第72話 修学旅行(後編)
修学旅行2日目は自由行動で、各班で決めたルートを巡る予定となっている。朝、俺は大沢と顔を合わせると、何と声をかけていいのかわからなくなってしまった。互いに気まずくなり、顔を反らした。その様子を見た泉美と康平は目を合わせた。これ、大丈夫かな……。
午前中に清水寺、八坂神社、祇園の花見小路を抜けていく。昼ご飯を食べた足で、石畳の街を班の皆でゆっくり歩きながら、鴨川へ抜けた。
「じゃあ、俺はここで」
「おう!また後でな!」
「小山内君、こっち終わったらぼちぼち迎え行くよ」
俺は鴨川沿いの道を四条へと一人歩いた。その後ろ姿を大沢が見つめていた。今日、俺と大沢は一言も話していない。
「小山内君、友達に会うって言ってたね。誰だろう」
「見に行くか?」
「また、康平は面白がって!」
「泉美だって気にしてるくせに」
「そりゃあ、そうだけど……」
泉美は一日元気のない大沢の肩をポンと叩いた。
「とりあえず行こう。成美」
「うん」
俺は四条大橋を過ぎ、鴨川河川敷の道に入ったところで、前方から手を振ってきた男と合流した。ジェニーズの仲間で、関西を拠点に活動するレゴリスのメンバー、矢久間だった。矢久間はマスクをあごにずらし、深くかぶっていたフードを外すと、ニッと笑って肩を組んできた。
「唯我あ!久しぶりっ!!」
「矢久間、元気そうだな」
「元気元気!唯我は、マジで修学旅行抜けてくるような不良になってるとは思わなかった」
「不良じゃねえし」
「へへっ。どうかな。どうせなら可愛い女の子とか連れて来いし!」
「するかよ」
「あああ、何が悲しくて男二人で鴨川デートなんだよ」
俺と矢久間は肩を組み鴨川沿いをゆっくり歩いた。適当な場所で腰を下ろし、自販機で買った炭酸飲料を片手に、これまでのこと、これからのこと、いろいろな話をした。
その頃、大沢、泉美、康平はお土産の袋を腕に抱えて錦市場を散策していた。そこに、「ねえ!」と強い口調で話しかけてきたのは、隣のクラスのスッピン風メイクの達人、星野さんだった。康平は目の前に迫る星野さんの顔に見とれていた。
「唯我君って、あんたらの班だよね。一緒じゃないわけ?」
「小山内なら、川の」
「小山内君なら、別の班で行動してるんですよ!途中までルート一緒だったけど、四条のところで別の班の子たちと南座の方に行ったですよ!」
「そうなの!?うっわ!失敗しちゃった!」
星野さんは友達ギャルたちと共にその場を離れた。康平は、隣でジッと睨む泉美には何も気づかず、星野さんの後ろ姿を目で追った。
「怒った顔も可愛いなあ」
「何冗談言ってるの!?こっちは康平が素直に小山内君の居場所言おうとしてるのかと思って焦ったわよ!」
「ハハハ。フォローサンキュー」
泉美は「まったく!」と怒りながら、店内のお土産コーナーに立つ大沢に振り返った。大沢は棚に並ぶキーホルダーを眺めながら、ゆっくり歩いている。康平は、時々大沢が寂しそうにしているのが気になった。
「大沢さん」
「何?康平君」
「もし、何か小山内に言いにくいことがあるなら、俺が言おうか?」
「ちょっと、康平!」
「康平君……」
「だって、ほっとけないんだよ!こうなった理由作らせたのって、同じ部屋の俺らがふざけたのが原因だし……」
「それは全く否定できんな」
「それに、そういう助けが必要って時もあるだろう?余計なお世話だってわかってるけど、でも……」
康平が俯くと、それは深刻な問題のような空気が流れた。大沢は目の前にぶら下がるご当地キーホルダーを指でツンとして揺らした。
「確かにさ、そういうこともあるんだろうけど、成美はどうしたい?たまには康平に甘えてみてもいいかもよ」
「……二人とも、いつも振り回しちゃって本当にごめんね。昨日のことは、最初から最後まで、私がいけないの。絶対そうなの……」
わかってる。だけど、どうしたらいいのかわからない。大沢は昨日のことを思い出した。壁に背を預け、俺の胸から肩をなぞるように視線を移し、首筋、耳、ライトに透けた黒髪、そして、目と鼻の先にあった俺の顔を見上げると固まった。
勘違いしたくなった。守ってくれている。優しくしてくれる。今なら、もっと近づけるかもしれない。近づいてもいいかもしれない。両手を回して、体温が感じられるほど近づいた時、胸の中、頭の中に「大好き」の気持ちが溢れた。しかし、それもほんの一瞬のことだった。男の子の手が両肩を強く掴んで引き離すと、目も合わせずドアの向こうに行ってしまった。
掴まれた肩は少し痛くて、熱くなった。自分が何をして、どれだけ受け入れてもらえる余地があるのかを知った。少しも受け入れてもらえなかった。許してもらえなかった。近づいてはいけなかった。それを強く実感した。
大沢は後悔してならなかった。自分が信じられない。あんなこと、しなきゃよかったのに。そしたら、今日がもう少し、楽しかったかもしれないのに……。
ボーっとストラップを見ているうちに、大沢はあるストラップを思い浮かべた。それは去年の夏休み、登校日でもないのにわざわざ制服を着た俺が、お菓子と一緒に渡した可愛くないストラップだった。唯我はちゃんと謝ってくれたじゃない。ちゃんと、伝えてくれたじゃない。
「大沢さん、どうしたい?俺、全然いいよ。ちゃんと伝えるしさ」
「どうする?成美」
「……二人とも、一つお願いしてもいい?」
「「いいよ!」」
****
「高校かあ。いや、楽しいけどなあ。っていうか、もうずっと高校生でいたいくらいだぜ」
「お前はそうだろうな」
「進路かあ。進路ねえ。俺もさあ、大学とか行っておいた方がいいのか、それともこのまま社会人になっていいのかわかんねえ。もう高3の夏だってのにさ」
「今のところは?」
「今のところは、社会人かな。だけどさ、そうすると俺だけができることってのが無くなると思うんだよねえ。その選択肢が無くなっちゃうっていうか」
「俺だけができること、か」
「うん。それって、かなりの武器になると思うんだ。広い教養を持てば、もしかしたら夕方のニュースキャスターになれるかもしれない。有名進学校を出れば、クイズ番組に出られるかもしれない。専門的な知識を持てば、その知識が必要になった時に呼んでもらえるかもしれない!俺はグループ活動だから、グループの中でも俺だけができることが必要だって思うんだ。俺が前に出るってことは、グループの皆が前に出られるってことじゃん。それって最高じゃね?」
「なるほどな」
「あ、ってことは!やっぱり大学は行った方がいいかもしれない!俺、今気づいたわ!!ありがとう!唯我!!」
いつの間にか、話は途中で俺の進路相談から矢久間の進路相談に代わっていて、終には矢久間の悩みが解決してしまった。何だこの展開は。
「だけど、それって忙しくならねえ?」
「なっていいに決まってるだろ!?ウェルカムだぜ!!」
矢久間の笑顔は日が傾き始めた金色の空に輝いた。こいつの笑った顔は出会った頃から変わらない。樹杏とは違う、黄昏時の空に強く光る太陽のような笑顔だ。自分の目的のため、道のため、迷わず一人で関西に飛んだ男の言うことは、他の奴とは格が違う。すごすぎて、思わず「ははっ」と笑った。
「だよな。うん……、そうか。経験か」
「そうそうそう!経験が大事なんだよ!うんうん」
「何か、俺も少し見えてきた気がする。高校、行く意味あんのかって思ってたんだ」
「こりゃ、あるんじゃねえの?だって、来年、高校生の自分なんて想像できねえだろ?想像できねえもんを掴めなくちゃ、俺たちアイドル名乗れないぜ!」
矢久間は親指をグッと立てて力強く言った。俺も真似して親指を立てた。その時、矢久間が何かに気づき、俺の後ろを指差した。振り返ると、そこに大沢がいた。川を撫でて走る風に、セーラー服の襟とポニーテールがなびく。膝丈の優等生らしいスカートがふわりと舞った。
「お迎え?何、彼女?」
「ち、違うっ!」
「何だ。つまんねえの。ま、いい時間だし、解散すっか。またな、唯我」
「またな。こっち来る時は連絡してこいよ」
「もち!じゃあなあ!」
矢久間はフードを被り、手を振りながら離れて行った。俺は立ち上がり、尻の汚れを払っていると、大沢が近づいてきた。
「今の人、見覚えがあるような気がする……」
「ああ、ジェニーズの仲間だよ。矢久間っていうレゴリスのメンバー」
「えっ!?レゴリスのやっくん!?嘘!!」
大沢が「やっくん」と言ったことに驚いた。Jrの仲間内では、矢久間のことをそう呼ぶ人も少なくないが、世間様にもそう呼ばれていることを知らなかった。大沢は目をキラキラさせて矢久間の後ろ姿を目で追っていた。
「早く言ってよ!生でもっと見たかったじゃない!やっくんって、すっごいイケメンだよね!」
「そうだけど……」
俺は大沢が普通の女子のようにキャッキャッとはしゃいでいる姿を初めて見た。そして、何故か胸の内がモヤっとした。
「お前、矢久間のこと好きだったんだ。ふうん」
「……何よ、その言い方」
「別に」
大沢、俺のファンだって言ってたくせに。俺は貴重なファンの一人を失うような寂しさと、矢久間へのジェラシーを感じた。大沢をチラッと見ると、大沢とバッチリ目が合った。すると、忘れかけていた気まずさが蘇り、互いに顔を反らした。
サラサラと川が流れる音、草が揺れる音が絶えない。少しずつザワザワとし始める街の雰囲気が、もうすぐ夜が来ることを感じさせた。そして、夜を意識すると、昨日のことが思い出された。首筋を撫でながら、ドキッと動く脈を落ち着かせた。
「唯我、これ、錦市場で買ってきたからあげる」
「え?ああ、サンキュ」
小さい袋にはお菓子やストラップがパンパンに詰め込まれていた。
「昨日は、……ごめんなさい」
大沢らしくもなく、小さな声だった。
「気持ち悪かったでしょう?あんなの、突然……」
「いや、俺の方こそごめんな。考えてみれば、あんな態勢でじっとしてなくても良かったんだ。そうすれば、大沢も体勢を崩さなかったよな。ごめん……」
「そんなっ!唯我は何も悪くないよ!あれは、わわわ私の出来心っていうか……。ん?ていうか?」
「ん?出来心?何のこと?」
「「……」」
俺たちは互いの顔を見つめ、「?」を頭上に浮かべた。
「唯我、私、体勢崩してた?」
「それで、俺に掴まるしかしかなかったんだろ?出来心って何?」
「どうして体勢崩れただけで、私たち、気まずくなってるのよ」
「いや、俺、勝手に大沢に抱きつかれたんだと思ってそれで……」
俺は自分で言いながら顔を赤くした。首を撫でていた手は口元を隠した。大沢は俺をジッと見つめて、スッと息を吸うと、はああとため息をついた。何だ。唯我は結局、私のことなんて何も……。
俺は突然の大沢の重たいため息に驚いた。
「え、何でため息?」
「ねえ、唯我」
「何?」
「一つ聞いてもいい?答えにくかったら、答えなくていいよ」
「いいよ、言えって」
「少しは……、私のこと意識した?」
太陽が沈み始め、空も川も橙色に染まり始めていた。それでも、大沢の耳が真っ赤になっているのがわかった。その赤いのがうつるように、俺も顔が赤くなった。
「………………した」
大沢と反対側に顔を背けた。顔を直接見て言えることではなかった。俺の胸にも、首筋にも、昨日感じた大沢の温度が残っている。そんなの、申し訳なさすぎる。恥ずかしすぎる。
俺は首に当てた手を離せないでいる。脈がドクドクとして体を熱くする。大沢の反応がとても怖かった。大沢は、反らされた顔の横に残る耳が真っ赤に染まっているのに気づくとぷっと笑った。
「そっかそっか。良かった!」
「よ、良かった?」
「うん。だって、嬉しい……」
う、嬉しいの?
「何で?」
「異性に意識されたら、誰だって嬉しいでしょ?だけど、ごめん。何にしても、唯我を困らせちゃった。本当に、ごめんなさい」
大沢は申し訳なさそうに俯いた。その目が潤んでいるのを見ると、胸がギュッと締め付けられた。俺からすれば、大沢は何も悪くなかった。俺が過剰に意識したがために、大沢に悪気を感じさせてしまったのだ。
「お、大沢は何も悪くない。だから、謝るな」
「唯我、私がいけなかったの。ごめんなさい。私っ」
「だからあっ!」
俺は大沢の頭を手で掴み、少し揺らした。大沢は手から離された頭を上げると、「やめて!」と怒った。今日聞いた声の中で、一番張りのある、いつもの大沢の声だった。赤くした頬をプクッとふくらませているの姿に少し安心した。
「私が言えたことじゃないことくらいわかってるんだけど、お願い。唯我、私のこと、嫌いにならないで……」
「まだ言うのかよ」
俺はどうして大沢が体勢を崩して俺に掴まったことを、こんなにも謝ろうとするのか、ましてや「嫌いにならないで」なんて言うのかわからなかった。大沢の目尻で涙が滲んで光るのを見ていられなかった。視線を川の波間に向け、両手をポケットに入れた。
その時、俺も大沢も気づかなかった。四条大橋の上を歩きながら俺を探していた星野さんが、俺と大沢が2人きりで鴨川にいるところを見つけたのだった。星野さんの場所からは、俺と大沢の会話は聞こえなかった。それでも、俺たちが2人でしか話すことができないような重たい雰囲気になっていることだけは感じられた。
「俺は、大沢のいいところをたくさん知ってる」
「え?」
「どんな時も素直で、誰にでも優しくて、平等で。自分の意思をちゃんと持っていて、自分の目で、自分の価値観を持って、見てくれる。俺は、そういう大沢だから、尊敬してるし、信頼してるんだ。何より、感謝してる」
「感謝?」
「お前がいたから、今の俺があるんだ」
思い出すのは小学4年生の時のことだ。ジェニーズになることを決めきれずにいた時、大沢が言ってくれた言葉で、俺は気持ちが決まったのだ。
「歌って踊って、ファンの皆を元気づけてる真剣な姿がカッコイイと思うけど」
「だって、ジェニーズに入れるのって、選ばれた人間だけなのよ。努力する人は、絶対誰かに認められる魅力があるんだと、私は思うわ」
大沢はきっと考えもしなかっただろう。この時くれた言葉に、俺がどれだけ勇気づけられたか。感謝しても、感謝し尽くせない恩を、俺は大沢に感じているんだ。
「だから、俺はお前を嫌いにはならない。安心しろ」
「唯我……」
大沢は、水面からキラキラと反射する橙色の光に包まれて笑った。すると、大沢は手を伸ばした。その手は握手を求めていた。
「小山内唯我君。私は、あなたのファンです!」
「大沢……」
「ずっとずっと、ファンです!」
「サンキュ」
大沢の「ファンです」という言葉は、ジェニーズの俺のことを「好きです」と言ってくれているのを知っている。俺は今までしてきた握手の中で、一番気持ちを込めた握手をした。
その様子を遠くから見ていた星野さんは、俺たちが鴨川沿いを歩き出す様子を睨んだ。星野さんは、一緒に行動していたギャルに低い声で言った。
「ねえ、唯我君の隣のあいつって、確かバレー部の……」
「そう。大沢成美」
「たまに学校でも唯我君と話してる様子とか見たかも」
「……ふうん」
その視線はとても冷たく、鋭かった。
****
「では皆さん、修学旅行お疲れ様でした。気をつけて帰るように!」
「「はーい!」」
最終日、京都で乗った新幹線を降り、そこからバスで中学校まで戻ってきた3年生たちは、大荷物を抱えて各々の帰路についた。帰っていく友達を見送りながら、泉美は帰る間際、大沢に話かけた。
「ねえ、成美はあれで良かったの?」
「何が?」
「鴨川に、小山内君に会いに行ったのって、告白するためだったんでしょう?」
「うん……。でも、やっぱり唯我には私の言葉は通じない気がしたの。今好きって言っても、きっとファンって意味だと思われるんだろうなって。それじゃあ意味ないじゃない」
「成美……」
「それに、唯我を困らせられないし。これ以上、邪魔に思われたくない。だからいいんだ。ごめんね。康平君と泉美には、お願いまでしてたのに」
「それは全然いいよ」
でも、成美が上辺だけで笑ってるの、わかってんだけどな……。泉美は大沢のやるせない気持ちの行き場がどこにあるのかを考えた。そして、自分は何の力にもなってあげられないことが辛かった。
「じゃあな、小山内!泉美、大沢さん!」
「バイバイ!また月曜日ね!」
「俺は、午前中は仕事で来れないけど、午後には登校する。またな」
康平と泉美と手を振り別れると、大沢が「唯我」と声をかけてきた。
「うん?」
「また来週……」
「ああ。またな、大沢」
大沢は少しはにかんで、手を振った。大沢が少しは元気を取り戻せたようで良かった。3人に手を振り、俺は施設へと歩き出した。大沢とのやり取りを、星野さんがジッと見つめていたことに、俺は何も気づかなかった。
「施設長、ただいま」
「唯我、おかえり」
俺はいつものように、施設に到着して、職員室の施設長に挨拶した。
「これ、職員さんたちにお土産。こっちはガキたちに」
「八ツ橋だ!僕、大好きなんだよ。ありがとう」
「優里子は?」
「多分、庭じゃないかな?」
「わかった」
中庭を覗くと、キャッキャと声を上げて走り回るガキたちの中に、優里子がいた。優里子の姿を見ただけで、俺はドキッとした。
「あ、にいに!おかありい!!」
俺に最初に気づいたのは、てぃあらだった。てぃあらが俺に抱きつく頃、ないとを抱え、充璃の手を引く優里子が歩み寄ってきた。
「おかえり、唯我」
「ただいま」
その微笑みを見ると、俺は心底安心した。
「修学旅行、楽しかった?」
「いろいろあった。疲れた」
「そっか」
優里子は俺がふっと笑みを浮かべるのを見ると、修学旅行が十分楽しかったことがわかった。俺はズボンのポケットから小さい紙袋を出し、優里子に渡した。
「何?」
「お土産。他の奴には内緒な。……優里子にだけ、買ってきた」
優里子はドキッとした。しかし、上手に笑ってごまかした。
「私だけ?何で?」
何でって、そりゃあ……。
「だって、似合いそうだなって思ったから」
優里子が頭の上に「?」を浮かべているのにムカついた。知ってたよ。ちゃんと言わなきゃ通じないことくらいっ!
「あげたかったんだよ!ほら、開けて」
紙袋の中には、小さなピンク色の花がついたヘアゴムが出てきた。
「わ!可愛い!ちりめん細工ね」
「うん……」
「嬉しいっ!ありがとう。ではさっそく」
すると優里子は、元々結んでいたヘアゴムを取り、お土産のヘアゴムに付け替えた。ピンク色の花がぷっくりと膨らみ、束ねた髪の毛と一緒に揺れた。
「どう?似合う?」
「……うん。まあ……」
俺は口元を手で覆った。思った通り、めちゃくちゃ似合ってる!というかもう、俺のあげたものを身につけてくれているという至福感でいっぱいで、体が燃えてしまいそうだ。これは、思った以上に自分への打撃が強い。ヤバい!嬉しい!
俺のことなど気にもせず、優里子は「まあって何よ」と俺の顔を覗き込んでくる。そんな可愛い怒った顔向けてくんなやめろ!
俺は優里子のポニーテールと、大沢のポニーテールを重ねた。それから、大沢が寄せた額と、俺が抱き寄せた優里子の額を重ねて思い出した。
「どうしたの?」
「……いや」
修学旅行の夜、大沢の手が俺の背中をギュッと抱きしめたと思ったあの時、俺はすぐに優里子のことを思った。ふわりと舞ったシャンプーの香り、ツヤとか質感、寄せられた額の形とか、全部優里子と違うことに驚いた。それから、それは触れていいものには思えず、本当に触れたいものではないことを感じた。俺ははっきりと、他の女の子じゃなくて、優里子に触れたい、触れてほしいと思った。
****
修学旅行の終わった週明け、3年生の教室廊下には、未だ修学旅行の余韻が残っていた。落ち着きがなく、気分は軽く、笑う大きな口が至る所でぽっかりと開いていた。その日、俺は『青春・熟語』の仕事で午前中は教室にいなかった。給食の時間も過ぎ、昼休みに入った頃だった。
「大沢さん、大沢さんっ」
泉美と大沢が話をしているところに、クラスメイトの女子がヒソヒソと声をかけてきた。
「どうしたの?」
「それがね、隣のクラスの星野さんが、大沢さんに用があるって来てるんだけど……」
教室のドアの向こうには、可愛い笑顔を浮かべ、ヒラヒラと手を振る星野さんがいた。泉美は思わず「怖っ」と呟いた。大沢はドキドキしながら星野さんに会いに行った。
連れて行かれたのは、体育館の横の女子トイレだった。校舎から少し離れた場所にあることからも、日常的にあまり利用されないトイレだった。人気がなく、蛇口から落ちる滴の音がピシャンと響くような静かな場所だった。
「大沢さん、一つ聞いてもいい?」
「何?こんなところに来て聞かなきゃいけないようなこと?」
「まあねえ」
大沢は奥の壁に追いやられ、あまり接したことのない隣のクラスのギャルたちに囲まれた。小さな窓から入る薄暗い光が、星野さんの笑顔を白く浮き立たせた。
「ねえ、大沢さん」
「何?」
「唯我君とは、どんな関係なの?私、興味めっちゃあるんだけどさあ。ねえ、答えてよ」
何、その質問……。大沢は心底困った。
その頃、俺はようやく最寄り駅に到着して、中学校まで向かうバスを待っていた。
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