第44話 Y&Jの幕引き

「樹杏君いいじゃあん!!唯我君、笑って笑って」

「ああ、唯我はいいのいいの!笑うの苦手なの!これも唯我の魅力なの」

「余計なこと言うな、樹杏」

「だって、そうじゃん。僕と二人で話す時はいっぱい笑ってくれるけどさ、カメラに向かって笑うのは苦手でしょ?」

「うるさいっ」

「ふふっ。照れない照れない」

 樹杏が俺の肩に手を乗せあごを乗せ、耳にフッと息を吹きかけると、くすぐったくてたまらない。樹杏の青い瞳が微笑みかけ、至近距離で俺をじっと見つめてくる。俺は照れくさくて顔を赤くして樹杏を引き離そうと腕一杯に力を入れた。その間も、バシャバシャとシャッター音は鳴り響く。

 それは9月末の木曜日の夜のことだった。俺たちY&Jは、ジェニーズ情報雑誌『MyJe』の撮影に都内のスタジオに来ていた。樹杏はだいだい色のパーカーに少しダボっとしたジーパン、俺は鮮やかな青色のパーカーにスキニージーパンを着ている。立った姿、あぐらをかいて座る姿をバシャバシャ撮られ、樹杏がコトンと頭を俺の肩に乗せると余計にバシャバシャ音がする。樹杏に近寄られるのを避けると、樹杏はニヤニヤして、俺は嫌な顔をして睨んだ。

「二人は仲良しかい?」

「はいっ!!!」

「いいえ!!!」

 そう答えたシーンがまさかの採用。10月下旬に刊行された『MyJe』12月号の1ページを独占した。しかも『Y&Jに聞いてみた!』と題した下の行には、カメラマンの質問と俺たちの返事がそのまま載っている。

 樹杏は「い」と口角を上げて太陽のようなキラッキラの笑顔をして、俺は「え」と口を半開きにして怒っているような顔で写っている。このアイドルスマイル全開の樹杏と、アイドルになりきれてない俺の対比が面白がられているようだった。

「面白がられていることは、悪いことではありません。むしろ良い特徴と言えます」

「はあ……」

 事務所でキャリアウーマン根子さんが、刊行された『MyJe』12月号のY&Jのページを開きながら言った。

「しかし、残念でした。Y&J、この写真に見られるように凸凹の二人が組んだユニットはとても素敵でした」

「……ありがとうございます」

「また、ステージに立てるように頑張りましょうね」

 根子さんは、あえて言っていた。「とても素敵でした」「また立てるように頑張りましょうね」なんて、次がない奴に言う言葉だ。俺はギュッと歯を嚙みしめた。

 空が高くなり、街を駆ける風が涼しくなり始めた10月下旬の今時点において、既に『MyJe』に載るY&Jというユニットは存在しないのだ。


                 ****


 『MyJe』撮影の次の日、いよいよ公開最終日を迎えたジェニーズ映画の「映画フィナーレ特別ステージ」が都内の映画館で行われた。その日は、Y&Jの実質的な活動最終日となった。

 映画館の舞台袖まで続くジェニーズJrたちの列は、袖から舞台裏の廊下にまで続いていた。俺と樹杏は、映画と同じ衣装を着て、列の最後尾に立っていた。

「とうとうY&Jの最後の日だね」

「ああ」

「ねえ、楽しかった?僕とのユニット」

 樹杏がニコッとして、静かな声で聞いてきた。

「……ああ。楽しかった」

「僕も楽しかった!!」

 その時、列がゆっくり動き出した。樹杏が「唯我!」と手を上げた。俺も同じように手を上げた。

「やるぞ。J」

「エンジョイ!マイディアY!」

 歩きながら、パチンとハイタッチした。このY&Jのハイタッチを、この3か月で何度しただろうか。二人で考えたY&Jの決めポーズも何度披露しただろう。映画館のステージやJr祭WESTのステージ、ビルレコの特設ステージ。Jrの俺たちが3か月に上がった大小様々なステージはどれもとても難しくて、一度でも成功したとは全く言えなかった。

 他の仕事で忙しい樹杏が、Y&Jのためにどれだけの時間を割いてくれたことか。ダンスの技術は勝っても、演技力も歌唱力も劣っている俺は、何度も樹杏に顔面を殴られるような気持ちになった。痛くて悔しくて、だけど、とても楽しかった。

『それでは、映画最終日となる本日、ここにお集まりの皆さまにだけ送られる、出演者全員によるスペシャルメドレーをお楽しみください』

 歓声と拍手の中、ステージに立つJrたちは最初のポーズを決めた。まずは映画のメインJrグループだったトリガーが一歩前に出て歌い出した。次にハイパワー、D2-Jr、C少年、そして俺たちY&Jの順に、それぞれの持ち曲のサビを歌い、最後に映画主題歌を全員で歌った。出演者全員の歌声は大きく、歓声拍手を飲み込んで、会場を包み込んだ。

『では、最後になりますが……。実は!ジェニーズJrの皆さんに対して、秋山千鶴さんより、重大発表がございます!千鶴さん、どうぞ!』

『オーケー!エブリワン!ここまで頑張ってくれたJrたち、全員スクリーンに注目!』

 ステージ上のJrたちは「何だ何だ」とざわざわしながらスクリーンを見た。大画面には、『映画、舞台化決定!!』と表示された。

『次は舞台の上で会おうぜっ!!』

 観客からの歓声悲鳴拍手喝采を背中いっぱいに受け、Jrたちはワーキャー騒いで喜んでいた。しかし、俺と樹杏はスクリーンを見上げたまま立ち尽くしていた。映画が舞台化したところで、俺たちには、Y&Jとして立つステージが明日にはないことがわかっていたからだ。

 俺と樹杏は顔を合わせた。想いは同じだった。互いに上げた右手を握り合い、言葉にはしない想いを重ねた。「お疲れ様。これまでありがとう」もう一度スクリーンを見上げた。次に同じ舞台に立つ時は、これまで通り、俳優の大貫樹杏と小山内唯我に戻ってる。そこにY&Jは存在しないのだ。


                ****


「嫌だー!唯我、唯我!一緒に来てよおお!」

「何でっ?!何でだよっ!」

「いいから来てっ!!」

「うわあああっ!!」

 「映画フィナーレ特別ステージ」が終わり、映画館裏口の前で「嫌」を繰り返していたのは樹杏だった。樹杏は次の仕事のために空港へ向かうはずが、俺に抱きついて離れず、俺は強引にタクシーの中に連れ込まれた。

 映画館裏口の前でC少年の聖君、貴之が「ご愁傷様」と手を振った。すると、二人の後ろから千鶴さんがひょっこり顔を出した。

「あれ、唯我もう行っちゃった?」

「ちづさん!お疲れ様です!」

「唯我なら、Jに強引にタクシーに連れ込まれてしもて、行ってしまいました」

「そっか。久しぶりに一緒に帰ろうと思ってたのに……。ま、いいか。じゃあなJrたち。次は舞台で会おう!」

 Jrたちからの「お疲れ様でした!」という声に片手をひらりと振ると、千鶴さんは暗い駐車場へと向かった。その途中でD2-Jrのメンバーが千鶴さんに頭を下げて挨拶した。千鶴さんがいなくなった後で、聖君と貴之が呟いた言葉を、D2-Jrの中にいた智樹は聞いていた。

「へえ。ちづさんて、唯我と仲いいんや」

「意外だな。どんな関係があって仲いいんだろう」

「想像もできひんな」

「なー」

 智樹は俺と樹杏が去った道を目で追った。Jにも唯我にも、無駄にからまれなくてよかった。そう安心していると、仲間の一人が「智樹」と声をかけ、智樹は仲間の元へ戻った。

 そうしてJrたちが解散している頃、俺は樹杏とタクシーの中にいた。樹杏は窓の外を見つめて俺に目もくれずに座っているのに、俺の手をギュッと握って離さない。何か話すでもない。タクシーを降りたら樹杏は空港から飛行機で行ってしまうし、俺は樹杏を見送ったら、一人電車に乗って施設に帰ることにることになる。ああ、面倒だ。それに気まずい。何だ、この状況は。まるで別れ話をした後のカップルが別れを惜しんでいるような雰囲気だ。

「終わっちゃったね、僕たち」

「ん?」

「Y&Jだよ」

「ああ、うん。だな……」

 マジで別れ話をした後のカップルみたいだ。俺たちは、俺たちの終わりを決められないまま、別れていくしかない。明日には、それぞれに違う場所での仕事があって、それぞれに期待されることがあって、必要とされることがある。手はつながっていても、互いが見つめる先は同じじゃない。

 窓の外の街に溢れるライトが眩しかった。それは二人で立ったステージの眩しさに似ていた。俺と樹杏が肩を並べ、Y&Jの決めポーズをすると、拍手と歓声が鳴り、互いに耳の奥で心を震わせた。あの瞬間、俺たち二人が求められているんだと感じた。自分勝手極まりない考えだ。それでも、そこにかすかにあったであろう誰かの期待に応えたくなった。俺たち自身が寄せた俺たちへの希望を、叶えたかった。

「樹杏」

「うん?」

「お前、ステージ裏で皆で並んでた時、楽しかったか聞いたよな。別のこと聞いてもいいか?」

「うん」

「悔しくないか?」

「……」

「少なくとも俺は……」

 俺は、樹杏と二人で大きなステージに立つことを夢見た。それが叶う保証が全くないことは、重々理解していた。それでも、それでも……。

「俺は、悔しい。次がないことが悔しい」

 Y&Jは、俺にとって初のグループ活動だった。樹杏と二人で歌やダンスを練習して、決めポーズまで作った。どんなに小さなステージの後だって、次のステージはこうしよう、ああしようと毎回話し合い、自分たちの理想にするステージ像を目指した。ジェニーズJrとしてこれまでしてきたこととは全く違った活動に、新鮮さと難しさを感じた。たった3ヶ月が、とても濃かった。

「それさあ、唯我だけが思ってるとでも思ってる?大間違いだからね……」

 樹杏が俯き、震える肩をすくめた。ギュッとつむる目からは涙がポロポロ落ちていた。

「僕だって、ちょー悔しい。このまま終わるなんて嫌だよ……」

「でも、何もないんだぜ?俺たち、もう……」

「やだやだやだやだっ!嫌だあああ」

 樹杏に涙をうつされて、目にじゅわっと涙が溢れたが、必死にこらえた。樹杏は小さなガキみたいに声を上げて、目からも鼻からもずるずると水をもらして泣いていた。

 車の外には、夜を照らすカラフルなライトがいくつも並び、行きかう人々の影を追い、大きな道路に停滞する車の影を見つめていた。車道はとても混雑していて、車はほとんど動かない。ドアの内側に今まで過ごした時間を閉じ込めて、信号が青でも赤でも止まっている。目的地が遠い遠い場所にあったって、歩いたほうがずっと早く前に進んでいけるんじゃないだろうかと思えた。

「俺たち、用意された乗り物に乗っただけだったのかもしれない」

「何、それ」

「用意された乗り物だったから、俺たちが何か考えて行っても、それは乗り物の上でしかできてなかったのかもしれない」

「……どういうこと?」

「映画が終わって、Y&Jは解散したんじゃない。映画を経て、解放されたんだ。今、俺たちは自由になったんだよ。自由に、自分たちの足で歩けるようになったんだと思う」

 用意された乗り物に乗っていればいいんじゃない。これからは、俺たちが自分たちの足で進まなきゃいけないんだ。しかし、自由にはわかりやすい選択肢は用意されていない。何もない荒野にポツンと立たされたようなものだから、そもそも選択肢が見当たらない。何でもできるけれど、何をするかは考えなきゃいけない。それは難しく、だけど、きっと楽しいことだ。

 樹杏には、この時の俺がステージに立ってる時のようにキラキラして見えたという。外のライトが髪の毛の筋をつややかに光らせて、横顔の線をなぞる。うるんだ目にたくさんの光を集めて、前だけ見つめる姿は、どこかで見たことのあるアイドルのようだった。

「自由……。そうか。僕たちは、映画にいたY&Jじゃなくて、アイドルユニット”Y&J”になったんだ」


                 ****


 10月最後の土日、樹杏と長谷川の通う私立学校では文化祭が行われていた。午後の体育館の窓は、全て暗幕カーテンで覆われていた。中ではドンドンとリズム音が鳴り響き、赤や青、黄色のライトが、パイプ椅子に座る観客を照らし、床を滑り、壁を登った。会場を大きく動くダンス部の影を追いながら、観客は手拍子を続けた。

 その観客の中に、リズムよく手拍子をする施設のガキたち、優里子、佳代の横には駿兄もいた。

「優里姉、さっきから何でキョロキョロしてんの?」

「だって、唯我がいないんだもの」

「唯我兄ちゃんはどうしたの?何でいないの?」

「あー!わかった!このダンス部に紛れて実は踊ってるんじゃね?!」

「ええっ!?どこどこどこ!?暗いからわかんないよ!」

「……そんなわかりにくいこと、唯君、するかしら」

 曲が終わり、大きな拍手が響いた。すると、観客席の周りでダンスしていた人たちが一気に壇上へと集まった。そして、次の曲が始まった。

「この曲、青春隊の”疾風”じゃね?ほら、唯我が朝練で必ず踊ってるやつ!」

「秋川千鶴さんのいたグループの曲ね」

 壇上では3人の学生が踊っていた。スポットライトに輝く衣装は男物で、ハットを手に顔を隠しながら踊っている。最初にハットを投げたのは、センターに立つ女子生徒だった。メイクバッチリの自信に満ちた笑顔で上手に踊っている。

「あのセンターの女の子もすごいけど、両端の二人、動きすげえなあ!」

「駿兄、僕もそう思ってた!まるでプロ!」

 両端の二人のステップは、見るからに別物だった。長年かけて作り上げた実力と経験値が伺える。見えぬ顔の視線の反らし方や口ずさむ唇の息づかいに、優里子は見覚えがあった。

「なんか、違和感。んー、でもあとちょっとが思い出せないっ」

「優里さん、何が違和感なの?」

「知ってるはず。あの両端の二人。ほら!可愛いクリンクリンの赤毛、艶やかなストレートな黒髪!!」

「そこまで出てるのに、誰だかわかんねえのかよ。バカかよ、優里子」

 隣に座る泰一が「はい英、黙っとこうねえ」と英の口をふさいだ。英の呟きは周りの手拍子に紛れて消え、都合よく何も聞こえていなかった優里子には、ある朝の居間の風景が浮かんでいた。sexy toneの曲に合わせて腕を伸ばしステップを踏み、息を吐くように口ずさんでいた唇。それと舞台上のハットの下に見え隠れする輪郭が重なった。優里子は思わず立ち上がり、「あーっ!!」と声を上げた。

「優里姉!恥ずかしいから座ってろ!」

「ゆ、優里さんっ」

 優里子はそれどころではなかった。胸がワクワクして、ドキドキしていた。ここはコンサート会場じゃない。誰もが声を上げ、誰もが手を振っていい場所。スッと息を吸い込むと、思いっきり叫んだ。

「樹杏くーん!!……唯我あああっ!!!」

 ダンッと一歩踏み、舞台上の3人は手を上げ立ち止まった。真ん中の子が背後から2つだけマイクを取り出し、両端で踊っていた2人に手渡すと同時に、その顔を隠していたハットを投げた。その瞬間、体育館は歓声と悲鳴でいっぱいになった。

『ついて来いよ!お前らああああああああああっ!!!』

 それは千鶴さんの決め台詞だった。樹杏が大きな声で言うと、歓声は一層増した。俺と樹杏は舞台の真ん中で背中合わせになった。

 次にかかった曲は、映画のサウンドトラックに収録されているY&Jの曲「輝き」だった。ダンス部の人たちが一斉にステージを降り、観客席を囲んだ。俺たちはステップを踏みながら、マイクに歌声を通した。

 俺たちは、ジェニーズの先輩方のライブパフォーマンスを参考に、俺のライブ経験と樹杏の舞台経験を混ぜ合わせ、今日のダンスの演出を考えた。ダンス部の人たちにもアドバンスをもらい、この体育館全体を上手く活用した演出になったと思う。

 Y&Jとして活動した3か月の中で立ったステージの反省を踏まえ、映画上映が終了した9月下旬から10下旬に至る今日まで、樹杏は苦手なダンスを、俺は樹杏に敵わなかった歌を重点的に練習した。目が合った時、互いに驚いた顔をしているので笑えた。二人して同じことを思っていた。こいつ、前のステージよりうまくなってる!……でも、そうじゃなきゃ困るぜ。

 歌はBパートに移り、俺たちはステージ中央に設置された階段を降り、中央の通路を歩いた。俺は樹杏を置いてさっさと奥まで行くと、そこで通路側に座っていた優里子にマイクを渡した。

「唯我、これ」

「見とけよ」

「え」

 そこから通路を引き返すように助走をつけてロンダート、バク転、バク宙をした。成功して、思わず手を上げた。その姿を見た優里子の目には、まるでライト浴びてキラキラ輝くスーパーアイドルのように見えた。

 俺は樹杏からマイクを受け取り、「えいっ」と樹杏は助走して、片手側転、ロンダート、完成間近の半ひねりのバク転を見せた。最後に、まるで体操選手のように美しいY字バランスを取ると、満足げにニッコリ笑った。

「あ、優里子ちゃん!もらってくね!」

「ああ、うんっ」

 優里子からマイクを受け取った樹杏と俺は通路の真ん中で再会し、最後まで歌いきった。全て終わった瞬間、体育館のライトが全て点灯し、光に目が慣れた頃、暗幕カーテンが全て開かれた。

『皆あ!今日はありがとう!これからのY&Jをよろしくねー!!』

 樹杏の大声で終わったダンス部とのコラボレーションは、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。樹杏と俺は息を切らせ、汗を流す顔を見合った。

「唯我、これが僕たちの新しいスタートになるね」

「ああ。ちゃんと隣についてろよ、樹杏」

「唯我こそ、僕についてこれるかな?」

「なめんなよ」

 俺たちは右手を上げ、ハイタッチした。

「いくぜ。マイディアJ」

「オフコース!マイディアY!」

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