第89話 感じる熱

 今朝の優里子の様子がおかしかった。ランドセルを背負うみことてぃあらを見送る優里子は、胸に抱えるないとの手を取り、玄関を抜ける2人に手を振っていた。俺はスクールバックを肩にかけ、いつもの笑顔で玄関に立つ優里子のそばに行った。

「優里子」

 その瞬間、優里子の肩がビクッとした。振り返った顔からは、さっきまで浮かべていた笑顔は消えた。一瞬、目は大きく見開かれ、頬は火照って見えた。

「あ、唯我……。いってらっしゃい」

 優里子はすぐにニコッと笑った。その顔を見ると、俺はとても安心して元気が出た。ないとの頭を撫で、優里子の頭を撫でた。

「いってきます」

「うん。気をつけてね」

 一瞬浮かんだ優里子の表情が気になって仕方がない。俺は勝手に、いいように解釈した。熱っぽく見つめてくる瞳、照れたように赤く染まる頬。まるで、俺のことを意識していたような顔だった。すごく、可愛かった。俺は未だ、泣く優里子と抱きしめ合った感触を覚えている。体には、優里子が触れていた場所をペンでなぞったかのように熱が残って冷めない。

 高校に登校する朝の駅は、学生やサラリーマン、OLの忙しなく行きかう足音に溢れている。前後左右の人との間隔も狭くなるから、見ようと思えば、すぐそばに立つ人が見つめるスマホの画面も丸見えだ。それぞれが電車の中でどのように過ごし、何を考えているのか、俺は少しだけ気になってしまう。

 今、俺が一番気になっているのは、隣に立つ女の人が俺のことをジッと見つめてくる理由だ。その女の人は、灰色のパンツスーツを着て、髪の毛を一つにまとめ、メイクもネイルもバッチリ決めている。何がそんなに気になるのだろうか。この人の視線だけで、俺の体には穴が開きそうだった。

「思い出した!”妄想の弟”だ!」

 突然女の人が俺を指差しそう言った。「妄想の弟」という言葉にピンときた。それは2月の夜、合コンで酔いつぶれた優里子を迎えに行った時に会った女の人だった。

「あ、合コンの女の人」

「え、何その呼び方。綾香よ、綾香!君は?」

「小山内唯我です」

「よろしく、イケメン」

「違います。やめてください」

「謙虚ねえ。あなた、モテるでしょ!」

「まさか……」

 綾香さんと俺は、硬ギュッと握手をした。


                 ****

 

 俺に抱きしめられたから、優里子の胸の中でドキドキという音が鳴り続いていた。以前、俺に「一緒に」と言われたことを覚えている。俺は「優里子を独占したい」という気持ちを伝えたつもりだったが、優里子は「俺を支えてほしい」という意味だと解釈していた。

「俺が一緒に

 その一言を思い出すたびに、頬がポッと熱くなる。 少し上から目線のところが唯我っぽい。あれって私のことを思って言ってくれたんだよね。すごく嬉しかった。私、唯我のこと支えてあげられてるかなあ。唯我の「姉」として……。

 ショッピングモールの喫茶店で、優里子はアイスコーヒーのストローをクルクルと回していた。氷がカランと音を立てながら、茶色いコーヒーの中でミルクが混ざっていく様子は、とても気持ちが落ち着いた。

「ゆーりーこっ!ねえ、聞いてる?」

 その声に驚き、優里子は目の前の景色へと意識をやった。目の前には、ムスッとした顔をする友人がいた。

「ごめんごめん。ちゃんと聞いてるよ、綾香」

「ホントかなあ。ま、いいや!」

 優里子の目の前にいたのは、つい先日、俺が駅のホームで出会った優里子の友人、綾香さんだった。

「それで?駅のホームで出会った年下のイケメンとどうなったって?」

「そうそう!会うと頭下げて挨拶するようになってえ、最近は同じ車両に乗ることも多くて。で、話すうちに連絡先交換して、もうすっかり友達」

「ふうん。順調そうでうらやましいこと。私なんて車通勤だから出会いなんてないし、綾香は合コンに誘ってくれないし!」

「あんたには”妄想の弟”がいるじゃない。そいつじゃダメなわけ?」

「だって、弟だもん」

「血もつながってないのに?」

「そうよ。だってあの子には……、私しかいないもの」

 文子の妊娠のことで、優里子は余計に俺を一人にはしないという気持ちが強くなっていた。本物の姉弟にはなれなくても、互いが心の支えになるような存在にはなれるもの。きっと、唯我のあの言葉には、私と同じ気持ちがあったよね。

「そんなことないと思うけどなあ……。あ、噂をすれば彼からだ!」

 綾香さんのスマホがピロロンと音を鳴らした。綾香さんがスマホの画面をなぞる間、優里子はアイスコーヒーを手に取り、ストローに口をつけた。

「あ、今お仕事の休憩中なんだって。今日は17時まで仕事です、だって!案外、誘ったら来てくれたりするかなあ」

「え!?」

「今夜の予定は空いていますか?よかったら、一緒に夕飯でもしませんか?……友達の優里子も一緒です、と」

「わ、私もいていいわけ?」

「大丈夫でしょう!むしろ紹介したいしさ」

「ええ?そんな、突然……」

 優里子は急に緊張し始めた。その様子を見て、綾香さんはイジワルそうな顔をしてクスクスと笑った。

 日が沈んだ頃、綾香さんが呼んだ年下のイケメンが現れた。綾香さんの隣に立っていたのは、俺だった。優里子は言葉を失った。

「優里子、紹介するね!この子が小山内唯我君!私の将来のダーリン」

「んなわけないでしょう」

「もうっ!照れちゃってえ!」

「照れてません。離れて下さい」

 綾香さんは俺の腕を抱きしめ頬を寄せた。俺は綾香さんの頭を押して引き離そうとしたが、びくともしない。こんな姿を優里子に見せたくない。とても迷惑した。

 俺は、優里子が今日と明日は休暇だということを知っている。2日も優里子に会えないなんて辛い。今日ここに呼んでくれたことに関してだけは、綾香さんに感謝した。綾香さんはニヤニヤしながら、小声で言った。

「優里子に会えて嬉しかろう?」

「……ふん」

「もうっ!正直者!ねえ、唯我君。時間あるなら私たちのお買い物に付き合いなさいよ。夕飯はおごったげるからさ!」

「少しだけなら……」

「よっしゃ!行くよ、優里子!」

「う、うん……」

 綾香さんは俺と腕を組んだままショッピングモールの中を歩いた。俺は綾香さんに重ね重ね「離れて下さい」とお願いをしたが、細いわりに力のある腕は俺を終始離してくれなかった。俺は優里子と歩きたくて来たのに!

 俺と綾香さんの後ろをついてくる優里子は、組んだ腕を見るとドキッと胸の奥で何かが揺れるのを感じた。胸に手を当て、少し立ち止まった。

 何だろう……。何だか、モヤモヤする。少しずつ、唯我は私から離れて行く。言われた言葉も、優しく抱きしめてくれたその腕も、いつか、触れられないほど遠くに行ってしまうの。そんなこと、わかりきってるじゃない……。


                ****


 夕食を終え、最寄り駅まで到着したのは夜の9時だった。

「今日は楽しかった!優里子、唯我君もありがとね!」

「はいはい。私も楽しかったわ」

 俺が「どうも」と頭を下げると、綾香さんは「あ、そうだ!」と名刺を渡してきた。

「ねえ、唯我君。今度うちのモデルやらない?ちょうど今、大学生とかティーンズを引き込みたいっていう方針を立ててね」

「え、モデル?」

「綾香はね、ファッションブランド”サニー”の本社で働いててね、企画部にいるのよ」

「へえ。知らなかった」

 確かに、名刺には「サニーブランド企画部プランニングアシスタント 片岡綾香」とあった。

「どんな人にどんな風に何を着てほしいのかっていうのは、上の人たちで決めるんだけど、私はその下準備を頑張る人、みたいな感じかな。で、どうなの?唯我君!モデルの仕事とか、興味ない!?」

「し、仕事の話なら、事務所にお願いします」

「事務所?あははっ!面白い冗談!いくらイケメンだからって事務所って」

「ううん。違うよ、綾香。唯我は働いてるんだよ」

「え?」

「ジェニーズJrの小山内唯我。検索したら出てくるよ?」

「ええっ!?」

 綾香さんはすぐにスマホを指でなぞり始め、「ホントだ!」と声を上げた。俺は優里子と目を合わせた。優里子はニコッと笑った。

「唯我、新しい仕事きそうじゃん。よかったね!」

 優里子が嬉しそうに笑うと、俺はとても満足した。綾香さんとは駅前で別れ、俺は駅に止めていた自転車を引いて、優里子と一緒に施設の途中まで歩いた。

「今日のお仕事って、夏のJr祭の練習だったんだっけ」

「うん。今年からJr祭は都内スタジアムでやるんだ。屋外会場だと熱中症のリスク大きいし天候に左右されやすいだろう。本当は前々から問題視されてたみたいで、だから去年までとは練習も準備も、いろいろ違うんだよ」

「そうなんだ。ファンサービスも違ってくるの?」

「そうらしい。今までみたいに至近距離で接する機会は激減するのに、投票はいつも通り行われる。だから、フリーのJrにはかなり不利があって、それで……」

 途中から、夢中になって話していることに気がついた。優里子を見ると、パチッと目が合った。優里子はすぐにそっぽを向いてしまった。その頬が、何となく赤っぽくなっているように見えたのは、その耳に俺がプレゼントした赤いピアスをしていたからだろう。

「ねえ、唯我」

「うん?」

「あんた、いつから綾香と知り合いだったの?」

「ついこの間。駅のホームで声かけられたんだ。”妄想の弟”って」

「やだ!綾香ったら、そんなこと言ったの!?」

「ああ」

 知らぬふりをして頷いた。だが、俺がそう呼ばれていて、しかもそれをネタに優里子がからかわれていたことも知っている。

「もう、綾香ったら!綾香はね、私の中学生の頃からの友達なの。その頃から唯我のこと”妄想の弟”ってからかわれてたのよ。それでね……」

 優里子は少し怒ったように声を張って話してくれた。今日の優里子は、元気がないように見えたから心配だった。しかし、話をする優里子は、いつも通りの優里子のようだった。俺は安心して、クスクス笑っていた。

「じゃあ、次は月曜日にね。明日も練習あるんでしょう?」

「ああ」

「頑張ってね!」

 優里子は家に向かう方向で交差点で曲がっていった。優里子は明日も仕事は休みだ。手を大きく振る優里子を見ると、とても離れがたい気持ちになった。

「優里子!」

「何?」

「Jr祭!来いよ!」

「……行きたい!」

「なら、約束な!」

「うんっ!」

 優里子の姿が見えなくなるまで見送ると、俺は自転車にまたがった。優里子の笑顔だけで、俺は体力も気力も全回復するのだから、気持ちの強さはとても大事なものだと思った。

 施設に帰ると、玄関先で文子に会った。

「あ、おかえり」

「おう」

 文子は前よりも柔らかく笑うようになり、言葉のトゲが少しずつ取れてきているようになった。お腹をさする姿は日々様になってきているような気がして、母親になる準備が進んでいるように感じられた。

「今日も高橋のところ行ったの?」

「まあねん」

「仕事の邪魔はすんなよな」

「邪魔しになんていってないもん」

「どうだか」

 俺と文子は、揃って廊下を歩いた。文子が穏やかにクスクス笑っていると、良かったと思えて仕方がない。本人には言わないけれど。


                ****


 俺はジェニーズ舞台やライブと並行して、夏のJr祭の練習をしていた。都内のスタジアムで行われるJr祭では、例年同様にJr人気投票が行われる。グループに属さない俺のようなフリーJrは、グループで立つJrたちの隙間を縫うようにステージに立つことになる。ファン活動の範囲が狭くなってしまうことは、フリーJrにとってかなりの不利になる。

 俺は全体練習に参加する度に、後悔が押し寄せて苦しくなった。それも、新たに組まれたジェットスターのバックダンスチームメンバーがグループで練習をする風景が見えるからだ。やっぱり、あのバックダンスチームメンバーに迷わずなれば良かったのだろうか。しかし、何度思い返しても、俺には樹杏がいるという気持ちが勝ってしまう。

『本日の練習はこれにて終了!皆、お疲れ様でしたああっ!!』

「「ありがとうございました!!」」

 事務所の地下体育館での練習を終え、汗をかいたJrたちが解散していく。C少年の聖君貴之を見送り、事務所を出た。

 俺は駅に向かう間、スマホの画面をスライドさせた。樹杏との最後のやり取りは4月で、人で密集している階段の写真と、『ここがスペイン広場!』というメッセージだった。

 俺は今、樹杏に何を言えるだろう。一昨年のJr祭は楽しかった。2人で立ったのが懐かしい。お前とまたステージに立てればよかったのに。そうしたら、こんなに気持ちが揺れて落ち着かないこともなかったのに。しかし、そんなことを伝える必要は感じられなかった。バックダンスチームを選べなかったのは俺の勝手だし、樹杏の帰りを待ちたいと思ってるのも、俺の勝手なのだ。


                 ****


 Jr祭の朝、優里子は赤いピアスをつけてスタジアムの前にいた。周りには、今日のために作ったであろう手作りうちわや、Jrグループのオリジナルタオルを首にかけている女子たちが集まり始めていた。

「あ、優里子!お待たせ!」

「綾香っ!」

 そこにスーツ姿の綾香さんが、同じくスーツの女の人を二人連れてやって来た。

「同じ職場の葛西さんと近藤さん。ごめんね、今日は一緒に行動してあげられることが少ないかもしれないけれど」

「いいの!来ることができて嬉しいから」

「お互い、楽しもうね!」

「うん!」

 4人は会場へと足を運んだ。指定座席は一番下の前列で、見上げればランウェイのように真ん中まで続くステージがある。その一段下には、Jrたちが退場するための通路があり、そこが最もファンたちとの距離が近くなる場所だった。綾香さんの手には、ペンとクリップボードがある。

「まるで何かの審査員ね」

「まあ近いものはあるわよね。事務所の根子さんっていう方と、唯我君のモデル起用についてのお話をしていたら、Jr祭の招待状送られてくるなんて思ってもみなかった。つまりさ、唯我君以外にもいい子はたくさんいるから、どうぞ見て下さいってことでしょう?こんな機会をくれた事務所に感謝するわ。美少年たちを見放題!嬉しい」

「ゆ、唯我を是非!」

「ふふっ。私たちもビジネスだからさ、唯我君よりいい子がいたらそっちを選ぶかもね」

「厳しいなあ」

「綾香さん、あっちの席見てみてくださいよ」

「どれどれ?」

「以前、雑誌の取材でいらっしゃった方ですよ」

「ホント!結構関係企業の方もいらっしゃってるのね」

「あっちにはティーンズファッション大手ブランドの……」

 綾香さんは一緒に来ていた同僚たちと会話を始めた。優里子は綾香さんの真剣な横顔を見て、カッコイイなあと思った。唯我、頑張れ。唯我なら絶対選ばれるよ!頑張れ!

 ステージ裏に控えているJrたちは気合十分だった。グループそれぞれで衣装を合わせ、親しい人と一緒に話しながら、ステージの幕が上がる時を待っている。俺はというと、Jrグループの中で最も最年長グループとなるハイパワーというグループのバックダンスを踊るための衣装を着ていた。白いいTシャツにベスト、ネックレスをつけ、手首には赤と白のツートーンカラーのリストバンドをつけている。同じ衣装を身に着ける奴が他に数名いるが、全員フリーのJrだ。顔見知りだし、仲が悪いわけではない。しかし、目を合わせようとしないし話もしない。フリーJrたちは、他のJrたちとはスタートラインから違うのだ。フリーのJrたちは、目に見えて闘志を燃やしている。俺ももちろんそうだった。

「おい、唯我!怖い顔してんなよ!」

「せやで。スマイル、スマイル!」

「聖君、貴之……。うん。ステージでは忘れない」

「出たよ。演技派、唯我」

「俺な、後半にやるステージが楽しみやねん!頑張れよ、唯我!」

「サンキュ」

 C少年の白い王子様衣装を着た聖君、貴之が俺の肩を組んできた。こいつらにも気持ちで負けるわけにはいかない。

「はい、皆さん。こっちに視線ちょうだい」

「所澤さんだ!!」

「撮って撮って!!」

 聖君貴之がピースをすると、周りにJrたちがたくさん集まって来た。所澤さんは、フリーのカメラマンで、趣味はジェニーズの追っかけだった。この人に撮られると売れるというジンクスは有名で、所澤さんが来ると、Jrたちはこぞって写真を撮ってもらおうと集まった。

 テンションの高い奴。緊張で顔が青くなっている奴。「頑張ろう」と声を掛け合うメンバーたち。ここに集まったJr全員が、互いを応援し、互いに負けまいと気を張っている。何より、年に一度のステージを楽しもうとしている。俺だって楽しみたい。何せ今日は、優里子が来ているんだから。

 会場のライトが全て消えると、視界は闇に覆われる。しばらくすると、ミラーボールの光がクルクルと会場を照らした。中央ステージには、床下から上がって登場したハイパワーのメンバーが立った。その瞬間、観客からは熱のこもった歓声が沸き起こった。5人組のハイパワーは歌とダンスのメリハリをきっちりつけたパフォーマンスに定評がある。まるでAファイブのようだった。

 ハイパワーが一曲歌い終えると、真ん中の通路を通ってメインステージへと戻っていく。メインステージには、舞台袖からC少年が走って登場した。C少年が通路でハイパワーとすれ違い、真ん中のステージに円形になってマイクを構えた。歌う視線は360度観客に向けられ、手を空に伸ばすと、会場に波打つペンライトが上を向く。次々に現れるJrのグループたちがメインステージに集結すると、いよいよJr祭が始まった。

 メインステージに立ったハイパワーの後ろには、フリーのJrたちが構えた。優里子は、そこに俺がいることに気がついた。

「綾香!唯我いた!」

「どこどこ!?」

「バックダンスの中央!」

 その時、ハイパワーのセンター桂木君が拳を握った腕を上げた。その瞬間、バックダンスを踊っていたフリーJrは一斉にバク転してハイパワーの前に立ち、観客へ手を伸ばす。ステージの大きなスクリーンには、俺をはじめ、フリーJrたちの顔がアップで映し出された。

「キャー!唯我君っ!!」

「唯我ー!!」

 綾香さんと優里子はスクリーンの俺に手を振った。俺には気づけるはずがなかった。ステージの上には、ハイパワーへの声援と期待だけが熱の塊になって押し寄せてくる。俺への声援なんて何一つ聞こえないし感じない。体は緊張し、一瞬でも気を緩めれば、音と空気圧に押しつぶされて倒れてしまいそうだった。ふうと息を吐き、スーと空気を肺に入れた。

 メンバーが代わる代わる俺たちの前に進み、ファンへ問いかける。センター桂木君は、俺の肩に肘を乗せた。桂木君のかけ声に返事をするように、ファンからはいつものかけ合いの声が上がった。

『ヘイ、ボーイ!』

「「ユア、ボーイ!!」」

『ヘイ、ガール!』

「「ユア、ガール!!」」

『レッビートゥギャザー!!』

『「「ハイ、パワー!!」」』

 歓声と拍手が空気を震わせた。震える空気、歓声の持つ熱気が強く感じられるほど、そのグループの人気と勢いがわかるものだ。D2-Squareがメジャーデビューを果たした今、次のメジャーデビューを期待されているのがハイパワーだった。俺はバックダンスを踊りながら、ステージを満たすハイパワーに向けられた好意と期待を感じた。率直にうらやましいと思った。

 ハイパワーがステージを終えると、中央ステージに通じる通路に入り、四方八方の観客へ手を振り歩いた。中央から階段を降り、下の通路に入ると、優里子と綾子さんの目の前をハイパワーのメンバーが笑顔を浮かべて歩いた。バックダンサーたちは舞台袖にすぐ下がり、次のステージのために各々準備をした。

「ハイパワー、いいなあ!桂木君、イケメン!」

「綾香!唯我は!?」

「唯我君も、もちろんいいさ!だけど、他の子も楽しみじゃん!」

「ええ!?」

「Jrなんて言っても、パフォーマンスはプロね!めっちゃ楽しい!ジェニーズにはまっちゃうって人の気持ち、わかるわ。こっから皆大きくなっていくんだもんね!」

「そうだよ。ここには、将来今以上にキラキラ輝く子たちばかりいるんだから」


                ****


 その頃、舞台裏で衣装を着替えた俺は、ある奴とステージに立つ準備をしていた。

「Jr祭って結構盛り上がるんだ。俺らのライブとそんな変わんねえじゃん」

「Jrだからってなめんなよ。全員、本気でてっぺん取りにいってるんだから」

「うん。ビリビリ伝わってくるぜ。熱いなあ。俺、こういうの大好き!」

 ステージでは、C少年の新曲披露がされていた。C少年の聖君貴之が観客席のすぐそばの通路を笑顔で手を振りながら歩いていると、毎年恒例、司会進行のお祭り男のアナウンスが響いた。

『さあ!今年はスペシャルゲストが登場するぜ!今日限りのコンビ結成は、本人いわく、”二度としたくない!”そうだあ!』

「聖君、あの2人来るな!」

「ね!すっげえ楽しみ!」

『それでは登場だあっ!D-Squareセンター、鳳颯斗と!Y&J、小山内唯我!!』

 会場には割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。舞台袖からゆっくり歩いて登場した俺と颯斗は、途中ですれ違う聖君貴之に手を振り、静かに中央ステージに立った。

「優里子、唯我君のステージじゃん!」

「うんっ……」

 綾香さんが話しかけた時、優里子は既に中央ステージにくぎ付けだった。その瞳には、会場に揺らめくペンライトと、ステージを照らす照明の光をキラキラと反射させていた。



(第89話「感じる熱」おわり)

 次回更新:8月1日(土)21:00

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