第40話 ジェニーズJr祭りとちょんまげと
ジェニーズJr祭☆WESTの2日目の午後、優里子と施設のガキたちは映画館にいた。大画面には、樹杏の赤毛の中に、青い瞳がうるうるとして輝いていた。
『おや?この部屋の扉が勝手に開いた。不思議なこともあるもんだ。ねえ、唯我』
『いつから俺以外を簡単に通すようになったんだ?樹杏』
俺の黒い瞳から髪の毛、首筋を舐めるようにカメラワークが進み、樹杏の細い指が俺の輪郭を撫で、あごをくっと上げた。俺たちの横顔はほとんど重なっていて、もうキスしちゃうんじゃないかという距離だった。
『ふふ。戯れに、宵が初めて……』
優里子は頭の上から汽車のように湯気を上げた。二人の対照的な目がまっすぐ見つめ合っている。吐息が互いの頬を伝っていくのが見えてしまいそうだった。”色っぽい”のではない。もう”エロい”のである。
優里子の隣の文子はニヤニヤし、その隣の泰一は「兄ちゃんっ!兄ちゃんっ!」と、とにかく興奮している。その膝に乗るみこは画面に釘付けで、隣の英は「オエッ」と呟いた。
映画が終わると、ガキたちはベラベラと話をしながら映画館の暗い通路を歩いていた。
「唯我、やっば!あれはやばかった!ひひひ」
「文姉が興奮してる」
「泰一だって大盛り上がりだったじゃん!」
「英にすごいね!って言ったら、すげー嫌そうな顔してた」
「いつもの唯我じゃあり得ねえほどキモかった」
ガキたちの話にクスクス笑っていた優里子は、スマホに電源を入れた。すると、俺からのメッセージが入っていた。
『今日、ドラマの代役で撮影することになって、Jr祭の2日目は不参加になった』
「え、そうなの?」
「何なに?優里姉どうしたの?」
みこを肩車する泰一が振り返った。
「唯我、今日、代役でドラマ撮影なんだって」
「ドラマ!?何の?」
「何のだろう。急きょ入ったお仕事みたいだから、帰って来たら聞いてみようか」
「楽しみだなあ。ドラマ」
「私はお土産が楽しみ」
「文姉は花より団子だね」
優里子はスマホの画面を指でなぞった。
****
既に衣装に着替えていた俺は、撮影スタジオ内のベンチに座り、紙コップにもらった水を飲んでいた。初めて着た着物は重く、動きにくい。初カツラは、額の上から頭のてっぺんまで肌色の頭皮が丸見えている。そこにちょこんと乗る坊ちゃまちょんまげが、若干恥ずかしい。
しかし、気にしていられる時間は俺にはなく、膝の上に広げた台本をもう一度読み、セリフや立ち回りを確認していると、隣に置いていたバッグの中からスマホが震える音がした。見ると、優里子からのメッセージが届いていた。
『ドラマ楽しみにしてるから、頑張れ!』
代役とはいえもらった仕事だ。テレビにも映るし、何より優里子が『楽しみにしてる』のだ。人生初のお坊ちゃまちょんまげなんて、この際気にすんな!元気とやる気が一気に上がった。
「”松千代”のシーンです!唯我君、スタンバイお願いします!」
「はい」
風上剣士重兵衛は、藩主の罠によりお取りつぶしとなった武家の出身で、今は目的地のない旅の途中であった。訪れる町で起こる陰謀野望に巻き込まれる弱き者たちのためにのみ剣をふるう、さすらいの正義の剣士でもある。
「待て。お願いだっ……。命ばかりは、命ばかりは」
「問答無用!」
重兵衛は抜いた刀を父上にまっすぐ向けている。悪事が露見した父上は、砂利の上を後ずさりながら命乞いをしていた。情けない姿をさらす父上と重兵衛を前に、松千代は黙ってはいられなかった。
「ち、父上っ!!」
重兵衛は刀を振り上げ、父上に下ろした。
「待て。待て重兵衛!!」
振り上げられた刀の前に松千代は駆け込んだ。重兵衛は振り下ろした刀を松千代の額の前で止めた。
「何故止められる。領主が何をしたのか、そなたもようわかったであろう」
「ああ。父上は領主という立場を利用し、民の生活をないがしろにした。……これは命をとしても償いきれぬ罪である」
「ならば」
「なればこそっ!父上はその身をもって償わねばならぬのだ!父上一人、命を落としても、この罪は消えぬ。民の生活をすぐに変えてもやれぬ……」
重兵衛は刀を下ろし、松千代の声に耳を傾けた。
「私が父上と共に、民たちへの償いをする。どうか……、どうか」
「同じ過ちを繰り返すやもしれぬ」
重兵衛の目には、その手に握る刀と同じような鋭さがあった。すぐそばで鈍く光る刀が、いつ松千代に振りかざされるのかわからない。緊張し、決して言葉を間違えないよう、気持ちが折れぬよう、体の芯から力んだ。
「その時は、私共々父上を斬れ」
「何をっ!何を言っているのだ、松千代!」
「私は、決して間違えぬ。人の道を外さぬ!誓おう。重兵衛!」
刀を腰にさしていない松千代は、懐刀を出し、重兵衛に示した。手は震え、目には涙を浮かべた。
「そなたの誓い、忘れぬぞ。道を違えた時は、そなたの首が落ちること、決して忘れるな」
重兵衛は刀を鞘に収め、去っていった。
パンパンと手を叩く音がした。
「カット!お疲れ様!」
「松千代、お疲れ!」
その瞬間、松千代のシーン全ての撮影が終わったのだった。長セリフを噛まずに言えた。一発オーケーは、これまでのドラマ撮影の中でも滅多になかったことだ。俺の俺は気が抜けて、砂利の上に腰を下ろした。
き、緊張したああ。それに、重兵衛がマジで怖かった。偽物とはいえ、目の前にはよくできた日本刀がギラギラ光っていた。斬り殺してやると言わんばかりの重兵衛の目力が、体をこわばらせた。怖かったああ。喉がカラカラだ。
「松千代君!お疲れお疲れ!かっこよかったじゃあん!」
「あ、ありがとうございました。中井さん」
それは重兵衛を演じた中井さんの声だった。さっきまで向けられていた本当に人を殺そうとしていた目が、今はやんわりと曲がってにこやかだった。中井さんは俺の手を握るとブンブンと振り上げ「あははは」と明るく大きな声で笑っている。
「君とはまた共演できたらいいなあ!またいつか会おうね!」
「はい」
中井さんは口を大きく開けて「はっはっは」と笑っていた。さすらいの剣士重兵衛と、大きく口を開けて高らかに笑う中井さん。このギャップに戸惑ってしまう。恰好が重兵衛なので、頭の中はプチパニックである。演技を職にする俳優という人たちには、毎度毎度驚かされるばかりだ。
撮影を終え、松千代のちょんまげを取るだけで頭がスッキリした。ガッチガチにセットされた髪の毛はシャンプーしなくちゃ元に戻らなそうだった。腹の周りを締めつけていた帯やひもを取ると、急激に腹が減ってグーっと鳴った。
控室の時計は夜の8時を指している。本来であれば、ジェニーズJr祭☆WESTの2日目に参加して、今頃は今日の投票結果を見て、皆で盛り上がっている頃だった。残念だったなと思いつつ、初めての時代劇の経験に少し興奮していた。
最近になって付けるようになった日記は施設に置いてしまっているので、日記の代わりにスマホのメモツールに文字を入力した。
『人生初のちょんまげは、正義感溢れる松千代という役だった。やれて良かった。重兵衛役の中井さんが怖くてかっこよかった!』
その時ピロロンと音が鳴り、メッセージが届いた。押してみると、それはキャリアウーマン根子さんからのメッセージだった。
『今、どちらにいらっしゃいますか?』
****
帰る支度を済ませ、スタジオ内の廊下を歩いていると、正面から歩いてくるおじさん二人とすれ違った。
「だから、こう……。中高生が見てくれる教育番組ができないかって」
「そうっすねえ。やっぱドラマすかね?青春的な?」
「ありきたりだろ」
「そうっすね」
俺は軽く会釈して、そのままエレベーターに向かった。すると、おじさん一人が立ち止まり、俺に振り返った。
「ん?井口さん、どうしたんすか?」
「あれ、見たことある子だな。どこで見た子だろう……」
その時、おじさんの向かっていた先の部屋から、キャリアウーマン根子さんが現れた。根子さんは大きな声で俺を呼んだ。
「唯我君!」
俺は根子さんの声に驚き、おじさんの向こうから走って来る根子さんに振り返った。その一瞬のシーンは、「井口さん」と呼ばれるおじさんにはスローモーションに見えた。同時に、NTKで放送されていたドラマのワンシーンが思い出された。
「ああ、わかった!”勇ちゃん”だ!」
「何でしたっけ?ドラマ?」
「”シークレットハート”の勇ちゃん!ほら、体は男性、心は女性のドラマの!あれの子役だったんだよ!」
「ああ、覚えてますよ。女の子みたいで、一時期問い合わせ結構ありましたよね。SNSでも盛り上がってた」
「そうそう。うわあ、大きくなるもんだねえ。いくつだろう」
「見た感じ、中学生ですけどね」
「中学生……」
井口さんは、しばらく俺の様子を見つめていた。
「唯我君、お疲れ様です」
「お疲れ様です。根子さん。もう着かれてたんですね」
エレベーターが来るのを待っていた俺の元に、少し息を切らせたキャリアウーマン根子さんがやって来た。根子さんの顔を見たら安心して、緊張感が余計に和らいだ。
「来てくれてありがとうございます」
「先ほど、風上剣士重兵衛のプロデューサーとお話させていただきました。唯我君とてもよかったと、お褒めの言葉をたくさんいただきましたよ」
「良かったです」
緊張がほぐれて、穏やかに話す俺の姿を見つめていた井口さんは、「あ」と声を上げた。
「何すか?突然」
「ひらめいちゃったよ!これだこれ!ようやくいい企画書が書けそうだよ!」
井口さんは奥へ奥へと歩いて行った。その人と俺が再会するのは、半年後のことだった。
****
『ほな、最終日を終えての、皆の投票結果発表じゃああっ!盛り上がって行けえ!』
お祭り男みたいな関西弁の司会と共に、全員でカウントした。3・2・1……!
大きなパーティー会場のスクリーンには、3日間行われたジェニーズJr祭り☆WEST、ジェニーズJr祭り☆EASTの結果が並べられた。WESTに参加した俺の順位は、WEST参加者76人中、42位だった。投票数も去年とは比べものにならない。周りのJrたちは大盛り上がりだったが、俺は意気消沈であった。
その時、持っていたスマホに電話がかかってきた。出てみると、それはEASTに参加していたC少年の聖君と貴之だった。
『おーい!唯我、Jr祭の結果見たか?!』
「見てるよ、ちょうど」
『唯我、どうだった?』
「WESTの42位。去年より下がったよ。そっちは?」
『俺は25位。貴之が18位だって!!信じらんねえよな!』
「あの貴之が!?帰ったら縛り上げてやる」
電話口の聖君は大笑いだった。俺には貴之への恨みがある。優里子とのデートを貴之に奪われたんだ。なのに!あいつの方が言い順位だと!ちくしょう!!
「来年は気合入れねえと」
『だな!今日帰ってくるの?』
「ああ。この後、新幹線で」
『気をつけてな』
「サンキュ。じゃあな」
『あーい』
電話を切ると、胸の奥からじわじわと熱いものがこみ上げてきた。悔しい。悔しい!Jr祭のいいところは、分かりやすく結果が数字で表れるところだ。俺は盛り上がる会場を後にし、忙しい中駆けつけてくれたキャリアウーマン根子さんと、夜の新幹線に乗って関東へと帰った。
「来年は絶対今年より、去年よりいい結果を取ります」
「はい。頑張りましょう」
2日目に代役の仕事が入ったからといって、それを言い訳にしてはいけないと思った。俺は気持ちを新たにした。
****
「唯我、唯我!起きろ」
「んん……」
Jr祭から帰った次の日、俺は部屋で爆睡していた。そこに何故か英がやって来て、俺を起こそうとしていた。俺はベッドの上でゴロゴロしながら目を開けた。
「うるせえなあ。何だよ……」
「何か手紙きてたって、施設長から預かった。しんけんだから、早く見ろってさ」
「……親展な。俺に?何だろう」
英から受け取った手紙には、俺の名前と、確かに「親展」の文字があった。起き上がり、とりあえず封筒を開けると、中からはメッセージカードとチケット2枚が出てきた。
唯我君へ
26時間TVのドラマ撮影ではお世話になりました。良かったら見に来て下さい。君のこれからの活躍を期待しています。堤より
「あ、堤監督からだ。……”混沌の闇の底から”って、俺がオーディション落ちた舞台だ」
「へえ。良かったじゃん」
「は?落ちた舞台だぞ。何が良かったんだよ。……あんま気は進まねえよ」
「だって、落ちたからチケット届いたんだろ?しかも、2枚」
「それのどこが良いって」
「誘えるじゃん。優里子のこと」
「……!!!」
俺は寝間着のTシャツ半ズボンのまま部屋を飛び出した。
「あ、唯我、今日は優里子はっ」
そんな英の声はスルーした。階段を降り、キャッキャッと声のする中庭を覗き、食堂を見て、職員室に入った。
「優里子かい?今日はお休みだよ」
「休み!?」
「そんなことより、寝間着のまま施設の中を走ってるんじゃない。起きたなら着替えなさいって、唯我!」
俺はダッシュで階段を上がり、部屋に戻った。英はベッドに寝そべって漫画を読んでいた。
「優里子、今日は休みだからいねえよ」
「早く言えよ!ったく」
「お前が話聞かずに走って出てったんだよ」
チッと思ったが舌打ちは止めた。俺はスマホを取り、優里子に電話した。
その頃、優里子は家でまったりと午後のワイドショーを見ていた。ワイドショーでは、来週に迫る26時間TVの模様が特集されていた。
「もしもし?どうしたの?」
『ゆ、優里子。あのさ……』
「うん?」
『舞台のチケットもらったんだけど……、その……』
「あら?これ唯我君じゃない!わああ!大きくなったわねえ」
隣に座った優里子の母、千代子さんが言った。優里子がテレビ画面に目を向けると、そこにはインタビューを受ける俺の姿があった。
『26時間TV特別ドラマ、”車輪の最高速度”について、視聴者に最も感じてほしいことは何ですか?』
『身近の人に、今回のドラマと近しいことが起こった人がいます。実は、こうしたことは、世の中たくさんあるんだと実感します。だから、悲しいことがたくさんあっても、一人で抱え込まないでほしいっていうこと、悲しいことを乗り越えようと、ひたむきに努力をする人には、想像以上の幸せが必ず訪れるんだっていうことが伝わってくれたら、すごく嬉しいです』
「まあまあ、テレビでもしっかりコメントできちゃうなんてすごいわあ」
テレビの中の俺はとてもハキハキと話しているのに、電話から聞こえてくる声は、とてもたどたどしい。
『その、行かない?一緒に……』
何を緊張しているのか、優里子にはピンとこない。緊張じゃなくて、単純に電波が悪いのかしら。ジェニーズJr小山内唯我はテレビの人で、今電話で話しているのは「弟」小山内唯我なんだと思うと、優里子は少し笑えた。
「うん。行こうか。いつ行けるの?あんた、また忙しそうじゃん」
『え?いや、まあ。忙しいのはお互い様だろ』
「まあ、確かにね」
テレビに映る「弟」が、自分の知らないところで自分とは違う経験をして、人と出会って、実はどんどん成長しているのだと感じた。そんな「弟」が、いつだって何だって頼ることのできる「姉」でありたいと、優里子は強く思った。
「来週は26時間TVでしょう?したら、予定はその後の方がいいわよね。……うん。楽しみにしてる。あ、そういえば!関西で急きょ入った代役って何だったの?……え、時代劇!?ちょんまげ!?あっはははは!」
優里子は笑いながらテレビを見つめていた。隣でバリボリとおせんべいを食べていた千代子さんは、優里子の横顔と、テレビの中の俺を見て、ひそかに思った。
どうか、この二人の間に、想像以上の幸せが訪れますように。
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