第43話 一番星

 夏休み明けの最初の週は、とても学校にいづらかった。いつものようにザワザワする教室の様子が、夏休み前とは明らかに違ったからだ。

「小山内、一気に有名人だな」

「康平、からかうなよ。苦手なんだよ、こういうの」

「うん。っぽいよな、お前」

 俺はあまりのいづらさに、机にうつ伏して顔を隠した。康平は周りの様子を見回した。教室では、微妙な距離感のクラスメイトたちの、チラ見とヒソヒソ話が止まらない。俺の姿を一目見ようと、他クラスからの訪問者がドアの向こうに集まってニヤニヤしている。

「あーいた!唯我君っ」「えー顔見たーい」「寝てるの?可愛い」

 ヒソヒソ話してるつもりかもしれないけど、丸聞こえだよ。やめてくれ!こうなったのも、26時間TVのドラマの影響としか言いようがない。26時間TV出演のおかげで、ほとんどの生徒に俺がジェニーズであることがバレてしまった。まさかここまで影響があるとは思わなかった。穴があったら入るから、とにかく放っておいてほしい!

 廊下には、俺から見える以上の人がひしめき合っていた。廊下を歩くにしても、人をかき分けて行かなければならない。隣のクラスの扉から顔を出した大沢は思わず「うわあ」と呟いた。次にぴょこっと顔を出した女子が言った。

「あの教室の前に集まってる人たち、小山内君を見に来てるんでしょ?」

「だろうね。夏休みの26時間TVのおかげで一気に広まったよね。唯我、大丈夫かなあ」

「ねえ成美、私たちも見てみようよ」

「えー!何で?」

「成美、小山内君のこと心配そうだしさ、様子見だけ。ねっ?」

 大沢は一緒にいた友達に手を引かれた。解放された扉から、二人は教室の中を覗き込んだ。俺はクラスメイトの康平が座る席の後ろで、顔を机に伏していた。小さい頃から変わらないストレートの黒髪からのぞく耳が燃えるように真っ赤になっているのが見えた瞬間、大沢は腹を抑えてクスクス笑ってしまった。

「ちょっと、もう行こう。唯我は平気そうよ」

「え!?顔見えないじゃん」

 大沢は「ちょっと!」という友達の手を引いて離れた。もう見てられなかった。

「何でそんなに笑ってんの?顔見えないのに、わかるもん?」

「だって、唯我ったらわかりやすいんだもん!あははっ」

「ちなみに……、何を見てわかったの?」

 大沢は笑いながら自分の耳を指差した。

「耳、真っ赤っか!ふふふふっ」

 クスクス笑う大沢を見て、一緒にいた友達は「愛だねえ」と呟いた。

「成美はさあ、小山内君と会いたいとか思わないわけ?」

「な、い、いや。思わなくもないけどね……。時々帰り道一緒になることもあるしさ、それでいいっていうか……」

 大沢は体の前で手を握り、頬を染め視線を外して言った。その姿はまさに恋する乙女であった。友達はニヤニヤが止まらない。

「愛だねえ」

「……泉美いずみ、あんた面白がってるだけでしょ。まあ、いいけどさ。別に」

 学校で会えなくても、声がかけられなくても、大沢は小学校までの思い出を共有し合える友達であることだけで満足だった。そして、大沢には俺と顔を合わせる密策があった。


                ****


 週末の土曜日、都内のビルディングレコード、略してビルレコで映画オリジナルサウンドトラックCDの発売促進握手会兼Y&Jのミニライブが行われた。

『皆さん、こんにちはあ!』

『俺たち、Y&』

『Jでーす!』

『『よろしくお願いします!』』

 簡易ステージに上り、いつもの決めポーズをすると、拍手と歓声が起きた。

『今日は集まってくれて、ありがとー!!』

 テンションの高い樹杏が、集まった観客たちに手を大きく振るので、俺も手を振った。特設ステージから集まったお客さんを見渡したが、お客さんの目に合わせると緊張するので、俺は早々に目を伏せてポジションについた。

『では、早速歌っていただきましょう!Y&Jで"輝き"』

 俺と樹杏は背を合わせ、踊りだした。

 実は、観客の中に大沢がいた。大沢は目を開き、ステージに立つ俺を見つめた。映画ももちろん観ているので、ステージの衣装が映画で使用されたものと同じであることはすぐわかった。青い王子様の衣装は映画の通りキラキラとしていて、金色の肩章が揺れると腕が長く広がっていくように見えた。真剣な眼差し。樹杏とのシンクロターン。マイクを片手に踊りながら歌い、ここぞというタイミングで微笑む姿は、まさにアイドルのようだった。唯我が本当にジェニーズのアイドルになった!大沢には、今まで見てきた俺の姿の中で一番輝くように見えた。

「はあい!応援ありがとう!」

「ありがとうございます」

「唯我君、樹杏君!ずっと応援してますっ!」

 ミニライブの後は、俺たちのサイン入CDの受け渡しと握手会が行われた。お客さんは一列に並び、順番が来ると俺たちの正面に一人ずつ立った。

「今日は来てくれてありがとう!」

「お会いできて嬉しいです」

 樹杏が「はい」とCDを渡し、流れるように俺の前に手を伸ばしてきたのは大沢だった。

「ファンです。握手してください」

「おおさっ」

 こんなところで大沢の名前なんて呼べない。俺は声をむぐっと喉に押し込み、小さな声で言った。

「お前、何でここに!?」

「知らないでしょ。ネットの世界には、既に唯我ファンクラブがあるのよ。私もその一人なの。そこで今日の握手会の情報をゲットしたの」

「嘘だろ!?」

「冗談じゃないからね?今度自分で確認してごらんよ。……ねえ、唯我さあ、歌下手っぴだね」

「なっ!!」

 大沢が「ははは」と笑うと、俺は恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。ちょっとムカつく!しかし、率直に言ってくれるところは、大沢のいいところだ。

「お前、覚えとけよ」

「はあい。じゃあ!」

 大沢は手を振って行ってしまった。見送ってやりたいけれど、お客さんは次々やって来る。俺は手を差し出し、一人ひとりの手をギュッと握った。

 出番は終わり、樹杏と二人で控室で一休みしていた時だった。

「唯我、知り合いの子でもいたの?」

「え?」

「だって、握手会の途中でさ、誰かと話してたでしょ?」

「ああ。小中一緒の学校の奴がいたんだ。お前の学校にいる長谷川も知ってる奴」

「へえ、徹との共通の友達かあ。いい子なんだろうね」

「ああ。いい奴だよ。まさかこんなところにも来てくれるとは思わなかったけど」

「唯我のこと、好きなんじゃない?」

「んなわけねえよ。あいつずっと好きな人いるっぽいし」

「……そうなんだ」

 わざわざCD発売会にまで来る子が、何も思ってないなんてことあるかなあ。ま、唯我は自分のことに関しては鈍いからなあ。

 樹杏は一人でふふっと笑っていた。

「何笑ってんだよ」

「唯我って鈍感だなあって思って」

「俺は鈍感ではない」

 鈍感というのは、優里子みたいな人のことだ。

 俺が鈍感であることを指摘されていた頃、一人電車に乗る大沢は、俺と握手した手をギュッと握り、ニヤニヤする口元を隠していた。まだ手に残る俺の手の形、温度を忘れないように、意識した。

 ビルレコでの予定を終え施設に帰り、夜勤に来ていた優里子と夕飯を一緒に食べた。

「なあ、俺ってさ……」

「うん?」

「歌、そんなに下手か?」

「うーん……。上手くはないね。樹杏君がめっちゃ上手いから、二人で歌ってると余計に差が……、って、唯我。行儀悪いわよ」

 優里子に言われるとかなりショックだった。俺は最後まで話を聞けず、食事中にも関わらずテーブルに顔を伏せた。優里子は俺を起こそうと肩を掴み揺らした。ため息をして、顔を上げると、パチッと優里子と目が合った。ドキッとした。

 しばらく目を合わせていると、優里子が「何よ」と顔をしかめた。その顔、すると思った。俺はふっと笑った。

「だから、何?」

「優里子、今度またどっか行こう。……二人でさ」

「え、お花見は?」

「それもそうだけど、花が咲くまでに、もう一回……」

 ドキドキはしたものの、案外サラッと言えたことに自分でも驚いた。こうやってどんどんデートに誘ってしまえばいいんだと学んだ。優里子は自分の頬が少し火照ったが、「姉」らしくしようと平然を意識しまくった。

「……、あんたにその時間はあるわけ?クリスマスに向けて練習始まるでしょ?」

「それなんだよなあ。はあ……」

「また、そうやって姿勢悪くして顔伏せて!背筋を伸ばしなさい。食事中でしょ?」

「はいはい」

「はいは一回」

「はいはい、って……」

 またこのくだりだ。思わず優里子と二人して笑った。優里子とは、デートをしてから何となく距離が近くなったような気がする、今日この頃である。


                ****


 大沢に「歌下手っぴ」と言われ、重ねて優里子に「樹杏君がめっちゃ上手いから、余計に差が」なんて言われたショックは尾を引いた。同時に練習不足を自覚した。事務所で行われるボイストレーニングのレッスンは何度か通ったが、ダンスほど熱心には受けていない。自主練するにしても、施設で歌うのは恥ずかしいし、事務所のレッスン室は意外に満室であることが多い。いや、それだけジェニーズの人たちが熱心に歌の練習をしているということだ。それを考えると、俺はダンスしかやってこなかったと言ってもいいくらい、歌に力を入れてこなかったことがわかった。

「放課後音楽室を使いたい?水曜日なら吹奏楽部がお休みだから、使っていただいて構いませんよ」

「ありがとうございます」

 中学校の職員室にいた音楽担当の男性教員にお願いをして、水曜日だけ音楽室のピアノを借りることにした。

 放課後の音楽室には、校庭から聞こえてくる部活の掛け声や、野球のバッティングの音が入ってきた。光の角度で見える埃の影がキラッと光る。グランドピアノの鍵盤の蓋を開くと、ピアノが息を吐きだすように空気が体にぶつかった。

 白い鍵盤をポンと押すと、部屋中に音が反響した。俺はピアノは初心者なので、下のドから上のドをポンポン押して、その音に合わせて「ド」と声を出した。ピアノの音と声の音がぴったり重なるととても気持ちよくて、俺の声もピアノの音になったように感じた。

「あれ?今日、吹部休みだよね。ピアノの音聞こえない?」

「本当だ。でもめっちゃたどたどしい。誰か遊んでるのよ」

 それは体育館の女子更衣室での会話だった。部活が早く終わった先輩たちの話を聞きながら、大沢は誰が弾いているのか気になった。

「ドーレミー、ドミードーミー。レーミファファミレファー」

 人差し指しか動かせない俺は、一人で面白がって、初心者には難易度高めなドレミの歌に挑戦していた。その様子を、部活終わりの大沢が覗きにきた。音楽室の丸窓の外に、大沢の顔が竹の子みたいにニョキッと出ているのに気が付いた瞬間、体に火がついたように熱くなった。

「おっ!!!!」

「ははは!唯我じゃん!何してんの?もしかして、歌の練習?私に下手っぴって言われたから」

「……んだよ。悪いかよ」

「いいんや。偉いぞ!唯我!」

 ニヤニヤする大沢がピアノに近づいてきた。こいつ、絶対バカにしてる!俺は指を鍵盤からおろして、視線をピアノから外した。恥ずかしくてたまらない。一人でひっそりやりたかった。

「私、付き合ってあげようか」

「え?」

「少しなら弾けるんだよ。小3までピアノ習ってたから」

「そうだったんだ」

 大沢は小学校の時から器用で何でもできるようなイメージだった。ただ、教室に置かれていたオルガンを弾いている姿や音楽室でピアノに触れる様子を一切見たことがなかった。だから知らなかった。大沢がピアノを弾けるなんて……。

 大沢は静かに椅子に座り、午後の日差しを浴びて光る弦を震わせた。優しい音色は大沢の落ち着いた声色のようだった。白い鍵盤、黒い鍵盤、ペダルを計算して動かして、音楽室に大沢の音が広がった。視線を落とす大沢の横顔が、いつもより大人びているように見えた。


〚たとえば君が傷ついて、くじけそうになった時は、必ず僕がそばにいて、支えてあげるよその肩を〛


 それは小学生の時に一度歌ったことのある曲だった。伴奏を弾きながら歌う大沢の姿に見とれた。両手と足も使って、なおかつ歌っているなんて、一体どうすればできるのか。何より、大沢が楽しそうにしている姿を、こうして間近に見たのは小学生以来だった。

「唯我も歌おうよ。あそこに楽譜あるし」

「え?」

「練習、練習!」

 大沢は終始笑顔だった。俺は途中から、大沢の歌いたい歌に付き合っている状態になっていた。

「ほら、また!呟かないで、歌わなきゃ!」

「はい……」

 ピアノに座る大沢は、小学生の頃から変わらないニコニコ笑顔だったが、制服姿や、伸びた髪をまとめて結んでいる姿は新鮮だった。大沢とはクラスが離れてからほとんど口もきかずに過ごしていたんだと実感した。いつの間にか、こんなに女の子っぽくなっていたとは知らなかった。

 大沢は伴奏を弾きながら、恥ずかしそうにしながらも一生懸命歌う俺をチラッと見ては、頬を染めた。唯我と過ごす時間が、こうしてずっと続けばいいのに……。なんてね。


                 ****


 大沢との練習は、4時半を過ぎた頃に終わった。9月の夕日はまだまだ沈まない。西の空が少し黄色くなり始めたばかりだった。

「来週もする?」

「いや、事務所のレッスンとか、他に練習できるところが見つかったらそっちに切り替えるよ。大沢に付き合ってもらうのも悪いし」

「全然、全然!!私めっちゃ楽しかった!」

 大沢の返事に、俺は内心「そうでしょうね」と思った。音楽室での歌練習の後半は、もはや大沢の独奏状態であった。俺は楽しそうに歌い続ける大沢についていくのがやっとだった。

「唯我さあ」

「何?」

「最近はどうなの?お姉さんと」

「は?」

「親展、あった?」

 隣を歩く大沢が、少しかがんで俺の顔を覗き込んだ。大沢は友達の中で、唯一俺が優里子のことを好きだと知っている。そして、応援してくれている。俺には、まっすぐ見つめてくる大沢に、ちゃんと答えなければならないという義務感があった。

「……デートした」

「えっ!!いつ!?」

「夏休み中」

「マジか!親展してるだと!?」

「親展ほどのことでもねえし。……悪いのかよ」

「ううん。すごいじゃん!やったね!」

 大沢はめちゃくちゃ嬉しそうに笑った。ルンルンしながらスキップをして、俺より前に進んだ。いい奴だ、大沢。

 大沢はスキップを止めて歩き出した。俺には見えないその顔から、笑顔は消えていた。そして、小さな声で呟いた。

「もしも誰かが君のそばで、泣き出しそうになった時は……」

 大沢は立ち止まり、俯き、胸がギュッと締め付けられるのを我慢した。その間に俺が追いつき、立ち止まる大沢を追い越した。

「大沢、何か言った?」

「……ううん。何でもない」

 黙って腕を取りながら、唯我は、一緒に歩いてはくれないよね。きっと、私の知らぬ間にぐんぐん前に進んで行っちゃうんだ。

 その時、大沢の頭の中には、ビルレコの特設ステージに立つ俺の姿が浮かんでいた。キラキラしていて、カッコよくて、堂々としていて、大きく見えた。今はまだ、同じ通学路を歩ける距離にいるけれど、だんだんと離れていって、いつか、会うことさえも難しくなるのかもしれない。

 唯我が、ただの男の子でいられるのはいつまでだろう。唯我が、誰かと結ばれるまで、あとどれくらいの時間がかかるのだろう。……この気持ちを唯我に伝える時は、いつくるのだろう。

 大沢がタタッと駆け寄って来た時、俺は空を見上げていた。空にはキラッと光る星が一つ浮かんでいる。その星を指を差し、足を止めた。

「あ、一番星だ。なあ、大沢」

「ホントだ。ポツンて一つ光ってるね」

「ポツンて、寂しそうな表現だな」

「だってそうじゃん。一つだけで光ってるんだよ?寂しいじゃん」

「違うよ」

「違うって?」

「あれはね、これから空にたくさん星が光る合図だよ。これからたくさん、仲間が増えるんだよ」

「……」

 大沢は空を見上げながら、そこに俺の姿を映し出していた。特設ステージの上でキラキラしていた俺に、集まった人たちが手を振り、名前を呼び、歓声と拍手を送っていた。これから、キラキラ光る「小山内唯我」に手を振る人が増えていく。「小山内唯我」の名前を知る人がどんどん増える。歓声や拍手の音が上がる。

 唯我にとって、私はその一人になるんだ。……ファンの一人?ううん。私がなりたいのはそれじゃない。

「ねえ、唯我」

「ん?」

「私、唯我はすごい人だなって思うことしばしばあるの。だからね、ファンなの」

「何だよ、いきなり。恥ずかしい……」

「でもね、その前に……」

 大沢は笑って言った。

「唯我と、一人の友達でありたいよ」

 大沢が何でそんなことを改めて言っているのか、俺にはわからなかった。ただ、いつだって嘘のない言葉を投げかけてくれる大沢に、俺は正直な気持ちを伝えたかった。

「そんなの、当たり前だろ。お前だけでもさ、ずっと友達でいてくれよ」

「……、はあい」

 何故か苦笑いする大沢の頭をぐりぐりと押し撫でると、大沢は「痛い!」と笑った。


〚いま、素直な気持ちになれるなら、憧れや愛しさが、大空にはじけて燿るだろう〛


「あ、唯我の言う通りね。星、出始めたね」

「ああ、だろう?」

 空を見上げる俺の横顔を、大沢は見つめた。俺が振り返った時には、大沢はニコニコしていた。

「何、お前。さっきから」

「いやあね、ビルレコのステージの唯我と、目の前にいる唯我は、ちょっと違うんだなあって思ってさ。皆、それにいつ気がつくのかなあ」

「いらねえ。気づいてほしくねえ」

「一つの映画をね、特等席で見てる気分だわ」


〚I believe in future 信じてる〛


 これから先も、こんな私たちでいられることを、私は願ってる。




*作中参考:合唱曲「Believe」歌詞

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