第90話 選択の結果

 高校の昼休みは、決まって琴次郎のクラスで過ごしている。琴次郎の幼馴染である楊貴正彦と4人で席を囲み、日常のこと、仕事のことを話していると、とても楽しかった。そんな穏やかな俺の時間をぶっ壊しにやって来るのが、颯斗だった。颯斗はD-Squareとしてデビューしてからほとんど学校に来ることはなかったが、時々学校にやって来た日は、まるで怪獣のごとく暴れた。

 その日も、俺は琴次郎たちと一緒に過ごしていたはずだった。だが、怪獣の出現によって、日常は突如として崩壊する。

「唯我!お前ちょっと付き合えよ」

 俺は颯斗の太い腕に首根っこを掴まれ、教室を後にせざるを得なかった。食べかけの弁当は、勝手に正彦の胃袋が消化してしまった。

 颯斗に連れてこられたのは、学校の2号棟3階の多目的室だ。そこは、俺と颯斗がダンスバトルをした部屋だった。颯斗は多目的室の席にドンと座ると、俺を正面の席に座らせた。

「一体何なんだよ」

「お前、事務所の人に聞いたか?今年のJr祭のこと」

「スタジアム開催のこと?」

「いいや。お前が俺と踊るって話」

「はあ!?聞いてねえよ!」

「だと思った」

「何で!?」

「俺さあ、Jrとして過ごしたことねえじゃん。そこで、大人たちで話合いがされた結果、お前と踊れば?っていう話になったんだと」

「何で俺?」

「ほら、Y&Jだっけ?相方不在なんだろう?だからステージに立つ機会も一気に減ったらしいじゃん」

「そりゃそうだけど……。よりにもよって、お前とかよ……」

 俺はわかりやすく肩を落とした。Jr祭に対して、一気にやる気が落ちた。

「俺のマネージャーは、一度くらいJr祭に参加してほしかったみたいだし、スぺゲスの一人もいれば会場も盛り上がるだろうし?そこで俺が選ばれたってわけだ。そして、ついでにお前が立つ場が設けられたっちゅう話」

「はあ……」

「これも仕事だぜ。いいじゃん!せっかくなら楽しくいこうぜ」

「楽しく、ねえ……」

「悪いけど、出ろって言われたからには、一番いいステージにしなきゃ満足できねえから。そこんとこ、よろしく」

「俺だって同じだよ。颯斗、最初で最後のステージだ。一番じゃなきゃ許さねえからな」

「ああ。俺がお前を一番にしてやるよ」

「んな気づかい、いらねえよ」

 俺は、俺自身の力で一番を取る!その日から、俺と颯斗の秘密の特訓が始まった。


                 ****


 優里子の視線は中央ステージにまっすぐ向かっていた。俺と颯斗は、黒い半袖Tシャツに、曲げると膝こぶが抜けて出てくるほど強いダメージの入った黒いジーパンを着ている。さらに、俺は腰に、颯斗は腕に赤いバンダナを巻いている。

「唯我君、凛々しい!片方にまとめた髪をピンで止めてるのも似合ってるう!まさにアイドル!あんな姿、日常では絶対見られないものね。ねえ、優里子」

「うん!ねえ、綾香。唯我はね、ダンスが得意なんだよ。しっかり見てあげてね」

 始まった曲は、ジェットスターの「Re:START」だ。それは俺が高校の自己推薦入試で踊った曲だった。ヘッドホンから伸びるマイクには、実際の声は入らない。会場に流れるジェットスターの歌声に合わせて口ずさみ、観客へ、綾香さんへ、優里子へと視線を向けながら踊った。

 この曲はジェットスターのダンスを魅せることが大きな目的だったため、間奏がとても長い。その間に、俺と颯斗が向かい合って鏡合わせのようなシンクロダンスをする。それはまさに、樹杏と一緒にやっていたネット配信ダンスのようだった。

 会場には手拍子が起こり、視線は俺たちに集中した。俺と颯斗は互いに睨み合う。気持ちはダンスバトルをしていた時と同じだ。今度こそ、こいつに勝つ!俺たちの熱は伝播し、観客からはそれ以上の熱量が返ってくる。俺はそれを掴みたい。抱き寄せたい。大事にしたいと強く思った。

 最後のポーズを決めた時、俺も颯斗も肩を上下に動かしていた。息を整える間も、観客からの歓声と拍手、ペンライトの揺れは止まなかった。額から流れる汗が爽やかに光る颯斗が手の平を上げた。俺はその手に強くハイタッチした。その瞬間、ワー!という大きな歓声が響き、中央ステージを振動させた。

『さすが全米1位のダンサー!鳳颯斗!』

『いいえ!今は、ジェニーズ1位のアイドルっす。今日はありがとう!!』

 キャーキャー言われて得意げにニヤける颯斗を見ると、俺はとてもムカついた。

『さて、一緒に踊ってどうだった?唯我』

『もう、今すぐ解散します』

『唯我。もっと素直に言えよな。つまり訳すとね、俺と一緒にできたのはスペシャルハッピー!ってこと!』

『んなわけあるかよ』

 会場からはアハハという明るい笑い声がした。この会場にいる人たちは、俺の悪態が悪意ばかりではないことを知っている。俺は年々、この場所の居心地がよくなっていく。

 退場は、中央ステージから階段を降りた下の通路を歩いていく。通路を通る時、最前列の観客たちの顔がよく見えた。手を振ったり、Y&JのYポーズを見せたりして歩いているうちに、赤いピアスがキラリと光るのを見つけた。俺を見上げるその顔が、いつにも増して愛おしくて綺麗に見えた。ふにゃりと口元が緩むが、俺はその潤んだ瞳から目が離せない。その一瞬だけ、俺は優里子と二人きりで立っているように感じた。それは、優里子も同じように感じていた。

「唯我君!こっち見てくれた!微笑まれたあ!めっちゃイケメンなんですけどおおっ!!ちょっと、優里子!!」

 観客席より前のスタッフ専用通路から俺たちの姿を激写し続けていた所澤さんの後ろで、綾香さんは優里子の肩を掴んで揺らした。しかし、優里子の目は俺の姿を追って離れない。綾香さんは、その瞳がキラキラ光るのは、会場中の光を集めているからではないことに気がついた。

 Jr祭初日が終わり、解散を告げられると、颯斗が俺の肩をガッと掴んだ。

「唯我、このまま銭湯行こうぜ」

「何でお前と銭湯行くんだよっ」

「いいなあ!俺も行こうかなあ。貴之は?」

「俺も行きたいに決まってるやろ!」

「よっしゃ、行こうぜ。ちょっと移動すっけど、馴染みのあるいい銭湯なんだあ」

「へえ、楽しみ」

「君たちい、視線こっちちょうだい」

「あ、所澤さん!」

「鳳君、もう少し唯我君を前に。そうそう。聖君は一歩下がって。貴之君はそのまま。皆あ、スマイル」

 俺の首を腕で固めた颯斗、聖君貴之と一緒に所澤さんに写真を撮られると、俺たち同い年チームは銭湯に行った。

 Jr祭から帰った優里子と綾香さんは、最寄り駅のロータリーにあるバス停に並んで話をした。

「にしても、唯我君、すっごいカッコよかったじゃん!あんなの見てて、優里子は何も思わないわけ?」

「何もって?」

 首を傾げる優里子を見ると、綾香さんは、唯我君も苦労するわけだと思った。優里子は前に振り返り、微笑んだ。

「唯我はね、施設の子たちのためにジェニーズになったの。だけどね、今では自分の道になってる。唯我のことを、綾香みたいにカッコイイとか、イケメンだとか言ってくれる人たちもいるけど、私からしたら、唯我は唯我なの。私が支えてあげたいと思う、自慢の弟なんだ」

「ふうん……」

「今回のことでわかったと思うけど、唯我のことは、決して妄想なんかじゃないんだからね!自慢すべき、私の大事な弟なんだからね!」

「はいはい。でもさ、優里子」

「うん?」

「”大事な弟”ってのも、私は十分、妄想だと思うけどね」

「……何それ」

 その時、ロータリーに一台のバスがやってきた。綾香さんは「あ、来た来た」と言って、肩にかけた荷物を揺らした。

「今日はありがとうね!優里子、またね!」

「うん。バイバイ」

 綾香さんはバス停の列の動きに合わせて進み、優里子は列から離れた。綾香さんが乗ったバスを見送ると、優里子は一人、夜道を歩いていった。

 Jr祭の余韻は未だに続いていた。耳には会場の爆音が鳴り、頭の中には俺が中央ステージで踊る姿が浮かんでいる。その姿は少し遠い。多くの人たちが俺を見つめ、声援を送り、光を全身に浴びて汗を光らせる。伸ばす手も、その微笑みも、決して全てが自分に向けられていたわけではなかった。それが少しだけ、寂しかった。


                ****


 Jr祭の2日目が終わった後、人気投票の結果がネットで発表された。Jr祭に参加していた俺たちは、全員まっすぐ事務所の地下体育館に集合し、投票結果がスクリーンに大きく映し出された。その下で司会のお祭り男がマイクを取った。

『栄えある第1位はっ!!ハイパワー桂木いいいっ!!!』

 その瞬間、ハイパワーのメンバー全員で、桂木君の胴上げが行われた。その他のJrたちの順位と投票数も発表された。俺の順位は全体55名中21位だった。

「くそっ!去年も21位だった!」

「アハハ!抜け出せねえなあ」

「聖君は?」

「俺、19位!貴之は18位」

「俺が一番やなっ!」

「いや、待て!番外編枠!?鳳颯斗、3位と同表だと!?」

「何やと!?」

 颯斗は俺の肩を組み、「へへーん」と得意げに言った。

「ショックだなあ。ダントツ1位だと思ったのに」

「……これはJrのライブなんだ。デビューした奴が上位の投票数取りやがって」

「ま、実力の差だよな。セ・ン・パ・イ!」

「ホントにムカつく!樹杏かよ!」

 その時、ポケットに入れていたスマホが鳴った。画面に表示された名前に驚いた。

「なあ樹杏って誰?彼女?」

「んなわけあるか!……もしも」

『この、浮気者!!』

 スマホの画面が震えるほど音割れするほど声は大きく、まるでスマホから文字が飛んできたようだった。その声は、肩を組む颯斗、聖君貴之にもしっかりと聞こえていた。

『私というものがありながら、他の人と踊るなんてヒドイ!!遠距離になった瞬間に他の人に手を出すなんて、見損なったわよ!!』

「何が浮気者だ、この野郎!仕事だっての!」

『仕事を理由にすれば、誰とでも寝ていいとでも思ってるの!?最っ低!』

「……はあ。樹杏、さっきからキモいんだけど」

 俺が頭を抱えている姿を見て、颯斗は引いた。俺から離れると、聖君貴之に「誰?男?」と聞き、聖君貴之は声を揃えて「元カノ」と伝えた。

 イタリアではまだ午後の時間だった。学校の窓に両腕をかけて見上げると、油絵具で美しく描かれたような真っ青な空が広がっている。樹杏はマイク付きイヤホンをつけ、目に涙を浮かべた。

「今日はJr祭最終日だなと思ってさ、ファンの人たちのSNSを追ってったら、唯我が鳳颯斗って奴と踊ってたってわかって……。いてもたってもいられず電話したんだ。ヒドイよ、唯我!」

『だから、仕事だって。俺だって、お前がいれば……』

「それでも嫌!!僕がどんだけ寂しい気持ちでいるかも知らないで!」

『……お前だって知らないくせに』

「何それ。唯我も寂しいっての?信じらんない!メッセージ送ったところで、反応薄いし。僕への愛情なんて、遠距離じゃあ何も感じられないよ」

『面倒くさ……』

「何だと!?」

 体育館には、Jr祭の余韻に浸るJrたちの声や拍手、足音が響いている。肩を組み、結果をたたえ合う奴。笑顔を浮かべて、これからのことをメンバーと話し合う奴。その中に、俺はたった一人で立っている。

「俺だって、今ここにお前がいればって何度も思ったよ。お前とステージに立ちたかったって、すげえ思ったよ」

『……』

「一つ、面白いことがあったんだ」

『何?』

「俺がステージに立った時の紹介アナウンスな、”Y&J小山内唯我”だったんだぜ」

 それは、とてもさり気ない一日の一コマでしかなかった。だけど、司会進行のお祭り男が言ってくれた言葉に、俺は力強く背中を押されたような思いがした。俺がここに来るまでに選んできたことは、決して悪いことじゃない。そう言われた気がした。

『唯我、ごめん。僕さ、好きになったものへの執着も独占欲もかなり強いんだ』

「今更かよ」

『待っててね。僕、絶対日本に帰るから!そしたら、また僕とステージに立ってよ!』

「ハハハ。良かった」

 良かった。お前を待っていたいと思って良かった。樹杏がそれを望んでくれて、良かった!

「早く来いよ、樹杏!」

『うん!すぐ行くからね。唯我!!』

 電話を終えたスマホをポケットにしまった。その年の部門別賞で、フリーJr上位2位に俺の名は上がっていたが、辞退した。俺はフリーじゃない。Y&Jの小山内唯我として、ここからまた「Re:START」するんだ!


                ****


 綾香さんは灰色のパンツスーツを着て、会議室のスクリーンの前に立っていた。スクリーンに映し出された俺の写真と、出演作品一覧をまとめた表を差し示し、大きな声で言った。

「小山内唯我君は、現役高校生のジェニーズJrです。舞台やテレビへの出演経験もあり、現在はNTKの夕方に放送されている『青春・熟語』にも出演中です。我々世代には、まだまだ馴染みのないジェニーズアイドルですが、ティーンズの中ではかなりの知名度があります!我々のブランドイメージにもハマるものと考えます!」

 会議室には、納得する声や頷く頭が上がっていた。綾香さんの力もあり、俺は初めてファッションブランドの広告モデルの仕事を受けることになった。

 撮影の日は、都内のスタジオに根子さんと一緒に入った。綾香さんとは、衣装がずらりと並べられた部屋で会った。俺と綾香さんは握手をし、根子さんは綾香さんと名刺交換をした。

「唯我君!今日はよろしくね!楽しく着てちょうだい!」

「頑張ります」

 指定された服を着て、ヘアメイクを受けると、カメラの機材に囲まれた薄暗いスタジオに足を踏み入れた。スタジオの奥には真っ白なスクリーンが広がり、足元に落ちる影が雲のように薄っすらと浮かんでいる。

「小山内君、リラックスして。遊びに来たような感覚でいいよ」

「はい」

 深緑色の長袖シャツの袖をラフにめくり、黒い腕時計と重ねてつけるブレスレットを見せている。シャツに隠れて見えないベルトにも、裾をめくらなきゃ写らないであろう網目に特徴のある黒の靴下にも、ブランドとスタイリストのこだわりが見えた。俺は、たくさんの人たちのこだわりを表現する人間として、ライトの下に立った。

 綾香さんは暗闇に置かれた機材の中から、腕を組み俺の様子を見つめていた。隣にいた同僚、葛西さん、近藤さんからは「いい感じ」「ステキ」と褒められ、「ふふん」と鼻が高くなっていた。

 俺の姿に向かってバシャッと音が重なる。綾香さんは、暗闇が一瞬光るのを何度も見つめていると、Jr祭の夜、駅で別れた優里子が「自慢の弟」と言う姿を思い出した。優里子はジェニーズJrの男の子を思い出し、頬を染めている。その横顔は「自慢の弟」を想う「姉」の横顔ではなかった。

 優里子って、ホントバカね。あんたが天然鈍感でい続けるっていうなら、誰に取られちゃっても、文句言えないんじゃない?綾香さんは、フフッとイジワルそうに笑った。

 撮影で俺が着た服は10着以上あった。最後の服はコートの撮影だったが、体が火照ってならなかった。しかし、汗を額ににじませるわけにはいかないし、表情を歪めてもいけない。立ち続けているから足もパンパンで棒になりそうだが、柔らかくどんな角度にだって動かせるように構えていなければならない。全ては服を美しく見せるために我慢した。

「はいっ、オッケー!お疲れ様でしたっ!!」

「お疲れ様でしたあ!」

 その声がかかった瞬間、俺は顔を上げて深呼吸した。肩の力を抜いた瞬間、体中から汗が一気に噴いた。拍手が響く中、「ありがとうございました!」と頭を下げた。コートが熱くてたまらず、前を開けてパタパタ仰ぎ、中にこもっていた熱気を放出した。

 根子さんが「お疲れ様です」とペットボトルを差し出してくれたのがありがたく、口にすると一瞬で中身を飲み込んだ。スタッフの人たちに挨拶をして回り、控室に戻ろうとした時だった。綾香さんが駆け寄って来た。

「唯我君、今日はありがとう!」

「いいえ。こんな経験をいただけてありがとうございました。どうでしたか?」

「最高!さすがプロって感じ!」

「良かった……」

 俺は心底安心した。綾香さんは、ホッとする顔を覗き込むとニヤリと笑った。

「優里子ね、Jr祭の時、あなたに見とれてたわよ」

「……マジ?」 

「マジマジ!どう思ってたんだろうねえ」

「いや。どうせ弟頑張ってる、くらいなもんでしょう」

「それはどうだろうね」

 フフッと笑う顔が、とてもイジワルそうだった。綾香さんが何かを企んでいるような顔をする時、俺はとても不安になる。

「どういう意味ですか?」

「さあてね。ねえ、唯我君。今度さあ……」

 綾香さんは肩を軽くぶつけて、ひっそりと言った。


                ****


 その日、勤務を終えた優里子は自宅のリビングでスマホをいじっていた。すると綾香さんからのメッセージが届いた。

『今度、唯我君とデートすることになったぞ!よろしく、お姉さま』

 吹き出しの下には、モデル撮影を終えた俺と綾香さんのツーショット写真が添付された。それを見た瞬間、優里子は叫んだ。

「唯我と綾香が、デ、デート!?」



(第90話「選択の結果」おわり)

 次回更新:8月5日(水)21:00

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る