<番外編>①文子、②高橋、③それから……

①文子


 小学校に入学した頃からずっと、家の鍵を持たされた。朝が弱い母親は目を覚まさず、文子は朝食を食べずに学校に行く。空腹を耐え抜いて食べる給食は絶品だった。下校すると、家には誰もいないので、ドアに鍵を差し込む。そのまま適当に過ごし、西日で部屋が焼ける頃、きれいに着飾った母親が帰ってくる。

「文子、ただいまあ」

「お母さん、おかえりなさい」

「今日の夕飯はねえ、肉じゃがだよ!さっき作ってきたのよ。おいしいわよ」

「いただきます」

 その日の母親は、白地にピンクの花柄のワンピース、金色のピアス、ブランド物のバッグを下げていた。文子は、一度も母親が同じ服を着ている姿を見たことがない。子どもながらに、そこには違和感があった。

 どこで作ってきたのかは知らない夕食を終えた後、2人で狭いお風呂に浸かるのが、文子の一番楽しい時間だった。今日、お互いに何があったのかを話し、流行の歌を歌い、お湯がぬるくなるのを待つように、湯銭の中に体を浮かべた。そうしてお風呂から上がると、母親はお化粧をはじめ、また違う服を着ると、笑顔で手を振り家を出て行った。文子は言いつけ通り、時計の短い針が数字の9を過ぎる前には布団を敷き、電気を消して一人で眠った。朝までには母親は帰ってきていて、隣で眠っている。時々、体のあちこちに赤く滲んだ跡が見えるのが、文子は少し心配だった。

「うちのお父さんはサラリーマンで、お母さんはパートなんだって」

「文ちゃんのお父さん、お母さんは何をしているの?」

「お父さんは海外でお仕事をしているんだ。お母さんは……」

「お父さん、海外にいるの?」

「カッコイイ!」

 文子にとって海外で仕事をする父親は、自慢の父親だった。だが、何をしているのか知らないし、まして名前すら知らなかった。朝は起きず、昼と夜に家を空ける母親も、何をしているのかは知らない。その夜、お風呂の時間に聞いてみた。

「お父さんとお母さんは、お仕事は何をしているの?」

「お父さんはねえ、海外でお金を管理するお仕事をしていてね、私は、可愛いって言われるお仕事をしているの」

「可愛いって言われる仕事?」

「そうよお。もういっぱい男の人から可愛いって言われるの。ダマしても、ダマされても、女ってそうやって生きるべき生き物なのよ。覚えておくといいわ」

 「海外でお金を管理する仕事」も「可愛いって言われる仕事」も、文子にはよくわからなかった。しかし、小学3年生になると状況は一変した。朝、ふとつけたテレビのアナウンサーが言った。

『日本の高齢者をターゲットにした詐欺グループが、昨日逮捕されました。38人が集まる詐欺グループの拠点はインドネシア南東にある豪邸で、現場には数多の電話、パソコンが設置されていたとのことです。主犯格である、をはじめ、詐欺グループの……』

「同じ苗字だ。金森秀樹だって」

 その名前を聞いた瞬間、朝に目覚めたことのなかった母親が飛び起きた。バラバラの髪の毛の奥から、ジッとテレビを見つめる母親は、驚きのあまり声を出せずにいた。

「お母さん?」

「文子、今日は学校をお休みしましょう」

「え?」

「荷物をまとめて。最低限でいいわ。急いでっ」

 頭をフラフラと動かしながら、母親は服を着て、周りに散らかしていた荷物をまとめ始めた。

「どうして?何で今日、学校いかないの?」

「いいからっ!!早くやりなさいっ!!」

 母親の怒鳴り声を聞いたのは、この時が初めてだった。文子はリュックサックに服やお菓子をつめて背負い、母親と手をつないで家を出た。

 

                 ****


 それから数日、空き家を何件か渡りながら生活した。その間も、母親は昼と夜にはいなくなり、文子は電気も水道も通っていない真っ暗な家の中で、布団もなしに眠った。学校には通わず、母親のいない日中は、ただボーっと過ごしていた。学校に行かなくなったことで、朝も昼もご飯がないので、夕食だけで過ごしていたが、限界がきた。空腹に耐えきれず、文子は「家を出るな」という母親のいいつけを破り、近くのスーパーに行った。

 平日昼間に少女が一人スーパーにいるという違和感は、買い物に来る主婦や老人たちの目を奪い、悪目立ちしていた。そんなことには気づかない文子は、お菓子コーナーの棚を見上げ、何を食べようかと悩み、キョロキョロと周りを見てから、お目当てのポテトチップスを手に取ると、服の中に入れた。それはあまりに単純でわかりやすすぎる万引きだった。文子はすぐにスーパーの店員に捕まった。

「電話番号がわからないじゃあ、連絡のしようがないものねえ」

「困ったなあ……」

 母親とは連絡がつかず、文子の腹は大きく鳴る。仕方なくスーパーのお弁当を出すと、文子はガツガツと食べた。文子にとって、およそ2週間ぶりのまともな食事だった。舌の上で十分に転がし、喉を通り、胃に落ちた瞬間消えるように、体はエネルギーを吸収した。一度食べてしまうと、どんどん腹が減ってしまって抑えがきかなくなった。この時、文子の体は飢餓状態に近かった。文子の腹が鳴る度に、店員は惣菜のあまりやおにぎりを出した。その日、母親はとうとう文子を迎えには来なかった。

 文子は警察に引き取られ、次に児童相談所に預けられた。雨漏りしない屋根、温かくて柔らかい布団、朝昼晩と出てくる一汁三菜の食事に、文子はとても満足した。そうか。お母さんはここに私を来させるために、あえて迎えには来なかったんだ。お母さん、ありがとう。だけど、寂しい。早く、迎えに来てくれないかな。

 それから数週間後、文子を迎えに来たのは、会ったこともなかった親戚の大人だった。母親の兄夫婦だという。

「お母さんは?」

「お母さんね、今、警察にいるのよ」

「警察?」

「何て言ったらわかるかな。結婚詐欺師だったんだ」

「けっこんさぎし?」

「もう少し、大きくなったらわかるかもね」

「うちではゆっくり過ごしていいからね。小学校は転校することになっちゃうけど、きっといいお友達もたくさんできるわ。それに、うちの子とも仲良くしてね」

「はい」

 文子を引き取った家には、2つ年上の男子と、1つ年下の女子がいた。3人は一緒に小学校に登校することになった。文子にとっては、およそ1か月ぶりの学校だった。転校してからしばらくは、新しい友達に囲まれて楽しく過ごすことができた。しかし、ある時から友達は文子を避けるようになった。

「どうして一緒に遊んでくれないの?」

「お母さんが、文子ちゃんとは遊んじゃダメだって言ったの」

「だって、文子ちゃんって犯罪者の娘なんでしょう?」

 意味が分からなかった。しかし、それから教室で文子に話しかけてくる人はいなくなってしまった。一人は寂しい。お母さんに会いたい。寂しい……。しかし、泣くことだけは我慢した。

 火だねは飛び火し、文子を預かる家族にまで影響し始めた。その家族の兄妹は、学校で「犯罪者」と呼ばれていじめられるようになった。自宅の塀には、「詐欺師」「犯罪家族」という落書きや、投げられた石で窓を割られる被害を受けるようになった。

 親戚家族は、次第に文子をのけ者扱いするようになり、食事の部屋を別にし、文具や洋服、靴に至るまで、新しい物を与えなくなった。明らかな拒否反応に、文子は泣いて泣いて訴えた。

「私は何もしてない!悪くない!」

「違うわ。全て、あなたがいけないのよ!!」

「文子、死ね!死ね!」

 学校では居場所がなく、親戚家族から睨まれ、怒鳴られ、厄介者扱いされた文子は、その家を飛び出した。向かったのは警察署だった。

「お母さんに会わせて下さい!お父さんと電話させて下さい!」

「えっと……、ごめんね。力にはなれないんだよ」

 誰にも受け入れてもらえない。必要とされない。文子は泣くことも諦めた。再び戻った児童相談所は、とても居心地がよかった。一人でいられる。誰にも迷惑をかけない。温かい。食事が美味しい。私はここに一人でいられて、嬉しい。寂しい……。

 ごくたまに、怪我を負っている子どもが預けられたり、文子のように居場所を失ってやって来る子どもがいたり、いなくなったりするのを、文子は黙って見ていた。一人でいるために、心は頑丈な意思で固まり、時々発する言葉にはトゲが現れ始めた。おかげで文子に声をかける子どもは誰一人いなかった。


                 ****


 小学5年生のある日、文子を見知らぬおじさんが迎えに来た。

「初めまして。僕は立並児童養護施設の施設長です。これから、うちで君の面倒を見ますから、どうぞよろしくね。金森文子ちゃん」

「名前、馴れ馴れしく呼ぶな。嫌いなんだよ」

「そうなの?いい名前だけどなあ」

「はあ?ウザ」

 文子は、初めて名前を褒められたことが嬉しかったが、表には出せなかった。施設長に連れられてやって来た児童養護施設には、高校生から鼻たれ小僧までの数人の子どもがいた。

「一番下の男の子が泰一くん。その一つ上の男の子が唯我。それから、一時預かりをしている花ちゃんは小学6年生。次の引き取り先が見つかっているから、あと1か月後には卒業するんだ。それから中学2年生の佳代ちゃん。高校2年生の駿君ね。皆、優しい子だから、きっと仲良しになれるよ」

「そんなの期待してねえし」

「あはは……。それから、ボランティアの優里子は、僕の娘です」

「文子ちゃん、どうぞよろしく」

 優里子は笑顔で手を差し出した。しかし、文子はその手を払った。

「馴れ馴れしくしないでよね、気持ち悪い」

「おいお前、優里子に謝れ!」

「あ?」

 文子はその声に振り返った。まっすぐな黒髪の間から強く文子を睨んでくる目は、まるで自分の目のようだった。

「は?何、お前。私より年下のくせに」

「だから何だよ、ブス」

「んだと?」

「唯我!そんなケンカ腰にならないの!これから一緒に過ごすんだからっ」

「優里子。俺、こいつのこと嫌い」

「そんなこと言っちゃいけません」

「いいよ、別に。私もあんたみたいなクソガキ、大っ嫌いだから!」

 文子は、自分と同じような目つきのガキとにらみ合った。互いに第一印象は最悪だった。それから2人は同じ施設で共に過ごすことになったものの、仲が良くなることは一度もなかった。


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②高橋


 体が細く、食が細く、若いわりに肌にはツヤがなく、髪には白髪が混ざっている。食事は作ってくれるものの、品数は少なく、子どもの俺と同じくらいの量しか食べなかった。

「母さん。あのね、今日学校でね」

「え、なあに?」

 真っ白な蛍光灯の下で見る母さんの顔は、影ばかり落ちている。まるでお化けのようだった。お化けは力なく笑った。

「た、体育でかけっこしたんだよ。俺が1番早かったから、先生がほめてくれたんだ」

「そう。よかったわね」

 その声には、生気さえ感じられなかった。それが余計に不気味だった。

 ある日の学校の帰り道、友達と歩いていると、少し先を母さんが歩いているのが見えた。手にはビニール袋が下げられている。買い物の帰りなのだとわかった。

「げっ!出たよお化け!」

「本当だ!うわあ、呪われるっ!」

 友達の言葉は、確実に母さんを差していた。

「え、何それ」

「お前、知らないの!?」

「あいつに会ったら気をつけろ。あのお化けと目を合わせたり、すれ違ったり、歩いて追い抜いたりすると呪われるんだぜ?」

「へ、へえ。そうなんだ。こ、怖いね」

「だろう?っていうか、マジであれはお化けだろっ」

「生きてるのかなあ。ハハハ」

 友達の見る母さんは、一歩一歩踏むたびに頭が左右に揺れ、手入れをしていない髪の毛が風もないのになびいて見えた。歩幅が狭い分、歩くスピードは亀のように遅く、小学4年生が普通に歩いても追い越せてしまいそうだった。友達の目を介して見ると、確かに母さんは本物のお化けのようだった。

 この時、初めて母さんが人にバカにされているのを知った。恥ずかしくて、みじめな気持ちになり、俺は母親とは外を出歩かないと誓った。家も誰にも教えない。友達を寄せつけない。道で母さんを見かけても、友達と一緒にヒソヒソと「お化けが出た!」と言ってからかうふりをした。

 それからというもの、俺はだんだんと母さんに対してイライラした。薄味の食事、いつも部屋干しされる洗濯物、しわしわの服、川の字で眠る布団、もったいないとため込まれたチラシ、焦げて汚い電子レンジ、蛍光灯の生白い光。母さんの肌。母さんの髪。母さんの声。母さんの覇気のない姿。

「無理。まずい。俺、もういい」

「もう食べないの?じゃあ、しまっておくわね」

「いいよ。食べかけなんだから捨てとけよ」

「でも、もったいないわ」

「もったいないとか言うなよ」

「だって、おいしくなくてもまだ食べれるでしょう」

「気持ち悪い……」

「え?」

「気持ち悪い。気持ち悪いんだよ、お前!」

「伊織君……」

 母さんが困った顔を浮かべるのが嫌だった。だけど、すごくすごくイライラした。

「何がもったいないだよ。何がまだ食べれるだよ!まずくて食えねえって言ってるんだ!わかんねえのかよ、このお化けババア!」

 息を切らして叫ぶと、母さんは悲しそうな顔をして立ち尽くしていた。俺はひどいことを言ってしまったという罪悪感と、少しだけうっぷんが晴れたような気持ちよさを感じて、体の中は感情の渦が巻いて落ち着かなかった。

 次の日、朝起きると、母さんは普段通りのまま俺と接した。まるで昨日のことなどなかったかのようだった。それが余計にイライラさせた。まるで、俺が言ったことも、乱暴な態度にも意味がなかったように感じられた。眠っても消えなかった胸の内の罪悪感も、どす黒く晴れてスッキリしたような気持ちにも、あったところで意味をなさないのだと思うと、悔しくて、薄味の食事に涙が落ちて、余計に薄く感じた。


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「そういえば、最近お化け見なくね?」

「確かに。どこ行ったのかな。成仏した?」

「あははっ!ウケるそれ!」

 お化けの噂が消えたのは小学5年生の秋の頃だ。街には枯れ葉が舞い、空は高くなり、吹く風が冷たくなり始めた頃だ。その頃、母さんにはある変化が起こっていた。

 風呂から上がった母さんは、それまでしていなかった化粧水を肌に塗るようになり、髪の毛を黒く染めるようになった。時々化粧をして、しわを伸ばした安物のワンピースを着て、低いヒールの靴を履いて外出するようになった。俺はこの妙な変化が少し怖かった。

 食卓に出てくる食事にも変化があった。緑黄色野菜が色鮮やかに盛られ、味は日々少しずつ濃くなった。馴染みのない洋食や、少し手間のかかった料理が目の前に並ぶと、そこは自分の知る家のようには思えず、その違和感は俺を圧迫した。

「今日のごはん、美味しい?」

「……うん」

「ならよかった」

 そんなこと、これまで一度だって聞いたことなかったじゃないか。

「今日は学校でどんなことがあったの?」

 これまで、気にもしてなかっただろう。

「お友達とは仲良くしている?」

 この間まで、お化けだったじゃないか。

「お母さんはね、今日は外にお出かけした時にね」

 気持ち悪い……。気持ち悪い。

「それでね、伊織君に言いたいことがあるのだけれど……」

 蛍光灯の光の下で見る母さんの顔は、目がパッチリ開いて、手入れをした髪が光り、血色のいい唇を曲げて笑っていた。

「お母さん、再婚しようと思うの」

 あれ?俺は今、どこにいるんだろう……。

 その瞬間、自分の家が、まるで知らない誰かの家のように思えてしまった。そして、その感覚を覚えてしまって以降、俺は二度と家に帰ることができなくなってしまった。


                 ****


 最初は友達の家を転々としたが、それもすぐに限界がきた。年が明ける頃、俺は鉄橋下に住むホームレスたちの集団の中にいた。一人でいては寒さはしのげなかったからだ。ホームレスたちは、一日中火を焚き川の水を沸かし、湯たんぽを作り、薄っぺらい布団と新聞紙に身を包んだ。俺は湯たんぽの温もりにホッとする。風は冷たく、食べる物も少なかったが、俺にはとても居心地がよかった。

「皆さん、明けましておめでとうございます。どうです?熱燗にでもします?」

 そのおじさんは、スーパーで買ったつまみに酒を持ってやって来た。ホームレスたちはおじさんを歓迎した。

「あの人、誰?」

「小野さんっていう人で、時々来てくれるんだよ。良い人だよ」

「ふうん」

「いつもはね、交差点の交番にいるんだけど、家の方向がこっちなんだって」

「え、交番?」

「そう。警察官だよ」

 俺は湯たんぽを抱えたまま立ち上がた。小野さんと呼ばれえるおじさんは俺に気づいた。これって、ヤバイんじゃないだろうか。

「知らない顔だね……」

「ああ、年の暮れにやって来たんだよ」

「まだ子どもじゃないか。年の暮れ?……ちょっと、君」

 俺はその場から走って逃げた。警察官なんかに見つかったら捕まってしまう。そうしたら、家に帰らなきゃいけなくなるっ!

 枯れた草の中をかき分けて土手を登り、歩道を猛ダッシュした。後ろからは走る足音が近づいてきた。俺はすぐに腕を捕られた。

「ちょっ……、はあ。君、足早いね」

「離して。離してっ」

「いやいや。何も捕って食おうとしてるんじゃないんだから」

 小野さんの握力は強く、腕を精一杯引いてもびくともしない。俺は焦った。どうしよう。どうしようっ!

「とりあえず、話だけでも聞かせてくれないかい?」

 俺はそのまま交番に連れて行かれた。俺は小野さんの質問にほとんど答えなかった。ただ、「家には帰りたくないんです」ということだけは強く言い続けた。しかし、俺の身元はすぐにバレてしまい、その日の深夜には、母さんが迎えにやって来た。数か月ぶりに会った母さんは、より一層きれいになっていた。母さんは目に涙をためて俺の肩を掴んだ。

「伊織君っ!一体これまでどこにいたの?ずっと、心配してたのよ」

 俺には、もはや目の前の女の人が誰だかわからなかった。

「触んな、気持ち悪いっ」

「怪我はない?病気はしてない?お腹空いてない?」

「寄るな。寄るんじゃねえっ」

「私がどれだけ毎日、心配で不安でたまらなかったか!皆さん、本当にありがとうございました」

「いいえ。息子さん、無事に見つかってよかったです」

 良くない。何も良くない!

「さあ、帰りましょう」

「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!ふざけんな、触んな!近づくな!」

「伊織君……」

 俺に伸びてくる指先は、桜の花びらのように淡いピンクのネイルがされていた。それが、まるで邪悪な魔女の指先のように見えた。不安げな表情、以前にも増した顔の血色、肌つや、茶色くなった髪。左手の薬指に光る銀色のリング。

「お前、誰だよ……」

 俺はまた家に戻ることになったが、そこは実家ではなく、屋根と壁のあるただ寝るための空間でしかなくなってしまった。学校には行けず、家にもじっとしていられず、日中は街を徘徊して過ごした。

 交番での俺たちの光景は、親子の感動的な再会には全く見えなかった。小野さんは、このことを児童相談所に連絡をした。すると、実家には定期的に児童相談所の職員がやって来るようになった。

「伊織君のご様子はどうですか?」

「いつもお世話様です。何も変わらず、落ち着いて過ごしていますよ」

 表情に変化が現れ、人当たりのよく見えるようになった母さんの対応に、職員たちは安心して帰っていく。玄関を閉める時、母さんは重たいため息をつくようになった。

 俺は公園のベンチに座り、ボーッとしていた。そうると、いつも小野さんがコンビニで買った弁当を持ってやって来た。

「母さんとはうまくいってるかい?」

「……」

「いってたらここにはいねえか。はっきり聞くけど、何がそんなに嫌なの?」

「……」

「まあ、いいや。ここら辺は不良のたまり場になりやすいから、伊織君一人でいるのが少し心配なんだ。気をつけてね。何かあったら、いつでも交番においで。力になってやるから」

 小野さんはニッと笑った。この人は嘘つきだ。力になってくれるってなら、俺をあの家から解放してくれよ……。


                 ****


 日が落ちて家に帰ると、知らない男がいた。上等なスーツを着て床に正座する男は、俺に気づくと驚いた顔をした。

「……君が、伊織君?」

 見知らぬ男に名前を呼ばれても、返事をする気にはなれなかった。俺はまっすぐ台所に向かい、蛇口をひねりコップに水を注いでグッと飲んだ。その様子を見て、母さんは焦ったように俺に駆け寄り、肩を掴んだ。

「い、伊織君ってば!ほら、挨拶して。いつもはこんな感じじゃないんですよ?もっと明るい子で」

「美紀さん、もういい」

 男は立ち上がり、玄関に向かった。母さんはすぐに男を追いかけた。

「え?あ、お帰りになるの?つ、次はいつ会えますか?また連絡させて下さい」

「いや、もう会わないよ。今日はそれを伝えに来たんだ」

「え……。どうして?だ、だって私はあなたと婚約もして、それで」

「よくわかりました。あなたの生活感、価値観。僕が、あなたに息子がいるだなんて知ったのは、ついこの間だ。それもこんなに大きいだなんて……」

 母さんは、男の背をギュッと掴んで離れなかった。焦る顔には汗が浮かび、真っ赤に塗った唇が歪んでいた。整えていた髪の毛はバランバランと顔を覆い、それまでピンとしていた背骨がゆっくり曲がって首が落ちていく。

「しかも、児童相談所から目をつけられているんでしょう?今日も来たようですし……。悪いが、厄介なことには関わりたくないんだよ。学校にも行かず、日中プラプラ遊び歩いているような不良息子を抱えた女と、一緒になる気にはなれないよ」

「そんなっ……」

「婚約は解消しよう。さあ、左手を」

「あ、ダメ。嫌、嫌ですっ。嫌!!」

 男は母さんの左手を取ると、嫌がるのを無視して薬指のリングを抜き取り、胸ポケットにしまった。母さんは玄関でへたり込み、見下だすように睨んでいる男を見つめた。

「さようなら」

「待って。待って!私を……、一人にしないでっ!待って!啓二さん!」

 男は母さんに振り返りもせずに去っていった。母さんはボロボロ泣き、真っ暗な玄関へ手を伸ばした。肩で息をし、化粧で固めた顔を涙で濡らした。俺には振り返らず、一人、その場で泣き続けていた。

 俺は理解した。お化けだった母さんが少しずつ身を飾り出し、きれいになったのはあの男のためだった。覇気のなかった母さんの声や表情が変化し、料理が変わり、味が変わっていったのも、全てあの男のためだった。俺が何を言おうが、何しようが、何も変わらなかったのに……。

「あいつに、俺がいることも言えなかったの?」

 母さんは「ううっ」と泣き続け、何も返事をしなかった。

「母さんにとって、俺って何なんだろうな……」

 振り返りもしない。顔も上げない。反応らしい反応もない。もう、母さんには俺のことさえ見えないのかもしれない。

「俺がいる意味なんて、最初から、何一つなかったんだ……」

 ようやく気づいた。母さんにとって、俺は空気だった。

 持っていたコップを床に叩き割り、俺はもう一度家を出た。雨が降っていたが、傘を取らなかった。髪も服も濡れた。行く当てもなく、俺は小野さんと弁当を食べた公園のベンチに座った。うなだれて、雨が止むのを待つことしかできなかった。

「おおい、僕。ちょっといいかな」

 知らない男の声がした。地面に向けた視線の中には、いくつかの靴が見えた。傘にバチバチ雨が当たる音、女のクスクス笑う声、複数の男の低くて怖い声がする。

「この公園ね、お兄さんたちが管理してんのね」

「フフフ、嘘じゃん」

「つまりねえ、ここで遊びたいならさ、ほら、代償が必要なわけ。わかるかなあ」

「こいつ、遊びに来たの?ビショビショじゃん」

「お金がね、必要ってことなの。ある?ない?」

「何か答えろよ、少年」

「ああ、僕ちんイライラしてきちゃったなあ」

「それ最初からでしょう?やる気満々だったくせにい」

 ヒヒヒと笑う声が雨の音の中に聞こえていた。しかし、立ち上がり走り出す力もない。まるでサッカーボールか何かのように、無抵抗のまま、俺は蹴られ殴られ続けた。公園には甲高い笑い声と、俺が血を吐く音がしていた。その時、パトカーの赤いサイレンが水たまりを赤く染めた。

「君たち、何やってるんだ!!」

「やっべ!警察じゃん!」

 すると、男たちは笑いながら散り散りに去って行った。パトカーから降りて、一人倒れる俺を抱え上げたのは、小野さんだった。

「伊織君っ!ちょっと、救急車呼んで!」

「はいっ」

「伊織君、何してるんだいっ!言っただろう。ここには不良がたまりやすいって。こんな、腫れ上がるまで痛めつけられて……。血だらけじゃないか」

 口の中も、服も、地面も、鉄の匂いがした。小野さんは、腫れ上がる目から流れるものが雨ではなく涙であることに気がついた。同時に、それが体の痛みだけが原因で流れているわけではないことにも気がついた。

 俺はしばらく入院することになったが、その間、母さんが見舞いに来たことは一度もなかった。俺も会う気になれなかったし、そもそも家に帰る気にもなれなかった。退院日を前に、俺は病院を勝手に出た。小野さんは街を走って俺を探してくれたらしいけれど、それから半年以上、俺を見つけることはできなかった。


                 ****


 中1になっているはずの夏、俺は6時にセットした目覚まし時計の音で起きた。時計の頭に指を押し当てて、白いシーツの中から裸体を起こした。隣には、俺よりずっと年上の女がおっぱいをポロリと出して眠っている。

「伊織、もう朝?」

「おはようございます」

「まだ眠ってましょう。ほおら、おいで」

 俺より長く細い腕が、俺の頭をシーツの中に引き寄せた。唇は、グミだかキャンディーだかに勘違いしているのかと言いたくなるくらい、食われて吸われて舐められた。黙ってそうされるのは、反抗すると面倒だったからだ。女が染めた金色の髪の毛を、女の細い指が通る。満足すると、女はニヤリと笑った。

「伊織、可愛い」

「もう行かなくちゃ」

「そうね。続きはまた夜に」

 シャツとズボンを履きアパートの一室を出ると、俺は工事現場に向かった。病院を出てから、俺は木村組という工事業を営む会社にお世話になっていた。雨の日、風の日、猛暑の日、極寒の日関係なく、俺は現場に立った。重機の大きな音と、振動を感じると安心する。俺が持たせてもらえるのはスコップと一輪車だけだったが、一日が終わってから「お疲れ様」と言われると、ここに俺がいる意味を感じられた。

「彼女と最近どうなんだ?高橋」

「彼女じゃないです」

「ああ、まあペットみたいだよな。お前」

「あのキャバ嬢もかなり寄生して生きてるタイプだからなあ。気をつけろよ」

「はい」

「また明日な」

 そうして俺は、あの女のいる部屋に戻るのだった。服を入れ洗濯機を回して、シャワーを浴びて、洗濯物を干して、カップラーメンを食べる。女は夜の仕事をしていたから、俺が自分だけの時間を持てるのは、女が帰ってくるまでの夜だけだった。

 女が帰ってくる深夜には、俺はすっかり眠ってる。つけまつげを取り、シャワーを浴び、髪の毛をふわふわに乾かすと、布団の中に眠る俺にキスをした。俺はいつもそのキスで目を覚ました。

「おかえりなさい」

「ただいま、伊織」

 全裸で眠るのが女との約束だった。そして、女は下着姿で俺の上にまたがるので、俺はブラジャーのホックを外してから、背中、脇、おっぱいを撫でる。これも約束の一つ。抱き寄せて、キスをして、股のところでつながった。

 気持ちいいとか温かいとか、そんな肉体的感覚よりも義務感の方が強かった。これも仕事の一つだと思った。そして、この義務感がある限り、俺は母さんのことも家のことも、将来や今持つ不安を考えなくて済んだ。楽だった。

 そして、朝6時に目覚まし時計が鳴る。音を止め、女とキスをして起き上がり、俺はいつも通り現場に向かった。ドリルの音、重機の音、班長の叫ぶような指示の声。全て終わると「お疲れ様」と仲間と挨拶をした。空は真っ赤に染まり、漂う雲は暗い影を浮かべていた。

「おい、高橋。ちょっと」

「はい」

 班長に呼ばれ、会社に戻った。すると、班長とその上司と会議室に入った。最初から空気は重かった。

「落ち着いて聞いてくれ」

「はい」

「お前の実家でな……、女の人が亡くなっていたそうだ。もう、亡くなって数日経っていたらしくてな、死体はその……。原型を留めていなかったらしい。長い髪の毛と、着ていた服装から、女の人だと……」

「それって、お前の母親なんじゃないか?」

 俺は久々に実家の様子を思い浮かべた。薄暗い玄関からは、まっすぐリビングにつながっている。角には冷蔵庫、その上には焦げついている電子レンジ、シンクにガスコンロが狭い空間にギュッと詰まっている。その前には母さんと2人で座るテーブルがあって、後ろには古臭いテレビ、小物棚がある。隣には、仕切りのない寝室があって、川の字で並ぶ2人分の布団がある。どこもかしこも薄暗くて、天井の角にはいつも闇がたまっている。母さんはその家にいた。俺が家を出てからもずっと、一人でいたのだろう。

「ひどい状態だから、焼却の日程がさっさと決まったらしくてな、明日になるそうだ」

「高橋、仕事はいいから、行って来い」

 その夜、俺は全く眠れなかった。布団の中でぼんやりと過ごしているうちに、女が帰ってきた。

「伊織、ただいま」

 女は俺にキスをしようと身を屈めた。その頭を引き寄せて、酒とタバコの匂いのする口を塞ぐと、そのままベッドの中に押し込んだ。いつもなら、女が俺の上にいるはずなのに、その日だけは俺が上にいた。女は酒に酔ったように溶けた表情をして、甘ったるく喘いでいた。体は熱くてたまらない。頭は熱にうなされたように意識が朦朧とする。重なる肌の心地よさが、生きている実感を与えた。ただ、それだけに浸った。


                 ****


 次の日、俺は仕事に行くフリをして母さんに会いに行った。ひどいものだった。別人のようにきれいになっていたはずの肌はどこにもなくて、こまめに染めていたはずの長い髪の毛は白髪だらけで、耳から下の髪の毛だけが、線を引いたように真っ黒だった。体を覆う布の下には、肉体ではなく、骨の形が浮いて見えていた。

 火葬が終わると、母さんは胸に抱えられるほど小さくなっていた。普通の家族なら、受け取った骨壺を大事に持ち帰るなり、墓に入れるのだろう。俺には、まるでコンビニで買った弁当のように、思い入れの欠片も感じられなかった。街を歩いているうちに見つけたゴミ置き場に、適当に置いてきてしまった。

 何も考えずに歩いていると、いつの間にか夜になっていて、俺は踏切の前にいた。暗闇の中に、真っ赤な目玉が光り、脳みそを揺らすように激しい音が鳴った。ギギギと苦しそうな声を上げながら遮断器が降りてくる。もうすぐ電車がやって来る。

 母さんは、俺のいなかった時間をどう過ごしたのだろうか。何を考えていただろうか。何を思っていただろうか。

 男が去った玄関で、背を丸め、涙を流しながらドアの向こうを見つめていた母さんの横顔を思い出した。きっとあの男のことでも考えていたのだろう。俺のことなど1ミリだって考えなかっただろう。だって、空気だったんだから……。

 遠くに光る電車のライトが近づいてきていた。ガタンゴトンという足音が、俺に向かってやって来る。

 俺、最後に母さんと目を合わせたのはいつだっけ。最後に母さんに名前を呼んでもらったのは、いつだったっけ。

「君、危ないよっ!」

 その声は聞こえなかった。俺は考え事に集中していて、自分が遮断器をくぐりぬけて線路に立っていたことにも気づいていなかった。

 母さんにとって、俺って本当に必要なかったのかな。本当に空気だったのかな。それって、俺が勝手に感じてただけだった、なんてことねえかな。

「君、戻りなさい!早く!」

 本当は必要に思ってたんじゃねえかな。本当は、俺だけが母さんの味方でいられたんじゃねえかな。あの後、母さんと一緒にいてあげれば、俺は一人にならずに済んだんじゃねえかな。俺が、俺だけが、母さんのことを守ってやれたのかもしれなかった……。

 その時、ビーという音が響き、電車は急ブレーキをかけた。ギュウウーというブレーキの音、キイイーという線路とタイヤの叫ぶ音が俺のすぐ真横までやって来た時、誰かが俺の腕を引いて線路から引き離した。俺は地面に倒れ、顔に擦り傷を負った。電車は、俺の立っていた場所から少し先で止まった。

「君!何を考えてるんだ!自殺だなんてバカなこと考えるんじゃない!」

 その声は、いつか一緒に公園で弁当を食べた警察官の小野さんの声だった。

「……高橋君?高橋君かい!?」

 背を支えられ、起き上がった俺はボロボロと泣いていた。

「君まで死んでしまったら、亡くなったお母さんが悲しむよ。君は、生きなくちゃ」

「もう、生きる意味も感じられない……」

「え?」

「息を、することさえ、面倒くさい……。死にたい。死にたい……」

 涙が止まらなかった。鼻ですする鼻水も、鼻の奥には隠せなかった。口からはよだれが垂れたまま、腕で拭うこともせず、服もズボンも、顔から流れる水分で濡れてしまった。

「悪かった。俺が悪かった!ずっと後悔してたんだ。あの時、君をあのまま家に帰すんじゃなかった。ちゃんと保護してやれればよかったんだ。ごめんよ。ごめんよ、高橋君」

 小野さんは俺を抱きしめ、泣いていた。

「生きるのが辛いと思えることもある。だけど、お願いだから自ら死のうとはしないでくれっ!生きていれば、何もかも許せる時がやって来る。苦しいことは、いつか、自分の生きる糧になる。そう思うことさえ苦しいのなら、お願いだ。俺に、君を守らせてほしい。お願いだから、死なないでくれっ」

 その日、俺は女の部屋には帰らなかった。次の日の昼間、女の部屋を訪ねると、顔を合わせた瞬間平手打ちをくらった。服も荷物も全て投げ出され、部屋を追い出された。

「他の女と寝たペットなんて、飼えるわけないでしょ!」

 女はそれっきり、ドアを開けてはくれなかった。放り出された荷物を全て抱えて、俺は小野さんの家で、しばらく間寝泊まりした。

 仕事は辞め、学校にも行かずに一人で過ごしていると、余計なことばかり考えた。頭ではしてはいけないと思っていても、体は何故だか勝手に自傷行為を始めた。手首を切り、首を切り、睡眠剤の過剰摂取をしても、死には至らない。いよいよ2階にある小野さんの家のベランダから飛び降りたが、骨折だけで済んでしまった。

 小野さんは頭を抱えた。俺のことが、心配で仕方がなかった。

「君を一人にしておくことがいけないようだ。本当は、このまま一緒にいてあげたいけれど、俺にも仕事があるし、誰かの目の届くところでゆっくり暮らしてほしいんだ。施設を卒業したら、まず警察官学校に行きなさい。そうしたら、今度は俺の家においで。それで一緒に仕事をしよう。高橋君、俺には君が必要なんだ。必要なんだよ」

 中2になるはずの春、俺は立並児童養護施設というところで生活をするようになっていた。そこには、年の近い男子から、まだ言葉もおぼつかない子どもまでがいた。

「小野君とは、高校の同級生なんだよ。君のことをよろしくと言われてるんだ。どうぞ、よろしくね」

 施設長は、小野さんと同じような優しくて温かい空気をまとっていた。施設長の娘だという優里子という女子は、いつもニコニコ笑っていて、どうしてそんなに能天気でいられるのか疑問だったが、その笑顔を見てニコっと笑う子どももいる。チビの唯我は、特に優里子と一緒にいたがるようだった。

「唯我はね、クリスマスの夜に、施設の前に捨てられて、一人で泣いていたのよ。手には”小山内唯我”って書かれたレシートが握られているだけでね、未だに唯我の両親が誰なのかはわからないの……」

「それって、天涯孤独ってこと?」

「そうならないように、私がずっとこの子のそばにいてあげるんだ!私がお姉ちゃんでね、駿君がお兄ちゃんなの」

「へえ……。血もつながってないのに」

「それでも、家族にはなれるものでしょう?」

「何それ。気持ち悪いね」

 優里子は何を言っても笑った。「もう、そんなこと言うんだから」と、まるで冗談を聞いたような反応をするので、もうどうでもよくなってしまった。施設でさえ、俺は必要とされないのかもしれないと思えた。

 だけど、以前よりも辛くなくなったのは、小野さんが「俺には君が必要なんだ」と言ってくれたからだ。あの一言だけで、俺は生きていける。


                 ****


③それから……


「じゃあ、また来るね。高橋」

「気をつけて帰れよ、文子」

 高橋に会うたびに、文子は明るい笑顔を浮かべるようになっていた。手をひらひらと振り合うと、金髪の高橋はデスクの上で頬杖をつき、ふうと息を吐いた。

「伊織、またあの子来てたのか?お前、気に入られてるんだな」

「やめてくださいよ。俺、女とか興味ないですし」

「またまたあ」

「はあ、お昼に外出るとか億劫だなあ。面倒くさい」

「お前は何をするにしても面倒くさがるだけじゃないか。ほら、行くぞ。伊織」

「はいはい、小野さん。もうちょっとゆっくり行きましょう」

「ダメだ!あそこのテイクアウトの弁当な、すぐ無くなっちまうんだから!」

「好きだなあ。弁当」

「お前と食べれれば、何だっていいんだけどさ。やっぱり、弁当かなって思って」

「何それ。気持ち悪い」

「っるせえよ」

 高橋は正直には言わないが、小野さんの言う「やっぱり、弁当」という意見には、ものすごく共感していた。



(番外編「①文子、②高橋、③それから……」おわり)

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