第56話 青春隊 富岡圭司
教室の窓際で、泉美は目をキラキラさせて大沢と話していた。
「ようやく、成美が恋を自覚したんだ」
「し、してた!してたから!」
「だってえ、体育祭の放課後に小山内君に言った言葉って、宣戦布告じゃない?」
「え!?違うからっ!」
ニヤニヤ笑う泉美と、それに困っている大沢のところに、移動教室から俺と康平が戻ってきた。
「おっすー。お疲れ様」
「おっすー。ねえ、康平、小山内君!期末試験の勉強会でもやらないかい?誰かん家集まってさ」
「お!いいねえ。俺乗った!」
「私も成美も!」
「わ、私も!?」
「先生がいなきゃ始まらないではないか。ほら、放課後とか土日とか、集まれる時にさ!小山内君も来るでしょ?」
「悪いけど、俺はパス」
「何でだよ、小山内!」
「いや、忙しいからだよ。レッスンとか、舞台の練習とか、ライブとか」
「また仕事かよー!!」
「残念だねえ。小山内君てさ、将来、家庭より仕事に生きる人になりそう」
「ああ、わかるわかる!想像できるもん!」
「そうか?」
「成美はどう思う?」
「私はそうは思わないなあ。だって唯我、家族のことすっごい大事にするタイプだよ?」
その瞬間、泉美と康平は口を開いて固まり、俺は単純に照れて、大沢は顔を真っ赤にした。
「あ、ご、ごめん。勝手に……」
「ふっ。いや、いいよ。サンキュ。……そうなるように、するよ」
「うん。そうしなよ……」
俺は正直で、勢い余って泣いてしまう大沢を知ってから、大沢の照れる素振りを見ると笑えるようになった。赤くした顔を俯かせる大沢と、それを見てクスクス笑う俺を見る泉美と康平は、目を合わせて思った。何じゃこの夫婦。
****
その日、優里子は施設長と一緒に立並児童相談所にある一時預かり所に来ていた。てぃあらちゃんに会うためだ。てぃあらちゃんは優里子を見つけると、とてとてと小さい歩幅を重ねて手を広げて近づいてきた。
「タッチ!はい、上手ですね!てぃあらちゃん」
「うん!!」
てぃあらちゃんは満足そうに笑って優里子に抱きついた。その時、瀬良がやって来た。
「お待たせしました。あちらの席へご案内します」
「よろしくお願いします」
施設長と優里子、瀬良は狭い部屋に入り、キャバ嬢とてぃあらちゃん、ないと君の現状と今後について話始めた。
「ご覧の通り、てぃあらちゃんは順調に元気になっていて、今では少し走ることもできるようになりました。しかし、ないと君の方は今少し時間が必要です。というのも、あまりに幼い間に、飢餓状態が繰り返されていたために、脳に若干の委縮が見られるようです。もしかしたら、成長と共に、障がいが現れてくるかもしれません」
「そうですか。我々の施設にも、発達障がいの子がおります。それから、事故の後遺症を持つ子も。ですから、障がいを持つ子へのフォロー体制も既にあり、優里子は、現在は」
「卒業した短大で、児童障がい発達について勉強しています」
「はい、存じております。理解と献身のために勉強をする。とても素晴らしいと思います」
瀬良の微笑みに、優里子はノックアウトされた。顔を真っ赤にして、頭から湯気まで上げた。
「あ、ありがとうございます」
「私たち、立並児童相談所としては、これほど恵まれた施設はないと考えます。子どもたちのご支援をお願いしたいと考えております。しかし、一番の問題は……」
「一番の問題?」
「保護者の不破さんに、まだ十分な理解を得られていないことです」
その時、部屋の向こうからガシャーンという物を激しく打ち付ける音が聞こえた。どよめきや、子どもの鳴き声が部屋の中まで響いてきた。3人はすぐに部屋を出た。外で暴れていたのはてぃあらちゃんとないと君の母親であるキャバ嬢だった。キャバ嬢はピンク色のスウェットに適当なサンダル、見た目に合わない高級バッグをぶら下げている。床にはパイプ椅子がいくつか散乱し、足を痛めたらしい女性職員がしゃがみ込んでいた。
「てぃあらを返して!!私の子どもよ!返して!」
「ちょっと失礼しますっ」
「瀬良先輩!」
瀬良は人混みの中を縫って進み、キャバ嬢の前に立った。
「不破さんっ」
「あ、瀬良さん……。瀬良さんっ」
キャバ嬢は瀬良を見るや否や抱きついた。
「何しにいらっしゃったんですか?」
「瀬良さん聞いて!あの人に、私の子どもと会わせてほしいってお願いしたのに拒否られて!本当信じらんない!瀬良さんも、そう思うでしょう?」
「……だからって、人を傷つけていいとでも?申し訳ありませんが、うちの職員に危害を加えられては困ります。そうして、自分の子どもにも危害を加えないという保証を、あなたはできますか?」
キャバ嬢は瀬良に力づくで引き離されると泣き出した。床にへたり込み、そのまま動かなくなった。それを見ていた優里子は、瀬良の言っていた「一番の問題」を少しだけ理解できた。
瀬良はそのままキャバ嬢の世話係を受け、施設長と優里子は施設に戻った。
「私、瀬良先輩のお仕事の大変さを理解したわ。あんなの見てたら……」
「あれはほんの一部だよ。児童福祉司が持つ案件っていうのは毎日のように増え続ける。終わりのない仕事だ」
「……うん」
優里子が施設に戻った時、俺は事務所に行こうと自転車を出していた。
「あ、唯我」
「……」
瀬良が施設に来ていた夜から、俺たちは互いに距離を取っていた。ちょっと気まずい。しかし無視もできず、俺は車を止めて降りてきた施設長に言う感じで「レッスン行ってくる」と伝えた。施設長は「はい、いってらっしゃい」と手を振った。施設長は俯く優里子をチラッと見た。
「ケンカしてるの?」
「うん。まあ……」
「理由は?」
「瀬良先輩っぽい……」
「え??」
「私も、よくわかんないの。でも、私も悪いところはあるみたい……」
施設長は頭の中に俺と優里子と瀬良の顔が浮かべで、相関図の矢印をうねうねと動かして三角関係図を構築しようとした。しかし、構築した図形はモヤモヤの霧に隠され、思考は混乱を極めていた。
****
事務所に到着すると、レッスン室に待っていたのはスキンヘッドのおじさんだけだった。スキンヘッドのおじさんは背を丸めて俺を睨んでくる。俺はそれが誰だかわからず、どうしたらいいのかもわからず困ってしまった。
「あの、千鶴さんは……」
「千鶴は急用で遅れる」
「樹杏は?」
「前の仕事が押してて来れてない」
「あの、あなたは……」
「ああん?」
怖い怖い怖い!!上下白いジャージにスキンヘッドで灰色グラスの眼鏡して、一体どこのヤクザなんでしょうか、あなたは!!
「富岡圭司」
「……え?」
その名前は青春隊のメンバーにいた名前だった。俺の中の青春隊の「富岡圭司」は、柔らかい天然パーマを揺らしクールに笑う少年「富岡圭司」だった。まさかご本人!?怖いっ!!すると富岡さんは叫んだ。
「富岡圭司だ!お前は!?」
「はいっ!小山内唯我です!」
「元気があってよろしい!!」
「ありがとうございます!!」
その時、千鶴さんが「おおいっ」とレッスン室に入って来た。俺は心底安心した。
「ごめんごめん!お待たせ!トミー、唯我を怖がらせたな?」
「違う。こいつが勝手に怖がってただけ」
「ごめんな唯我。一人にしてな。大丈夫か?お金とかせびられてねえか?平気か?」
「だ、大丈夫です……」
「おい殺すぞ千鶴」
富岡さんはチッと舌打ちをした。俺はかなり怖くて、思わず千鶴さんの袖を掴んだ。富岡さんは、袖を引いた俺の手首に水色のブレスレットが下がっていることに気がついた。
「あ、それ千鶴の……」
「え?ああ、ブレスレット!唯我、ずっとつけてたの?」
「事務所についてからです……。リュックに入れっぱなしだと、渡すの忘れちゃいそうだったんで、それで……。持って帰ってしまって、すみませんでした」
「いいよ。こうして帰ってきてくれたことだし」
俺から受け取ったブレスレットを手に、千鶴さんは優し気に微笑んだ。
「そうか。こいつが千鶴の言ってたJrだな」
「うん。小山内唯我。俺の隠し子さ」
「!?」
「うっわ。本当にありそうだから、それ言うのやめろよ」
俺はビックリして千鶴さんを見たが、千鶴さんは楽しそうに「はははっ」と笑っていた。心臓がドキドキと音を立てている。頬が火照っている。バカだ俺。「俺の隠し子」とか絶対冗談なのに、ちょっと……嬉しかった。
「にしても、これはヤバいだろ」
「だろ?ヤバいだろ?」
俺を見てニヤニヤする大人2人が、何を「ヤバイ」と言ってるのかわからなかった。
「ああ。お前の言う通り、裕一郎そっくりだ。これは隠しておいた方がよさそうだ」
富岡さんはかかんで、俺の前で顔を傾けた。
「ゆ、裕一郎?青春隊の?」
「お前、知ってんの?会ったことはあるか?」
「いいえ。26時間TVで津本さんが車いすを教えてもらったって聞いたことがあるくらいで、会ったことはないです」
「ふうん。裕一郎がこいつを見たら、どんな顔するか見てみてえな!」
「似てることにも気づかないんじゃね?さて、ライブの練習しようか!トミー、Y&Jの動画は見たよね?」
「ったり前だろ?動画で見た感じ、筋は悪くねえ奴だとは思った」
「お、トミーが褒めるなんて珍しい!」
「だけど、千鶴のステージに立つには、方向を変える必要がある」
「方向?」
「ファンクの方」
「ああ、なるほどね」
俺は大人たちの会話に全く入れなかった。というよりも、ついて行くことができなかった。富岡さんの目が、灰色グラスの眼鏡の奥から俺を睨んだ。ヒッと縮こまっていると、腕を掴まれた。
「どら、まずは柔軟チェックだ。返事っ!」
「はいっ!」
「じゃあ、俺は終わるまで別の仕事してようかな」
「待てこら千鶴。てめえも一緒にやるに決まってんだろ」
「……はい」
俺はレッスン室で千鶴さんと並んで体を倒した。開脚の足を「もっと開け!まだいける!」と足をグイグイ広げられ、逃げられないように両腕を取られた。富岡さんには、「ギブアップ」という言葉も千鶴さんの悲鳴も聞こえない。ようやく柔軟体操が終わったのは1時間後だった。
「はい次。立ったまま体を後ろに反らせろ。限界までいったらキープ!」
「お、俺、もう無理……」
「千鶴は浅すぎ。もっと落とせ」
「ギャー!無理無理!!」
「唯我は背中が柔らかいな。問題なし。そのまま手をついて倒立、着地して戻れ」
俺は言われるまま床に手をつき、足を蹴り上げ倒立姿勢になると元の立姿勢に戻った。
「これぞジェニーズだな。見習えオジサン」
「俺はオジサンじゃないっ!秋川千鶴だあああああっ!ギャー!!」
富岡さんは背を反らせる千鶴さんの腹を押した。その顔は楽しそうに笑っていた。怖かった。
ゼーゼー言う千鶴さんは床に寝そべり休憩していた。俺はそんな千鶴さんを見たのは初めてだった。そして、富岡さんはそんな千鶴さんを完全無視して俺と向かい合って座っている。
「さっき俺たちが話していた方向ってのは、ジャズファンクの方にしたいってことだ。説明するのは面倒だから、動画を取ってきた」
「また教室の生徒さんたちの動画?」
「ああ。こないだ発表会だったんだよ」
「唯我、トミーはドSだけど、青春隊の中で一番ダンスがうまくて、演出力があったんだよ。青春隊解散後は、都内にダンスの教室を開いてるんだ」
「へえ。知りませんでした」
「お前も来たら教えてやるよ。レッスン代はしっかりもらうがな」
富岡さんはスマホの画面を横にして動画を流した。それはステージに立つたくさんの女の人がくねくねと踊る動画だった。
「お前がいつも踊ってるホップ系のダンスとは違うってのはわかるな?」
「はい。何か、海藻みたい」
「あははっ!唯我、海藻かよっ!」
「まあ柔らかく踊ってることはわかってもらえたな。多分な。でも一番はそこじゃない。エロさが一番大事」
エロ……、エロさ!!
「お前なあ、思春期の少年に言う言葉かよ」
「だがそこが一番大事だ。千鶴のステージで踊るんだ。ホップじゃ客層に合わないんだよ。女より女らしく!なまめかしく!色気をまとえ!」
富岡さんの一言一言に反応して意識してしまう。「女」「なまめかしく」「色気」それは免疫を持っていない上に、俺には全くないものだった。
「安心しろ、唯我。お前ならできる」
「え……」
「黙って俺について来い」
「……はい」
富岡さんは、俺の知る青春隊時代のようなクールな笑みを浮かべた。ものすごくカッコよくて、思わず見とれた。イケメンって本当にずるいと思った。床に腹ばいになり頬杖をついていた千鶴さんは、富岡さんの話に何度も頷く俺を見て、クスッと笑った。
****
ふうっと吐く白い煙たい息が、喫煙スペースを漂い消えた。指に挟むタバコを口に戻し、ゆっくり吸い込み、もう一度ため息と一緒に吐き出した。壁掛け時計は9時を過ぎていた。瀬良は日中に児童相談所で暴れたキャバ嬢のことを思い出していた。
施設長と優里子との話し合いは本題に入らぬまま解散。キャバ嬢の世話係を押し付けられて、延々と泣くキャバ嬢をなだめ、ようやくタクシーに乗ってくれたのが午後6時。その時点で、既に瀬良は定時を過ぎていた。
不破さんが、二人の保護に納得するまでもうちょっとだってのに、あと一歩の押しがない。どうしたもんか。頑張りたくねえなあ。だけど、あの子たちのことを思えば……。
頭に浮かんだのは、病室で眠るてぃあらちゃんを撫でる優里子の姿だった。優しい微笑みは、一重に子どもの幸せを願う表情だった。
あんなふうに、俺に微笑んでくれたことねえな。自分と一緒にいる時の優里子は、どこか遠慮がちで、少し遠い。夜の道に立って瀬良を睨んだ俺を思い出した。あの子には、向けたりするのかな。
「……ははっ。中2のガキに嫉妬かよ。大人げねえ」
瀬良はズボンのポケットからスマホを取り出し、優里子にメッセージを送った。
****
事務所からの帰り、駅に止めた自転車を取り出しているとスマホが鳴った。見ると、康平と泉美、大沢のグループトークにメッセージが入っていた。
『夏休み初日!水族館に行こうぜ!!』
『黒田川水族館がいい!イルカショー見たい!』
『OK!』
『いつなら空いてる?』
既に自宅に帰っていた優里子が、瀬良からのメッセージに気づいたのはリビングにいた時だった。
『7月28日土曜日だけど、黒田川水族館に行きませんか?』
(第57話「青春隊 富岡圭司」おわり)
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