第51話 春の予感

 朝、学校に登校すると廊下に大きな掲示があった。そこには、これから卒業するまでの中学生活を送るクラスのメンバーが発表されていた。叫び声を上げる男子、喜びに跳ねている女子。大盛り上がりの人混みをかき分け、自分の名前を探した。

「あ……」

「あっ!」

 同じタイミングで隣で声を出したのは、大沢だった。目を合わせてから、もう一度掲示を見ると、「小山内唯我」の隣には、「大沢成美」が並んでいた。

「また、よろしくね」

「ああ。よろしく」

「おっさなーい!!やったぜ!また一緒!!よろしく!!」

 耳元で大声を出して肩を組んで来たのは康平だ。

「朝からうるせえな」

「あっ!バレー部の大沢さんっ!唯我の友達!俺は」

「江口康平君だよね。バスケ部だから、体育館ではよくすれ違うんだけどね。よろしく」

「よろしく!ようよう!小山内、聞いてくれよお」

「その前に手をどけろ」

 俺は康平に連れられて、新しい教室へと向かった。席は康平が前、大沢が後ろだった。教室で1学期初日の挨拶や配布物を受け取り、今後の予定や、進路指導の連絡を受けると、午前中のうちに下校することになった。

「あれはマジでウケたわ!小山内ったら朝から凹んでさあ!」

「言うなよ」

「聞いてよ、大沢さん。小山内の初めてのバレンタインチョコはね、ぜーんぶ生徒指導の先生が回収したんだぜ。それを悲しがってる小山内がさあ」

「黙れ。お前なんか一つもないって泣いてたくせに」

「あー!言ったな、コノヤロー!」

 康平は俺の首を腕で固めて頭をもしゃもしゃとかき回した。大沢はクスクス笑いながら聞いていた。こんなに近くにいる大沢は小学生以来で、懐かしい匂いがした。

「私部活行かなきゃ。また明日ね」

「バレー部いってら!俺も行くわ!小山内は今日も事務所?」

「いいや。人と約束がある」

「何だ何だ?もしかして、デートかよ」

 図星。しかし、平然を装った。

「まあな」

 うっすら笑ってやると、康平は「あーイケメンうぜー!」と頭を抱え、大沢はニヤニヤした。

「今日はいいデート日和ね」

「だな。また明日」


                 ****


 施設で私服に着替え、電車で移動し向かった先は、お花見デートを約束した桜並木だ。最寄り駅の改札を抜けた瞬間、俺は電話をかけた。

『もしもし、唯我?』

「今着いたけど、優里子、今どこいる?」

『ちょっとそこで待ってて!』

 電話は切れた。「待ってて」と言われたが、俺はどうしたらいいのだろうか。

「えいっ!」

「!!」

 その瞬間、視界が真っ暗になった。目を覆っていたのは、少し冷たい柔らかい優里子の両手だった。驚きと興奮で固まった。

「唯我、お疲れ様」

「は……っ、う、おつ、お疲れ様」

 全身が一気に熱くなった。顔から火を噴きそうだ。優里子は「驚いた?」とクスクス笑っている。人の気持ちも知らないで笑ってやがる。そういう不意打ちやめてほしい!可愛いすぎる……。俺はどうしたらいいのか、誰か教えてほしい!

「いい天気になってよかったね!お花見日和だよ」

「あ、ああ」

 優里子は白いシャツにピンクのふわふわスカートだった。下ろした髪の毛の中にピアスがキラッと光る。施設では見ない姿の優里子が目の前にいる特別感がたまらない。俺はすでに花見をしているようないい気分になっていた。

「行こうか!」

「ああ」

 俺たちは、去年一緒に歩いた道をもう一度歩いた。去年は夏の日の夕方で、昼時のような肌を刺すような暑さは落ち着き、穏やかな風が青々と茂る木々の葉を撫でていた。

 今日、二度目桜並木を歩いている。まるで夏に歩いた並木と同じ場所ではないように思えた。見上げると、空を覆う満開の桜が広がっている。桜の花びらは北海道の雪のようにヒラヒラと降り、一歩踏み出す度に足元でふわりと舞い上がった。

「わあ!キレイね」

「全部真っ白だ」

「え、白かなあ。ピンクだよ!」

「でも白っぽいのが多い気がする」

 そう思うのは、俺の目が桜よりも、隣で揺れる淡いピンク色のスカートに目がいくからだ。桜はもちろんキレイだけれど、春の並木を歩く優里子はもっと……。

「とにかく、キレイだ」

「春って感じね」

「ああ」

 俺たちはレジャーシートを広げ、優里子が持ってきたお弁当箱を広げた。「じゃじゃーん!」と優里子が玉手箱を開くと、中にはおにぎりとタコさんウインナー、卵焼き、唐揚げにいちご、彩り豊かなお弁当メニューが揃っていた。そのお弁当は、初めてデートを約束した日、急遽ライブのヘルプが入って行けなくなってしまったために、食べそこねたお弁当のメニューそのままだった。

「作ってきましたよ」

 優里子の手作り!!俺は嬉しさと恥ずかしさで興奮した。いけない、いけない。落ち着け、俺。決してこの興奮を悟られるな!俺は体を前に倒し過ぎないように腹筋と背筋に力を入れた。

「サンキュ」

「召し上がれ」

「……いただきます」

 温かい春の日の下、花びらは風に舞い、甘い花の香りが漂う。公園から見える川は、波の形をなぞる日の光でキラキラとしていた。小さな子どもと保護者たち、犬の散歩、お年寄りの夫婦、たくさんの人が日だまりに集まっている。笑い声、波の音、枝を揺らす風の音が穏やかに流れる公園の午後、好きな食べ物が詰まったお弁当は腹を満たし、髪とスカートが揺れる優里子の微笑みが胸をいっぱいにした。

「クラス替えはどうだった?」

「仲いい奴らと一緒になれた」

「よかったじゃん!はあ。唯我がもう中2かあ。早いなあ」

「遅いくらいだ。俺は早く大人になりたい」

「前にもそれ言ってたね。そんなに焦らなくてもいいわよ。もったいないわ。中学生時代なんて、あんたが思ってるよりずっと早く終わるんだから」

「終わっていいんだよ」

「どうして?」

「早く優里子より身長高くなりたい。低い声に変わりたいし、もっと筋肉ついてほしい」

 早く、優里子が好きになるような一人前の男になりたい。

「あははっ!いっちょ前に男の子みたいなこと言うのね!」

「バカ優里子。俺は男だ!」

「そうよね。そりゃそうよ。中2だもの。青春が始まるってことよね」

「何だそれ」

「きっと、可愛い子に恋もするのね」

「……、それは、もうずっと……」

 もうずっと優里子にしてる。

「ええええっ!?誰?誰!?」

 そういう反応をされると思った。そんなに気づかないもんなのか?二人で今、何してるんだよ。デートだよ!

「最近、よくデートしてる奴」

「……マジか!やるじゃん、唯我!!」

「"マジか"はこっちのセリフだっての!」

 優里子は、全くそんなこと知らなかった!ビックリ!というような顔をした。ふざけんなこいつ!!!熱くなる顔を手で覆った。

 優里子はふわふわと気持ちよさそうに漂う花びらを追って顔を上げた。新しい季節の始まりが嬉しくて、何か新しいことが始まるという期待を膨らませた。

「今年は去年より忙しくなりそうね」

「ああ」

「頑張れよ、唯我」

「頑張るよ。俺、ステージに立てるようなジェニーズになる」

「うん!」

 春は気温も心も温かくなって、花も笑顔も満開になる季節だ。


                 ****


 腕時計は8時を過ぎ、辺りはすっかり暗かった。道路を過ぎる車も少なく、街灯の白い光がポツポツと施設までの道を照らしている。

 その途中に公園がある。砂場や滑り台が置かれる小さな公園は、いつかの夏、浴衣姿の優里子が彼氏にフラレて、一人で泣きながらブランコに揺られていた場所だ。その時の優里子の後ろ姿を思い出し、ブランコに目をやった瞬間、錆びた鉄と鉄がかすれるようなキイッという嫌な音がした。よく見ると、揺れるブランコに人影のような何かが乗っていた。

「うわっ!」

 思わず声を上げ後退ると、優里子にぶつかった。

「な、何よ!急に声出さないでよ!ビックリするじゃない……」

 俺が指を差した方向へ優里子も目を向けた。よく見ると、みこくらいの小さい女の子が、肩からかかる抱っこひもを下げ、赤ちゃんを抱えて座っていた。女の子の顔は長い髪で隠れていて、暗い場所で見ると不気味だった。

「何、あれ」

「何だろう。こんな時間に、赤ちゃん抱えた女の子って……」

 優里子も俺も変だと思った。すると、優里子は公園へと歩き出した。

「唯我はここいて」

「おい、優里子っ」

 優里子は女の子に近寄り、「こんばんは」と声をかけた。

「二人だけ?どうしたの?」

「……」

 女の子は俯いた。俯かれてしまうと、髪の毛で顔が隠れて表情が読み取れなくなってしまう。優里子がしゃがむと、女の子はそっぽを向いた。

「お母さんか、お父さんは?」

「お仕事、いない」

「そう……」

 公園に入った優里子を放っておけず、俺もブランコに乗る女の子の隣まで行った。すると、女の子のお腹からグーっと音がした。女の子はポケットからゴソゴソと何かを取り出して、優里子に渡した。見ると、それはぐちゃぐちゃになったお札だった。

「これは?」

「ママからもらった、食べ物」

 会話が微妙に噛み合わない。俺と優里子は目を合わせた。すると、今度は女の子が抱えていた赤ちゃんが小さい声で泣き出した。その声は、まるで風邪を引いた人の呼吸のようにかすれていた。

「声、小さっ」

「……変よ。何か、変」

 優里子は「ちょっとごめんね」と赤ちゃんにスマホのライトを当て、その顔を見た。赤ちゃんにしては肉付きが少ない。触れてみると、外気が冷たいせいで頬が氷のように冷たくなっていた。関節に指を入れても温かさを感じられず、口からはヒューっという呼吸音がする。試しに手のひらに指を置いてみると、反応は全くなかった。髪の毛に隠れる女の子の顔を見ると、頬はやせこけ、唇がしわしわだった。暗い場所で見てもわかるほど、二人とも血色がなかった。

「……今日、ご飯食べた?」

 女の子はぼやあっとした顔をして、返事をしなかった。無視しているんじゃない。答えられないんだ。

「唯我、施設に電話して。私は救急車呼ぶわ」

「え?」

「この子たち、どれくらい食事してないのかわからない」

 優里子はスマホを耳に当て、「もしもし」と話し始めた。俺は言われるまま、施設に電話をかけた。

 しばらくして、救急車がやってきた。サイレンのライトが公園を赤く染め、優里子は真っ白に照らされた救急車に女の子と赤ちゃんと一緒に乗り込んだ。俺の隣には、かけつけてくれた施設長がいた。

「見る限り、赤ちゃんの方は瀕死の状態だったね。女の子は栄養失調」

「よくわかるな。一目見ただけで……」

「経験の差かな。……こういうのはね、唯我は慣れなくていいんだよ」

 施設長は寂しそうな顔で笑った。施設長はいつものように優しい声で言ったが、「慣れなくていい」その言葉には、重みがあった。

「僕は救急車を追うけど、唯我は」

「俺も行く」


                ****


 病院では、赤ちゃんが無数の管に繋がれ無菌室に横になっていた。女の子は白いシーツの敷かれたベッドの上でスヤスヤ眠っている。俺はゆっくり血色の悪い女の子の寝顔を見ながら、そばに立つ医者と施設長、優里子の話を聞いていた。

「もし二人が寒空の下、このまま夜を過ごしていたら命の保証はなかったかもしれません。赤ん坊については呼吸をすることで精いっぱいです。女児については脱水状態に空腹が重なっていましたから、いつ倒れてしまうかわからない状態でいたことでしょう。地域の児童相談所へ連絡を入れ、職員の方と確認を取り、必要に応じて保護者の方へ連絡を入れていただくようお願いしました」

「先生、ありがとうございます」

「とりあえず、命が助かって良かった……」

 優里子はホッとした顔で眠る女の子を見つめた。その時、病室の扉が開き、「失礼します」と言う男の声がした。入ってきたのは、スーツを着た若い男だった。

「立並区児童相談所の瀬良です。ご連絡いただき、ありがとうございます。先生」

「ああ、児童相談所の方ですね。良かった。この方たちが、救急車を呼んでくださいました」

「そうでしたか!この度は、ありがとうございました……」

 頭を下げた瀬良という男に、施設長と俺は軽く会釈した。しかし、隣に立つ優里子は男をじっと見つめて固まっていた。

「瀬良先輩……?」

 顔を上げた男は驚いた顔をして、優里子を見つめた。

「……優里子」

 その一瞬、病室の中の空気が変わった。俺と施設長は、二人のかもし出す遠い記憶の彼方かた運ばれてきた空間の中に勝手に巻き込まれた。俺はイラっとした。何だ、この空気。多分、こいつは俺の敵だ!

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