第48話 北海道 男二人旅
優里子のスマホには、俺から届いた『到着』というメッセージと共に写真が送られていた。新千歳空港に降りた時、泰一に急かされ撮ってはみたものの、雪景色の滑走路をバックに、俺たち二人の真っ黒な影が立っているような写真になっていた。
「お父さん、二人とも北海道着いたって。ほら」
「あははっ。見事に逆光だね。向こうの雪景色に、泰一なんてじっとしていられないだろうね」
「ふふふ。でしょうね」
施設長の言う通り、空港から移動して地下鉄を出た瞬間、空からふわふわと落ちてくる雪、街に当たり前のように積もる雪に、泰一は目を輝かせた。
「寒いなあ」
「でもキレイだよ!早くホテル行って、街を歩こうよ!行くよ!!」
「あ、おい!走るんじゃない!」
案の定、泰一はすってんころりした。
****
二人で宿泊ホテルにチェックインをし、部屋に荷物を置くと、泰一はすぐに外に出た。
「テレビ塔!大通り公園!時計台!札幌ラーメン!いただきますっ!!」
泰一は俺から奪ったスマホで写真を撮りまくり、その度にメッセージで優里子に写真を送り続けた。思ったより早く「既読」がつくのを見ると、優里子とメッセージ上で繋がっていることを感じられて嬉しかった。
「唯我兄ちゃん!バスどれ乗るの!?」
「札幌ドーム行。5番のバスだ」
「オーケー!」
バスにはAファイブのグッズを持つ女の人がびっしり乗っていた。男は俺たちくらいなもので、俺は少し恥ずかしくなり肩をギュッと上げて窓側に寄って小さくなったが、泰一はルンルンしている。
会場に到着すると、たくさんの人の中をかき分けて、泰一はグッズ売り場に直行した。そこは女の人たちのおしくらまんじゅう状態で、俺は入る勇気がなかった。しかもレジの長蛇の列!大売出しのバーゲンセール状態である。
しかし、泰一にはそんな状況は全く関係なかった。「唯我兄ちゃん!」と何度も叫びながら、川の流れに乗るように移動して、いろいろなグッズを掲げた。しばらくすると、「見て見て!」と袋を持って勇者・泰一は帰って来た。髪の毛はボカボカと浮かんでいて、Tシャツは少し着崩れている。ボロボロじゃねえか。しかし、勇者・泰一はご満悦である。
その時、近くでパシャパシャというシャッター音が聞こえた。振り返ると、女子二人組が俺にスマホのレンズを向けていた。
「兄ちゃん、今撮られてたよ」
「だよな……」
「よく考えれば、ここは兄ちゃんのホーム!Jr祭の会場みたいなもんじゃん!唯我兄ちゃんのこと知ってる人がいてもおかしくないよ!」
「そ、それは大げさだ」
そう話していると、女子二人組が俺たちに近づいてきた。勇者・泰一は俺の手を取りダッシュした。
「兄ちゃん、逃げろおおっ!!」
泰一は白い息をふわふわ浮かべて、鼻も頬も真っ赤にして楽しそうに笑っていた。それから俺たちは、お揃いのペンライトを手に準備万端で会場に入った。会場の2階席ではあるものの、ステージ近くの席になれたことで、会場全体をダイナミックに見渡せた。
「すごいねえ!キラキラだねえ!」
「うん。すげえ」
ドーム全体を光々と照らす大きなライトがグルグル回る。ワクワクとした気持ちが会場を包み、既にペンライトを灯す人もいる。これがトップアイドルのライブなんだと思った。この大きな会場に、これだけの人が集まり、これだけの人をたった5人だけで満たすんだ。それはどんなライブなのだろうか。俺は期待で胸いっぱいだった。
開演時間になると、まず会場のライトが消えた。ステージには煙幕が上がり、そこに5色のライトが線を引き、いろいろな角度に動いた。ステージの上と横にある大きな画面には、5人のメーンバーの姿が映る。すると、会場からは割れんばかりの歓声悲鳴が沸き起こった。
ステージ上の煙幕の奥にある5人の影は一歩一歩近づいてきた。そして煙幕が一瞬で消え、そこに5人の姿が現れた。曲が流れ、5人は手を振りながら中央の通路を歩きながら歌った。曲はAファイブの代表曲である。手を大きく振る動作、わかりやすい合いの手。それは一気に会場の空気を熱くした。
トップアイドルたちの笑顔と動きに、観客たちは声を上げる。ペンライトを振る。手作りうちわを掲げる。目を奪われ、心を奪われる。そうして会場とアイドルたちに一つの共有すべき特別な時間が作られていた。
『まだまだ付き合えよ!お前ら!』
『盛り上がっていこうぜっ!!』
「キャー!秋葉くーん!こっち見てー!!」
「ツモ潤!手ぇ振ってー!!」
俺たちの席はAファイブのメンバーからかなり遠い場所だった。それにも関わらず声をかける人がたくさんいることに驚いた。俺は知らなかった。ステージにいれば、無線イヤホンから流れる曲と指示、大勢の声が重なったワーッとした声の波で耳の中はいっぱいになる。一人一人の観客からの声を聞くことはかなり難しい。それでも叫び、手を振る人たちで、会場はこんなにも溢れていたんだ!
Aファイブのメンバーは歩きながら、歌いながら、観客席に何度も何度も視線を送る。俺は自分の勝手な感覚で手を伸ばしたり、視線を向けたりしていたけれど、Aファイブはそうじゃない。まるで一人一人と会話しているようだった。
「兄ちゃん!カズと目が合った!絶対こっち見てたよ!!」
隣で泰一が女子のようにキャーキャー言っている。目が合ったなんて俺からすれば半信半疑だ。それでも、泰一にとってその一瞬は宝物になる。
****
ライブ終了後、Aファイブの楽屋のドアをコンコンとノックする音がした。「はあい」と誰かが返事をすると、ドアはゆっくり開いた。
「Jrの小山内唯我です。お疲れ様です」
「ああっ!唯我!来てくれたんだ!!」
「津本さん」
津本さんが手を広げて俺を抱きしめた。俺も抱きしめ返した。
「ツモ、もしかして26時間でドラマ一緒にやった子?」
「やっほー!」
「そうだ。俺、唯我にチケット渡してたんだった!ごめんな、直接渡せなくて」
「いいえ。お誘い嬉しかったです。ライブ、すごいかっこよかったです」
「ははは!熱かったか?」
「はい。熱かったです」
「そういえば、ペアチケット渡した気がする。誰か連れてきたか?」
「はい。弟を」
そうして、俺の影に隠れていた泰一がひょっこり顔を出すと、Aファイブの皆さんが笑って出迎えてくれた。自分の手に憧れのAファイブたちの手が集まると、泰一は顔を真っ赤にして固まってしまった。女子か、お前は。
「唯我、また一緒に仕事しような」
ライブの後は体力も気力も使い果たした後で、体は想像以上に重たいものだ。それにも関わらず、津本さんは俺の背を押しアイドルスマイル全開で言った。
「それまでに、今よりずっとすごいJrになります」
「はははっ!バーカ!Jrじゃなくて、すごいアイドルになっとけよな」
「……はいっ」
****
ホテルに帰ると、俺たちはベッドに仰向けになり、ほかほかの頬を膨らませて「はああ」と息を吐いた。
「楽しかったあああ」
「ああ。すごかったな」
「僕、Aファイブの人と握手しちゃった!どうしよう!もう手え洗えないよ!」
「洗え。というか、風呂。ていうか、夕飯……」
「もうよくない?明日の朝で」
「そうだな。ここは施設じゃないんだし、規則正しくなんてもう……」
風呂に入るだとか、夕飯を食べるだとか、それをせずとも体は見えぬ力で溢れていた。満足していた。泰一はAファイブとの貴重な時間を持てたことに。俺は抱えきれないほどの学びと感動を持てたことに。
とはいえ結局食べ盛り。ホテルの売店でカップ麺を買って食べ、泰一は小便を我慢できずトイレに行った。寝間着に着替え布団にもぐると、とうとう動く気力はわかず、ライトも消して目を閉じた。
しかし、Aファイブのライブの余韻は全く消えない。ドームを包む熱気と、観客席に絶え間なく響く歓声、会場に波打つ光が蘇った。Aファイブがしていたステージパフォーマンスは、決して難しいことではなかったように思う。だけど、ファンに「目が合った!」と思わせる視線の向け方、ファンの要望に応えるサービスを忘れないことは、あの大きなステージの上ではとても大変なことだ。ましてドームだ。しかもフォローできるJrはいないんだ。俺ならどうする。どうやってあの場所に立つことができる?
「……ちゃん。……兄ちゃん。唯我兄ちゃん!」
自分の思考に集中している間、隣のベッドで横になっていた泰一が声をかけ続けていた。それに気づいた瞬間、思わず「わっ!」と声を上げた。
「何だよ」
「さっきから呼んでた。もう寝てたかと思ってた」
「寝てたと思ったなら、大きな声出すなよ……」
目が暗闇に慣れ、周りの景色が見えるようになった。泰一はこちらを見て、クスクスと笑っていた。
「兄ちゃんは、いつもあんなステージに立ってるの?」
「いいや。俺はバックステージで踊ってるだけだ。それに、Aファイブのライブは、今まで出たことのあるライブとは全然違った。すごかった。俺、今すごく踊りたい」
「そっか。やっぱAファイブってすごいんだ!今日は本当に楽しかったな。ありがとう、唯我兄ちゃん」
「ああ」
泰一は布団の中にもぞもぞと体を沈め、呟くように言った。
「……本当、いつもありがとね」
「何だよ、急に」
「だって、兄ちゃんと一緒に旅行なんて、最初で最後になっちゃうんだよ……。楽しかったけど、寂しいよ」
泰一の言葉は、3月には施設を卒業して、母親の元へ戻ってしまうことを思い出させた。俺と泰一が一緒にいられるのは、あと2か月だ。急に寂しさがこみ上げてきた。
「……そんなこと言うなよ。突然」
「ごめん」
シーンとした部屋の暗闇を見つめていると、俺と泰一の思い出が投影され始めた。まだお互いに歩くこともままならなかった頃の、小さくて柔らかい手。同じ黒いランドセルを背負い、同じ黄色の通学帽を被って、一緒に登校した朝の道。ジェニーズに入ってから身につけたAファイブのダンスを、泰一と一緒に踊ったこと。互いの下手くそすぎる倒立姿。中学の制服をうらやましがる泰一。俺たちのことを「にいに」と呼ぶみこを奪い合った居間でのやりとり。三角巾とエプロン姿の泰一が、事務所に行く前に持たせてくれた焼き立てのパン。
思い出せることがありすぎる。一緒にいた時間が長すぎる。俺たちは、全く血の繋がらない、まごうことない兄弟だった。
「泰一……」
「なあに?」
「何で、母親のところに帰ろうって思ったの?」
それを聞くのは、かなりしんどかった。俺にとっては、はっきりと「さようなら」と言っているのと同じ感覚だったからだ。泰一はしばらく黙って、それからゆっくり話し始めた。
「必要とされたいからかな。僕にとってお母さんってのは、神様みたいな存在だったんだよ。だけど、お母さんに会ったことで、神様が目の前に存在してて、触れて、話すこともできるんだってわかった」
「初めて会ったのはいつ?」
「一番昔の記憶では、小1の時。それから年に一度会うようになって、4年生からは半年、去年は3ヶ月、今年は2ヶ月に一度会うようになった。施設長は、もう少し時間をかけて歩み寄った方がいいんじゃないかって言ってた」
泰一の母親は心の病だったと聞いた。泰一を受け入れるのに、12年もかかったんだ。そして、施設長から見れば、回復にはまだまだ時間がかかると判断できる状況なんだ。泰一は間を置きながら、話を続けた。
「でも、お母さん、来年の春には長崎の実家に帰るって言うんだ」
「長崎?」
「……お母さんに聞いたんだ。僕が戻ったら苦しくなる?って。そしたら、お母さん泣いてさ、一緒にいてほしいって言ってくれたんだ。……すっごく、嬉しかった」
泰一の声は震え、目には涙が浮かんでいた。
「泰一……」
「お母さんと一緒にいたいと思ったんだ。何があっても、僕がお母さんの力になればいいんだって。だから……」
泰一は笑いながら一粒涙をこぼすと、布団の中に潜ってしまった。鼻をすする音がする。泰一の音を聞くと、一層寂しさが増した。泰一は施設を出たら、長崎へ行ってしまうんだ。目頭が熱くなり、鼻の頭がツンとした。
そこは、生まれたての泰一に一切の愛情が与えられなかった場所で、関係がいつ崩れてしまうかもわからない不安定な場所だ。だけど、そこには泰一が想う大切な人との生活が待っている。泰一は、自分の生きる場所を選んだのだ。
「唯我兄ちゃん、たくさんテレビに出てよ。そうしたら、長崎にいても、唯我兄ちゃんが頑張る姿が見られるもの。それなら、僕も頑張れるから」
「……うん。頑張るよ。泰一が頑張るなら、俺も頑張る」
「うん」
優里子が事務所からの帰りの車の中で言っていたことを思い出した。
「泰一ね、基本的な家事を覚えようとしてるのよ。試しにパンを作ってみたらハマったみたい。これね、あんたの影響なのよ」
「俺?」
「唯我がジェニーズで頑張ってるの見て、僕も頑張る!って言い出したの」
俺のジェニーズとして頑張る姿が、これまでもこれからも、泰一の力になっていく。ライトに照らされる舞台に立つことには、意味があると思えた。なら俺は、俺ができることを迷わずやるべきだ。
「泰一、先に言っておくことがある」
「なあに?」
「俺、2月下旬に、お前より先に長崎に行く予定がある」
「……はあっ!?何で!?」
「ドラマの撮影で、桜の咲いてるところに行かなきゃいけなんだ。長崎は関東より早咲きだから」
「何で兄ちゃんが僕より先に長崎に行くんだよおっ!」
「だから」
「僕より先に行くなんて、ずるいじゃんか!!」
「ずるい!」と言う泰一も、「何だよ、それ」と笑う俺も、目尻で涙が光っていた。
****
次の日、ホテルをチェックアウトしてから電車に乗り、長く揺られて動物園に行った。
「白くま!でかい!あ、オオカミ!!レッサーパンダ!あー!見て、兄ちゃん!」
泰一は終始はしゃいで回り、俺は時間を気にしながら泰一を追いかけた。お土産を買い、動物園前から出る旭川空港行きのバスに乗って移動して、空港でラーメンを食べた。行きと同じように搭乗口でドキドキして、大きな窓の向こうに待つ大きな飛行機を眺めた。
泰一は行きと同じように窓にへばりついて飛行機を眺めている。俺は椅子に座り、スマホを見た。優里子からメッセージがきていた。
『空港着いた?』
『着いた。もうすぐ乗るよ』
スマホのカメラを起動させて、泰一に呼びかけた。
「泰一っ」
「写真?イエーイ!」
変顔の泰一は、お土産を両手に持ち上げ、ピースした。泰一らしい満面の笑みだった。メッセージに載せると、すぐに「既読」となった。
『いい旅だったみたいでよかった』
しばらくして、新しくメッセージが入った。
『楽しかった?』
優里子がこれまで何度も聞いてきた言葉が、とても特別な響きをもって俺の耳に聞こえてくる。楽しかった。泰一と一緒にこれて良かった。Aファイブのライブを見ることができて良かった。
そして、ここに優里子がいたらと想像する。そしたらもっと楽しかっただろう。
『いつか、一緒に来よう』
そう打ち込んだ画面を見ると恥ずかしくなって、消そうと思った瞬間だった。
「唯我兄ちゃん、乗れるってよ!早く行こうよ!」
「あ、わかった!ちょっと待ってっ!…っあああ!!」
慌てて画面に触ると、間違えて送信を押していた。画面には、吹き出しにはっきりと恥ずかしい文章が載っていた。俺は火山が噴火するように頭から爆発した。顔から首まで真っ赤になったが、泰一はお構いなしに連れて行く。俺は帰りたくなくなった。このままじゃ優里子と顔が合わせられない!
俺が飛行機に乗った頃、優里子は施設の職員室で顔を赤くして困った顔をしていた。
「優里子、唯我たち飛行機乗れたって?」
「へっ!?う、うん!乗れたみたい!」
「そうか。よかったよかった」
施設長が通り過ぎたのを見送ってから、優里子は胸に押し当てたスマホをもう一度見た。何度見ても誘われているような気になる。
「どこでこんなの覚えたんだか……」
というか、これはどういう意味で送ってきたの?唯我のくせに、生意気言うな!
優里子はどう返信しようか考えた。そこでピンときたのを送った。
『あんたがスーパーアイドルになったらね』
優里子は半分冗談だった。だが、飛行機を降りてからそのメッセージを見た俺は、とにかくやる気が上がった。
「泰一、早く帰ろう」
「待って!空港の写真撮るの!スマホ貸して!」
俺は泰一を中央に空港の写真を撮った。
「ほら撮った。行くぞ」
「唯我兄ちゃん!僕も撮りたいー」
俺は泰一を無視してスタスタ歩いた。
早く帰ってダンスの練習がしたい。Aファイブのライブの映像が残っている間に表現のイメージを膨らませたい。それに、早く帰って、優里子に会いたい。
****
いざ施設に帰ると、優里子と目を合わせられなかった。いざ優里子の目の前に立つと、あのメッセージを見られたことが恥ずかしくてたまらない。それは優里子も同じだった。
「……おかえり」
「た、いま……」
「優里姉ただいまあ!皆ただいまあ!!お土産だぞー!!」
泰一は俺たちに一切構わずお土産を広げ始めた。そこにやってきた英が一言言った。
「ゆでだこが並んでる。バカじゃないの?」
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