第47話 スポットライトの光と影

 遠くから聞こえてくる歌声、ステージの上を包む熱気。リズムよくステップを踏み、手を広げ体を回転させると、視界の中でキラッと衣装のスパンコールが光った。しかし、ステージの上でスポットライトを浴びているのは俺じゃない。俺の前に立ち、観客から歓声を浴びて、ペンライトの波の上に立つスーパーアイドルたちだった。

 ライブのステージに立つとき、俺は自分のダンスに集中して、やるべきことができていればその日は満足した。だから、誰かの影の中いることなんて気にならなかった。ライブのステージに立って、疎外感や孤独を感じたのは初めてだった。

「俺、クリスマスライブでメインを踊れるジェニーズにすぐなるから!」

 優里子に向かってそう言った時、クリスマスライブで感じたものが、あの影の中の光景が頭をよぎった。すぐなれるものか、自信はない。

「そしたら、絶対見に来いよ!」

 弱気な自分を知ってほしくない。頑張る自分を見てほしい。

「……うん。絶対行く!」

 鼻の頭を赤くして、白い息をたゆませて、ペンライトを振って笑ってくれる優里子を見て、俺はようやく、必要なものは自信じゃなくて、実現させるための努力だと理解した。

 その日から、俺は少し考えるようになった。俺がしてきた努力だけでは、掴みきれていないものがあるんだ。何をするために努力をするのかを、俺はもう一度考える必要がある。


                ****


「唯我君、聞いていましたか?唯我君?」

「……えっと、もう一度お願いします」

 俺は根子さんと事務室の中にあるミーティングコーナーにいた。俺は根子さんと一緒に角をホチキス止めされた用紙を見ていた。そこには、太文字でこう書かれていた。

「NTK教育番組10分ドラマ”青春・熟語”。青春……、熟語?」

「4月より新しく始まる”青春・熟語”は、毎回、青春に関連する、または連想させる熟語一つを取り上げ、ドラマ仕立てで意味を伝えることを目的とした教育番組です。青春と題していますので、対象は中高生。毎話の題名となる熟語の意味を、そのドラマの内容によってわかりやすく伝えることが、このドラマの最大の目的です」

「言葉の意味を伝えるドラマの……??」

「オファーです」

「……え、オファー?」

「11月に撮影した基金募集のCMもオファーではありますが、あれは芸能活動をする養護施設の子どもであるという理由が強かったように思います。今回は違います」

「違う?」

「はい。俳優、小山内唯我君に、是非やってほしいということです」

 しばらく「オファー」という言葉を飲み込めずにいた。これまで何度かカメラの前に立つ機会はあったが、どれもオーディションを経て勝ち取った特別な舞台だった。しかし、初めてオーディション無しで「オファー」をもらった。俺自身が必要とされたと思えたのは、初めてのことだった。

「もちろん、やって」

「やらせてください!よろしくお願いします!」

 根子さんは、いつものように「やっていただきますよ」と言うのだとわかっていた。だからこそ、俺からやりたいという意思を見せたくなった。それくらい嬉しかった。

「はい。頑張りましょう!ドラマに出演する方々との顔合わせが1月下旬にあります。平日の夕方の予定ですので、その日は一緒に行きましょう」

 そうして1月下旬の平日夜、NTK東日本支部スタジオ内にある部屋には、俺と同じくらいの年齢の俳優たちが並んだ。

「岡本将暉です。頑張ります!よろしくお願いします!」

「浅倉麻耶です。よろしくお願いします」

「武石ユリアでーす!演技初めてだけど、頑張りまーす!よろしくー」

「小山内唯我です。よろしくお願いします」

「はい。私はプロデューサーの井口です。皆さんよろしくねえ!」

「僕は三重っす。これからドラマの内容とか、スケジュールとか、話していくんで、よく聞いといて下さい」

 顔合わせが終わり帰ろうとした時、井口さんに呼び止められた。

「唯我君、君、一度NTKのドラマ出てるよね。よく覚えてるよ。”シークレットハートの勇ちゃん”」

「!!」

「この間、井口さんと二人で見たっす。本当に可愛いかっすね」

 ドラマ『シークレットハート』は、体は男、心は女である勇の恋愛と成長を描いたドラマだ。俺は主人公の勇の幼少時代で出演した。肩につくほど髪の毛を伸ばし、人生最初で最後のワンピースを着ることになった記憶に濃いドラマだ。思い出すと顔が熱くなった。

「あ、ありがとうございます」

「あの時、君とすれ違った時から、君とお仕事ができるのを楽しみにしていたんだ」

 井口さんは、去年の夏にNTK関西支部の中ですれ違った時の俺の姿を思い出していた。背が低くて動きが俊敏で反応がいい。まだ幼さの残る男子が、誰かの呼び声に振り返った瞬間、青くみずみずしい透明感のある空気が漂った。それは、自分が学生服に袖を通していた頃の匂いを思い出させた。

「どうぞよろしくね」

「はい。よろしくお願いします」

 俺には井口さんの言葉に疑問をもった。一体俺は、いつあのおじさんとすれ違ったのか。記憶の中を探しても、井口さんとすれ違ったことは全く覚えていなかった。

 部屋を出ると、他の俳優3人が並んでいた。俺より身長が高く、目尻のほくろが特徴的な岡本が言った。

「小山内君!よかったら連絡先を交換しよう」

 次に、真冬にも関わらず短パンを履いている茶髪ゆるウェーブの武石が言った。

「そうそう。これから何かあった時とかあ、すぐ連絡つくようにさ」

「ドラマ始まる前にも一度集まりましょう。細かいところの確認、出来たらやりやすいと思います」

 黒髪のボブヘアに眼鏡をかけた、いかにも文学少女に見える朝倉が言った。

「ありがとうございます。助かります。お願いします」

「唯我君、固くなーい?リラックス、リラックス」

「ユリアはゆるすぎでしょ」

「ある程度の緊張感は大事です」

 3人とメッセージの連絡先を交換した。帰りの車の中で確認すると、すでに3人がメッセージにスタンプをつけていた。

『これからよろしく!』

『こちらこそです』

『ご飯行きたーい』

『行く行くー!』

 にぎやかな人たちと一緒に仕事をすることになった。俺は一言『お願いします』とだけ返事した。その時、画面の端に別のメッセージが着た通知が表示された。樹杏だった。

『お仕事終わった。唯我もお疲れ様。電話したいって何?今いいよ。ラブコール大歓迎!』

 クリスマスライブが終わってから、気持ちを整理した後で、俺は樹杏に電話のことを連絡していた。

「根子さん、電話してもいいですか?」

「どうぞ。私にはおかまいなく」

 俺は樹杏に電話をした。『もっしもーし』という明るい声を聞くと、気持ちが明るくなるようだった。俺はクリスマスライブの時に感じたこと、これからの活動についての考えを伝えた。

 電話が終わる頃には、施設の前に到着していた。

「うん。サンキュ。じゃあまたな」

「唯我君、到着しました」

「ありがとうございます」

「差し出がましいですが、今後の活動について、何かお悩みですか?」

「……はい。俺、今まで自分が満足できればいい仕事ができたって思えてたんです。だけど最近、それだけじゃあ足りないんじゃないかって思ってきて……」

「なるほど」

「最初にそう思ったのは、夏の26時間TVの後です。あのドラマを見た人から手紙をもらったんです。それを読んだら、自分が満足できればいい仕事であるとは限らないんだと感じました。……この間のクリスマスライブで、その気持ちがより具体化したように思います」

 根子さんは隣で黙って聞いてくれていた。俺は緊張も遠慮もせず、口が動くまま話し続けた。

「……、どのように具体化したのですか?」

「俺がしてきた努力では得られなかったものが欲しくなった、樹杏が今の電話で言ってくれたんです。それでしっくりしました。俺は、自分が満足できることだけじゃあ、満足できなくなってきた。誰かからの視線とか、立つ場所とか意味とか、そういうものが欲しくなったんだと思います」

 我ながら、それはかなり自分勝手でわがままな希望だと思った。そして、その希望が叶う形は、想い以上に具体的だ。

「俺、ステージの上でスポットライト、浴びたいです」

「……っ!」

「すぐできることではないってわかるんですけど、早く早く、そうなれるようにしたい。今後は、技術面だけじゃなくて、そのための努力が必要だってわかりました」

 根子さんはしばらく黙って、それから「そうですか」と答えた。振り返ると、今まで見た中で一番ふわっとした微笑みを浮かべていた。

「初めてですね」

「何がですか?」

「4年生の頃から見守り続けてきましたが、自分がスポットライトを浴びたいと言ったのは、初めてですね」

「……」

 その表情はとても優しくて、温かくて、まるで俺の知っている根子さんではないように思えた。しかし次の瞬間、いつものキャリアウーマン根子さんの表情に戻った。

「まずはY&Jで何か活動できればいいですね。私も考えます」

「……はい。ありがとうございます」

「では、また事務所で。おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい」

 俺は根子さんの車を降り、施設に戻った。玄関上履きに履き替え、職員室に向かった。一瞬しか見ることはできなかった根子さんの表情が脳裏に残っていた。根子さんって、あんな表情もするんだ。……何か、キレイだった。いや、いつもキレイなんですけどね!

「施設長、ただいま」

「あれ?唯我、おかえり。今日もお疲れ様」

「うん。夕飯食べてくる」

「はあい」

 職員室のドアが閉まると、施設長は窓のブラインダーに指をかけた。いつもなら、俺が帰って来る時は、まず根子さんの車の音とライトが職員室前の道路を通り過ぎて、それから俺が職員室に顔を出す。しかし、この時は車のエンジン音も通り過ぎるライトも見えなかった。どうしたろう。僕が気づいていなかったとか?

 その時、施設長は少し驚いた。施設の玄関先に止まる車の中で、根子さんが目尻を押さえていた。しかし、押さえきれていない涙が目をキラキラとさせていた。施設長は窓から離れ、自分の席に戻った。

「窓の外に何かあったんですか?施設長」

「……いいえ。何もありませんでした」

 職員室にいたクレアおばさんは「そうですか」と言うと、お仕事に戻った。施設長は根子さんの涙が少し気になった。僕が理由を知る由もないけれど、唯我が傷つけたとかじゃなきゃいいか……。


                ****


 根子さんは記憶の中の声を思い出していた。

「最近はお仕事はどう?楽しくなってきた?」

 彼女はいつも俯いて静かに話す人だった。

「……私、暗がりに見えるカメラのレンズが、大きな目玉みたいで怖くて」

「カメラのレンズ?目玉?それが怖いの?」

「うん。だけどね、シャッターの音が立つ瞬間、辺りが一瞬真っ白になるの。その一瞬の空間が、私はとても好きみたい。だってね、その空間を抜けると、皆笑ってね、私に”ありがとう”って言うの。その時ようやく、私はここにいていいんだって思えるの」

「辺りが一瞬真っ白にって……。それって相当強い光だよね。怖がりで控え気味なあんたがねえ。お仕事、好きなんだ」

「うん。私、もっともっとスポットライト、浴びたいわ」

「……頑張れ。ずっと応援してる」

「ありがとう、ネコちゃん」

 色白な首筋に、少し茶色がかる髪が揺れた。その微笑みは、根子さんの脳裏から離れることはない。


                 ****


 その日から一週間後の土曜日、俺は泰一と一緒に羽田空港にいた。空港は想像以上に広く、荷物をガラガラと引っ張る音、足音、声で溢れている。空港には施設長と優里子と一緒に電車に乗って来た。

「千歳空港に到着したら、まずは連絡ちょうだいね」

「わかった」

「泰一、忘れ物気をつけろよ。特に」

「わかってるよ、施設長!気をつける!」

『これより、12:30搭乗、新千歳空港行き……』

「もう時間だね。いってらっしゃい、二人とも」

「気をつけてね」

「うん。いってきます」

「いってきます!!」

 俺と泰一はリュックを背負い、手を振る施設長と優里子に見送られ、二人で搭乗口に向かった。

 人生初めての飛行機に乗る俺たちは搭乗手続きを済ませ、飛行機に乗り込み、ワクワクドキドキしていた。

「動いた動いた!」

「わかった。少し落ち着け」

 飛行機が旋回すると、上空で斜めになっている感覚がした。泰一越しに見える窓の外に海と空が斜めって見えた時は、二人して「おお」と声を出してしまった。

 飛行機を降りると、あの大きな重い物体が空を飛んで日本を半分横断したことが信じられなくて、不思議と感動でいっぱいになった。

「兄ちゃん!連絡、連絡!写真撮ろう」

「お、おう」

 俺たちは慌ててスマホのシャッターを切ると、メッセージで優里子に「到着」と送った。

「待ちに待待ったAファイブライブ!イン北海道!気合十分!テンションアップ!よおし、行くよ!唯我兄ちゃん!!」

「わかった。分かったから、少しは落ち着けよ、泰一!」

 俺と泰一は北の国に降り立った。目的はAファイブのライブだ。26時間TVでお世話になった津本さんに久々に会えることが楽しみだし、Aファイブのライブを生で見られることが嬉しい。何より、泰一には楽しい旅の思い出にしてほしい。

「兄ちゃん、まずはホテルに行くんだよね。どっち?」

「泰一、一人で先に行くなって!しかもそっちじゃねえし」

「あははっ!僕、もう楽しい」

「お前はいつも楽しそうだけどな」

 そういう間も、泰一は勝手に一人でどこかへ行こうとしてしまう。先が思いやられる。

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