第39話 信頼

「今後の仕事について……、相談?」

「うん」

 英の母親の葬式から帰った夜、俺は施設長に相談をするために職員室にいた。相談というのは、舞台オーディションが不合格だったと伝えられたその日、キャリアウーマンが話してくれたことだ。

「これは……相談です。唯我君にあるお仕事の依頼が来ています」

 俺はとても驚いた。キャリアウーマンが俺に仕事の相談!?これまで、キャリアウーマンは仕事の内容を伝える時、「受けていただきますよ」と問答無用で仕事を受けさせた。そんな人が仕事の相談をしてくるなんて、どんな風の吹き回しだろうか。

「実は、一昨年にも同じ依頼がありましたが、その頃唯我君の体調が優れず、一度断ったことがありました。今回も同様の内容なのですが、それが……」

 キャリアウーマンは少し考えてから、顔を上げて言った。

「子ども支援基金への協力を呼びかけるCMです」

「子ども支援……基金?」

「社会的に、生活や金銭面等の問題を負う子どもたちのために行わる、非営利団体のCMです。これは、唯我君の素性を理解した上で依頼があったものです。私としては……、CMとして放映されることで、唯我君自身に負担がないか、心配なのです」

 「子ども支援基金」という言葉も、その意味もよく理解できたし、キャリアウーマンが俺を気遣ってくれているということも理解できた。だけど、俺はすぐに頭を縦に振れなかった。

「先方もお返事をお待ちしますということでしたから、ゆっくり考えて下さい。依頼を受けた場合、撮影は11月末になります」

「わかりました。ありがとうございます」

 キャリアウーマンはホッとしたように笑った。この人の優しさは心地良い。角がないのに硬くて強い。「信頼」という言葉がぴったりだ。心配してくれていることがありがたい。

 キャリアウーマンの言う「俺への負担」とは、一体どんなものだろうか。確かに、俺自身は親がいなくて施設に引き取られた子どもではある。CMはそれを主張した上で、基金への協力をお願いするという内容なのだろう。それがモヤっとするところだ。

 全部は納得できない。だから頭を縦に振れなかった。施設自体が、俺がジェニーズで働くことで援助金をもらって運営されている。お金に困っているとは言い難い。本当に困っている人たちからすると、俺がCMに出ることを良くは思わないのではないだろうか。

「俺だけで結論を出していいのかわからなかったから、施設長に相談しようと思ったんだ。もしも、俺が出ることに納得できない人とか、嫌な気持ちになる人がいたらと思うと、すぐに返事ができなかった……」

「確かに唯我の言う通り、この施設の存続状態を考えれば、世間にはいろいろな意見があると思うよ。僕としては、その問題よりも、唯我自身がどうしたいのかが大事だよ。CMはやりたいのかい?」

「俺は……、仕事ならやるけど……」

 CMの内容が内容なだけに、俺よりもふさわしい人がいるかもしれない。そう思ったら、俺が「仕事だからやります」というのは、あまりに安易なのではないだろうか。仕事に対して、そう思ったのは初めてだった。


                ****


 今年の8月も、毎年恒例のジェニーズJr祭がやって来た。今年のJr祭で行うことになったY&Jのステージは、樹杏の仕事の都合上、関東で開催されるEAST会場では難しかった。そのため、同日に行われる関西会場、つまり、Jr祭☆WESTへ参加することになった。

『皆さーん!こんにちはあ!』

『俺たち、Y&』

『Jでーす!!』

 樹杏のアホな声の大きさに、ステージのマイクが反響してブワーンと音を立てた。映画の衣装そのままに、俺は右手でブイサイン、樹杏は左手でJの文字を形作り腕を伸ばした。俺たちの決めポーズとして、ステージに上がる前に樹杏が思いついたものだった。マイクが静かになるまで、俺たちはそのポーズのまま固まった。

 関西のお客さんは、マイクの反響にも負けない大声で笑っていた。マイクが静かになる頃、関西弁のJrの司会者が『元気やなあ』とツッコむと、それでまた大笑いが起こった。

『樹杏君らしい挨拶が聞けておもろかったなあ!さて、Y&Jの由来は何ですのん?』

『はーい!唯我のYと、僕のJを合わせました!わかりやすいでしょ?』

『なるほどなあ。結成を聞いた時はどないな気持ちやった?』

『ちょー嬉しかった!!』

『唯我君の方はどないやろ?』

『……こいつと組むのかと不安になりました』

『嘘でしょ!?嘘だと言って!』

『全然テンション違うんで……』

 観客からも、ステージ上の司会者からも大きな笑い声が上がった。

 それは本音だった。樹杏から最初のメッセージをもらった時は、一体何の話かと驚き、それが本当のことだったと知った時は、樹杏と一緒にやるのが俺でいいのか、俺がユニットを組んでやっていけるのか、不安ばかりあった。

『だけど、樹杏が俺とだからやりたいって言ってくれたから、それでやっと安心した、という感じです』

 樹杏に向かって言うと、拍手と「唯我ー」「樹杏!」という声が上がり、それに調子づく樹杏は俺に抱きついた。

『ああ、唯我あ!大好き!!』

『暑苦しい!離れろっ』

『多分、これはジェニーズでも有名な話やし、ファンの子たちにも知れ渡っとることやけど、樹杏がこうも仲良うするJrは他にいないわなあ。俺、まだ映画見てへんけど、この二人のシーンがなあ、なかなかエロいらしいで』

『ちょっと、何テキトーなこと言ってるんですか!』

 司会者は『あはは!』と話をごまかし、強引に進行させた。

『ほな、さっそく始めて参りまひょか!現在公開中の映画、"今宵、夢のステージを貴女に。ジェニーズJrの舞踏会"のため組まれた、秋川千鶴プロデュース期間限定ユニット、Y&Jのステージです!曲は"輝き"』

 キャーという声と共に拍手が起こる。俺と樹杏は2つのマイクスタンドの間で背を合わせて、曲が始まるのを待った。前奏が始まると同時にカウントしながら手を上げる。1234……。ターンを決め、ステップでマイクの前まで移動した。マイクを持つ手と反対の手を伸ばし、目の前の観客たちを指差した。会場には、俺たちの歌が響き、ワアッという歓声が上がった。


                ****


 必死に隠していた緊張は、ステージを降りた後にどっと体に落ちてきた。楽屋の椅子に腰を下ろし、ペットボトルの水を飲み干すと、はああっというため息がこぼれた。

「疲れたの?唯我」

「か、かなり緊張した……」

「あははっ!そうだったんだ!僕はちょー気持ち良かった!」

「お前は歌上手だからいいよな。さすが舞台で鍛えられてるだけある」

「ふっふーん!まあねえ」

 もう一度ため息をつく。反省ばかりのステージとなった。俺はこれまで、ジェニーズのライブのバックダンサーとしてステージに立ってきたが、自分たちがメインで立つステージは初めてだった。ダンスはともかく、歌が下手すぎる。声が震えたし、動く度に音程は揺れた。

「まあまあ、これから上手になればいいって」

「ボイトレ大事さが身にしみたよ」

 その時、楽屋の外を何人かが走っていくような音がした。

「ん?何だろう。慌ただしいね」

 樹杏はドアを開け、外を覗いた。俺も一緒に顔を出した。すると、ステージの方向から大人たちが担架を担いでやって来た。乗せられていたのは、俺たちの次にステージに上がっていたJrだった。「痛えええっ」と叫びながら運ばれるJrは、救急車で病院へと向かっていった。担架の後に、一緒にステージに上がっていたであろうJrたちが戻ってきた。

「ステージで怪我したんですか?」

「ちゃうねん。ステージから降りた時に、階段から足踏み外して、転んだ思たら痛がってん」

「聞いたら動けん言うから、担架持ってきてもろて、即病院行きや」

「なんぎやなあ。折れてるんとちゃうか、あれ」

 それは痛いだろう。俺が顔を青くしていると、後ろに隠れていた樹杏が「ダッサ」と呟いた。俺が小さな声で「こらっ」と怒っていると、周りのJrたちが話しながら隣の楽屋に入っていった。

「しっかし、あいつ折れてたら明日の撮影どないすんのやろ」

「せやな。あいつの背丈に合わせた衣装やから、代役も難しいんとちゃう?」

 パタンと楽屋の扉が閉じると、会場の盛り上がる歓声が戻ってきた。樹杏は「さて」と背伸びをした。

「僕は支度しなくちゃ。午後は舞台のリハなんだあ。おっ着替え、おっ着替え」

「そっか。仕事……。なあ、樹杏。一つ、聞きたいことがあるんだ」

「なあに?」

「……仕事の内容に、自分はふさわしいのか、考えたことはあるか?」

 キャリアウーマンに相談を受けた基金募集のCMのことが、俺はどうしても踏ん切りがつかないでいる。樹杏ならどうするのだろう。

「考えたこと、一切ないなあ」

「へ!?」

「なんて、答えられたらカッコイイけど、一度だけある」

 樹杏はシャツのボタンを外しながら言った。

「小さい頃に受けた舞台のオーディションの話。そのオーディションには、僕よりずっと芝居の上手な子がいたんだ。だけど、選ばれたのは僕だった。その子がね、合格を言い渡された僕を睨むんだ。僕は怖くてたまらなかった。僕でいいのかって悩んだよ。だけど、僕が選ばれた理由があった。僕に期待してくれる人がいた。じゃあ、僕はその期待に答えなきゃいけないじゃん。その子より上手にやらなきゃじゃん。プレッシャーはすごくあったけど、やるしかないじゃん」

 樹杏の口から、「期待」や「プレッシャー」という言葉が出てくることが意外だった。樹杏にも、そんな時期があったんだ。

「くよくよしてる時に、彼女が僕に言ったんだ。あんたが必要とされたんだって」

 樹杏は当時のことを思い出した。まっすぐな黒髪を揺らして、大きな瞳から涙をこぼしながら叫んだその子の言葉は、未だに樹杏に勇気をくれる。

「唯我が、その仕事に自分はふさわしいかどうか悩んでるなら、僕は同じ言葉を送るよ。誰でもない。唯我が必要とされたんだよ。だから、迷うことはないし、遠慮もいらない」

「それを不服に思う人がいたら?」

「世界にただ一人も不服を感じないなんて仕事ないと思うよ。現に、その時の彼女は僕が選ばれたことに、少なからず不服を持ってたもん。だから、選ばれた僕たちができることは、ベストを尽くすことだ。僕たちの価値を決めるのは、いつだって他人なんだから」

「なるほど」

 樹杏の言葉に、少しだけ納得できた。俺たちの価値は相手が決める。不服を持つ奴だっている。だから、ベストを尽くすだけ。その通りだと思った。

「少しは参考になったかね?」

「すげーなった。サンキュ」

「イケメンスマイル最高!ようし!僕も午後は頑張るぞ!」

 半裸の樹杏が「おー!」と片手を上げた時、楽屋の扉をノックする音がした。

「し、失礼します!小山内唯我君、いますか?」

「はーい!ここ、ここ!」

 楽屋に入ってきたのは、おどおどとしたスーツの男だった。樹杏は俺の肩に腕を回し、指差した。

「ちょっ、樹杏っ」

「ああ!ピッタリだ!」

「はい?」

「君に、怪我をした彼の代役をお願いしたいんだ!」

「……はい?」


                ****


 楽屋には、困り果てたような様子でスーツの男は座っていた。震える手で渡された名刺には、「マネージャー 桐島 祐真」とあった。

「私は"KYO男子"の副マネージャーの桐島と申します。先程、病院から連絡を受けまして、怪我をしたメンバー柳小路は、骨折との診断を受けました」

「うんうん。ご愁傷さま」

「おい、樹杏」

「で?明日は撮影って聞いたけど、もしかして、その代役を唯我に?」

「はい。明日の撮影の代役を、唯我君にお願いできないかと思い、こちらにお邪魔しました」

「やったじゃん!唯我!!」

「や、え?明日の撮影?代役!?なんで俺なんですか?」

「まず背丈が同じだからです。柳小路は身長157センチで、唯我君は156センチと聞きました。今回の役は時代劇でして、衣装の寸法は役者に合わせて仕立てられます。だから、背丈の同じくらいの人でなくてはいけません」

「「時代劇!?」」

「それに、唯我君にはドラマ出演のご経験もあると伺いました。お願いできませんか?」

「唯我!やったじゃん!!うらやましい!!」

「いや、いやいやいや!やったことないって!それに、同じような背丈の奴なら、このWESTに参加してるJrの中にも、他にいるだろ?俺なんかが……」

 しかも、代役とはいえ未経験の時代劇だ。不安だった。それに数多いるJrの中には、俺よりも経験を積んだ実力のある奴らがいるはずだ。俺に代役が務まるのか。受けてしまっていいのか。ふさわしいのか……。

「あんたが必要とされたんだ」

「樹杏……」

「だよ?唯我」

 樹杏がニコッと笑った。俺の迷いに気づき、背中を押してくれているんだと思えた。その時、キャリアウーマンのいつもの言葉を思い出した。

「受けていただきますよ、唯我君」

 キャリアウーマンは仕事の都合で一緒に来ることはできなかった。いつもなら、キャリアウーマンが仕事を決めてくれる。俺はキャリアウーマンを信頼しているから、何の迷いもなく、躊躇せず、その指示に従っていた。ただ、それだけだったのかもしれない。

「唯我はやりたくないの?」

「……いや、やらせてください」

「唯我君っ!!」

「唯我!!」

 キャリアウーマンがいなきゃ、仕事を引き受けることもできないなんて、情けない。桐島さんが楽屋を出た後、俺はキャリアウーマンに電話をした。

「こういう経緯でお願いされました。代役を引き受けたいと思います」

『唯我君』

「はい」

『あなたがやりたいと思うなら、どんどんやってください。私は、唯我君を信頼しています。だから、あなたのやりたいことを、私は心から応援します』

「はい……」

『頑張ってください。スケジュール調整等はお任せください』

「はい」

 キャリアウーマンの声を聞くと、少しだけ落ち着けた。考えてみれば、俺はキャリアウーマンから「受けていただきますよ」ではなく、「相談です」「負担がないか、心配なのです」という、いつもは聞かない言葉に動揺して、単純に不安になっていたのだ。その不安は俺が思っていたほど重くはなく、樹杏のたった一言でキレイに片付いてしまうようなものだったのだ。

「誰でもない。唯我が必要とされたんだよ」

 俺がしたいと思う仕事は、そういうものなんだ。

「あの……」

 キャリアウーマンさん。いや、キャリアウーマン。俺はキャリアウーマンの名前をはっきり知らない。呼びかけたいのに、名前を知らないために呼びかけられない。知っているキャリアウーマンの名前と言えば、いろいろな人が呼ぶあの動物の名前だ。

「……さん」

『はい?』

「相談いただいていたCMの件、受けたいと思います。ご心配いただいて、ありがとうございました。俺は大丈夫です。ベストを尽くします」

『わかりました。先方へは、そのようにお伝えしておきます』

「よろしくお願いします」

『初めて、呼んでいただけましたね。私のこと』

「何のことです?」

『名前です』

「……名前?」

根子ねこです。私の苗字。初めて呼ばれて、ビックリしました』

 千鶴さんや樹杏までもが、この人のことを「ネコちゃん」と相性で呼んでいると思っていた。「ネコ=根子」は苗字だったのか!

『EASTでは、唯我君はいないの?と質問されるJrが多数いるそうです。少しずつ、唯我君のお名前を知る方が増えているようです』

「そうですか……」

 ありがたいことだ。会ってお礼が言いたいくらいだ。

『その方々が、テレビに映る唯我君を見て喜んでくれるよう、明日の撮影は頑張ってください』

「はい。失礼します」

 電話が終わると、荷物をまとめた樹杏が「終わった?」と言った。

「これからのスケジュール調整はしてくれるって」

「そっか!ねえねえ唯我、今日の夜、僕のホテルの部屋おいでよ!初時代劇でしょ!?作法とかいろいろあるんだから、覚えていかなきゃ大変だよ!?」

「お前にその時間はあるのか?」

「気合で作るに決まってんじゃん!僕らはジェニーズ最高のユニットY&Jなんだから!そこんとこ、忘れないで!」

 樹杏は拳を俺に伸ばした。俺も拳を握り、樹杏の拳に軽く当てた。

「サンキュ、J」

「ユアウェルカン!マイディアY!」

 俺はあまり英語は得意じゃないけれど、ニッと笑う樹杏の流暢な英語は、「いいよ」と言ってくれているのだと理解できた。


                ****


 関東とは少し色みの違う夕焼け空が広がった1日目のJr祭りWEST会場で、KYO男子のマネージャー桐島さんから台本を渡された。明日の撮影に向け、夜、樹杏の部屋で作法を教わり、台本を読んだ。樹杏はかなりはちゃめちゃな指導をしたが、おかげで不安はほとんどなく、次の日の朝を迎えた。

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