第66話 冬の太陽

「すごい!ジャパニーズ!!」

 正月元旦、毎年施設ではたくさんの催しが行われる。かるたに羽子板、福笑い、スゴロク。お正月のゲームのトータルにより、福袋をもらえる。福袋のほしいガキたちは、新年早々燃え上がるのだ。

 既にお年頃を過ぎた俺と文子は、ガキたちのはしゃぐ様子を見守ることに体するが、その景色の中に違和感なく溶け込む樹杏から目がはせなかった。

「あいつ、マジで面白くね?中2には見えねーわ」

「だよな」

 中庭にはカンカンと羽子板で羽根を打つ音がする。樹杏の「勝ったー!」という声が響き、目の前には悔しくて樹杏を睨む英が立っている。樹杏は全力で日本のお正月を楽しんでいた。とても大人げない。

「皆、お餅が出来ましたよー」

 優里子の声に反応して、俺は寄ってきたみことてぃあらと手をつなぎ、中庭を後にした。さっきまで死闘を繰り広げた樹杏と英は目を合わせた。

「英君、羽子板上手だね」

「樹杏が勝ったんじゃん。それ言われても嬉しくねえわ」

「わあ、何だか唯我みたいな奴だなあ」

「あんな根暗と一緒にすんな」

 英は「チッ」と舌打ちした。とても不機嫌だった。樹杏はアイドルスマイルを崩さなかったが、「面倒くさい奴だなあ」と内心で呟いた。

「英君はいつもそんな感じなの?それとも羽子板負けたのがそんなに悔しい?」

「……違うよ。ここでのお正月、最後になるのかなって、ちょっと思っただけ」

 樹杏は「最後」という言葉が気になった。

「へえ。僕と一緒!」

「うん。そうだね。だけど俺、本当は家に帰りたくない」

「え?」

「だから、樹杏がクリスマスに家出してから、ここにいたがる気持ちわかるよ。俺もそうだから……」

「……」

「どうして子どもは、親の言うこと聞かなきゃいけないんだろうね。こんなの、ペットみたいじゃん」

 樹杏は隣で呟くように話す英を見ていると、放っておけなかった。その気持ちが、樹杏にはとてもよく理解できた。首を覆う真っ赤なマフラーの中に鼻まで埋めて、小さい声で言った。

「僕もね、本当は帰りたくない。だけど、どうしても帰らないといけない。だから帰った後、どうしようって考え中なの」

「帰った後……」

  英は自分がこれからどうするのかなんて考えもしなかった。それまでの英は、車いすの父親との生活が想像できず、胸の中には不安と不満がギュウギュウに詰まっていた。

 顔を上げると、さっきまで同い年のガキのようにはしゃいでいた男は、高い冬の空を見上げ、頬を冷やす風にさらしていた。赤茶色い髪、丸い額、高い鼻、ビー玉のような真っ青な瞳が遠くを見る姿は、まるで一人の大人のように見えた。

 樹杏は英の視線に気づき、振り返るとニコッと笑った。英はドキッとした。

「つまんなそうな顔してないでさ、楽しいこと、いっぱいやろうよ!」

 寒さで頬と鼻を赤くしているのに、樹杏の笑顔は真夏の太陽のように温かかった。英は樹杏の笑った顔に見とれた。


                ****


 次の日の朝、ガキたちは英とみこを見送るべく玄関先に集まっていた。みこの首と手には、優里子が選んだピンクのマフラーと手袋がつけられ、英は優里子が似合いそうだと言った緑色の帽子を被っていた。表の道には、迎えに来た英たちの父親がいる。車いすの後ろには、見知らぬ若い女の人が立っている。

「施設長、俺……」

 英は俯いていた。

「英君、いつでも遊びにおいで」

「毎日来るかもよ」

「それでもいいよ」

「わかった……」

 英は今にも泣きそうな顔をしていたが、はあとため息をつくと、いつものような面白くなさそうな顔をして、樹杏に振り返った。

「なあに?英君」

「俺、Y&Jは樹杏派だよ」

「「えっ!?」」

「たくさん、しがらみ持ってる樹杏が笑ってるのが好き。だからこれからも、いつもみたいに明るく笑ってろよな」

「……うん、ありがとう。ありがとう!英君!」

 樹杏が頬を赤くして、ニッと笑うと、英ははにかんだ。俺は英の「樹杏派」に納得いかず、「おい」と声をかけた。

「何で俺じゃないんだよ」

「は?暗いじゃん」

 笑ってやると、英は「うわっ」と顔を青くした。

「唯我は無理に笑うなよ。むしろ気軽に笑ってんな。安くなっちまうぜ」

 それは嫌味のようにも聞こえるが、アドバイスのようにも聞こえた。なるほど。俺は納得してしまった。その時、俺と樹杏の前に一枚の色紙とペンが差し出された。

「Y&Jのサイン、ちょうだい」

「え?」

「だって、樹杏イタリア帰っちゃうんだろう?だからちょうだい」 

 英は頬を染め、唇をツンと立てて顔を反らした。あからさまに恥ずかしそうな姿に、俺は少し笑った。樹杏がサインを書き終えた色紙を受け取り、俺は慎重にかつ丁寧にサインを書いた。しかし、慣れていないおかげで文字は振動計の線のようにフルフルとしていた。「はい」と渡すと、英はプッと笑った。

「唯我、下手くそ」

「うるせえ」

「ふふっ。サンキュ」

「おう」

「にいに……」

 上着の袖をピンク色の手がキュッと掴んできた。俺を見上げる瞳はウルウルとしている。俺はしゃがみこみ、みこと視線を合わせた。すると、みこが俺の頭を抱えるように抱きついた。サラサラのツヤ髪が首をくすぐり、子供体温が上着を通して伝わって、とても温かかった。女の子を抱きしめるのは少し緊張するが、ドキドキを押し込めて、軽く腕を回した。

「みこ、元気でな」

「にいに、大好き!」

 素直で純粋な言葉は、この上なく愛らしい。4月には小学生になるみこは、未だに甘えん坊で、泣き虫だ。

「ああ。俺もだよ」

 離れたみこは、鼻をズズッと鳴らした。頭を撫でてやると、余計に目が潤んだ。可愛い顔に見とれていると、みこの小さなピンク色の両手が、俺の頬にピタッとくっついた。次の瞬間、みこの顔が見えなくなり、チュッと音がしたと思うと、息が止まった。

「みこー、帰るよう!」

 車いすの父親の声が施設の玄関に響いた時、みこはタタタと走って行ってしまった。ガキたちが手を振ると、英とみこを乗せた車は出発した。車が見えなくなると、大人たちは俺に視線を向けた。俺は顔を両手で覆って、ゆっくり立ち上がった。真っ赤な耳を見て、文子と樹杏が指を差して大笑いしやがった。

「唯我!いいプレゼントもらっちゃったね!」

「アハハハハッ!もしかしてファ―ストちゅう?ファーストちゅう??」

「おめでとう!!ハハハッ!!」

「文子!樹杏!うるせえっ!!」

 樹杏の頭を腕で固めて絞めつけた。文子はブヨブヨの腹を抱えて笑っている。俺の頭の中は大混乱していた。キスされた。人生で初めてキスしちゃった!相手が子どもだからだろうか。柔らかくて温かい。手を繋いだり、抱きしめたりするのとは段違いの刺激があった!脳みそがしびれる。股が熱くなる!ヤバイヤバイ!落ち着け、俺!っていうか、ていうか……。一番最初は、優里子としたかった……。

 優里子はないとを抱きしめて揺れている。少し開いた口の赤が目に入ると、心臓がドキッと強く鳴った。優里子が上げた視線が、俺とバチッと合うと、互いに顔を反らした。キス、優里子にも見られた。それが一番ショックだった。頭を沸騰させる熱を吐き出すように、はああっと長く重たいため息をもらした。

 優里子は文子や他のガキたちを連れて離れて行った。優里子は移動しながら、一人でプッと小さく笑った。唯我、本当にファーストキスだったのかなあ。何でか、私まで恥ずかしくて顔を合わせられなかった。

 樹杏の首を絞めていた腕から力を抜くと、そこから樹杏はするりと抜け出した。樹杏は英たちの乗った車が進んでいった道を見つめながら、「ねえ、唯我」と話し始めた。

「春のジール、英君も誘ってあげてよ」

「あ?何で」

「だって、僕のファンだから」

「そうやってすぐ調子に乗るんだから」

「いいじゃん。ジール、頑張ろうね」

「おう。負けねえからな」

「僕だって負けないもん!」

 そう言って、樹杏は俺の肩を組んで笑った。次の日、樹杏は城の807号室に帰ったのだった。


                ****


 2月下旬、俺は1年ぶりに長崎の桜の咲く学校を訪ねていた。『青春・熟語』は1年の放送を経て、2年目以降の放送継続が決まった。花の香りと春の日差しが俺と共演者たちを包む。一緒に撮影をする男女で正門に並び、皆で手を繋ぐとカメラを見つめた。

『ではカウント始めます!5、4、3、2、1!!』

 その瞬間、俺たちは一斉にジャンプした。女子2人のキャーッという甲高い声が、早春の青空を登った。新しいオープニング映像の撮影が終わったところで、出演者全員で瓶コークをカチンとぶつけて乾杯した。

「『熟語』!2年目、おめでとう!!」

「「乾杯!」」

 共演者の岡本将暉は一気飲みをするとゲフッと満足そうな顔をした。将暉のゲップに女子2人はドン引きだった。

「ちょっとキモーい!止めてよねー!」

「もう1年も一緒にやってると、慣れたものですがね」

「聞いてくれよ!俺、メンズモモのモデルになったんだ」

「え、マジ!?将暉すごいじゃん!何かわかんないことあったら言ってよね。モデルの先輩として、いろいろ言えるだろうからさ」

「おう、サンキュー!」

「唯我君は、Y&Jで何かするんですか?ライブとか」

「ああ、そっか!Y&J終わっちゃうんだよね。残念すぎ」

「俺、唯我のライブあったら見に行きたい」

「私もです。樹杏君とは、小学生の頃、一度一緒に舞台をやったっきり会ってないし」

「ライブはやらない。舞台ならやるけど」

「やるの!?観たーい!」

「皆で行こうぜ!」

「いつやるんですか?是非観に行きます」

「うん。サンキュ」

 俺は皆と長崎駅の改札で見送ると、スマホを耳に当てた。その瞬間、音割れするほどの大声がスマホから鳴った。

『もしもーし!』

「耳元でうるせえなあ」

『アハハ!だって』

「テンション上がるじゃん!」

 電話口と同時に、背後から同じ声がした。振り返ると、俺の想像よりも大人っぽく成長した泰一がいた。

「久しぶり!唯我兄ちゃん!!」

「久しぶり、泰一」

 歯を見せてニカッと笑う顔は、俺の知る泰一の笑顔だった。


               ****


 泰一に案内され、俺は泰一の実家を訪れた。見覚えのあるおばあさんに、見覚えのある母親に挨拶した。今日が暮れていく空の下、縁側に足を下ろして、泰一と二人で積もりきった話をたくさんした。施設のこと、仕事のこと、家のこと、友達のこと。そして泰一の恋愛事情、俺の優里子への片思いの現状についての話をする間は、俺はずっと顔を赤くしていた。

「んなっ!お前っ!、ベッベッベッベッ」

「あああああああ!言わなくていいんだよ!そういう唯我兄ちゃんはどうなのさ。どこまでした?イッた!?」

「何ちゅう聞き方をするんだ!お前は!!」

「うっわ!その反応!!まだ告白もしてないんだろ!?」

「ゔっ……」

「ったく。昔からおっそいんだから、唯我兄ちゃんは!僕が早いのはねえ、亀より遅い唯我兄ちゃんを見てたからなんだよ?だから、きっと英もいろいろ早いと思うなあ」

「お前、ムカつく。勝手に調子こいてろよな」

「アハハ!そうする」

「泰一君、唯我君、夕飯できたよ」

「あ、はーい!唯我兄ちゃん、ばあちゃんのご飯、すっごい美味しいんだよ!行こう!」

「ああ」

 泰一は俺の腕を掴んで引っ張った。泰一の実家の食卓は色とりどりの食事と、よく似た笑顔が3つも並んだ温かい場所だった。その日は一晩だけ泰一の実家に泊まり、早朝には出発した。泰一は長崎駅まで見送りに来て、俺の姿がホームへと消えるまで手を振った。遠くなる泰一に、俺も精一杯手を振った。

 施設の玄関に入り、手荷物を置いた瞬間、一気に疲れがやって来た。気が抜け、俺は靴も脱がずに廊下に寝そべった。

「唯我、こんなところで寝ないの!」

「……優里子、ただいま」

「うん。おかえり」

 優里子の姿を見た瞬間、ようやく深呼吸したような気がした。

「泰一に会えたよ」

「どうだった?大きくなってた?」

「なってた。ほら」

 スマホの画面には、泰一が手を伸ばして持つスマホで自撮りした画像が表示されていた。

「ホントだ。大人っぽくなったね」

「だよな」

 すると、優里子が「ほら」と俺に手を伸ばした。ドキッとしたが、表情に出さないように歯を軽く食いしばった。優里子の手を取り、ゆっくり体を起き上がらせた。

「泰一、たくさん笑ってた」

「そっか。よかったね」

 優里子の微笑みを見た時、俺一人が施設に帰ってきたことを感じた。心細さが胸を締め付け、握った手を離せなくなった。優里子の手の甲を、額にピタリと当てた。

「ああ……。よかった」

 もう、泰一は施設の子じゃなくなったんだ。嬉しい。だけど、寂しい。

 優里子は俺の額の冷たさが気になった。するりと抜けた優里子の手が、俺の頭を撫でた。耳をかすめる指が、髪を撫で下ろす手の平が気持ちよくて、触れられた場所に優里子の手の色が残る。

 嫌なことに、「弟」を撫でる手に安心した。「一人じゃない」と伝えてくれる手に、猫が戯れるように少し頭を預け、目を閉じた。意識の半分はすでに眠っているのか、ぼんやりとした感覚の中を浮かんでいるような心地だった。

「泰一に、兄ちゃんは遅いって言われた」

「何が遅いの?」

「……今は言わない」

「何それ。気になるじゃん」

 泰一、鈍くて可愛い人の「弟」を、「男」にするのはとても難しいよ。それに、俺も時々は「姉」に甘えたくなるらしい。

 手の平で撫でているのか、黒髪の垂れる頬が手を撫でているのかわからない。指先に生ぬるい息が落ちると、優里子のどこかでドキンと音がした。


                ****


「地声に頼るな。はっきり発音しろ。音程!口開け!」

 俺は事務所のレッスン室に千鶴さんと2人でいた。5月公演予定の舞台『ジール スタンドオンザグラウンド』の歌は、千鶴さんが作詞、作曲をしている。俺は真剣に精一杯声を出していたが、相変わらず千鶴さんの怒号は鳴りやまない。

「毎日リップロール。言葉をはっきりと出すためにも、意味を考えろ。言葉の意味。メロディーの意味。次の場面に繋がるイメージを持て」

「はいっ」

 歌はとても難しい。メロディーの音を声に出せばいいわけじゃない。音の上に言葉の粒を乗せて、意味を表現しなくてはならない。小学1年生が頑張って童謡を歌う程度の歌唱能力しかない俺にとって、歌はとてもハードワークだ。頬の筋肉が疲労し、ヒクヒクと痙攣している。

「ようやく4月だ。ビシビシしごいてやっから、覚悟しとけよ、唯我」

「よろしくお願いします」

 桜がすっかり散り、赤い実が新緑の中にクリスマスの飾りのように輝く。俺は新学期の始まった学校のクラスに入ると、康平と泉美、大沢に、いつものように手を振った。

 その日、クラス全員に配布されたのは、「進路希望調査」という用紙だった。

「皆さん、明日までに調査書にある第3希望までの進路を記入して、先生に提出をお願いします。本日は以上となります」

「起立、礼!」

「「ありがとうございました」」

 俺は立ち上がり頭を下げたが、机の上の「進路希望調査」から目が離せなかった。考えたことがなかったからだ。改めて聞かれるとわからない。俺は、これからの自分の進路について、どんな希望を持っているのだろうか。




(第66話「冬の太陽」おわり)

 次回更新:5月13日(水)21:00

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る