第69話 何か違う本物のジール
「お前のジールは何か違う」
「え?」
樹杏も他の共演者たちも帰った稽古場で、一人居残りをしていた俺に千鶴さんがそう言った。舞台の立ち稽古が終盤を迎える頃だった。椅子に腰かけた体は前に倒れ、千鶴さんは指であごをなぞりながら首を傾げた。
「すみません。訂正します」
「いや……。Jのジールとの差があるってのは俺の狙いに一致する。だけど、お前のジールは俺の思っているジールとは違うんだよ。そら確かに、俺は監督だから納得できるまでお前の演技を指摘し続けるさ。でも、何か違うお前のジールが、舞台の上でどんな姿になるのか見てみたいとも思ってる」
「舞台の上で……」
「なあ、唯我。お前のジールは、どんなジールだ?」
俺の考えるジールについて、千鶴さんに言うのは難しかった。しばらく沈黙していると、千鶴さんは「ん?」と微笑んだ。答えるのを待っていた。
「俺は……」
****
施設の居間にはガキたちと一緒に優里子や施設長がいた。テレビからは賑やかな音が鳴っていた。
『”波乱は笑えば福が来る”!今日のゲストは、子役時代からの人気者!大貫樹杏さんです!!』
「あ、樹杏君だ!」
「ねね、ににいつ出てくるのお?」
「途中で出て来るよ。よく見てようね」
てぃあらが「うん!」と笑うと優里子は小さな頭を撫でた。
「唯我は今日も舞台で朝から行ってるんだよね。一緒に見られなくて残念だったね」
「大丈夫よ。きっと恥ずかしがって一緒になんて見ないだろうから」
「確かに。そうだね」
番組では、樹杏の生い立ちや思い出が紹介され、その中にジールの文字やY&Jの紹介も行われた。
『それでは、樹杏君の舞台初日までの密着取材!VTRスタートです!』
VTRでは、樹杏のいつもの明るい笑顔や、稽古中の真剣な姿、807号室の様子が映し出された。その合間に、ジールの共演者の様子やインタビューが映った。俺の姿が映ると、居間には「おおっ!」という声が上がった。
『樹杏君の印象は?』
『一言で言うと、プロ。それから、俺と樹杏は同い年だけど、俳優として立つ時は、先輩。初めて会った時からずっと変わりません』
『お2人は特に仲がいいと伺っていますが、本当のところはどうなんでしょうか?』
『仲いいわけないでしょう』
『ちょっと唯我!嘘はいけないと思うんだけど!』
『嘘じゃねえだろ。お前こそかわい子ぶって嘘ついてんじゃねえよ!』
テロップには、「”先輩”に対する態度?」と出た。施設長や優里子、文子は爆笑した。優里子は、時々映る俺の舞台稽古の様子を見ると、頬がポッと染まった。「優里子には、絶対観てほしい」という言葉が頭の中で鳴り、ドキンと心臓が脈打った。早く早く、唯我の立つあの場所を観たいな。
画面はスタジオに切り替わり、司会やタレントたちからの質問コーナーが始まった。
『樹杏君にとって、俳優というお仕事はどのような存在ですか?』
『自分でいられる居場所です。天職だと思っています!』
『では、Y&Jは?』
『僕をアイドルにしてくれた大切なものです!本当は、ちづさんの映画が終わるのと同時に終了するはずだったユニットですが、一緒に活動してくれた唯我には、感謝してもしつくせない。僕は唯我が大好きです!』
『そんな唯我君から、樹杏君にお手紙を頂いています』
『ええっ!?』
それは、いつか根子さんに声をかけられた時のことだ。樹杏が番組に登場するので、その際に紹介できる手紙を書いてほしいという依頼だった。俺はとても恥ずかしくてできないと思ったが、根子さんはいつもの調子で「やっていただきますよ」と言う。渡された真っ白な紙と毎日にらめっこして、ようやくまとめた文章を、締め切りギリギリで提出したのだった。
****
番組の同時刻、俺は舞台に立っていた。
「行こう!どんなに悲しいことがあろうと、そこにきっと希望の光は昇るのだから!」
舞台の真ん中で胸を張り、暗闇の天井へと手を伸ばした。すると、視線の上から拍手の音が落ちてくる。同時に、目の前に大道具がスーッと流れてくるので、俺は大道具の後ろにくっついて舞台袖に戻った。
舞台に幕が降りた後、楽屋で樹杏と話をしているとドアをノックする音が聞こえた。樹杏が「どおぞお!」と返事をすると、顔を出したのは、ドラマ『青春・熟語』で共演する岡本将暉、武石ユリア、朝倉麻耶の3人だった。
「唯我あ、おつー!」
「お疲れ、唯我!」
「お疲れ様でした」
「皆、来てくれたんだ。サンキュ」
俺はジールの衣装のままだった。楽屋のドアから手を振りながら入って来たユリアは、俺の両手を握ってブンブン振った。その後ろから将暉と麻耶が近づいた。
「すっごい良かったよ!唯我のジール!ねえねえ写真撮ろうよ!写真!樹杏君もほら!」
ユリアはいつものギャル的ノリでカメラを構え、腕を引き合って「イエーイ!」とピースした。
「俺はねえ、大貫君のジールも好きだな。明るくて!」
「え、もしかして僕の公演も見てくれたの!?」
「はい。午前中の樹杏君の公演は私と岡本君。ユリアとは午後の唯我君の公演から合流して……」
「わあ朝倉ちゃん久しぶりだね!元気だった?」
「はい。樹杏君も相変わらず明るくて元気ですね」
「もちろん!!」
楽屋の中は一気に賑やかになった。
番組では、司会のタレントが手紙を広げ、穏やかな口調で語った。
『樹杏へ。
樹杏と俺は、あまりにいろいろなものが違いすぎると思う。だから、お互いの考えが違うことでよくケンカして、一緒に千鶴さんに怒られて、またケンカするの繰り返し。もう嫌になる。お前の元気で明るくて、無駄に人懐っこい性格が鬱陶しくてたまらない。はっきり言うと、いつも面倒くさい』
『ちょっと待って!ヒドイ唯我!』
スタジオでは笑い声が上がり、手紙を読むタレントは『続けますね』と言った。
『だけど、樹杏はきっと知らないだろう。去年のクリスマス、樹杏は俺のことが「うらやましい」と言ったけど、俺は、お前の方こそ「うらやましい」と前からずっと思っている。俺より知名度があって、俳優として信頼されていて、誰もを元気づけられる太陽みたいな笑顔に、俺がどんなに嫉妬していて、何度「うらやましい」と思ったことか。しかし、これが現実で、それが俺とお前がかけてきた時間と経験の差だということを理解する時、俺はお前を尊敬してならない。
俺にとって樹杏は、目標でライバルだ。同時に、かけがえのない大事な友達だと、昨日わかったところだ』
『昨日!?』
『帰ってくる頃には、気軽に会えないようなスーパーアイドルになってるから、今だけは、生意気を許してやる。高見で待っててやるから、安心してイタリアに行ってこいよ。バーカ。小山内唯我』
施設の居間には、絶えず笑い声が響いていた。アハハと笑う優里子は、施設長と一緒に「唯我らしい手紙」「そうだね」と言い合った。テレビの中の樹杏は鼻の頭を真っ赤にして、目尻を袖で拭っている。
『樹杏君、唯我君に何か言いたいことはありますか?』
『ヒドイ手紙じゃないですか!?お別れの手紙の最後が”バーカ”って、ホント最悪!!今度会ったらバカは唯我だって言ってやります!』
『それ、今言っちゃいましょうか!』
『え!?』
『それでは登場していただきましょう!Y&Jの、小山内唯我君です!!』
スタジオ観覧者からの拍手が響く中、司会の視線の先に現れるはずの俺は、しばらく姿を現さなかった。どよめく空気がテレビ画面越しに伝わって来た。
「ににはあ?」
「ん?これから、出てくるはずなのにねえ」
次の瞬間、ようやく姿を現した俺は顔を覆って現れた。既に泣いていた。それを見て樹杏が泣き出し、両手を広げて俺に歩み寄って来るが、今度は俺が樹杏からもらい泣きして奥に引っ込んだ。樹杏も一緒になって奥に入り、裏でスタッフに背を押されて2人で再登場するという状態になってしまった。スタジオには拍手と笑い声で溢れ、司会の『Y&Jのお2人です!』という声は全く響かない。俺と樹杏は顔を合わせては大粒の涙をこぼし、真っ赤っかな顔を全国の人たちにさらした。
『一応聞いてもいい?2人の仲はいいの?』
『はいっ!!』
『いいえっ!!』
番組も施設のガキたちも大笑いした。その日は施設に帰ると笑われ、学校に登校すると康平をはじめとするクラスメイトたちに指を差されて爆笑された。とりあえず康平だけ首を絞めてやった。
番組放送後、舞台のチケット購入数が上昇し、連日満員の舞台公演が実現した。中には、俺や樹杏の知り合いが公演を観た足で楽屋まで来てくれた。ある日はジェニーズJrのC少年である聖君と貴之。ある日は青春隊の元メンバーである富岡さん。千鶴さんのコンサートで一緒に踊ったバックダンサーの美人なお姉さんと仲間たち。それから、樹杏のお願いで買ったチケットを送った英とみこ。チケット代は、もちろん樹杏に請求した。皆のお目当てのほとんどは、樹杏の最後の舞台が観たかったという理由だった。
しかし、千鶴さんの企画である「YorJ」投票数は、俺への投票率が格段に上がった。それでも、舞台公演の折り返し時点で、樹杏優勢は変わらなかった。俺はそれが悔しくてたまらず、会場に設置されている投票数の掲示板の前で、樹杏の頭をぐしゃぐしゃにかき回した。
****
「ええ!?大沢さん、体育祭の打ち上げ来ないの!?」
「だって、もうすぐ行かなきゃ間に合わないんだもん!」
「行ったって直接唯我君には会えないのじゃろ?」
「そうだけど、いいのよそれで!唯我には舞台の上で会えるもの。それに、舞台のチケットが今日しか取れなかったんだから仕方ないわ!じゃあね。また火曜日にね!」
その日は中学校の体育祭が行われた。大沢はジャージ姿のまま教室の荷物を抱えてダッシュした。康平と泉美は、体育祭の余韻の残る教室で大沢を見送った。
「それにしても、成美もようやりよりますわ。小山内君が午前中で早退して、まるでそれを追うように……」
「だな。愛だな」
体育祭からすぐさま帰った大沢は、家で汗を拭き、一瞬で着替えて劇場に向かった。体には体育祭で吸い上げた熱がこもり、長袖を肘まで上げても何の効果も得られなかった。
劇場に到着し、トイレの鏡の前に立った。あらわにした腕は日焼けでヒリヒリするし、鏡に写る自身の顔は真っ赤だった。周りの人は鏡の自分に紅を差し、パフパフと頬を白く整えている。この女子力の差たるや。恥ずかしいっ!大沢は赤い頬を指で押して反省した。私も少しはお化粧できるようになろう……。
公演が終わり、会場いっぱいに拍手が響いていた。幕が降りる舞台には、俺の姿があった。スポットライトを浴び、共演者たちと頭を下げる。視線をあちこちに向けながら、ぺこりと会釈する俺の姿は、俳優ではなくアイドルだった。
すごかった。すごかった!大沢は帰りの電車の中、ジールの感動の余韻に浸りながらメッセージを打ち込んだ。俺が大沢からのメッセージを見ることができたのは、夜10時だった。
『唯我、お疲れ様!ジール見ました。『竹林のライオン』とは性格の違う役で、そのギャップがすごいなあと思いました。とっても良かったです!』
「大沢……」
俺はいつも、大沢の嘘のない言葉に力をもらう。次も頑張ろうと素直に思える。メッセージには続きがあった。
『多分、今もまだ悩んでるんだろうけど……。舞台の上の姿を見るとね、唯我が、高校行かないで就職するって言ったのも納得できた。本気が見えるってすごいよね』
そのメッセージを見た時、思わず立ち止まった。「今もまだ悩んでる」という文章に、胸の奥をぐっと掴まれた。俺は舞台稽古の時に千鶴さんと話したことを思い出した。
「なあ、唯我。お前のジールは、どんなジールだ?」
千鶴さんの質問に対し、すぐに答えることができなかったのには理由がある。
「俺のイメージするジールは、樹杏のジールとも、千鶴さんの思うジールとも違うんだと思います」
「どんな風に?」
「ジールはいつも明るくて、前向きで、自分の気持ちをまっすぐ貫き通す想いの強さを持つ少年だと思っています」
「うん」
「だけど、ジールは何も悩まないのか疑問があって……。いつも底抜けに明るい樹杏でさえ、イタリアに帰ることや家族のことでいっぱい悩んでいたのに」
暗闇の世界で、ジールはまだ見ぬ地上を夢見る。だが、目の前に広がる現実はどうだろうか。強制労働を強いられる毎日。その労働がいつ終わるかもわからない。共に働く大人たちは夢を見ない。希望を持てない。太陽の昇らない世界は、永遠の夜のまま、時も心も停止する。そんな現実を目の当たりにして、希望を歌うジールは、一瞬も悩まないのか。
「樹杏のジールには迷いがありません。アンダーグラウンドから、まっすぐ地上を見つめている。そこには未来と希望で溢れていると信じてる。だから誰から見ても輝いている。まるで樹杏そのものです。だけど、俺がそれを同じように演じては、小学生の頃のまま、何も変わらない。代役だった俺は、樹杏を真似た偽物だったから……」
当時の俺は、数日で作り上げたつぎはぎだらけの「樹杏ジール」の着ぐるみを、ようやく頭から被ったようなもので、偽物にもなりきれなかった。そんなジールを、今の俺がやってしまうのは嫌だった。俺は俺の思うジールになりたかった。しかし、それが求められるジールなのかは、迷うところがあった。
「俺の思うジールは、時間の止まった世界で、地上に立つことを夢見ながら、不透明な未来への不安と向き合って、前に進もうとする少年です」
「……」
「樹杏が明るい未来を夢見るジールなら、俺は、真っ暗な今を精一杯生きているジールでありたい。……でもこの考えは、きっと千鶴さんの求めるジールではないのだろうと思います。だから、間違っているならご指導いただきたいんです……」
千鶴さんはしばらく黙り、髪の毛をかき上げてから、女の人の仕草のように毛先まで手櫛を通した。
「うん。全く解釈の違う少年ジールだ。驚いた」
「すみません」
「でも、15歳のジールは悩みでいっぱいになることもあるよな。まあ、俺が考えたキャラクターなんだけどね。どうやら、唯我の中で一人の少年が息を吹き返そうとしているらしい……」
「千鶴さん、俺、やっぱり」
「そのまま動いてみようか」
「え」
「俯くことだってあるけれど、悲しい別れもあるけれど、それでも希望を捨てずに前に進もうとする、そういう強くてたくましい少年ってのも、ありなんじゃない?」
それから千鶴さんは、俺のジールの演出を変え、ゲネプロを経て、公演を通す中で俺と一緒になって新しいジールの姿を探ってくれた。
「唯我、最終日は好きなようにやってごらん」
それは最終公演を次の日に控えた夜、俺と千鶴さんは会場に居残りをして、立ち回りの最終確認を終えた時だった。2人きりの会場には、声が広く響いて反響していた。
「いいんですか?」
「言ったろ。何か違うお前のジールが、舞台の上でどんな姿になるのか見てみたいって」
「千鶴さん……」
「お前は、本物の唯我ジールになれ」
****
次の日、会場には優里子が来ていた。優里子は両手で握ったチケットを持って観客席に座った。ザワザワとする会場には、優里子と同じようにワクワクとドキドキを体の中いっぱいに膨らませた人たちの期待で溢れていた。
優里子は下ろした髪の毛をゆっくり手櫛して、チケットを握り、また髪を触ってチケットを握った。おかげでチケットが少しよれてしまっていた。一人でいると、開演までの時間が長く感じられてしまった。しばらくソワソワしているうちに、だんだんと緊張してきてしまった。
唯我、毎日夜遅くまで頑張ってきたんだ。大丈夫。唯我なら、大丈夫!
会場のライトが落ち、開演のブザー音が鳴り響くと、それまで聞こえていた人々の囁きが一切消えた。幕が上がると、舞台の上は真っ白な煙に覆われていた。
ガサガサと音を立てながら、穴掘りを続ける男たちは、声を上げるだけ上げて歌っていた。
「暗闇を掘り進め!輝く世界はこの向こう!いづれは地上に出るだろう!」
「はああ、いつまでこんなの続くんだ。輝く世界なんて迷信だ。こんなことして何になる。なあ、ジール」
その声に答えたのが唯我ジールだった。ハハッと笑うジールは、どこか生意気で、人をあざ笑うかのような表情には、嫌味が含まれているようんだった。
「俺は、何かしてれば、こんな暗闇の地下だって輝くと思うよ」
「はっ。いかれてる。ジールの頭はいかれてる!」
「何とでも言えばいい!俺はいつか、伝説の”地上”に立つ男だ!」
「地上?あれこそ伝説だ。迷信だ!」
「輝く世界は、信じないと見つけられない。天から光が降り注ぐ伝説の世界、地上がどこかに実在するって、信じさえすれば、この暗闇だって希望の光で満ちるんだ……」
モニター室の千鶴さんは目を大きく開き、アハハと笑った。
「これは、まるで唯我そのものじゃねえか」
優里子は背を正し、膝の上で両手を絡ませた。合わさる手のひらの間で、チケットがゆっくりとしわを寄せ始めていた。
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