第74話 アイドルと受験生

「あらあ!唯我君、久しぶりねえっ!大きくなったわねえ!」

「お久しぶりです、長谷川のお母さん」

 修学旅行から数日経った頃、俺は長谷川宅に呼ばれた。相変わらず大きな立派なおしゃれなお宅は清潔を保たれ、長谷川ママは相変わらず嬉しそうに俺の頬をぺちぺちと撫でてくる。久々に再会した長谷川は、俺より少し、ミジンコ程度のほんの少しだが身長が高く、俺より少し、ほんの少しだけ筋肉もついて男らしい体格になっていた。6センチメートルの身長差など、ほんの少しといっても過言ではないだろう。だって秋には俺だってそれくらいひょいっと伸びているのだろうし!筋肉だって明日にはついているだろうし!

 俺は長谷川の部屋にあるクッションの上に座った。壁には、一度見たことのある大きな宇宙の写真が飾られている。その下の棚には、見覚えのあるロケットや衛星の模型がいくつも飾られている。懐かしさと心地よさを感じながら、俺は長谷川と話をした。呼ばれた理由はすぐに検討がついた。

「大沢さんから連絡があったんだ。大沢さんは言ったんだね、ちゃんと」

「……お前、実は知ってた?」

「もちろん知ってたよ。けど、一生言わないのかもしれないと思ってた。様子はどうだい?気まずくなってないかい?」

「お互い、そうならないように気をつけてるって感じ。気まずくないって言ったら嘘になる。今まで、すげえ気を使わせてたんだと思うと申し訳ない」

「でも、大沢さんはわかってたと思うよ。僕もそうだったから、よくわかる」

 長谷川は、小学6年生の夏に大沢に「好きだ」と告白したのだった。大沢に好きな人がいること、もとい、俺のことが好きだということを知った上で、長谷川は想いを伝えたのだ。それは、俺が優里子のことを好きでいることを知りながら、「好きだ」と言った大沢と重なった。

「知らなかったとはいえ……、お前にも気い使わせたよな。ごめん」

「ああ、ああ!謝らないでくれよ!それに、今更だよ。確かに、告白に応えてもらえなかった時は結構落ち込んだけど、それも承知で言ったんだ。だから、君が大沢さんに申し訳ないなんて思っちゃダメだ」

「長谷川……」

「今回のことで、大沢さんは決着ついたのさ。つまり、君は大沢さんの本当の意味でお友達になり、大沢さんが大好きなアイドル、小山内唯我君になったんだよ。だったらすることは一つさ」

「すること?」

「大沢さんのこと、たっくさん笑顔にしてあげてよ」

 長谷川の言葉には嘘がなく、説得力があった。長谷川の家を出た俺は考えた。大沢はこれまでも、小さなステージやJr祭、舞台にも来てくれるようなジェニーズJr小山内唯我のファンなのだ。それは変わらない。それなら、俺はこれまで以上にファンを大切にしてやることが一番いいに決まってる。大沢を笑顔にするのは、俺なんだ。

 俺がいなくなった後、長谷川は部屋で大沢に電話をした。目の前には大きな宇宙が広がっていて、たくさんの星と銀河の海が重なっている。

「大沢さん、ごめん。こんな時間に……。唯我君と話したよ。それでね……」


               ****


 次の日、学校に登校すると昇降口でバッタリと大沢に会った。

「あ、お、大沢……」

「唯我……、おはよう」

 驚いたのは、大沢の髪の毛が短くなっていたことだ。肩より短い髪の毛が、大沢の耳元で揺れるのを見ると、小学生の頃の大沢に会ったような感覚になった。

 大沢は「じゃ、じゃあ……」と手を振ると、教室に続く階段に振り返った。俺はすぐに上履きを履き、大沢を追いかけた。

「大沢っ!」

「何?」

「こ、これ……。よかったら参考にして……」

 体の前で抱えたリュックサックから、封筒を取り出し、大沢に渡した。大沢は封筒を開くと、中から折りたたまれたレポート用紙を取り出した。そこには、俺が昨晩に手書きした今年のJr祭全日の俺の予定が書きこまれていた。大沢はしばらくジッと見つめて、それからプッと笑った。

「嬉しい。ありがとう!」

「い、いや……」

「でもね、唯我。お誘いはとっても嬉しいけど、さすがに今年は控えておくわ」

「ええっ!?」

 まさか断られると思っていなかった俺は、結構ショックを受けた。

「行きたいのは山々なんだけどね、受験があるから今年は我慢するの。それで来年、志望校に入学してから、いっぱい楽しむんだ!だからパス。ごめんね、唯我。でも……、ありがとう」

 大沢が口を大きく開いて笑った。思わずドキッとして、視線を反らした。

「あ……、いや。俺の方こそ自分勝手にごめん」

 大沢は封筒を丁寧にバックの中に入れると、昨晩、長谷川からもらった電話で言われたことを思い出し、クスクスと笑った。

『唯我君には、大沢さんを笑顔にできるアイドルになれって伝えたよ。唯我君、きっと何か面白いこと考えてくれると思うよ』

 それがこれかあ。家に帰ったら、長谷川君に報告しておこう。きっと長谷川君も笑うだろうな。

 俺は大沢の後を着いて行くように一緒に階段を上がった。大沢がずっとクスクスと笑っているのが気になったが、どう声をかけていいのかわからなかった。すると、ニコニコとして大沢が振り返った。

「あ、そういえば、唯我聞いた?長谷川君ね」

「え、長谷川?」

 それから俺たちは階段に声を響かせて話をした。その頃、教室で俺と大沢を待っていた康平と泉美は目を合わせてはため息をこぼしていた。

「どうしよう……」

「ああ、これからどうなるだろうか……」

「二人とも、あれからずっと修学旅行の2日目みたいな距離感だよね。もう、4人で話したりできなくなるのかな」

「ええ?俺、大沢さんと話したいし、小山内とも」

「あんたがよく言えるわ。そっちの部屋の男たちは皆恨んでやる」

「泉美はマジで呪いとかやりそう」

 もう一度互いの顔を見ると、はああっと深くため息をした。泉美の心配は、俺たち4人の関係だけではなかった。

「私、修学旅行からずっと、成美の明るい顔、見てないんだよね」

 その時、大沢の明るい笑い声が教室の外から聞こえてきた。泉美はウサギの長い耳がピンと立つように反応し、教室のドアに振り返った。そこには、クスクス笑う大沢と、何かに呆れたような顔をした俺が話をしながら並んでいるのが見えた。

「そうらしいよ」

「マジか。信じらんねえ」

「だよね!私笑っちゃったもん!」

 康平と泉美、それから俺と大沢は「あ」と目を合わせた。

「二人とも、おはよう!」

「はよう、康平、泉美」

「「お……、おはよう!」」

「大沢さん、髪切ったの!?」

「そうなんだ。どう?」

「似合う似合う!」

「ありがとう、康平君!」

 康平と大沢が話している横で、泉美は俺をジッと見つめた。

「何?」

「……小山内君、ありがとう」

 泉美は泣きそうな顔をして微笑んだ。俺は泉美の「ありがとう」が何を差しているのかわかった。

「いいや、こっちこそ」

 何も言わず、見守ってくれたこと、これまでの関係でいてくれることに感謝しているのは、俺の方だ。その時、教室に担任の先生が入って来た。それぞれ席に着いた。


                ****


 その日、前の席から回ってきたプリントを見て、俺はまた頭を抱えた。

「夏休みの課題として、一人2校以上の学校見学に行き、今配布したレポート用紙に感想を書いて下さい。まずは1学期のうちに見学先を決めましょう。レポートは夏休み明けには提出するように」

 俺は机の上に置いた「学校見学レポート」なるプリントから目が離せない。周りのクラスメイトたちは既に希望校を絞っている奴が多いらしく、休み時間になると「学校見学の日どうしようか」などと相談する会話が聞こえてくる。その余裕がうらやましい。俺はどうしたらいいのだろうか。

「おい、小山内!」

「何だよ、康平」

「ははーん。やっぱり進路に真面目にお悩みング中だな?」

「るせえよ。ほっとけ」

「もしどこでも適当に行ってもいいってなら、俺らの学校見学に付き合え」

 そこで顔を上げると、康平の隣には泉美と大沢がいた。


                ****


 真っ青な空高く昇る太陽が、容赦なく照りつける。降り注がれる熱をアスファルトが吸い込み、ガラス張りのビルの間で乱反射させる。強烈な上昇気流の渦の中でサウナのように蒸し蒸した空気が俺たちを襲う8月初めの水曜日、俺は康平に誘われるがまま、泉美と大沢と共に都立高校の見学会に来ていた。

「いやあ、ようやく小山内君が受験生を始めた感じがするのお」

「は?何それ」

「学校見学ってさ、受験生のはじめの一歩ってヤツじゃん?私は心配してるのだよ。来年の小山内君が何をしているのか」

「余計なお世話だよ」

「ちなみに、俺も心配してるんだぜ。大沢さんもね」

「うん。すっごいしてる」

「大沢まで……」

 坂を登りきる頃には、俺たちは汗で額を濡らしていた。火照る体を引きずって、サビた門を抜けると、案内に立っていた高校生に誘導された。

『本校では、質実剛健、敬愛精神を大切に学生生活を』

 俺たちは学校の体育館に設置されたパイプ椅子に座り、学校パンフレットを片手に、恰幅のいいおじいさんの話を聞いた。しかし話どころではない。4人して流れる汗をタオルやハンカチで拭うのに忙しい。体育館は冷房の空気を大きな扇風機で循環させているため、おじいさんの声が扇風機のブオオオという音の中に消えていく。壇上には代わる代わる高校の先生が立つが、話は全く入ってこない。だんだん笑えてきた。最後に壇上に立ち並んだのは、その学校の生徒会メンバーだった。

 俺は女子生徒の制服には見覚えがあった。俺がまだ黒いランドセルを背負っていた頃、あの制服を着た優里子と手を繋いで歩いた帰り道を思い出した。緑色のブレザー、紺地に赤いチェックのスカート、同じ柄のリボン、紺色ハイソックス。そうか。ここは優里子の母校だったのか。

「学校ツアーに参加される方はこちらに集合して下さい!」

「5分後に出発しますよお!」

 旗を振って待っている案内係の女子生徒二人の前には、俺たち4人の他に数人の中学生が集合していた。康平と話をしていると、案内係の女子が一人、俺に近づいてきた。

「あの、君もしかしてY&Jの小山内唯我君ですか?」

 一瞬驚いて固まった。Jr祭や舞台以外の場所でそんな風に話しかけられることはとても珍しいことだった。免疫がない。ジェニーズスイッチが入ってない。

「あ、はい……」

「やっぱり!うわあ、テレビで見るよりずっとイケメンですね!」

「い、いいえ。……ありがとうございます」

 女子生徒は俺の横にピッタリとくっついて離れず、康平は泉美と大沢の元へ離れて行ってしまった。

「小山内、すげえたどたどしい。ウケる。ジェニーズなのにな」

「小山内君の性格知ってれば納得って感じだけどね」

「昔から有名人扱いされるの、得意じゃないからね。多分、今すごく困ってるよ」

「ああ、康平がこっちに来ちゃったからだ!」

「あそこに割って入れねえだろ」

 3人の言う通り、俺は大変困っていた。女子生徒は「テレビ出てたよね。ほら、日曜日の!舞台にも」とあれこれと話を続けた。俺のことを知ってくれていることがとてもありがたかったが、全てをしっかり聞いているのはしんどかった。俺は適当に頷きながら聞き流し、列が進むのに合わせて歩いていた。

 校舎の白い壁や階段の手すりには、中学では見かけられない引っかいたような傷や落書きがあった。階段の踊り場を曲がる時、ふとかけた手すりに、小さな相合傘の落書きがあった。偶然にも、片方には「ゆりこ」、もう片方は俺の親指で隠れて見えなかった。

「それでね、唯我っ」

 女子生徒が俺の腕を掴んだ。その一瞬の声が優里子の声のように聞こえ、同時に、隣の女子生徒が一瞬だけ優里子に見えた。ジッと見つめてしまったために、女子生徒は驚いて固まってしまった。

「唯我君、その……」

「あ、ごめんなさい。どうぞ、お話続けて下さい」

「いっ!いやいや!私ばっかり話してごめんね!あははっ」

 女子生徒はそのまま先頭の案内係のところまで走って行った。その後ろ姿にも、俺は優里子の姿を重ねた。大きなガラス窓を通して日の光が廊下を照らす。女子の赤チェックのスカートが揺れる。長い髪の毛がふわりと風になびく。Yシャツのかすれる音や、遠くから聞こえる足音、笑い声。ここに優里子がいたんだ。そう思うと、ふと想像したくなった。

 この廊下で、俺を見つけた優里子が駆け寄って来る。「唯我!」という声に振り向くと、制服姿の優里子がいる。楽しそうに笑いながら「あのね、唯我」と話し出す。どんなにつまらない話でも、退屈せずに聞いていられただろうな。なんて素敵な学校生活だろうか。しかし、優里子がここにいた時、俺はまだ小学2年生のガキンチョだった。

 康平は、先頭に戻った女子生徒が案内係に耳打ちをして、2人でキャーと声を上げているのを見ながら列を後退し、俺の隣に戻ってきた。

「小山内、逆ナンはどうだった?どう返事した?」

「逆ナンって……。何もねえよ。それより、康平。お前、勝手に逃げたな?ムカつく」

「そりゃあ逃げるだろう!お邪魔虫だっただろ?」

「……いてほしかったよ」

「うわデレたよ!きもっ」

 康平は即刻ボコボコにして引きずってやった。

「ただいま」

 施設に到着し職員室に顔を出すと、施設長と優里子がいた。

「唯我、おかえり」

「学校はどうだった?」

 俺は高校で妄想した様子が一瞬だけ戻った。当時、もう少し黒髪の多かった施設長。制服姿のまま、ボランティアに来ていた優里子。優里子と同じ学校の男子の制服を着た俺。

「……」

「どうしたの?楽しくなかった?」

「……いや、楽しそうではあった」

「そっか!次はどこ行くのか、決めたの?」

「いや、まだだけど……」

「まあ焦らなくていいよ。夏休みも始まったばかりだしね」

「うん……」

 一度瞬きをすると、普段通りの様子に戻った。施設長は白髪としわが少し増え、優里子は施設で働く時のポロシャツに戻り、俺は中学のYシャツに黒いズボンを履いている。

「風呂入ってくる。汗だくで気持ち悪い」

「唯我!先に水分飲みな!」

 すると優里子は職員室の冷蔵庫を開け、中から取り出したポリカをコップについで「はいっ」と渡してくれた。手に取ったコップは冷たく、喉を通る時、体の火照りが少し減ったように感じた。

「今日行った学校、優里子の母校だったって知らなかった。女子の制服見て、思い出した」

「よく覚えてたね!そうそう。私もあそこの制服着てたんだよ」

「俺さ……」

「うん、何?」

「優里子と同い年か一つ違いだったら、こんなに進路悩まなかったなって思った」

「何で?」

「だって、優里子と同じ学校に行けるなら、俺、迷わねえもん。迷わず、優里子と同じ学校を選んでた」

「……」

「はい、サンキュ」

「ああ、うん……」

 俺はコップを優里子に渡すと、すぐに階段を上った。優里子は片手を頬に添え、軽く首を傾けた。そんな理由で高校に行けるなら、早く進路決めちゃえばいいのに。いや、決めるためのきっかけがなさすぎるのかも……。唯我と同い年で、同じ学校ねえ……。

 懐かしき高校の制服を着た若かりし自分が、男子の制服を着た俺と学校に登校する様子を想像した。優里子にとって俺は、幼馴染みのジェニーズアイドル。周りの女子たちが優里子を押しのけ跳ね飛ばし、俺の周りはいつもハーレム状態。弟も同然で恋愛対象ではないのに、いつも女子たちから睨まれている自分。なんてね。そんなアホな想像をして、ププッと笑った。


                ****


 俺の夏休みの恒例行事となったJr祭の初日は、灼熱地獄であった。直射日光の業火、すぐそばの海からの照り返し、白い砂浜は蒸気を立ち上げる。参加するJrもお客さんも立っていられない。ファンサービスをする時間も限られ、Jrたちの入れ替わりの激しさに、汗をかくお客さんたちからは「C少年の聖君は?貴之君は?」「D2-Jrの……」という質問が多く飛び交った。

「唯我君、いつも応援してますっ!」

「ファンです。握手して下さい」

「暑い中来てくれて、ありがとうございます」

 握手する手は互いに熱くて汗でしっとりしていた。背後を通りかかる先輩がコショコショと耳打ちして行く。

「タイミングいいところで休憩入れよ」

「ありがとうございます」

 その間にも、目の前に握手を求めてくるお客さんたちは絶えずやって来た。ようやく落ち着いた頃、空を見上げると、飛行機が一つ、真っ白な雲を引いて西へと飛んでいくのが見えた。

 夜、ホテルのエントランスに集合したJrたちは真っ黒こげだった。俺は顔も腕も足も赤く少し腫れてヒリヒリしていた。体の内側には、日中の日差しで火がついて消えないような熱がこもっていた。

『本日の結果発表!』

 スクリーンに映し出された投票結果に、男たちは一喜一憂し声を上げたり拍手をした。すると、俺と同い年である聖君、貴之は「よっしゃ!」と声を揃えると、会場をさっさと後にした。他にも、俺と同い年のJrたちが人混みを抜けて出て行った。

 聖くん貴之の部屋を覗いてみると、二人はテーブルで向かい合ってペンを走らせていた。

「何してんの?お前ら」

「見ればわかるやろ!」

「受験勉強だよ!」

 二人の額には、「受験生☆ファイト!」という刺繍の入った白いハチマキが巻かれていた。刺繍の周りには、インクのにじむカラフルな文字がたくさん入っていた。

「これなあ、グループの皆が作ってくれたんや!ええやろ!」

「しかもメッセージ付き!」

「去年はいっくんがつけてて」

「今年は俺ら。来年は剛と尊がつけるんだよ」

「へえ。すげえ」

「すげえじゃねえし!」

「すげえやないで!お前、まだ希望校決まってないとか、本当にどうすんねん!」

「そうだよ、唯我。マジでヤバいって!受験浪人になるよ?」

 そうは言われても……。

 しばらくすると、C少年のメンバーたちが部屋に戻ってきたので、別部屋の俺は退散した。これまでのJr祭は、一日の活動に必死になっていたからか、受験生の動きなんぞちゃんと見ていなかったのだと気づいた。そして、そんな必死な同級生たちの隣で、俺は何もしていないのかと実感する。初めて、泉美の言っていた「受験生を始めた」の意味を知った。

 二日目は初日とは一転し、どんよりとした雲が空を覆っていた。雲は昼を待たずして、いよいよ自分の重さに耐えかね雨を降らせた。雨は、屋外の会場にいたお客さんとJrたちを平等に濡らした。手の空いているJrは、仮設テントの中で雨宿りするお客さんへタオルを配布した。

「どうぞ」

「唯我君、ありがとう。風邪引かないでね」

「ありがとうございます」

「私、今年受験なんですけど、今日Jrの皆に会えなかったら、きっと夏の受験勉強頑張れないから、パワーもらいに来たんです」

「そうなんですか?」

「雨に打たれたけど、来れて良かった!唯我君には、去年会えなかったから、会えて嬉しいです」

 握手した手は雨にしっとり濡れていて、とても冷たかった。

「受験、頑張って下さい」

「ありがとう!」

 まるで他人事のように言ったものの、それが自分とは関係ないものには思えなくなっていた。

「受験があるから今年は我慢するの。それで来年、志望校に入学してから、いっぱい楽しむんだ」

 大沢の言葉を思い出すと、ドキッとした。大沢は受験を頑張るために好きなことを我慢する。目の前の子は、頑張る力を得るためにJr祭に来てくれた。聖君や貴之は炎天下の中笑ってダンスして、夜には受験勉強してる。俺は何かしているか?何か……。

 浮かんだのは、優里子の「デート禁止!」と言った真っ赤な顔だった。同世代の人たちの我慢や努力に比べると、あまりに低レベルな自分に、少しショックを受けた。

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