第59話 仲直り

 スマホの画面には、着信マークが表示されている。着信マークの下には、吹き出しの中にメッセージが表示されていた。

『大沢、昨日は勝手に帰ってごめん』

 大沢は俺のメッセージに返事をしていなかった。なのに、毎夜毎夜、ベッドの中でその画面を見ていた。返事、どう返そう……。

 何度も思い出すのは、一人で走って行ってしまった俺の背中と、空を掴む自分の手。どんなに強く長く想うとも、その手が俺に届くことはないのだと感じた。


                 ****


 夏休みの体育館には、ボールが弾む音が絶えず響いていた。バチンとスパイクを打つ音、掛け声、いくつもの足音が重なる。顧問の笛が鳴ると、大沢のいるバレー部が集合した。

「集合!」

「「はいっ」」

 俺が体育館に直接つながる下駄箱の前に立っていると、ジャージ姿の康平が手を振りやって来た。

「あれ?お忙しい小山内君じゃん!久しぶり」

「康平、お前こそ部活は?」

「俺たち午後から。バレー部と入れ替えで体育館使ってんの」

「そうか」

「お前何しに来たの?」

「うん。まあ……」

「まあって何だよ」

 俺は体育館の中に目をやった。解散したバレー部員たちが後片付けで忙しなく動いているのが見えた。その中に、ポニーテールの大沢がいた。康平は何となく察した。

「ああ、なるほど。多分部活終わったから声かけられると思うぜ」

「そうなの?」

 康平は「ちょっと待っとけよ」と言うと、中に入っていった。俺は壁に寄りかかり、しばらく待っていた。

「え、誰が来てるって?」

「いいからいいからっ!」

「ちょっと!」

 康平が強引に大沢を外へ押したようで、大沢は体勢を崩して現れた。俺を見た瞬間「あ……」と呟いた。

「んじゃあ、俺はこれから部活なんでねえ!バイビー!」

「ちょっと、康平君!……もう、行っちゃった」

「大沢……」

「!!!」

 大沢は顔をこわばらせてこちらを向いた。

「な、何?」

 分かりやすく避けられている。俺は少しムカついたが、表に出ないように気持ちを抑えた。持っていた紙袋をグッと前に差し出した。

「お土産。静岡の」

「え?ああ、ありがとう……」

「康平と泉美の分も入ってるから、会った時に渡して」

「自分で渡しなさいよ。そんなの」

「いや、夏休み中に学校来ねえし」

「ああ、そりゃそっか。ってことは、これだけのために来たの?制服着て」

「校則で学校に私服で入れねえじゃん」

「そうだけど……」

 連絡すればいいじゃん、と大沢は思ったが、自分が俺のメッセージを既読無視していることを思い出した。すると気まずさが戻った。大沢は俺から視線を反らし、俯いた。

「水族館では、悪かった。ごめん」

「……いいよ。私が行っていいって言ったんだから、別に唯我が謝ることなんて」

「でも、お前怒ってるだろ……。何となく」

 何となくですって?大沢は少しイラッとした。

「……あの後、ちゃんとお姉さんのところ、行けたの?」

「ああ。ギリギリ」

「そう。なら良かった。……ねえ、唯我」

「何?」

「その……、お姉さんとはどうなったの?」

「……え?」

「だから、お姉さんとは……、付き合ったの?」

「なっ!!」

 赤い顔して視線を落とし、大沢は呟くように言った。想定外の質問に驚いた。一気に熱くなった顔を反らした。

「……、いや……」

「はあああっ!?フフフ、フラれたの!?」

 大沢は声を上げ、体を前のめりにして顔面をて近づけてきた。とても威圧的な勢いに押され、一歩一歩と後退りしたが、大沢はしつこく追って来る。

「そ、そもそも告白もしてないっ」

「じゃあ何しにお姉さんの後追ってったの!?あんな走って!!」

「い、いや、あれはっ」

「そもそも、唯我は」

「てか、どうしてお前にそんなこと聞かれなきゃいけないんだよっ!!」

「それはっ……!……はあ。そう、そうよね。関係ないわよねえ」

 大沢は背を丸め、地面に向かって重たいため息をもらした。今日の大沢は変だ。

「今日は仕事は?」

「今日はフリー」

「あっそ」

 大沢は俯いたまま、俺と目を合わそうとしない。やっぱり怒ってる。大沢は紙袋の中を見た。中にはパイのお菓子と、ご当地キャラ感満載のキーホルダーがセットになって個包装されているのが3つ入っていた。思わず笑った。

「何これ、可愛くないんだけど」

「お土産に文句つけるなら返せっ」

「返してどうすんのよ!」

 俺は紙袋を大沢と引っ張り合った。その時、俺の右手首に細いブレスレットがついているのに気が付いた大沢は、思わず指を差した。

「あ!校則違反!」

「こ、これは別に……」

 千鶴さんの真似である。自分で買った黒い革で編まれた細いブレスレットは、決してカッコつけたいというわけではなく、ジェニーズであることを意識するよう自分に言い聞かせるためのお守りみたいなものでごにょごにょ……。

 俺が思わず手を背中に隠した姿を見て、大沢はクスクス笑った。

「ねえ、今日夜の予定がないなら、久々にお祭りに行こうよ。泉美と康平君にも声かけてさ」

「お祭り?」

「うん。そんで、水族館の罰ゲームってことで、今日は2人に全部おごってもらおうよ!ね?」

 大沢のいつもの笑顔に、俺は心底安心した。


                ****


「小山内君遅いね」

「そうだね。時間ちゃんと伝えてたはずなんだけど……」

「っていうかおごりとか、こんな楽しくないお祭り初めてなんだけど」

「康平君と泉美が水族館でいらぬことしたのが悪いんじゃない!」

「へいへい。すんませんでしたあ」

 先に来ていた3人のところに、俺は少し遅れてやって来た。

「悪い。遅れた」

「小山内!ようやく来たって……。え!?」

「何その子!!」

 俺はてぃあらを抱いていた。3人は指を差して驚いていた。突然の声にてぃあらはビックリして顔を伏せてしまっている。

「こいつがどうしても離れないって言って聞かなくて……。ほら、てぃあ。大丈夫だから」

「てぃあ!?外国人!?」

「いや、いわゆるキラキラネームで」

 すると俺の後ろから「おおい」と施設長がやって来た。施設長の隣には英がいる。そしてみこと充璃と手をつなぐ優里子がやって来た。

「唯我、てぃあちゃん大丈夫そう?」

「大沢たちに会ってビビってる」

「ふふっ」

 大沢は俺が優里子に向けた笑みから、視線を反らした。その時、施設長はにこやかに皆に言った。

「皆さん、こんばんは。ごめんね、唯我がこんなことになってて」

「初めまして」

「こんばんは。

 俺の事情をあまり知らない康平は、施設長に向かってサラリと「お父さん」と呼んだ。俺と施設長はビックリしたが、2人で目を合わせて軽く笑った。

 俺はてぃあらを抱えたまま施設長たちと別れ、3人と一緒にお祭りを回った。俺は涙をちょちょぎらせる康平にフランクフルトを買わせ、りんご飴を買わせ、かき氷を買わせた。

 肩に顔を伏せていたてぃあらは、康平の差し出したわたあめに、恐る恐るパクリと食いつくと、目をキラキラさせて顔面がベトベトになるのもお構いなしに食べ続けた。俺の食べていたフランクフルトに噛みつくと、離してくれなくなり、食べ物を失った俺は、康平にお好み焼きを要求した。

「あ、もう8時か。施設長たちと約束した時間だ」

「そっか。早いね」

「おうおう!さっさと帰れ!むしろ帰ってくれ小山内め!」

 俺は康平に「そんなこと言われると小腹が空いちゃうなあ」と言っていじめていると、大沢はしゃがみ込んで、俺の足にギュッと抱きついて離れないてぃあらに微笑んだ。

「またね、てぃあらちゃん」

 するとてぃあらは手を上げた。大沢も手を上げると、そこにパチンと小さな手が重なった。「タッチ!」と満面の笑みを浮かべたてぃあらに、大沢は「可愛い」と笑った。

 お祭りに残った3人は、施設長と優里子、その他のガキたちを連れ立って帰る俺に手を振った。

「いやあ、意外ですなあ」

「泉美よ、俺も同意見だ。あの鬼畜野郎にあんなにも子どもが引っ付いているとは、納得いかねえよ。そして俺の財布は空っぽだよちくしょう!」

「成美は本当によく見てるよねえ、小山内君のこと」

「え?うん、まあね……」

 大沢は遠くなる俺の後ろ姿を目で追った。眠るてぃあらを抱いている俺の足元には、ズボンの裾を握るみこがいる。隣には優里子がいる。驚いたのは、小学校の卒業式で会った優里子は、俺や大沢よりも背が高かったはずなのに、今では俺と同じか、俺の方が少し背が高くなっていることだ。

 背中を向けて遠ざかる俺が、向こうでどんな顔して話しているのか、大沢は想像できなかった。きっと、自分の見たことない幸せそうな顔して歩いているのだろうと思った。

「お二人は、仲直りできたのかい?」

「できたのかい?」

 隣にいる泉美と康平が笑っている。きっと2人は既に答えを知っている。

「とりあえずね」

 大沢は祭りに灯る温かい光に囲まれて、笑っていた。


                ****


 名古屋の県立施設のホールには、年齢層の少し高めのマダムが集まっていた。そこで開かれていたのは千鶴さんのライブだった。

 会場に開演のブザーが鳴る。暗闇に包まれた舞台の幕が静かに上がり、会場の空気は張り詰めた。バンと音が鳴り、真っ白なスポットライトがステージに落ちた。そこにいたのは、青いキラキラのジャケットと赤いキラキラのジャケットを着るY&Jだった。ワッと一瞬上がる歓声は拍手に代わり、しばらくして青春隊の代表曲である「疾風」が流れる。俺たちは動画で踊る鏡合わせのダンスを始めた。観客はリズミカルに手拍子を始め、ステージを見つめていた。

 すると千鶴さんの歌声は観客席から聞こえてくる。千鶴さんが登場したのは客席の通路だった。会場中の歓声と視線、拍手を一身に受けながら、千鶴さんはファンへ手を振った。ゆっくり歩きながらステージへと上る。そうしてサビで俺たちと合流し、歌いながら踊った。

 その様子をモニターで見ていた富岡さんは、銀色のスーツをバッチリ決めて、腕を組んで立っている。

「上出来、上出来」

 低い声はよく通る。その場にいたスタッフたちの背筋をゾワッとさせる恐ろしい声だったが、富岡さんはとても気分が良かった。

 途中のトークタイムでは、千鶴さんがバックダンサーや演奏者たちと一緒に話をしていた。

『さて、今回のライブでは、俺の後輩、ジェニーズJrを呼んでいます。Y&Jです!』

 拍手が鳴る中、俺と樹杏は走ってステージ上に現れた。

『小山内唯我です』

『大貫樹杏でーす!』

『俺たち、Y&』

『Jでーす!』

 よく分かっている人たちからは、「大貫樹杏」の名前が上がった瞬間、驚きの声がした。よくあることだが、俺たちが「Y&Jです」というタイミングはどよめきの声がする。

『はい。今日も驚きの声が上がりましたね。静岡公演でもそうでした。皆さんが驚いたのは、この子でしょ?』

 千鶴さんはあえて俺の肩を抱き寄せた。すると樹杏が驚いてあたふたした。

『え!?僕でしょ!?』

 その瞬間、会場からは大きな笑い声が上がった。樹杏は「えー!?」と声を上げている。俺はこうして樹杏との知名度の差を毎回感じて少し落ち込む。

 ライブが全て終了すると、俺と樹杏はお客さんを見送る係に立った。すると、俺たちを見つけた人たちが握手や写真を求めて集まってきた。

「ナマの樹杏君、本当にお人形さんみたいねえ。可愛いわあ」

「ありがとうございます!」

「あなたはY君ね。覚えておくわ」

 「Y君」て……。全然いいけどさ。

「唯我君、髪キレイねえ。ストパー?」

「いえ、地毛です」

「2人とも目がとってもキレイ!」

「Y&Jポーズして」

 俺が右手で「Y」を表すピースサイン、樹杏が左手で「J」を表すように人差し指と親指を立てる。するとスマホのシャッター音が滝のように流れ落ちてくる。樹杏は慣れたように「イエーイ」と表情を変えるが、俺はそういうことができない。目を開け続けられず、時々片目をつむるくらいのことしかしない。

 ようやくお客さんたちが帰る頃には、気疲れと一緒に、立ち続けた足に震えがやって来る。俺たちはその場にへたり込み、背を合わせてポリカを飲んだ。

「名古屋、終了!」

「ああ。お疲れ様。あとは東京だけだ」

「だね」

 そこに根子さんと樹杏のマネージャー小池君がやって来た。

「お2人とも、お疲れ様でした」

「J、床に座ってないで、早く立って下さいって。ったく、毎回毎回」

「怒らないでよ、小池君」

 小池君は樹杏をゆっくり立たせて、おぶった。根子さんは俺に手を伸ばし、俺はその手を掴んで立ち上がった。

「あとは帰るだけですよ」

「はい」

「僕も帰りたいよお」

「Jはこの後舞台の稽古でしょう?休むなら新幹線の中にして下さいよ」

「うわああんっ!!」

「頑張れ、樹杏」

「ああん!唯我あ!!」

 樹杏はいつものように小池君に強制連行されて行った。そこに衣装のままの千鶴さんと富岡さんがやって来た。

「ネコちゃん、お疲れ様。唯我もお疲れ様!」

「お疲れ様です」

「2人はこの後どうするの?時間があるなら一緒にひつまぶし食べよう」

「唯我君、新幹線の時間まで、まだお時間ありますから、いってらっしゃい」

「え、ネコちゃんも来ようよ」

「……私も?」

「そ。おごるからさ!」

 千鶴さんのアイドルスマイルに根子さんは頬を染めた。「では、お言葉に甘えて」と言った時の、少しはにかんだ顔は、俺の知るキャリアウーマン根子さんとは違うような気がした。俺が根子さんの顔を見て「?」を頭の上に浮かべていると、富岡さんが肩を組んでさっさと移動し始めた。

 予約されていた個室へ案内され、俺たちはひつまぶしを食べた。俺は私服やブレスレッドについて富岡さんに「千鶴の真似か」とからかわれ、千鶴さんは「いいじゃん!お揃いでも」と俺をなだめ、恥ずかしがる俺の様子を見て根子さんはクスクス笑っていた。

 お店を出た時、根子さんのスマホが鳴った。富岡さんの大きな手が俺の頭をガッチリ掴んで離さず、俺はよろよろと歩いていた。

「唯我君、すみません」

「はい?」

「東京に戻ったら、一緒に事務所に来てもらえるお時間はありますか?映画のオーディション結果が届いたようです」


                 ****


 茶封筒を開き、中の書類を根子さんと一緒に見つめた。

「……唯我君!」

「はい。やりました!合格です!やった!!」

「おめでとうございます!」

 2人で手をつなぎ「やった!やった!」と言い合った。封筒の中からは台本も出てきた。

「あ、台本……。うわ、太いっ」

 表紙には『映画 竹林のライオン』とある。厚さは1センチメートル程あり、今までもらった台本の中で最も厚みがあった。中をパラパラめくると、登場人物たちの関係図があった。それはとても複雑に絡み合う図で、一見しただけでは訳が分からなかった。その図の中に示される登場人物たちの名前の横にカッコ書きで俳優たちの名前が載っていた。俺の名前は、「殺人犯 阿武隈博美(吾妻力也・小山内唯我)」とあった。

「さつ……殺人犯。まあ、原作は読み終えているので、知ってたんですけど、殺人犯か……」

「物語は、成人して殺人を犯した阿武隈を中心に進みますが、子どもの頃の阿武隈も殺人を犯しますから、きっとそういうシーンもあるのだと思います」

 ううっ。マジか……。俺は少し憂鬱になった。台本を開いたまま、額を机の上に落とした。

「でも、頑張ります」

「はい。撮影は10月からスタートです。11月には唯我君のシーンも始まる予定のようです。『青春・熟語』の撮影ともかぶりますが、頑張りましょう」

「はい」


(第59話「仲直り」おわり)

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