね、たとえ何処に取材旅行に行こうと、ここで夕食をとるために日帰りで帰って来るような人なんですよ」


「そうそう、完全に胃袋掴まれてるよねー」


 名指しされた酒坂という男は、余計なお世話だと言わんばかりに片眉をつり上げる。


「いや、それもわかります! 本当美味しいです!」


「も、もう、わかったから……」


「妹のなつちゃんもお菓子作りが出来るんだよ!」


 津野の右隣にいる指名された少女は、顔をしかめながら、


「そんなに上手じゃない」と答える。


「あ、俺甘い物も好きですよ。和菓子だろうが洋菓子だろうが何でもいけます」


「だそうですよ」


 大人達の視線は、完全に好奇のそれだ。


「ま、まあ、実験台としてなら考えとく」


 ぼそぼそと呟かれる声に、密かに大人達の黄色い声が上がる。


「ただ、気をつけなきゃいけないのは、ここにいると運動しなかったら本当にすぐ太っちゃうって事なんだよね」


「自己管理のなっていない証拠だろう」


 先ほどの仕返しとばかりに、酒坂は言う。


「気をつけなきゃいけないで言えば津野君、このおじさんに下ネタをふったりしたらダメだからね」


 唐突な注意事項に、津野は手を止める。確かに、下ネタなんていう下世話な話題をふれば怒り出しそうな雰囲気を漂わせている。


「ああ、違う違う。逆なんだよ。この人作家なんだけど、カテゴリーが官能小説なんだよね。本当、青少年と同じ屋根の下に住まわすには不適切って言うかなんて言うか」


「え」


 第一印象とのあまりの距離に、ほんの少しだけ引いてしまった。


「失敬な。俺は何だって書ける。エロ、グロ、ミステリー、怪奇、なんでもござれだ」


「何でそんな怪しいものばっかりなんですか!」


 思わず津野は声を上げる。


「当然だ。それらは現実では話題に上げられることすらはばかられる。だからこそ虚構の世界があるのだ。俺が――」


「そうそう、ごめんなさいね。まだ皆自己紹介してなかったわ、それではまずは私から」


 長くなりそうな雰囲気を全員が感じ取ったのか、津野らは管理人の話題転換に安堵する。


「ここの管理人をしています。垣ノ内柚子です。よろしくね」


 隣にいる津野に微笑みかける。小首を傾げるその動作に、ほんの少しだけ津野は緊張してしまう。


「では、時計回りに僕ですね」


 すっと立ち上がったのは、先ほど川岸で声をかけてきた男だ。


「間禄郎と言います。といっても挨拶はさっき済ませましたけど、外に出ることが多いのでたまに会えなくなると思いますが、どうぞよろしく」


 すとん、と間は人形のように腰掛ける。

 特徴の少ない人だ、と津野は思った。

 人形のように、という表現通り、人形劇で成人男性役の人形を作ったとしたら、こんな感じになるだろう。

 はーい、とその隣にいる女性は立ち上がる。


柏原涼りょうです。絵を描いたり、写真撮ったり、まあそんなことをしています。よろしくね」


 はきはきと話す人だ。失礼ながらがさつな人だろうと思っていた津野は、柏原がキャンバスに向かう様子を想像できなかった。

 あと食べる量が多い。今気づいたが、彼女が使う茶碗は、他の人間の物よりも一回りほど大きかった。

 次に控える男性は、立ち上がることなく言う。


酒坂晴はるひこだ。小説家なんていうものをしている。まあ何かあったら言ってくれ、この二人よりは役に立つはずだから」

 指された二人からはブーイングの嵐だったが、酒坂は何処吹く風とそれを流した。

 ちなみに津野はその様子を眺めながら、どちらに相談するのが結局一番いいのか判断が出来ずにいる。

 続く少女も同じく座ったまま話し始める。


「垣ノ内夏乃です」


 そこで黙ろうとして、姉にせっつかれる。


「ほら、それだけじゃないでしょ」


「だ、だって他に言うことないし、大体、同い年の男子がすぐ近くに住むってどんな感じかわかんないし」


 徐々に消えていく声に津野は同意し立ち上がる。


「津野幸と言います。俺も同じくどうしたらいいかわかりませんが、今は楽しみに思っています。どうかよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げる津野。

 同時に小さく拍手が送られる。

 その後も話は尽きない。

 ここでの生活で気をつけるべき事、近くの美味しい店、学校へ行くための近道。酒坂の旅先での出来事。


「ねー。夏乃ちゃん、同い年の男の子が来るって聞いてすごく楽しみにしてたのに」


「いい、いい、言わなくていい!」


「素直じゃないですね、ツンデレとは素晴らしい」


「俺は同い年の人がいるって心強いなと思いました」


「おっとここで正面からのパンチ!」


「ツンデレにはまっすぐをぶつけるのが正攻法ですから」


 形は違えどそれぞれが笑顔で話をする。

 口許を押さえたり、手を叩いたり、口角を上げたり。中には顔を紅潮させ怒っているものもいるが、それが心からのものではないことは、津野にもよくわかった。

 この空間には不幸を感じている人間が一人もいない。

 これまでにもそんなことはあった。もちろん全員が全員不幸を意識して生きている訳ではない。

 全員が一時の幸せを感じながら同じ空間を共有することも当然ある。

 けれど同じくらいに、自らの前の不幸に目を背け、感覚を麻痺させ、幸とも不幸とも言えないどっちつかずの状態に身を置いている人間も存在する。


 結局幸せか不幸せかはその人間の主観でしかない。同じように笑っていても何処かに不幸を抱えている、という場面に津野は何度も出会っている。

 ここにいる人たちは、きっとどんな状況にあっても自らを幸せだと言い張る事が出来るのだろう。

 話が酒坂による怪談に移り変わり始めた時だった。

 ちなみに先ほどまで酒坂によって語られていた怪談は、それはもうべらぼうに怖かった。淡々とした口調で語られているにも拘わらず、こちらの想像を嫌でも掻き立てられるその語りは、今日の夜思い出すにふさわしいものだった。

 というか、引っ越した初日に聞くような話ではない。


「あ、あの、ちなみになんですけど、ここって幽霊が出るなんて話は」


 思い出したかのように津野は言う。


「ああ、うん出るね、幽霊って言うかなんていうか」


「酒坂さんに聞くのが一番早いと思うわ。うちとしては否定しておくべき事なんだろうけど」


 自分の幻覚だと笑い飛ばしてもらえれば良かったのだが、全員の認識としてやはりここにはいるようだ。


「そうか、お前にも見えるのか。ならば話は早い」


 一度そこで口を閉じ、展示の説明をするように、あるいは物語を語るかのように酒坂は続ける。


「ぬらりひょん、ぬらりくらりとつかみ所のない妖怪だ」


 妖怪? 幽霊ならばまだしも妖怪?

 ぬらりひょんという名前自体は津野も知っていた。けれど、幽霊を見たという話に比べて、妖怪を見たという話はなんだか酷く現実感を損なうものだった。

 津野の中では、あくまで妖怪は創作の中の存在なのである。


「いや、彼らは存在する。いや、いると言った方がいいか。いると思った人間の中にはいるし、いないと思った人間の中にはいない」


 ますますわからなくなった。


「つまりは見え方一つなのだ。妖怪、怪異、これらは世界の見え方の一つだ。花が開くのを自然現象とみるか、芸術を見るか、或いはそこに自分を見いだすか。その中の一つだ。信じられないのも無理はない。しかし、見えている以上それはそこにある。それが縁か、偶然か、必然か、ここに来る人間はおおむねそういったものをる人間が多い」


「そ、うなんですか」


 まだ津野には信じられない。

 自分に妖怪が見えるなんて。

 

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