覚りの怪を騙すには
第2話 都会へ行きたい!
人の気持ちを考えよう。
悲しみに寄り添い、幸せはともに笑おう。
昨今、世間ではそんな言葉が叫ばれている。
けれど自分が不幸かどうか、幸せかどうかもわからないのが人間である。ならば他人がどうかなんてもってのほか。
しかし
彼は他人の不幸を感じ取ることが出来た。研ぎ澄ませればその内容も。
あることが切っ掛けで、津野には人の不幸がわかるようになったのだ。
町の人間はみんな不幸を抱えていた。
それと同じくらいに幸福も感じていたのだろうが、津野にはそれだけを感じ取ることができない。
幸と不幸は共存しているのである。
けれどそれを自覚している人間は案外少ない。
そんなこともあって、不幸であることと、幸せでないことはイコールではないと津野は考える。
幸せでないことは案外幸せなのだ。
不幸は探さなくてもどんどん見つかる。一つ目に入ればもう一つ。拾いに行けばもう一つ。そうして視界は塞がり、自分は不幸だという事だけが積もっていく。
他人の不幸は蜜の味。
ならば探さなくとも蜜をすすれる彼は幸せなのだろうか。
彼はそんな風には思えなかった。
そう考えるには彼は幼すぎた。
不幸を何とかしたいと考えてしまった。
そんな折、彼は一人の少女に出会う。
彼自身もいくつだったかは覚えていない、小学生の時の話である。
新年度、新しいクラスで、彼女は隣の席だった。
彼女は不運であった。それは生まれ持ってのもので、彼女自身もそれを受け入れていた。けれど彼女は、それ以外のことに不幸を感じていた。
初めに彼女は「友達がいないこと」を不幸だと感じていた。
その時まではただの興味だった。特に理由はない。困っている人を見かけたので人助けのつもりで、くらいの感覚だったのだろう。
なんとなく、その不幸の内容を変えてみたい。そう考えただけだった。
津野は彼女に話しかけるようになった。
小学生に友達になる方法なんて存在しない。
話しているうちに彼女と友達になった彼は、特に理由も無く、ただそこにいた不幸な子に手が届いたというだけで、彼女を引っ張り上げてみたくなった。
「友達がいない」「上手く話せない」「楽しいといえない」
彼女の不幸を何とかすることが自分の役割なんだ。彼はそんな使命感と共に彼女の不幸を振り払い続けた。
いつかその不幸が晴れる日が来る。そんなことを夢見ながら。
けれどそんな日がやってくることは無かった。
彼女の見つける不幸は日に日に増えていった。一つ一つはなんてこと無い、津野にも解決できるものばかりだった。
けれど満ち足りた生活を信じられないのが人である。
嬉しいことばかりが起こるわけじゃない。悲しいことばかりが起こるわけじゃない。不運であることで、不幸であることで、彼女は自分とその周りを安定させていたのだ。
小学生にしては達観しすぎていたのだ。
彼女は自身が不運であったために、そうでない状態が非常に不安定なものであると知っていた。
彼女が不幸であるだけで、幸せでいられる人間もいる。彼女だけが害を受けることで助かる人間もいる。
どれだけ
津野は彼女から逃げた。
幸せになろうとしない者を幸せにするというのは不可能である。
それは、津野に原因があるわけではない。
津野はハッピーエンドを夢見ていた。彼女を助けたかった。
――けれど結果的に彼は、彼女をより不幸にしてしまった。
中学に上がるまでに彼女は何処かへ引っ越した。
不幸を感じとれることがなんだと言うのだろう。他人の幸せを感じ取れるならどれだけ良かったか。
他人の不幸も、自分の幸せも、津野にとっては避けたいものになっていった。
津野はやがて自分のその感覚を閉じようと努力する。
これは気のせいである。他人の不幸を感じ取るなんて、自分にはできるわけもない。あれはただの幻だ。と。
けれどそんなことはできなかった。
見て見ぬふりなどできなかった。
だから津野は、それを見なくてもいいような生活を求め始める。
都会に行きたい。彼がそう考えたのは中学二年生の春。
彼の住む場所はとんでもなく田舎だった。
人よりも
少し行けば今年は不作であるとか、遊びに行くところが少ないとか、ものを買いに行ける場所が少ないとか、様々な不幸の種が転がっていた。
このままここにいても変化はない。
津野は不幸の種の中に埋もれていくのが嫌だった。
若い人間はみんな都会に行きたがる。おじいさんから何度も聞いていたその言葉通り、津野は都会へ行く
同年代の子供の中でもより遠くへ行く津野の話は、瞬く間に広がっていった。
都会なら物は多いし、人間も多い。バスも来ればコンビニもある。不幸な人間もここよりは少ないはずだ、という、今思えばなんの根拠もない理由で彼は都会を目指した。
自らが不幸にした彼女の事を、彼が意識していたかどうかはわからない。彼女の面影から逃げるような気持ちも、恐らくなかったわけではない。
姉には、ともすればトラウマになるほど馬鹿にされた。兄は止めなかった。
けれど二人とも、本人が決めたことをとやかく言うつもりがないことを津野は知っている。
彼らはずっとここで暮らしていた。津野がここを出て行くと決めたとき、一番に反対したのも彼らだった。
けれど、学校に合格し、手続きを済ませ、いざ荷物をまとめるときには、二人とも止めなかった。
津野には両親がいない。ずっと彼ら二人に面倒を見てもらっていた。
年は十も違わないが、親代わりのようなものだった。彼らが止めたときも、津野は反発しなかった。それが津野を心配してのものだというのは、感じ取らなくてもわかっていたからだ。
「たまには帰って来るから」
という言葉を、まさか津野も涙を堪えながら言うことになるとは思っていなかった。
「何かあったらすぐに帰ってきな。もしいじめられてたりしたら、こっちがいじめ返しに行ってやるから」
田舎の
ほとんど冗談だと思っているが、まじでやりかねないのも姉である。
まだ見ぬ同級生のために、いじめられる訳にはいかない。津野は固く誓ったのだった。
都会、と言っても首都圏と比べればたいしたことは無く、たかだか電車で二時間、バスで三十分、そしてまた電車で一時間ほどいった場所に移り住んだだけであった。
山と海に囲まれた地形、近くに大型ショッピングモールもあり、バスは十五分に一本、しかし彼の乏しい都会感で思い描いていた通りの「都会」であった。
トンネルを抜けるとそこは港町であった。
人のほとんど乗っていない車両の中で、一人津野は高揚感を隠せずにいる。
まず、田園風景が広がっていない。建物ばかりで、おそらくはかなり遠いはずなのに見たこともないほど大きなビルが建ち並んでいる。
今日からここで暮らしていくんだ。
津野は何度も確認した新居への地図を、もう一度脳内で広げる。
想像していた風景とは全然違う。
アナウンスが駅名を告げる。
津野は新生活への期待と希望を胸にホームに降り立った。
――けれど彼は絶望する。
彼は忘れてはいけなかったのだ。
人間は見つけるまでもなく、不幸を探し当ててしまうものなのだと。
それは住む地域によって容易に変わるものではない。豊かになろうと、いや、豊かになればなるほど自分が満ち足りていない、自分がここで満足できるはずがない、と目の前の幸福から目をそらしてしまうのだ。
豊かであると言うことは、そのまま幸せであると言うことではない。
むしろより幸せの基準が複雑化したと言えるだろう。
都会の人間は、みんな不幸で自らの視界を塞いでしまっているように津野には見えた。心なしか、顔色まで悪く見える。
単純に、ものがない、人がいない、という「何かの不足」によって不幸を感じていた故郷の方がまだましだったのではないか、津野はそう思ってしまった。
「すごい、自販機がそこら中にある」
そんなことでいいのだ。
それと気づいていないだけで、そんなことでも人は幸せになれるのだ。
幸せなんて小石のように何処にでも転がっている。見つけられるかは別として。
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