第46話 未読の物語
休日のよく晴れたお昼過ぎのことだ。施設の職員室にはパチパチと拍手が響いていた。
「佳代ちゃん、短大合格おめでとう!!」
短期大学の指定校推薦入試を受けた佳代は、短期大学から届いた茶封筒から合格通知を見せていた。佳代は照れくさそうに頬をぽわっと赤くして笑っていた。
「皆さん、ありがとうございます」
「いよいよ佳代ちゃんが独り立ちかあ」
「ねえ、施設長。早いものですねえ」
施設長とクレアおばさんがニコニコと話していると、職員室のドアが開いた。入ってきたのはマスクをした優里子だった。
「ただいまあ。って、皆どうしたの?」
「おかえり、優里子。唯我は行った?」
「うん。これから映画のオーディションだから、駅でちゃんと下ろしてきましたよ」
「優里子ちゃん!佳代ちゃんがね、短大の指定校推薦、無事に合格したわよ」
「ホント!?佳代ちゃん、やったー!おめでとう!」
優里子は佳代に駆け寄ると、その手を取って飛び跳ねた。佳代は嬉しそうにして「ありがとう!」と言った。すると、優里子はゴホゴホと咳き込んだ。
「だ、大丈夫?優里さん。顔真っ赤よ?」
「うん。ちょっと風邪が治らなくてね」
「優里子ちゃん、今日は帰って病院行ってくれば?私たちのことは気にしないで」
「でも、唯我の迎えあるし」
「それくらい、施設長が行ってくれるわ。だから、ねえ?」
クレアおばさんは優しく微笑み、優里子の背中をさすった。施設長は「僕が行くの?いいけど」と戸惑っている。隣の佳代は心配そうな顔で優里子を見つめている。
「……助かります。ありがとうございます」
佳代と優里子は一緒に職員室を抜け、玄関を出ていく優里子に「帰り道、気を付けてね」と手を振った。優里子はケホケホと咳き込みながら帰っていき、玄関には佳代一人となった。手を叩く音や、明るい話声のない玄関は冷たくて静かだった。
佳代は胸に抱きしめるように持っていた合格通知を見つめ、次にポケットからスマホを取り出した。電話をかけた先は駿兄だ。
『佳代、おはよう』
「駿君、こんにちは。またお昼まで寝てたの?」
『だって、布団の中が温くて出られないんだもん。でも、佳代の声聞けたから、少しは出られる気がしてきた』
「しなくても出なくちゃね。……駿君、あのね、短大受かったよ。これで胸を張って施設を卒業できるわ」
『わあ!佳代!おめでとう!!やったやった!!』
「ふふふ。優里さんと同じ反応してる」
『おう!そら優里姉も喜んだろうな!優里姉は近くにいる?』
「ううん。風邪引いてるから病院に行くって、さっき帰ったの。ねえ、どこからうつされたと思う?」
『え、うつされた?施設の子どもから?』
「うん。それがね、唯君からうつされたみたい」
『んなっ!!唯我からうつされた!?ちょっと、唯我いたら電話変わって!どのようにして優里姉に風邪をうつしたのか、事情聴取せねば!』
「今はいないの。映画のオーディションに行ったって」
『へえ、映画!』
その頃、俺はオーディション会場の控室にいた。そこに立てられるホワイトボードには、大きな文字で「映画『竹林のライオン』回想シーン登場人物 幼少期・阿武隈役 オーディション」と書かれていた。周りには俺と同じくらいのガキたちが集まっていた。皆見つめているのは同じで、事前に送られていたA4用紙だった。そこには、今日のオーディションの実技演技課題となる、たった数行のセリフが載っていた。
<オーディション実技演技 課題台本>
彼女と少年は向かい合って話している。
彼女:「君は、私のことは嫌い?」
少年:「はい」
彼女:「あはは。なら、今日はどうして来たの?」
少年:「……来いと言われたからです」
彼女:「嫌いな人とのキャンプは、楽しみだった?」
少年:「はい」
彼女:「”はい”って……。なぜ、楽しみだったの?」
少年:「○○ためです」
その瞬間、彼女に緊張が走った。ただ一言、「そうだったのね」と言うのがやっとだった。
たった数行のセリフしかなく、細かな指示がない台本には、表現の選択肢が数え切れないほどあるように見えた。しかし、今日のオーディションの映画には小説原作があり、それがわかっている以上、表現の選択肢は少なくなっていく。そして、その数少ない表現の中から、受験者たちは個々の想像と経験をもって演技を作り上げなくてはならない。
さらに、実技演技課題にはもう一つの課題がある。「○○ためです」のセリフを考えなくてはならなかった。この「○○」を考えるためには、原作である小説『竹林のライオン』を読まなくては話にならない。なのに、なのに!俺はこの控室に入った段階で、未だに小説の半分も読めていなかった。
言い訳であることはわかっているけれど、言わせてほしい!決してサボっていたわけではない。自室の机の上、中学校の休み時間や登下校中、事務所と施設の間を走る車の中、事務所のレッスン室でステップの練習をしながら。とにかく空いた時間を使って、俺は『竹林のライオン』を読み続けていた。けれど、全く読書をする習慣のない俺にとって、厚さが2センチメートルもある本は、物理的にも精神的にもずっしり重たかった。いや、世の中の読書家さんにとって2センチの厚さなど一切抵抗がないのかもしれないが、この厚さ、この重みは苦行に近いものがある。
控室に集まったガキたちが余裕そうに台本に目を通している中、俺は小説を読んでいた。ああ、どうするどうする!?「○○ためです」は何て言う!?小説の中に答えがあると思う俺は、たった一秒、たった1ページをめくることに集中していた。読解力もなく、本を読むことさえも難しい俺にとって、今回のオーディションは想像以上に難しい。人物の感情の読めないセリフが並ぶ用紙は、俺にとっては白紙も同然だった。
****
俺はオーディションを終えたその足で事務所に向かい、キャリアウーマン根子さんにオーディションの報告をした。
「それで、唯我君は何と言ったんですか?」
「えっと……」
俺はオーディションの実技演技課題本番を思い出した。係の女の人に案内された部屋は真っ暗で、中央に置かれたオレンジ色のライトが光っているだけだった。ライトを挟み、対面する二つの椅子は、とても意味深だった。
椅子に腰かけると、正面に女の人が座った。ライトに照らされて浮かぶ顔はとてもきれいで、寂し気だった。俺は、この人が台本にある「彼女」だとわかった。
「では、実技演技課題、始めて下さい」
カンとカチンコの音が鳴ると、目の前に座る「彼女」は、まるで火にあたるように両の手の平を広げた。
「君は、私のことは嫌い?」
「はい」
「あはは。なら、今日はどうして来たの?」
俺は「少年」がここに来た理由を知ることはできなかった。
「……来いと、言われたからです」
「嫌いな人とのキャンプは、楽しみだった?」
「はい」
「”はい”って……。なぜ、楽しみだったの?」
まるで呆れたように言う「彼女」を見た。もしこんな暗がりの中で、こんなきれいな人がいたら、俺なら少しドキッとする。そして、俺は今日まで「○○」の答えを出すことはできなかった。過ぎてしまった時間は取り戻せない。なら、今の気持ちを伝えるしかないだろう。
「あなたを嫌いな理由を、知るためです」
「彼女」は驚いた顔をした。そして、膝の上で頬杖をつき、目を反らした。
「そうだったのね」
オーディションでは、ここで「カット!」と声がかかった。部屋は明るくなり、正面に座っていた審査員からの質問に答えて、オーディションは終了した。
根子さんはオーディションの様子の話を聞きながら、ふむとあごに指を置いた。
「唯我君、小説はまだ読み終えてないのですよね」
「はい。まだ半分も読めてないです」
「なら、読み進めて下さい。きっと、あなたの答えと、登場人物の言葉には、少し違いがあることがわかると思いますので、反省も踏まえ、やってみましょうか」
この小説、まだ読まなきゃいけないのか……。しかし、根子さんの言うように、このまま答えも知らないままでは、きっとモヤモヤしてしまう。オーディションがうまくいかなくても、そのモヤモヤだけは解消しなきゃいけないと思った。
「頑張ります」
「はい。さて、夕方からはクリスマスライブの練習ですね。本番は週明けですので、よろしくお願いします」
「はい」
俺はオーディションが終わったことで、まるで肩の重い荷が降りたように体が軽くなった。
施設に帰るため、最寄り駅で施設の車を待っていると、車を運転してきたのは優里子ではなく施設長だった。その車の中で、施設長は優里子のことを話してくれた。
「え、優里子が?」
「そうなんだ。最近ゲホゲホしてただろう?病院に行ったら熱があってね、もしかしたらインフルエンザかもしれないとかで、明日もう一度検査するんだ」
「インフルエンザだったら、一週間くらい家にいなきゃいけないんだよな」
「そうだね。一週間になると、クリスマスは施設に来れないね」
「……ああ」
それはとても残念だと思った。思えば、俺の誕生日に優里子がいなかったことは今まで一度もない。ジェニーズに入ってからは、クリスマスライブのために帰りが夜遅くなってしまうようになった。それでも必ず優里子がいた。今年は初めて、優里子のいない誕生日になるのかもしれない。
「優里子はね、施設の出勤シフトの希望を25日の夜だけは絶対入れてって毎年言うんだよ」
「何で?」
「そりゃあさ、唯我の誕生日だからでしょ」
「……」
心臓がドキドキと動きだし、体中の熱が顔に集まった。しかし、施設長の次の言葉で熱は一気に冷めてしまった。
「唯我は、優里子にとって大事な弟みたいなもんだから、大事なんだよ」
ですよね。でしょうね!どうせ弟でしょう俺は!俺はショックで返事ができなかった。
****
学校の終業式を終え、放課後はすぐに事務所に向かった。ジャージーに着替えて自主練習をし、全体練習に参加した。次の日も、次の日も練習に明け暮れ、いよいよリハーサルが始まると、毎年同様、Jrたちはお泊りセットを持って会場に集まり、一日中会場とレッスン室を往復した。
そして当日、クリスマスライブの会場には黄色い歓声と拍手で溢れた。キラキラと輝くステージには、衣装に身を包んだジェニーズたちが立ち、歌って踊った。
『皆さんこんにちは!』
『『C少年ですっ!!』』
俺は次の衣装に腕を通しながら、白い蛍光灯が照らす通路を歩いていた。舞台裏の通路には、会場の音が放送で流れている。その時、Jrの友達である聖君や貴之が活動するC少年の歌が流れていた。俺はC少年の皆がステージの上でライトを浴びて、マイクを持って歌って踊っている様子を想像した。
この大きなライブ会場の中心で、一緒にレッスンを受けてきたJrたちが踊っているのかと思うとすごいことだと思うと同時に、俺も立てたらよかったのにとも思えた。樹杏と一緒にY&Jとして立てたら、とても面白いかもしれない。しかし、俺にそのステージは用意されていない。
胸にズキンとするものがあった。それは、悔しさで嫉妬だ。俺がまだまだ立てる実力も知名度もないだけだ。自分の実力不足を認めろ。それから、今いる場所から前に進め!俺はパンパンと頬を叩き、肩を叩き胸を叩いた。
「よしっ!」
通路から真っ暗な舞台袖に入った。渡されたイヤホンを耳につけ、ステージに走り出す準備を整えた。周りには見知ったJrたちが並んでいる。手を上げ互いを確認し合った。観客席からの声と拍手は空気を震わせ、俺たちに熱を与えた。
『ありがとうございました!』
『お次はジェニーズWESTライブだあ!』
ステージの上を動く空中舞台には、ジェニーズWESTの5人が立っていた。舞台袖の俺たちからはその姿が見えないが、イヤホンからはジェニーズWESTの曲が流れ始め、袖に控えるJrたちはカウントを始めた。次の瞬間、ステージ上に両袖に控えていたJrたちが飛び出した。
俺は間奏の間にステージの前にポジションを取り、軽く助走を取ってロンダートバク転バク宙を繰り出した。ポジションを正し、息継ぎしながらステップを続ける。肩を上げた時、腕を伸ばした時、衣装のスパンコールがキラッと光った。しかし、舞台の照明は衣装よりずっと眩しくて、目を細めたくなった。しかし、ライトに負けずに目を開き、暗闇の中でペンライトを振る観客へと視線を向けた。
全身にスポットライトを受けるジェニーズWESTの純君の影に俺はいた。手を広げ、純君たちジェニーズの先輩たちよりずっとリズミカルに踊れるように意識した。
俺は影で踊る人間じゃなくて、その眩しくて熱い光を集められるようなパフォーマーになる。樹杏と二人で、観客の歓声と拍手を一心に受けられるアイドルになってやる!
勝手に熱くなる胸の鼓動を感じて、踊り走り続けた2日間は、去年よりずっと長く感じたが、あっという間に終わってしまった。しかし、俺には今日が終わった気がしなかった。何かが物足りない。何だろう……。
****
その頃、インフルエンザと診断された優里子は、自宅の布団の中でケホッと咳をしていた。
「ジングルベール、ジングルベール、鈴が鳴るう。ふんふんふん、ふんふんふん」
鼻歌を歌いながら、自宅のリビングにあるテーブルに食事を並べていたのは優里子のお母さん、千代子さんだった。千代子さんがオーブンで焼いたグラタンを置いた時、テーブルに置かれたスマホが振動しているのに気がついた。
「あら、優里子のスマホじゃない。……あら」
優里子のスマホ画面には、「唯我」という名前と着信マークが表示されていた。
クリスマスライブが無事に終わり、ライブ会場から事務所に戻り、お泊りセットを受け取った俺は、Jrたちと手を振り別れ外に出た。耳元でルルルと発信の音がしているのを聞きながら、真っ黒い都会の空を見上げた。いつものことながら、冷たい空気が火照った体に気持ちいい。俺はドキドキしながら、優里子の声を待った。
『もしもし』
「あ、優里子。俺だけど……。え、えと、クリスマスライブ終わったから、電話したんだ。体は大丈夫?」
声が震えた。優里子の声をもう5日は聞いてない。姿も見ていない。俺はすっかり優里子不足だった。一言でいいから、声が聞きたい。
『あ、えっとねえ……』
その声を聞いた時、俺は少し違和感を感じた。優里子って、こんな声だっけ?いや、ちょっと違う気がする……。インフルエンザでのどが荒れてるとか?
しかし、優里子宅で電話に応答していたのは優里子ではなく、千代子さんだった。
「唯我君、ごめんね。優里子じゃないの。母の千代子です。ごめんなさいね。ほほほほ」
『へっ!?い、いいえいいえ!……お、俺の方こそ、間違えてごめんなさい。えと、その……』
電話口の俺が、顔を真っ赤にして困った様子であることが想像できると、千代子さんは笑いをこらえきれなかった。クスクスと腹をけいれんさせながら、声を殺して笑っていた。
「優里子ならまだ寝てるわ。でも熱も下がって、だいぶ良くなってきているわ。心配してくれてありがとう」
『あ、いいえ……』
電話口の声は、少し元気がなかった。電話口の声が優里子じゃなくて、わかりやすく残念がっている。千代子さんはいろいろと頭の中で考えたが、時計を見た時、元気がない一番の理由に気づいた。
『そうだわ。クリスマスライブだったのよね。お疲れ様でした、唯我君』
千代子さんの一言を聞くと、今年のクリスマスライブが終わったんだと少しだけ感じられた。
「はい。終わりました。ありがとうございます」
『今日のこと、お話できるのを優里子も楽しみにしてたわ』
「そうですか」
『施設にお迎えは呼んだ?』
「いいえ。これからジェニーズ事務所から電車で帰ろうと思ってるので、まだ……」
施設に電話する前に優里子に電話くれたのね。千代子さんは、頭の上で電球を光らせた。
「そうだわ!ねえ、良かったら……」
その時、千代子さんは俺にある提案をしてくれた。俺は事務所からダッシュで帰った。
「え、僕の家に唯我を少し寄らせたい?!」
施設長は職員室にかかってきた電話に頭を悩ませた。
『だって、偶然駅近くを車で通たら、唯我君がいたから声かけちゃったのよ。少し優里子に会うくらいいいじゃない!』
「勝手に困るよ!唯我はね、君の息子じゃないんだよ!?」
『わかってるわよ、そんなこと!10分くらいで終わらせて、唯我君のことは、私がちゃんと施設に届けるわ』
千代子さんは車が赤信号で止まっている間に、施設長と電話をしていた。俺は既に助手席に座っていた。
「うん。じゃあねパパ。お仕事頑張ってね!」
施設長との通話を終えると、千代子さんは満足げに「これで良し!」と言った。
「じゃあ唯我君、優里子のところに向かいますよ!」
「お願いします」
車は青信号の交差点を抜け、あと3時間で終わる聖夜を照らす光で満ちた街を進んで行った。
****
「さ、到着!時間は限られてるわ。早く早く」
「は、はい」
俺は車を降り、「高瀬」という表札の前に立った。スマホを手に、ドキドキしながら、もう一度優里子に電話をした。
『ん、もしもし。唯我?』
「あ……ゆ、優里子。起きてる?」
『うん。ベッドで横になってたけど、何か寝れなくて……。どうしたの?』
「へっ、部屋から下!見てっ」
優里子はベッドから体を起こし、椅子の背もたれにかけていたストールを体に巻いた。
しばらく待っていると、2階の部屋に電気がついた。窓からパジャマ姿の優里子が顔を出した。優里子の姿を見た瞬間、体に熱がこみ上げた。
『え?ゆ、唯我!?何で……。わかった。お母さんが連れてきたのね』
優里子の驚く声が耳元から、白くたゆむ息づかいが頭の上から聞こえてきた。おろした髪の毛が垂れ、鼻をムズムズさせている。肩からかけるストールの下に見える、見慣れないパジャマ姿が可愛い。
『唯我、ごめんね。お母さん、きっと強引に連れてきたんでしょ』
「い、いやいや!俺が頼んだんだ!」
『唯我が?』
「ああ……」
2日間のクリスマスライブの後でぐったり疲れているはずなのに、体は火照ってまっすぐ立ってる。どこからそんなエネルギーが湧いてるのか、理由は一つだ。
「優里子に会いたかった」
「……」
「やっと会えたな」
冷たい空気に当てられた鼻も頬も真っ赤にして、家の温かい光に照らされて、夜の町に溢れるカラフルなイルミネーションに囲まれて、満足げに笑う俺を見て、優里子の下がったはずの熱が首を締め、心臓ではないものが胸の真ん中でドキッと音を立てた。しかし、そんな音よりも、優里子にとって重要なことがあった。優里子は耳からスマホを離し、冷たい空気を吸い込んだ。
「私も会いたかった。唯我!」
「え……」
「誕生日、おめでとう!」
優里子の満面の笑みを見た時、ようやくクリスマスがやってきて、ようやく長かった2日間が終わったことを実感した。俺はその笑顔が見たかったし、その一言を聞きたかったんだと思った。
嬉しくてたまらず、じっとしていられなくなった。バッグの中を漁り、Jrの先輩から受け取ったペンライトを取り出した。ライトを光らせ、「優里子!」と名前を呼び、窓に向かって投げた。優里子は「うわあっ!」と驚きながらもキャッチすると、嬉しそうにフリフリと振って見せた。
「優里子!見てて!!」
俺はジャマになる上着もマフラーも取って捨て、軽くバク転して見せた。着地して、どうだ!と言うように優里子を指差した。優里子は「すごいっ」と笑いながらペンライトを振っていた。嬉しくて、思わず手を振った。
「俺、クリスマスライブでメインを踊れるジェニーズにすぐなるから!そしたら、絶対見に来いよ!」
「……うん。絶対行く!」
俺は車の中にいた千代子さんのことをすっかり忘れ、やりたい放題やっていた。千代子さんはスマホでパシャリと俺の様子を撮っていた。画面に写る俺はガキみたいに笑って手を上げている。暗闇の中に光がぼやけて広がり、まるでライブステージの上に立っている人のように写っていた。
「ふふふ。男の子ねえ。可愛いっ」
次に窓から顔を出す優里子を見た。
「インフルエンザで寝込んでたなんて信じらんないくらい元気そう。いや、きっと唯我君に元気をもらったのね。……いい夜ね」
聖なる夜、街はきらめき心はときめく。
病のために、2階の部屋から降りることのできないプリンセスと、プリンセスに恋焦がれ、まっすぐ手を差し伸べるプリンスは、心通わせ微笑み合う。それはまるで、おとぎの国の小さな恋物語のワンシーンのようだった。
****
会議室に集まった大人たちはコーヒーと書類を机に並べていた。その中に、夏にNTK西日本スタジオ内の廊下で俺とすれ違ったおじさん二人がいた。
「では、メインキャストはこの4人で決まりということで」
「はい!よろしくお願いします!」
嬉しそうな表情で返事をしたのは、井口さんというおじさんだ。隣では、井口さんと企画を練り続けた三重さんというおじさんがニヤニヤしていた。
「よかったっすね。これで動き出せるっす」
「だな!さっそく4人に連絡だ!」
会議室のホワイトボードには、4人の俳優の写真が並べて貼られている。その中に、俺の写真もあった。
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