第41話 26時間TV本番

「唯我兄ちゃん、今日も朝から事務所なの?」

「うん。そうみたい」

「昨日も事務所。今日も事務所。僕、26時間TV一緒に見たかったのにい!」

「今年のパーソナリティはAファイブだもんね」

「そう!だからずーっと楽しみだったんだよ。唯我兄ちゃん、最近、忙しすぎじゃない?」

「ふふ。そうねえ」

 時計は10時半を過ぎていた。施設の居間にはガキたちと優里子がいた。泰一はムスッとしながらも、Aファイブのメンバーがテレビに映ると大はしゃぎした。そんな泰一を見て、英はニヤッとした。

 英以外のガキは、11時から始まる特別ドラマに俺が登場することを知らない。ドラマの撮影をしている時から、ガキたちには、俺が26時間TVの特別ドラマに出演することは内緒にしようという約束を、優里子や施設長としていたからだ。特に、Aファイブが大好きな泰一には驚いてほしいという気持ちが強い。

 ガキの中でも、俺の部屋によく来ていた英だけは特別ドラマのことを知っていた。泰一の横でニヤける英を見て、優里子はドキドキしていた。どうかあと30分、気づかれませんように!

 そこに、施設長が英たちの父親と一緒に入ってきた。

「スペシャルゲスト登場!英君、みこちゃん。お父さん到着しましたよ」

「パパ!」

「みこ、英。皆さん、いつもお世話になっております」

「初めまして!!泰一です!!」

「初めまして、泰一君」

 英の隣に止められた車いすの父親のひざにみこがよじ登るのを、泰一が手伝った。施設長は優里子の肩を叩き、適当な床に座った。

「優里子、26時間TV、今どんな感じだい?」

「お父さん。今、ツモ潤と車いすの人が対談してる映像よ。もうすぐ始まる」

『それでは、これより、26時間TV特別ドラマ”車輪の最高速度”、スタートです』

 テレビには、学校の校庭を走る多くの足が映った。

『……これは、両足を失った僕の物語です』

 走り回る子どもたちの中、特に元気いっぱいな様子で遊んでいるのが、主人公である佐藤基樹、俺の役であった。

『おい皆!何して遊ぼうか!』

 その瞬間、ガチたちが一瞬固まった。最初に反応したのは文子だった。

「……は?こいつ唯我じゃん!」

「あああああっ!!唯我兄ちゃんだああああっ!!何で!?ねえ、優里姉!」

 驚きを隠せない泰一は大声を出した。何より、とても嬉しそうな表情に、優里子は安心した。

「ふふふ。実はね、学校もなかなか行けずに、忙しくしてイライラしてた5月の頃、これを撮ってたのよ」

「っええええええええ!?」

「泰一、うるさい」

 英は両耳を手で塞いで、嫌そうな顔をした。


                ****


 26時間TVのオリジナルTシャツを着た俺は、楽屋で準備をする基樹さんの手伝いをしていた。膝から下の足がない部分を覆うように垂れるズボンの裾を折り畳み、基樹さんの太ももの下に押し込んだ。

「ありがとう、唯我君」

「いいえ」

 基樹さんは鏡を見ながらネクタイを留め、俺が渡したジャケットに腕を通した。その間も、楽屋のテレビではドラマ「車輪の最高速度」が流れ続けていた。

「唯我君は、どうしてジェニーズに入ったの?」

「……俺、実は両親がいなくて」

「……え?」

 予想していなかった返事に、基樹さんは驚いて固まった。

「施設に育ててもらったんです。その施設が財政難で困っている時、ジェニーズ事務所から施設を援助してくれるっていう連絡を受けたんです。でも、援助をする代わりに、俺をジェニーズに入所させるっていう条件がありました。施設長と話し合って、事務所とも話し合って、俺も納得した上で、俺は今、ジェニーズJrとして活動しています」

「……ごめんよ。何も知らないで聞いてしまって」

「構いません。俺、自分のことはあまり気にしてませんから」

『っうああああああ!』

 テレビからは、俺の叫ぶ声が聞こえてきた。

『基樹!基樹!』

 病院のベッドの上で目覚めた少年基樹さんの足は、ひざ下から無くなっていた。驚きと混乱で、少年基樹さんは声を上げた。

『君、落ち着いて!』

『あああっ!はあっはあっ』

『いけない。過呼吸を起こしてるっ』

『基樹!しっかり!ゆっくり呼吸するんだっ』

『はあっはっはっ……』

 俺の演じる少年基樹さんは、ベッドに倒れ過呼吸を起こす。そして隣のベッドで眠る母親を見つめた。助けてほしい。背を撫でてほしい。起きてほしい。これまでの日常に戻りたい。苦痛な胸を押さえ、基樹さんは震える手を伸ばした。

『か…さん……』

『基樹っ!基樹!!』

 楽屋の基樹さんは、しばらくじっとテレビを見つめていた。

「唯我君、今は中学生だよね」

「はい」

「僕が中学生の頃は、心はまだこんなふうに混乱してて、余裕がなくて、車いすレースを覚えるのに必死だった。思えば、これまでの人生で一番毎日が辛くてたまらなかった時期だったな。唯我君は、辛いことはない?」

「……ありますよ。仕事もそうだけど、気にしないとか言って、自分の生い立ちのことも時々。たまに孤独を感じることはあります。何より、親と過ごす時間を一切持ったことのない俺が、演技で母親なり父親に呼びかける時は、すごく緊張します。意識してしまいます……」


『はあっはっはっ……。か…さん……』

『基樹っ!基樹!!』


 その頃、施設の居間にも俺の絶叫が響いていた。優里子は、見たことのない俺の姿に驚いた。涙目で顔を真っ赤にして、苦しそうに呼吸を続ける俺に不安を感じた。ベッドの上で苦しみながら、隣で眠り続ける母親に手を伸ばすシーンは、胸がぎゅっと締め付けられた。

 あ、そうだ。唯我が咳き込んで帰ってきた日、これを撮影してたんだ。

 優里子はその日の俺の様子と、テレビの中の俺の姿を思い浮かべた。努力して、頑張った結果が、目の前にあることに感動して、少しだけ涙が込み上げた。

 居間にいる英たち家族は、じっとテレビを見つめている。この光景も、優里子の胸を強く打つ光景だった。

 TVをじっと見つめる英には思い出す光景があった。それは春の温かい日差しが差す窓際のベッドで眠り続けていた、今は亡き母親の横顔だった。まだ病院で生活をしていた時の英は、左足と左腕にギプスをして車いすで生活をしていた。毎日悲しくて、トイレで泣いて真っ赤にした目で見つめた光景は、未だに悲しくて温かい。ドラマの少年の姿は、その時の自分と重なった。そして、それは隣にいる父親も同じなのではないかと思えた。


『基樹!しっかりするんだっ』

 過呼吸が落ち着いた頃、基樹さんは気絶した。閉じた目からは一筋の涙が流れた。目に見える現実が悲しくて、伸ばした手を握ってほしい人は眠り続けている。失った日常が、霞の向こうに隠れてしまうように、父親の必死の呼びかけは少しずつ消えていった。


「俺にとって、ジェニーズの仕事は、基樹さんにとっての以前の車いすレースと同じです。がむしゃらにやらなきゃ誰にも追いつけなくて、不安でいっぱいです。だけど、いつかこの仕事をやってて良かったと思える日がくるといいなと思います」

「そうなるよ。絶対そうだよ」

 基樹さんは苦痛と不安の中を、世界一の速度で走り抜いた人だ。その穏やかな微笑みは不安を和らげてくれる。その力強い言葉が背中を押してくれる。孤独で弱くて、寂しさを感じる人に、俺は基樹さんの姿を、言葉を聞いてほしいと思った。それはつまり、施設の居間でドラマを見ているであろう、英たち親子に。

「……実は、俺のいる施設に、基樹さんと同じような事情を持つ子がいます」

「そうなの?」

「はい。交通事故で、父親は下半身不随、小4の兄は左手に事故の後遺症を、5歳の妹は何もなかったんですけど、母親は脳死。ついこの間、心拍停止で亡くなりました」

「……そうかい、そうかい」

「その家族に、今日のドラマを見てほしいと言いました。どんなに苦しくて辛くても、それを乗り越えれば、すごく嬉しいことをたくさん掴めるんだって伝えたくて」

「伝わるよう、最後まで頑張ろうか」

「よろしくお願いします」


                ****


 両足を失った基樹さんは車いすレースを続けた。そして、津本さん演じる基樹さんは、世界に通用する車いすレースの選手となっていた。それから数年後のことだ。

『基樹、その調子だ!最高速度!新記録だ!!』

 基樹さんは世界大会の先頭を走っていた。大きな歓声と拍手の中、基樹さんは1位で切ったゴールテープを切った。最高速度で駆け抜けたレースの向こうには、可能性と希望に満ちた未来が広がっている。


 ドラマが終了すると、会場には大きな拍手が起こった。ステージにいるゲストたちの中には、涙ぐむ人もいる。

『さて、ここでゲストをお招きしたいと思います。ドラマの主人公であり、車いすレース世界大会優勝者の佐藤基樹さんです!どうぞお越しください!』

 大きな拍手の中、基樹さんが登場した。その様子を、施設のガキたちはテレビ中継で見つめていた。

「あ!唯我兄ちゃんがいる!!ほら!車いすの人の後ろに!!」

「ホントだ!」

 俺は基樹さんの車いすを押し、Aファイブの津本さんのところへ向かい、基樹さんが握手を終えると、ステージの真ん中に移動した。

『佐藤基樹さん、そして、特別ドラマ”車輪の最高速度”で少年時代を演じました小山内唯我君です』

 テレビ画面では、基樹さんの後に頭を下げる俺にカメラが回った。その時、興奮した泰一は立ち上がりテレビに向かって手を振った。

「唯我兄ちゃーんっ!!」

「泰一、うるさい」

「何だよ英!いいじゃんか……」

 泰一が振り返ると、英はテレビ画面を見ながら涙ぐんでいた。泰一はストンとしゃがみ込み、静かにした。

『私をモデルにしたドラマ制作のお話を伺った時は驚きました。それから、不安がありました』

『どのような不安がありましたか?』

『私にとって、私の人生は決して明るいものではなかったからです。苦しいことばかりのように思っていましたから』

 膝を抱える英は、目をうるうるさせながら基樹さんの話を聞いていた。無意識に力の入る手は、抱え込む腕をギュッと掴んでいた。

『当たり前にあるはずのものを失うことは、とても簡単です。しかし、それをもう一度手に入れることはとても難しい。この世界には、多くの人があらゆる事情を抱え、不便を持ち、不安を抱いています。受け入れがたい現実と戦い続ける人が多くいます。私はその一人です。その日々の中に、果たしてどれほどの希望や夢が見れるかを、私自身は説明できません』

 基樹さんは家族と両足を失った。英は左腕の自由と、父親の両足、母親を失った。施設のガキたちも、それぞれに事情を持っている。明るくふるまえることもあるけれど、本当は笑っていられないほど悲しいことだってある。

『ですが、津本さん、唯我君をはじめ、多くの方々によって作られたドラマは、明日を生きる勇気と希望に満ちていた。私の生きた苦痛の時間全て、未来にある喜びに繋がっているのだと感じることができました。本当に感謝しています。ありがとう』

『最後に、視聴者の皆様へ一言よろしいでしょうか』

『はい……』

 基樹さんは、膝の上に置いていた拳に力を入れ、スッと息を吸い込むと、ゆっくり話し始めた。

『今、過去の私のような状況に置かれている方がいらっしゃるかもしれません。その苦痛を、私はよく理解できます』

 基樹さんが英たちに向けて言ってくれている。俺は勝手にそう思うことにした。それは、施設の居間にいた英たち親子もそうだった。

『立ち上がるまで時間はかかると思います……。それでも、かけた時間だけ、あなた方には幸せに溢れた未来が必ず来ます。過去はきっと、あなた方を支えてくれる力になります。私が必ず保証します』

『佐藤基樹さん、ありがとうございました!』

『それではここで、Aファイブの皆さんから、応援ソング生披露していただきます!お願いします』

 拍手の中、Aファイブのヒット曲が流れた。俺は基樹さんの車いすを引き、指定の位置まで移動した。基樹さんは他のゲストと同じように手拍子を始めた。俺はAファイブの生のライブを見るのが嬉しくて、カメラのことなどすっかり忘れて一心に見てしまった。

 Aファイブは5人が一列に並び、マイクを片手に歌っていた。今は26時間TVの2日目の昼間である。疲れもくるし、集中力だって足りないだろう。しかし、音程も外さず声音も落とさず、笑顔も忘れない。プロでメジャーデビューしているアイドルの姿勢を生で感じられた。

『Aファイブの皆さん、ありがとうございました!佐藤基樹さん、小山内唯我君。ありがとうございました!』

 会場は拍手の音でいっぱいになり、基樹さんと俺はステージを降りた。遠のいていく会場の音が、4月から忙しく過ごしてきた時間がもうすぐ終わることを感じさせ

た。

 やり切れたと言えるだろうか。ドラマの撮影も、今日のステージも、これまでも、これからも。俺は、これから基樹さんのように世界で一番誇れることを持つことができるだろうか。Aファイブのようなプロのアイドルになれるだろうか。誰かを勇気づけられる人に、なれるだろうか。

「唯我君」

 ステージ裏の通路を移動している時だった。基樹さんの声だけが空に浮かんだ。

「君に出会えて良かった。心から、ありがとう」

「……、俺もです。ありがとうございました」

 涙が込み上げてきたが、泣くまいとギュッと目を閉じた。すぐ開いて、通路の先をしっかり見た。蛍光灯の青白い光と、たくさんの障害物から落ちる影の中を、俺たちは真っすぐ歩いていく。基樹さんとお別れすることで、抱えきれないほどたくさんのことを感じてきた今日までの時間全部、終わるんだ。


                ****


 施設の居間では、テレビの前にいる人たちから拍手がパチパチと鳴っていた。あんなにテンションの高かった泰一は、静かにパチパチ両手を叩いている。隣にいる英は、抱えた膝の中に顔を埋め、静かに泣いていた。そのことに、居間にいた誰もが気づいていた。

 しかし、居間で一番目を引いたのは英の父親の様子だった。膝に乗るみこを抱きしめて、グズグズと鼻を鳴らして泣いていた。

「皆さん……。本日は、本当に……、ありがとうございました」

「服部さん……」

 施設長は英の父親の背を撫でた。そのことにも「ありがとうございます」とボロボロ泣きながら言った。父親は不安そうな顔をするみこをぎゅっと抱きしめて、「みこ」と呟いた。

「唯我君にも、どうかお礼をお伝え下さい」

「はい。唯我も、きっと喜びます」

 施設長の声が少しだけ震えていた。ニコッと笑った目尻のしわが少し光ると、優里子はもらい泣きしてしまった。


                 ****


「基樹さんとステージを下りて、基樹さんのお見送りをしてからは、会場裏でやってたチャリティー募金コーナーに他のJrたちと入ってた」

「あの日は一日忙しかったね。帰って来た頃には、英君もみこちゃんもすっかり眠ってたもんね」

「うん。次の日に、英にドラマ見たか?って聞いたら”見たよ”ってそれだけしか言わなかった。本当はどう思ってくれてたんだろうって気になるけど、それは多分答えてくれない。あいつ、ひねくれてるから」

「……そうね。きっと言わないわね。だってね、英君、号泣だったもの」

「え!?」

 優里子がクスクス笑うと、そよ風が優里子の髪やスカートの裾を揺らした。

 26時間TVの次の週の日曜日、俺は優里子と一緒に公園のベンチに座っていた。ベンチからは、川の波がキラキラと光る様子が見えた。整備された川岸の道で犬の散歩をする人や、ご年配の夫婦がゆっくり歩いていくのが見える。

 基樹さんや英たちのことを考えると、たくさんの人の日常が当たり前にある様子は、とても幸せなように思えた。その穏やかな光景が目にしみた。

「きっと、言わない胸の奥では、たくさん感じるものがあったんだと思うよ」

「うん……」

 優里子が隣で笑ってる。そんな日常さえ、特別なことなんだと改めて思えた。


                ****


 その日の俺のドキドキは、26時間TVとは全く違った緊張感があった。好きな人と一日中一緒にいるということが、これほどドキドキするのかと、まるで世界的新発見でもした冒険家にでもなったような気分だった。

 初めて優里子をデートに誘ってから数か月、その日ようやく初デートが実現したのだった。

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