第37話 初セクシーに泣く

 その日の夜、俺は総勢40人のJrと共に映画完成試写会の舞台へ上がった。Jrたちが舞台に現れると、会場には割れんばかりの歓声が上がった。樹杏は俺の手を取り、腕を伸ばして手を振った。舞台の横からパンと音が鳴って金色の紙吹雪が舞う。まるでジェニーズ舞台にいるようだった。

『ジェニーズJr諸君、いよいよ幕は上がる。今宵集まりし乙女たちに、輝く一夜をプレゼントしよう!』

 舞台の中央に立つ千鶴さんは、ナレーションのようにスラスラと話した。黄色い歓声拍手の波が舞台に流れ込み、Jrたちは手を振った。俺は樹杏の横に立ち周りの様子を見ながら、4月の撮影の日を思い出していた。千鶴さんに怒鳴られ、樹杏にバカにされてキレられて、やっとの思いでオーケーをもらった。あの日撮影されたシーンがどんなことになっているのか、期待と不安と不信感でドキドキしていた。会場が暗くなると、完成したばかりの映画が初めてスクリーンに映し出された。

 映画の始まりは、千鶴さんのセリフから始まる。


 ― 今宵、この城に集まりしジェニーズJrに用意されたステージはただ一つ。

 想いを一つにした者のみが上がることを許される極上のステージ ―

 満月の美しい夜、真っ白に浮き立つような立派な城の舞踏会の会場に、40人のJrたちが集まり、談笑していた。美しい装飾の数々はきらびやかで、そこに立つ男たちはイケメンぞろい。すると、会場は突然暗くなり、幕の下りたステージの端に執事服の男が立った。男は一例すると、淡々と話し始めた。

『お集まりのジェニーズJr皆様、私は当城の統括役を仰せつかっております、湊 海斗と申します。さあ今宵、この特別なステージを皆様にご用意しました!』

 手を伸ばした瞬間、ステージの幕が上がった。そこには、装飾が施された最新システムを備えた大きなステージがあった。Jrたちはステージにくぎ付けで、「おおっつ!」「すげえ!」と声を上げた。

『ですが、立てるのは……たったの一人。さあ、ステージが欲しくば、城の最上階におわすキングに会うべし!さあ、今宵限りの宴を始めよう!』

 海斗さんが両手を広げると、真っ赤なバラの花吹雪がJrたちを襲った。


 映画の中盤、いよいよ俺と樹杏のシーンが始まった。

『おや?この部屋の扉が勝手に開いた。不思議なこともあるもんだ。ねえ、唯我』

 落ち着きのある声はつやっぽく、青い瞳がスクリーンから観客を舐めるように見つめた。

『いつから俺以外を簡単に通すようになったんだ?樹杏』

『ふふ。戯れに、宵が初めて……』

 俺は自分の声に驚いた。なんて声だ!なんて棒だ!そして、樹杏との距離がやはり近い。近い近い近いいっ!!樹杏の指がぬるりと俺の頬を撫でていく。横顔の鼻が重なっている。唇の距離!え、キスしてたっけ!?してないしてない!しかし近い!近いいっ!!俺は見てられず、顔を赤くして俯いた。隣の樹杏は、周りのJrと一緒に「おー」と声を合わせて出した。


 観客の熱気が立ち込める会場では、上映終了後、グループごとにコメントを言った。

『僕たちY&Jは、映画の通りの仲良しっぷりです!』

『え?二人ってあんな親密だったの?結構いかがわしく作ったつもりだよ?俺』

 千鶴さんの冗談で会場から大きな笑い声が上がった。俺は「樹杏やりやがった!」と思って顔を赤くして頭と手を振り続けた。

『えー?でも、807号室に通すのはマジで唯我だけだもん。ねー唯我!』

『余計なこと言うな。樹杏!』

 それでまた笑い声が上がった。笑い声に混ざって「キャー」という声が聞こえると、本気にしている人がいないか心配になった。


                ****


 初の出演映画試写会の夜が明け、土曜日の朝、俺は既に出かける支度を済ませ、玄関で靴を履いていた。本当は、もうすぐ楽しいデートが始まるはずだった。

『お願いできませんか?』

「……はい。……行きます」

『ありがとうございます。場所が』

 キャリアウーマンからの電話に、俺は「はい」と返事するしかなかった。

「え、これからライブ!?」

 優里子も支度を終え、自家用車の助手席に乗り込もうとしているところだった。

「そっか……。わかった。私は大丈夫。いってらっしゃい、唯我」

「優里子、どうしたの?」

 運転席にいた優里子の母親、千代子さんが心配そうな顔をした。

「それが、相手に急な仕事が入っちゃって、お出かけ無くなっちゃった」

「あらま!残念ねえ。せっかく可愛いお弁当まで作ってたのに……」

「まあ、しょうがないよ」

 優里子は少し大きめなバックを持っていた。その中には、今日のデートのために作ったお弁当が入っていた。

「なら、私とお出かけしない?どうせなら、そのお弁当でピクニック行きましょう」

「え、いいの?」

「大丈夫」

 優里子はそのまま車に乗った。千代子さんは車にエンジンをかけ、ハンドルを握った。

「それにしても、お忙しい人なのね。今回の人は」

「こ、今回の人は?」

「だって、デートだったんでしょ?服装とか、様子見ればわかるわ。優里子ったら、毎回わかりやすいのよ」

「そんなにわかりやすいかな」

 優里子は、施設では束ねている髪を下ろし、毛先をクルクル巻いていた。耳に髪をかける時、イヤリングがキラリと光る。ノースリーブにロングスカート、ヒールの低いサンダルを履いている。

「でも、あれね。今回の人は、あんまり気を使う人じゃないみたい。いつもは様子からして緊張してたり、おしゃれに気合いが入ってたり」

「もう、そんな言わないで!恥ずかしくなってきた!」

 顔を赤くする優里子を、千代子さんはクスクス笑った。優里子はもう一度スマホを見た。俺からのメッセージが入っていた。

『ごめん。行ってくる』

 言葉数の少ない俺らしいメッセージだと思った。たったその一言の中に、申し訳ない気持ちがたくさん詰まっているのが、優里子には読み取れた。

『またどっか行く予定立てようね。頑張れ!唯我!』

 そのメッセージが来る頃、俺は電車に乗っていた。メッセージを見た瞬間、ふにゃっと口元が緩んだ。『また』という言葉が嬉しかった。


                ****


 会場の最寄り駅を降りると、キャリアウーマンが待っていた。車に乗り、ライブの一日の流れを確認した。会場に到着すると、そこに聖君がいた。

「唯我、来てくれてありがとう!あいつ昨日から高熱出して、今日無理して来たんだけど、もう立ってられなくて」

「まさか体調不良で穴空いたって」

「貴之だよ」

 貴之は控室で布団にくるまり、真っ赤な顔でゲホゲホ言っていた。控室で貴之を見た瞬間、殺意が湧いた。メラメラとした空気は、隣の聖君や貴之を凍りつかせた。

「貴之い……」

「ゆ、唯我……。早まるなっ」

「てめえのおかけで、今日を失った……。これは罪だろ。殺すしかないだろう」

「唯我ああああっ!!!」

 俺は頭に血が上り、静かに貴之に近づいた。貴之は控室の奥へと後ずさり、聖君は俺を後ろから抑えた。

 殺意と怒りが収まらないが、俺は聖君に連れられダンスの練習をした。その振り付けは、ほぼジェニーズ舞台の振り付けだった。11時にはお昼を食べ、すぐにリハーサルを行い、本番を迎えた。

 その頃、優里子は港のベンチに座り、母親の千代子さんとお弁当を食べていた。お弁当の中には、玉子焼きやタコさんウインナー、大学いもやうさ耳のりんごなど、まるで子どものお弁当箱のような内容になっていた。

「唯我君は元気?」

「へっ!?ゆ、唯我?ああ、うん。元気元気!たまにはお母さんも施設に来ればいいのに。いつから施設に来てないっけ?」

「確か……、駿君が高校に上がる頃だったかな」

「だいぶ前ね!その時、唯我は小学2年生じゃん」

「そうそう。こんなだったわよね」

 千代子さんは昔、まだ学生だった優里子が施設に遊びに来るのに便乗して、よく施設に来ていた。千代子さんは地面と平行にした手をひらひらと動かし、当時の俺がどれくらいの大きさだったかを表した。

「そんな小ちゃい唯我、懐かしいなあ。今はこんなん!いや、こんなん?あいつどれくらいだっけ?」

 優里子もベンチに座る自分の肩の高さで手をひらひらと動かした。

「どんどん成長するわね。きっと優里子なんて、さっさと追い越しちゃうわよ?男の子だもの」

「そうかなあ」

「それに、恋もね」

「……あいつが恋ねえ。想像できないや」

「私はね、すぐそばで笑ってくれる人のことを、今でも一途に想ってくれていたら嬉しいなあ、なんて思うのだけどね」

 千代子さんはふふっと笑った。当時、小学2年生の俺が、優里子をじっと見つめている姿が、今も千代子さんの記憶に残っている。

「すぐそばで笑ってくれる人……。あ、もしかして佳代ちゃんとかタイプだったりしてね!」

「全くあなたは!お父さんそっくりで鈍感なんだからあっ!」

「いやいや!私のカンは当たるよ?」

「先が思いやられる娘だわ。今日はまた事務所なの?」

「いや。朝、急にライブのヘルプが入って行っちゃったんだ。だから今日は……」

 話す途中で「あ」と気づき、優里子は口を手で隠してそっぽを向いた。千代子さんは優里子の様子と、子どもっぽいお弁当を見て理解した。

「ふうん。なるほどね」

「……何が?」

「隠しても遅いわ。ねえ、どっちから誘ったの?」

「……あっち」

「あらそう!ふふふ。嬉しいなあ」

「何でお母さんが嬉しがるのよ」

「秘密よ」

 優里子には、千代子さんが笑う理由は検討もつかなかった。千代子さんはスマホを出し、画面をなぞった。

「今日はどこでライブなの?」

「さあ、どこだろう。セクトのライブとは言ってたけど……」

「セクト、セクト……。あら?もしかして、案外近くでやってるんじゃない?」

「え?」

 千代子さんはスマホを優里子に見せた。


                ****


『君の心に響け!マイハート』

『ラブユー』

 sexy toneのセンターを踊る大島君がマイク越しに呟くと、会場からは割れんばかりの歓声が上がった。大画面に写る大島君は、あごを上げ、唇を「ふ」の形にして片目をゆっくり閉じてまた開いた。舞台袖で控えていた俺は、動いてもいないのに顔が熱くなった。

「セクシーだろ?」

「なるほど……」

 観客席からはパンパンとリズミカルな手拍子が聞こえてきた。イヤホンからは曲の前奏が流れ始め、俺たちも両手を上げて手拍子しながらスキップでステージへ向かった。俺はセンターで聖君と並んで踊り始めた。大島君が歌いながら後ろに下がると俺と聖君の間に入った。サビに近づくと、3人で前へと進み、大島君の背を押し前に飛び出した。

 衝撃だったのは、大島君はテンションが上がると服を脱ぎ始めることだった。汗がライトに照らされてキラキラと輝いた。はだけたシャツは二の腕まで下がっているがお構いなしに踊っている。俺はその生肌がツヤツヤとした肩に手をかけステップを踏んだ。筋肉質な肩は固く、骨ばっている。男の肌を感じた瞬間、俺は少し悲しくなった。

 優里子と手がつなぎたかったああっ!!!貴之め!いつか仕返してやる!!

 ステージには、目の前が真っ白になるほどのライトが当たり、熱気が立ち込めた。歓声は鳴り止まず、大島君やリーベル君の息づかいにさえ拍手が湧いた。あらわになった濡れた肌、甘く響く声。それは、これまでの俺には惹かれるものを感じなかったものだった。知らなかった。男のセクシーさに魅力を感じる人たちがこんなにも、いやもっと世界中にいるんだ。

 アイドルって、すごく上手に歌って、すごく上手に踊れればいいわけじゃないんだ。人を惹き付ける、その人にしかない魅力が一番大事なんだ。その方法だって、考えて、実践するしかないんだ。


                ****


 ライブが終わり、解散したのは、夜8時だった。熱に苦しむ貴之はキャリアウーマンに送られ、聖君はグループの仲間と夕飯を食べに行った。俺はというと、スマホに入っていたメッセージを見て、一気に体力が回復した。

『もしかして、今日のライブは縦浜スタジアムだった?実はお母さんと縦浜をお出かけしてたの!9時までに終わったら連絡ちょうだい。ディナーデートしましょう』

 腹はものすごく減っていたけれど、俺は会場から街までダッシュした。縦浜の街を照らす明かりは、まるで俺の胸の中のようにキラキラと輝いていた。

『すぐ行く!』

 優里子は縦浜の街を眺められるファミリーレストランにいた。テーブルにスマホを置き、俺からのメッセージを見つめてクスッと笑った。優里子と一緒にいた千代子さんは、ニコニコしながら「邪魔者は先に帰るわね!ふふふ」と言って、さっさと帰ってしまった。優里子は、何でお母さんはあんなに嬉しそうにしてたのかしら、と考えていたが、答えは、きっとからかって面白がってたんだ、という結論となった。

 ドリンクバーから取ってきた飲み物が、カランと音を立てる。頬杖をついて、窓の外を眺めた。遠くには点々と光を灯すビルが立ち並び、その間を電車がまっすぐ走り抜けていく。すぐそこに見える小さな遊園地が、おもちゃのようにカラカラと動きながら光っていた。

「お客様、待ち合わせの方がいらっしゃいました」

「あ、はい」

 店員さんの声に振り返ると、息を切らせた俺が立っていた。

「優里子…、お待たせ。待たせて、ごめん」

 優里子は俺をじっと見つめた。襟に細い赤い線の入った黒いポロシャツ、俺が持ってるズボンの中でもタイトめなスボン、水の中でも高いところでも動くこだわりの電波腕時計、最近買った赤のスニーカー。どれもお気に入りの物だということを、優里子は知っていた。ライブのためにセットした髪の毛は、少し乱れている。しかし、いつもと違う雰囲気に、不意打ちを受けた優里子がドキッとするには十分だった。

「うん。朝からずーっと、唯我のこと待ってたんだからね」

「だ、だからごめんて」

「いいの」

「え……」

「来てくれたから、それでいいの」

 優里子が笑うのを見ると、それまでの疲れはどこかへと吹っ飛んでしまった。いつも施設で見る姿とは違う優里子が大人っぽくて、窓の外の夜景なんかよりずっとキラキラ光ってて、可愛くて、キレイで、ドキドキした。

「その代わり、ここは唯我のおごりね」

「も、もちろん!」

 そう言って、優里子はドリンクバー付きドリア500円を頼んだ。二人で今日のことをたくさん話した。施設の夜とは少し違うことが特別で、二人だけしか知らない時間を共有できることが、とても嬉しかった。

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