第85話 最大の自慢

 次の日、琴次郎と同じクラスの鳳の席は朝から空席だった。楊貴、正彦と一緒に、移動教室のために昇降口の前を通りかかると、帰宅しようとする俺と会った。

「唯我君、今日はもう終わり?」

「ああ」

「唯我、今日は鳳の奴、一日休みなんだぜ」

「ヨーキ、いらんこと言わなくていいの」

「何で休み?」

「仕事だってよ。俺、てっきり唯我とのバトルが気に食わなかったからだと思った」

「それ、僕も少し思った。昨日、すっごい叫んでたもんね」

 ダンスバトルの結果を聞いた後、鳳が必死な顔をして叫ぶ様子を思い出した。周りの生徒たちは鳳の声に驚き固まり、そんな鳳の前で平然と立つ俺を見て安心しようとしているのがわかった。あの時、俺には少しだけ優越感があった。一人の人間として、アイドルとして、俺はこいつより勝ってる。そう思った。

「きっと、デビュー前の仕事で忙しいんだろ」

「それはそうだろうね」

「聞いた話じゃあ、鳳はもうダンスバトルは受けないらしいぜ」

「そうなの?」

「小山内君と引き分けたからかなあ?」

「いや。本人は、元々10回までのつもりだったって言ってるんだと」


                ****


 その日、富岡さんは都内の大きな病院にいた。屋外の喫煙スペースにいると、そこに仕事終わりの鳳がやって来た。鳳は俯き、背中を丸めている。富岡さんは思わず笑った。

「何だよ、颯斗。ガキンチョみたいに小さくなりやがって」

 頭を掴み、ガシガシと撫でると、鳳の頭は左右に大きく揺れた。

「俺、負けたんだ。一番負けたくなかった奴に……。あいつに勝ちたくて、頑張ってきたのに。クソ……。クソッ!」

「おい、こら。ここは病院なんだよ。静かにしろや」

 鳳は、はああと重たいため息をついた。颯斗のやつ、ガラにもなく随分と落ち込んでんじゃねえか。富岡さんはクスッと笑った。

「お前も、負けたって言うのな」

「え?」

「本当は引き分けたんだろう?昨日のうちに、唯我が報告に来てくれたんだよ。動画も見たぜ」

「はあっ!?じゃあダンスバトル、見たのかよトミー!」

「トミーさんな!」

「俺のダンスは負けてなかった。絶対そうだ」

「だけど勝てなかった」

「あいつに劣ってるものなんて、俺にはなかった」

「それは違うな」

「俺、何で勝てなかった?」

 富岡さんは、ふうと煙たい息を吐くと、設置された灰皿スタンドでタバコをトントンと揺らして灰を落とした。

「……なあ、颯斗」

「何?」

「お前はもう少し、他人のために踊ることをしなくちゃいけねえよ。お前がデビューしようとしているのは、ダンサーじゃなくて、ジェニーズアイドルなんだからよ」

「何だよ、それ。わかってるよ」

「わかってたら、唯我に圧勝してたぜ?お前が勝てなかった理由はな、お前のダンサーとしての魅力よりも、唯我の持つアイドルとしての魅力の方が上だったからだ。あのダンスバトルは、ダンサーとしてのバトルじゃなくて、アイドルとしてのバトルだったんだよ。そうさせたのは、唯我だ。多分、お前がジャンケンで負けて、後攻で踊ってりゃあ、また結果は違っただろうよ」

「セオリーと違う」

「当たり前だ。ステージってのは、二度と同じことはできない。たった一度しかないんだから」

 鳳は、俺が言った言葉を思い出した。

「二度、同じステージはねえんだよ。そんなこともわかんねえのかよ、てめえは!」

 その時、富岡さんのスマホが鳴った。

「おっと、お呼び出しだ。お前も来るか?」

「どこに?」

「ワガママな王様の面倒見に。お前もジェニーズなんだから、一度くらい会っとけよ」

 富岡さんに言われるまま、鳳は病院の中に入った。待合室を通り過ぎ、廊下を奥へと進むと、突然明るい広場のような場所が現れた。全面ガラス張りのそこは、高い空の下、敷地内の外に広がる緑がよく見えるところで、運動するための器具がいくつも並び、たくさんの患者とリハビリの補助員たちがいた。

 富岡さんが手を振ると、車いすに座る男が手を振り返した。

「あ、トミー!遅いよお」

「遅くねえよ。ったく、どんだけ待てねえんだよ、お前は」

「だって、待つの嫌いなんだもん」

「人のことは待たせるくせにな!裕二郎」

「許してくれるでしょ?トミーはさ」

 その男は、まっすぐでサラサラした黒髪が映える白い肌で、切れ長の目には、強い目力があった。常に上がっている口角でフフッと笑う顔は、とても綺麗だった。鳳は言葉を失った。

「そこにいる子はだあれ?知り合い?」

「教え子だよ。今度デビューするんだ。D-Squareっていう」

「ああ!もしかして、智樹がいるグループだ」

「智樹って、お前の甥っ子だっけ?」

「そうそう。そっか。同じグループなんだ。どうも、初めまして」

「おい、颯斗。挨拶!」

「あ、お、鳳颯斗っす。ちわっす!」

「僕は比嘉裕二郎。よろしくね」

「……え、比嘉?小山内じゃなくて?」

「オサナイ?ははは。何言ってるの?この子。ウケる!」

「ええ?いや、だって……!すげえ似てるから」

「似てる?誰に?ねえ、トミー」

「トミーさんも思いますよね!?」

「……さあてね。誰のこと言ってんの?」

「ええ?似てないかなあ……」

 鳳は裕二郎さんの顔をまじまじと見た。その間、裕二郎さんはアハハとのんきに笑っていた。


                ****


 次の日、俺は朝から鳳に会った。昇降口で顔を合わせた瞬間、俺たちは声を揃えて「あ」と言った。俺は無視してその場を離れようとした。すると、鳳が俺の前に立ち、道を塞いだ。

「な、何だよ」

 鳳は俺の顔面を覗き込み、「うーん……」と唸った。

「やっぱり似てると思うんだけどなあ……」

「は?誰に」

「ユージローに」

「ユージロー?誰?」

「トミーさんの知り合い」

「富岡さんの知り合いの、ユージロー?……青春隊の裕二郎さん?」

「あ、それそれ!会ったことあるか?」

「ねえよ。でも、いつか会ってみたい」

「似てるって言われねえ?!」

「……ああ、ごくたまに……。富岡さんと初めて会った時も、これはヤバいって驚かれたことあったっけ」

「は?トミーが!?え、え!?でも昨日はっ!!……はあ?意味わかんねえ!」

「いや、こっちが意味わかんねえよ。俺は行くぞ」

 鳳の謎かけのような会話に付き合っていられなかった。鳳の隣を抜けようとした時、「待て」と腕を掴まれた。

「お前、俺と」

「ダンスバトルはしねえぞ。絶対!」

「違えよ!!そうじゃなくて、一つ、お願いがあって……」

 鳳はいつもと違って、少し弱気な様子で言った。しかし、俺は内容も聞かずに即答した。

「嫌だ!」

 だが、鳳に俺の即答など無意味だった。


                 ****


 放課後、俺は何故か鳳と外を歩いていた。そこは富岡さんのダンススクールの最寄り駅を出たところだった。都会から少し離れた県境のその街は、古い雑居ビルの並んだ大きな街のように見えたが、少し離れると、昔からそこにあったであろう長屋づくりの家々が立ち並ぶ、趣のある住宅街が広がっていた。

「まあ驚いてくれよ。俺ん家な、ちょーボロボロなの」

「お前ん家とか興味ねえ。何しに行くんだよ」

「まあまあ、ついて来いって」

 そう言って、鳳は細い路地へと入った。すると、葉の青々と茂ったツタが壁を覆う一軒家が見えた。表札はなく、サビた郵便箱をキイッと嫌な音を立てて覗くと、手紙やチラシを掴み、ドアを開いた。

「ただいまあ」

 その瞬間、家が崩れるんじゃないかというようなドタドタという足音がいくつも重なって聞こえてきた。2階から降りてくる小さな足が4本、すぐ横にあった扉から俺たちを見つめる目が4つ現れた。それから、奥から「おけえりい!」という女の人の声がした。

「颯斗!おけえりい!」

「おけえりい!」

 鳳の前にワアッと声を上げ手を広げたガキたちが集まった。鳳は犬でも撫でるように4つの頭を撫で回し、「ただいまあ」と返事した。4人のうち、一番年上らしい男子と女子が俺を見て声を上げた。

「ワアアッ!萩野だああ!!」

「『青春・熟語』の萩野君だああっ!本物だああっ!」

「スゲー!!兄ちゃん、本当に連れてきたっ!!」

 『青春・熟語』の萩野君とは、俺の役名だった。すると、ガキんちょたちの腕が俺の手を取り、中に引きずり込んだ。

「入って萩野君!」

「母ちゃん!有名人だよっ!」

「ああん?何だって?」

 そのままドアの中へと入ると、そこはリビングのようだった。大きなテーブルが一つと、小さなテレビが一つ置いてあり、折りたたまれた洋服やタオルが、窓の前に山のように積み重なり揺れている。いかにも古いエアコンがブオオとおかしな音を立てながら風を起こし、真下に置かれる物でパンパンになった3段カラーボックスからほこりを巻き上げる。

 奥の台所には、クレアおばさんのように包容力だけで大きくなったようなマシュマロ体型のおばさんがいた。おばさんの前では、大きな鍋の中でジュワジュワと揚げ物が音を立てている。

「あら、颯斗!約束通りつれて来たのね!?」

「ああ。皆大好き萩野君」

「まあまあ!嬉しいわあ!颯斗の母です。いつもお世話になっております」

「い、いえ。何も……」

 握手を求められた手を握ると、ふわりとした肉感が気持ちよく、離し難かった。

「もうすぐ夕飯できるから、どうぞ食べてって!ほら、颯斗!洗面台に案内してあげな!」

「へえい。ほら、行くぞ」

 俺は鳳に案内されるまま洗面台に行き、手を洗った。

「お前、家の人と何を約束したんだよ」

「え?萩野君が俺と同じ高校だったって言ったら、つれて来い!って言われてさ」

「……それならそうと、初めに言ってくれればよかったのに……」

「そう言ったら、ついて来てくれたわけ?先輩には前科があるだろ。一度、俺との約束放り出して逃げたじゃんか」

「あれは約束じゃなかっただろう」

 俺は肩を下げて深くため息をついた。無駄に緊張していたおかげで、心臓がドキドキしていた。リビングに戻ってくると、4人のガキたちが俺を席へと案内した。席に座った瞬間、鳳の母親が大皿に大量のから揚げを乗せてテーブルど真ん中に置いた。

「さあ子どもたち!じゃんじゃん食べな!今日はスペシャルディナーだよ!」

「「イエーイ!!」」

 揚げ物のいい匂いが狭いリビングに充満し、母親のかけ声を聞いた兄弟姉妹たちは「いただきまあす!」と手を合わせた。ガキたちはベンチ型の椅子に尻をぎゅうぎゅうに詰め込んで、腕も箸も当てながら、ご飯味噌汁、トマトとキャベツの千切り、から揚げを頬張った。俺の目の前には、山盛りご飯とタプタプ揺れる味噌汁、大量のキャベツの千切りが置かれた。その量は隣の鳳と同じ量あり、鳳は当たり前のようにガブガブと食べていた。

「たあんとお上がり!」

「い、いただきます……」

 こんな量を食べたことがない。俺はゴクリと唾を飲み、決意して山盛りご飯に箸をつけた。その時、玄関先から「ただいまあ」という女の子の声がした。

「姉ちゃん、おけえり!!」

「めっちゃから揚げの匂いすんじゃん!昨日も揚げ物だったじゃん!もう、またニキビできちゃうじゃんよお」

「まみは間食にポテチ食べちゃうからいけないのよ!」

「そんなことないもん!って……」

 リビングに入ってきたのは、セーラー服の中学生だった。中学生は俺と目を合わせると固まり、手に持っていたスマホを落とした。鳳は「あ、まみ!」と言いながら、俺を箸の先で差した。

「お前の好きな奴つれてきて」

「キャ――――!!!!」

 「まみ」と呼ばれた中学生は叫びながら2階へ駆け上がって行った。天井からはドタドタという物音と、ギシギシという床が揺れる音がした。一瞬、天井が抜けて落ちてくるのではないかと思い、ドキドキした。

「アッハハハハ!まみの奴、マジウケる!」

「本当よお!驚いたでしょう、萩野君!あの子ねえ、あなたの大ファンなの!」

「え!?」

「確か、いつだかのJr祭でもお前に会いに行ってるんだぜ?」

「本当に!?」

「そうそう!こないだのツモ潤のドラマにも出てたでしょう?あれもテレビに食いついて離れなくってねえ!」

「こうやって両手握って、”パジャマ姿でもカッコイイ!”って呟いてた。ブッ!ハハハハッ!」

 鳳と母親は同じ顔して大笑いしている。俺は話を聞きながら、照れくさくてたまらず顔を真っ赤にした。すると、隣にいたガキたちが声をかけてきた。

「ねえねえ、萩野君!」

「え、あ、何?」

「夢ちゃんと真子ちゃん、どっちが好きい?」

 「夢ちゃん」「真子ちゃん」とは、『青春・熟語』に登場する女子生徒の名前だった。俺は「ええっと……」と答えようとした。しかし、これは萩野君が好きな子のことを言えばいいのか、俺個人に対する質問なのか、というか答えていいのかわからず困ってしまった。

「俺、Y&J見たい!」

「樹杏君はいつ戻ってくるのお?」

「ねえ!私が話してるんだからあ!」

「お前たち!ケンカしないの!!」

「おおい!ただいまあ!パパ上のおかえりだぞお」

「あ、父ちゃんっ!」

「パパ、おけえり」

 ガキたちの「おけえり!」コールの中、玄関からやって来たのは鳶服の鳳の父親だった。あごにひげを生やし、首からタオルを垂らしている。

「あれ、お客さんだ!」

「お、お邪魔してます」

「父ちゃん父ちゃん!萩野君だよ!」

「萩野君?」

「兄ちゃんと違って、本物の芸能人なんだよ!」

「芸能人!?スペシャルゲストじゃねえかい!ゆっくりしていってよ、萩野君!」

 べらぼう口調は、鳳の口調そのものだった。俺は「ありがとうございます」と頭を下げると、ガキたちが「ねえ萩野君!」とまた話し始めた。食卓は終始騒がしく、ガキたちの脈絡のない会話が可笑しくて、可愛くて、俺はクスクス笑いながら、家族団らんを味わっていた。


                ****


 食べ盛りのガキたちは大量のから揚げを平らげ、お風呂や部屋へと散り散りに向かった。静かになったリビングでは、俺と鳳の座る横で、両親が晩酌を始めていた。父親が瓶ビールを傾け、「飲むかい?」と当たり前のように言ってきたが、俺には5年後優里子と飲む約束があるので、丁重にお断りした。

「まさか颯斗と萩野君が同じ学校になるなんて、まるで運命みたいよね」

 母親が軽く言った言葉に、俺は顔を青くして激しく横に振った。こいつと運命だなんて、絶対嫌だ!

「だって、この子ったら昔からあなたのこと大好きだったのよ?」

「え!?」

「やーめーろって!好きじゃねえし!」

「他の子たちも皆、萩野君が大好きで。もう、血は争えないなんて、よく言ったものだわ」

「マジその話やめろ」

「おい颯斗、そんなわかりやすい態度してちゃあ、父ちゃんにももろバレすっぞ?大好きじゃねえかよ」

「っるせえジジイ!!」

「んだとガキ!!」

「ああ、ああ。始まっちまったよ。ごめんねえ。うるさい家でさ」

「いいえ」

 言い合いになるかと思った鳳と父親はジャンケンをしている。「あいこでしょ!あいこでしょ!」と続く中、母親は語り始めた。

「颯斗ね、昔、あるCMを見てダンス始めたの」

「CM?」

「あなたが躍っているCM。それ見てね、俺もこいつみたいにないたいって言って、近くにあったトミー教室に通い始めたのよ」

 俺が躍っているCM、それはつまり、ポリカのCMのことだ。

「でもね、家がこんなでしょう?その頃、一番下の子が私のお腹の中にいたこともあったからか、颯斗が私たちに頭下げて言うの。ごめんなさい、ダンス教室通わせて下さいって。ごめんなさいだって。ワガママ盛りの小5のガキがさ」

 話しながら、母親の頭の中には当時の光景が思い出された。小学5年生の鳳は、このリビングの真ん中で、正座して頭を下げた。

「ガキが気い遣ってんじゃないよってパパが怒って、やるなら中途半端にやるなよって言ったのね。そしたら颯斗ったら、絶対ジェニーズのアイドルになって売れてやるから、そうしたら、この家建て替えようって言うの!私、笑っちゃった!フフフ」

 話を聞きながら、俺は富岡さんの話と母親の話を繋げた。鳳が小学5年生でダンスを始めたきっかけは、俺が躍っているCMだったということに驚いた。そして、鳳が踊る理由を知った。こいつは、家族のために踊っているんだ。

「でもね、ダンス始めたと思ったら、いつの間にかアメリカに行っちゃって。帰って来たと思ったら、ジェニーズになっちゃって、今度メジャーデビューするとか言ってさ。……一人で勝手に大人になっていくんだから、私は寂しいの」

 ため息を吐くように、母親は呟いた。母親の語る鳳の話は、他の人からすれば天才の成功話そのものだ。しかし、この母親からすれば、成功なんてどこにもなくて、ただ一人の息子が親の手から離れていく、寂しい成長物語でしかない。立場や見る目が変わると、こうも捉え方が変わるのかと、俺は少し驚いた。

 ジャンケンを終えた2人は席に戻り、「何の話?」と聞いてきた。母親はふふっと笑うと、「秘密」と答えた。

「ところで、萩野君はどうしてジェニーズになったの?」

「あ、俺もそれ聞いたことねえや。先輩、何で?」

「……何も気にしないで、聞いてくれるなら……」

「気にするわけないじゃないの!聞かせてよ、萩野君」

 いつもなら何も気にせず話せるのに、こんなに仲のいい家族の前では、俺の事情は話しずらかった。

「俺は、自分の両親の顔も名前も知りません。クリスマスの日、児童養護施設の前に捨てられていたのを、拾ってもらったんです」

 案の定、食卓の雰囲気は一変した。しかし、3人の耳は話の続きに傾いているようだった。

「ジェニーズ事務所から連絡をもらったのは、小学4年生の時です。俺を入所させれば、施設への経済援助をするという内容でした。その頃、実は施設はかなりの経営難を抱えていたんです。このまま施設が閉設されれば、俺も、他のガキたちも居場所を失う。皆バラバラになる。それは嫌だった。だから、俺はジェニーズに入所しました」

「そうだったの……」

「そこからはがむしゃらでした。ダンスもやったことなければ、人前に立つことなんて、むしろ避けてきたくらいだったのに、ライブに立たせてもらうようになって、それで……」

 当時、俺は「孤独の子」といじめられていた。その頃の俺はとても卑屈で、できれば人目につきたくなかった。あえて伸ばしていた髪の毛で顔を覆って、下校する時は早足で帰った。何の取柄も自信もないのに、意地を張って弱くない自分であろうとする。そんな「孤独の子」の俺を、誰にも見てほしくなかった。だけど、千鶴さんや智樹、ジェットスターやAファイブ、憧れる人に出会えて、夢見るようになった。

「自分に求められることには答えるように努力しました。そうしたら、こんな俺を頼ってくれる人たちが増えて、ファンだと言ってくれる人たちが現れて、名前をたくさん呼んでもらえるようになって……。だから、精一杯応えたいと思うようになりました。もっと、求められたいと、そう思うようになったんです」

 何より、自分の中に生まれ始めた自信に、一番期待をしていたのは俺自身だった。だから思い悩み、苦しんだこともあった。未だに、胸を張り自信を持って「俺はこれができる」とはっきり言えない自分に腹が立つことも多々ある。いつだって、自分を苦しめているのは、自分自身なのだ。俺は早く、小さい自分の殻を破って、俺自身になりたいと、「プロのアイドル」になりたいと思っている。

「そうかい。萩野君、君はとても立派な人だね」

「え?」

「そうよそうよ!うちの颯斗とは比べものにならないわ。次元が違うもの!」

「おいっ!父ちゃんも母ちゃんも、俺に対して失礼だろ!」

「失礼なもんですか!事実でしょうが!」

「ハハハ!その通りだなあ!」

 重たい雰囲気は一気に元通りに戻った。父親は、瓶ビールを注いだグラスをグッと口に含み一気に飲んだ。ブワア!と息を吐くと、酒に頬を赤らめて「萩野君!」と言った。

「君は立派だ!いつか、立派な萩野君の姿を広くたくさんの人に見てもらえよ!そして、両親に見せつけてやれ!てめえらが捨てた俺は、こおおおおんなにでっかくなってやったぞおってな!」

 父親は両手を広げ、大きな声を出した。母親は「いいよパパ!」とあおった。

「いつか言ってやれ!いいか!お前ら、俺を捨てたことを後悔しろ!金も名誉も、全て俺が自分で手に入れたんだ。てめえらなんざに、ほんの少しも分けてやるものか!この、クソ野郎が!!ってな!」

「アッハハハハ!パパ、最高!」

「だろ?惚れ直したか?」

「あー、直した直した」

「母ちゃん、嘘っぽい」

 3人は大笑いしていた。俺はあっけにとられ、何も反応できずにいた。

「萩野君、元気だぞ。元気が一番だし、笑顔が一番だ!君の笑顔に、たくさんの人が元気をもらうんだ。颯斗、お前もだぞ!」

「へえい」

「クソ野郎の両親なんてな、思いっきりぶん殴って、踏みつぶしてやれ!」

「パパ、物騒よ。気持ちは100パーセント共感するけどね」

「ならいいじゃねえか」

「……俺」

「うん?」

「俺、自分の親のこと、そんなふうに思ったことなかった……。というか、考えもしなかった」

 少し混乱した。考えたことがなかった。俺にとって、親はいない、つまり存在しない人たちだった。それなのに、この人たちは当たり前のようにどこかに存在しているかのように言う。俺には、親が存在する?もしそうだったら、俺は、俺は……。

「……クソ野郎だなんて、思ってもいいのかな」

 それはとても小さな声だった。喉の奥に壁ができて、口から吐くことがとても難しかった。しかし、3人にはしっかり聞こえていた。

「「いいに決まってる!!」」

「てめえの両親なんだよ。どう思おうが萩野君の勝手だし、何を思ったって許されるだろ」

「……えっと……」

 俯くと、余計に言葉が出なくなった。何を思っても許される……。本当に?

「なあ、萩野君」

「はい」

「恨めしかったら、殺してしまいたいほど憎んでもいいんだぜ?苦しかったら、カッコつけずに悔しがっていいんだぜ。……恋しかったら、心から愛してほしいって、叫んでいいだぜ」

「……」

「天涯孤独上等!どこまでも自由で、どれだけでも自分勝手でいいんだ!だって、この世にただ一人の自分なんだからよ」

 その瞬間、目からポロポロと涙が落ちた。すぐに手で拭ったが、止まらない。鼻の奥で鼻水がズズッと音を立てた。

「あ、ご、ごめんなさい。何でか、止まらなくて……」

 恥ずかしい。これじゃあまるで、親のことを気にしているみたいじゃないか。そんなことない。何も思ってなんかいないっ!そう自分に言い聞かせても、涙はとめどなく流れてしまった。

 これまで俺は、「孤独の子」であることを認めたくなくて、親のことを考えないようにしていたのかもしれない。しかし、鳳の父親は教えてくれた。「孤独の子」は天涯孤独だけど、「この世にただ一人の自分」なんだ。どこまでも自由でいていいんだ。

 鳳はティッシュ箱を差し出し、母親は肩を持ち背をさすり、父親は頭を撫でた。


                 ****


 どうしよう。どうしよう!でもでも、お話したいし、もう一度姿が見たいじゃん!ああでも、やっぱり真正面からは見れないよお!

 鳳の妹、まみさんは、ガキたちが眠る部屋の端で布団にくるまり悶えていた。鳳は部屋の引き戸をガラッと明け、何の躊躇もなく、まみさんの布団をはがした。

「おい、まみ!」

「ギャー!お兄ちゃん!デリカシーなさすぎでしょ!!」

「愛しの萩野君が、お前に会いたいってさ」

「ええ!?ッキャ――――!!」

 鳳に布団をはがされ、隠れる物を失ったまみさんは、顔を真っ赤にして壁に体を寄せ、まるで怯えたように俺を見つめた。本当に俺のファンだろうかと不安になった。

「まみさん……」

「い、いや……」

「俺と、握手してくれませんか?」

「…………はい」

 差し出された小さな女の子の手は、華奢に見えて、ふにゃりと柔らかく、ゆでだこが蒸されて蒸気を上げているのが、とても可愛いらしかった。

 鳳の両親からの見送られ、家を後にした俺は、鳳と並んで最寄り駅まで向かった。

「騒がしかっただろ、俺ん家」

「全員お前みたいで驚いた」

「ハハハ!なんじゃそりゃ」

「でも、俺の施設も対して変わらねえよ。ガキばっかりいるし」

「へえ。今度遊びに行ってもいい?」

「は?嫌だよ」

「何だよ、つれねえなあ。うちはいつでも歓迎すると思うぜ。また来いよ」

「……俺さ」

「うん」

「今日初めて、血の繋がった家族っていいなと思った」

 車が表の大通りを通りすぎる時、俺たちの歩く路地に光と音だけが走り抜けた。都会の喧騒は近くて遠く、まるで別世界の扉が俺たちの背後で開かれているようだった。

「俺は、ダンスは元々才能があったとはいえ、俺自身の実力は自分でつくったと思ってる」

「また始まった……」

「でも、俺の人生において最も幸運だったことは、家族に恵まれたことだ。それから……、小5の時に、CMのお前に出会えたことだ」

「……」

 その言葉で、俺が今日、強引に鳳の実家に連れてこられた理由がわかった。鳳は、自分のことを知ってほしかったのだ。最後の最後に聞いた言葉が、これまでに聞いてきたどの自慢よりも、鳳にとって最大の自慢だった。

 最寄りの地下鉄の入り口に来ると、鳳は足を止めた。

「また学校でな。とはいえ、当分仕事でほとんど学校行けねえけど。ま、通信のお前とそんな変わんねえか」

「英語の課題くらいなら教えてやる」

「答えまで教えてくれよな」

「ああ?」

「あ、そうだった!英語苦手だもんなあ。ハハハ!」

 マジでウゼエ。チッと舌打ちして、俺は駅へと振り返った。

「なあ、おい」

「何だよ」

 鳳はそっぽを向き、頭をかきながら言った。

「あー……、じゃあな。

「じゃあな、

 俺は恥ずかしいのを隠すように、さっさと改札へと降りた。俺の後ろで、颯斗はガキみたいにニカニカ笑っていた。

 施設に帰り、職員室の扉を開いた。

「ただいま、施設長」

「おかえり、唯我」

 ガキたちも眠り、夜勤に来ている数人の職員だけがいる施設はとても静かで、颯斗の実家の騒がしさを懐かしく思い出した。すると、廊下を歩いてきた優里子が「唯我」と声をかけてきた。

「唯我、おかえり」

「ただいま」

「どうしたの?何かいいことあった?」

「何で?」

「わかるわよ、それくらい。もう何年一緒にいると思ってるのよ」

 ハハッと笑う優里子を見ると、とても穏やかな気持ちになった。俺にとっては、この施設が実家で、施設長と優里子、職員やガキたち皆が家族なんだと、改めて思った。

「優里子、今度またどっか行こう。……聞いてほしいことがあるんだ」

 高校に入ってからの忙しい毎日、鳳とのダンスバトル、鳳の家族と、俺の感じたこと。そんな些細なことを、聞いてほしかった。

「うん。いいよ」

 優里子のいつも通りの笑顔が、俺はとても好きだ。


                ****


 武芸会館の中央で、鳳はD-Squareのメンバーと共にリハーサルを行っていた。大音量のディスクのデビュー曲が響く。決めポーズを決めると、はあと息をついた。背を反らして首をポキポキ鳴らした鳳はメンバーに振り返った。

「響也君、もうちょっと左側への意識を強くしてもらっていいすか?」

 響也君は鳳から顔を反らした。返事をするつもりにはなれなかった。鳳は他のメンバーへも目を向けるが、誰とも目は合わない。いつも通りだった。

「……そうすりゃあ、その後ろの智樹の動きが映えるから……」

 鳳の言葉に、ディスクのメンバーは顔を合わせた。

「俺がもう少しステップを小さくする。そうすりゃあ、もっと全体の動きが大きく見える……。それから」

 鳳は下に視線を向けたまま、指を差して言い続けた。きっと、いつも通り誰も俺の言葉には耳も貸さないで突っ立っているのだろう。そう思っていた。だが、顔を上げてみると、ディスクのメンバーは驚いた顔をして鳳を見ていた。

「……颯斗、てめえ」

「俺らがお前の動きについていけねえとでも思ってんのかよ」

「お前のステップを小さくする?俺らが大きくすりゃあいいだけだろ。なめんなよ、颯斗」

「俺たち全員で、このステージに立ってるんだぜ。大きく踊った方がカッコイイじゃん!」

 すると、響也君は「颯斗」と鳳の胸に拳をぶつけた。

「ようやく一緒に踊る気になったのかよ。遅せえよ、バーカ」

 響也君はメンバーに振り返ると、「もう一回やろう」と声をかけた。

「やるぞ、颯斗」

「……ハハ。うん。オーケー」

 6月、武芸会館で行われる世界バレーのイメージキャラクターとして、D-Squareは華々しくメジャーデビューしたのだった。



(第85話「最大の自慢」おわり)

 次回更新:7月18日(土)21:00

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