第34話 「苦痛」とデートの約束
「演技とは再現ではなく表現です。相手に伝えなくては意味がない。今日はあらゆる感情の表現について、皆さんと学べたらいいなと思います。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
その日、俺は施設長にお願いしてお金を出してもらって、演技の勉強をしにあるスタジオに来ていた。そこでは、台本の読み合わせが来週に迫る「26時間TV」の特別ドラマの監督である堤監督のワークショップが行われていた。堤監督は笑いじわが濃く、にこやかな表情から想像する通りの口調で話す、見た目からして穏やかな人だった。目つきが鋭くて怒鳴りまくる千鶴さんとは全く違う。
ワークショップに集まったのは10人ほどで、大人ばかりだった。俺は少し緊張して、配られた用紙に目を通した。そこには、喜怒哀楽の文字から線が引かれ、感情がさらに細分化されていた。
「さあ、始めようか。3ページ目からのセリフを、感情の通りに話していこうか。まずは君が愉快、君が恐れ、君が哀愁で、唯我君は苦痛、次に……」
言い渡された感情のみで、セリフを言い合っていくという方式らしい。セリフは、必ずしもその感情に合ったセリフとは限らない。愉快の人が「苦しい」を言ったり、恐れの人が楽しそうに笑ったりする。それを楽しみながら学ぶというのが、今回のワークショップの目的である。
大人たちは感情とセリフを上手にバランスを取りながら演技をしていた。皆が上手すぎて、俺だけが置いてけぼりを食らった。
「そ、そんなの冗談だろっ!」
「アハハ。唯我君、恥ずかしがりすぎだよ。演技を忘れないで」
苦痛の感情で「そんなの冗談だろ」なんて、どう言えばいいのか検討もつかない。とりあえず苦しそうに言ってみたら、堤監督や大人たちは笑った。それに、堤監督の言う通り恥ずかしい。演技とも思われてない!わからないことが恥ずかしい。
「ちょっと、誰か苦痛で今のセリフ、言ってみて」
堤監督の言葉にすぐ手を上げた男が立ち上がり、それは見事にやってくれた。
「く!……そんなの、冗談だろっ!!ううっ!」
その人の演技はすごかった。表情はとても苦しそうで、息もたどたどしい。涙目で遠くを見つめる。だけど悲しいのではない。胸をぎゅっと掴み、何かに耐えている。なるほど。痛みとも違うし、苦しいとも違う。苦痛だってわかる!
「はい、ありがとう。人の演技というのは、時に見ることも大切になる。だけど、見るだけにしなさい。そればかりが正解ではない。自分の演技を作るための、ほんの少しの勇気くらいにしなさいね」
「はい」
樹杏にも似たようなことを言われたのを思い出した。
「試しに僕やってみようか?そんなことしたら、きっと唯我の演技じゃなくなっちゃうよ」
あいつはアホだけどすごいんだなと、改めて思った。
ワークショップが終わり、俺は堤監督のもとに行った。
「今日はありがとうございました」
「何か学べたかい?」
「はい。たくさん」
「撮影を楽しみにしてるよ、唯我君。またおいで」
「はい」
俺は堤監督のワークショップ以来、「苦痛」の感情表現、英の「恐怖」や「不安」を材料にして、特別ドラマの主人公である佐藤基樹さんの役作りを続けた。台本とにらみ合いを続けるうちに、一人でケンカしているような気持ちにもなり、焦りで少しイライラもした。
施設のガキたちは、その一週間だけは俺と距離を置いているようだった。気を使っているのか、触りにくい割れ物みたいに見られているのかわからないけれど、おかげで集中することができた。
「唯我兄ちゃん、頑張ってる?」
イライラする俺と廊下ですれ違った泰一が、ひそひそと優里子に言った。
「うん。きっとすごいことやって頑張ってるんだよ」
****
「津本潤です。よろしくお願いします」
「小山内唯我です。よろしくお願いします」
「それでは、本日より皆様、よろしくお願いします」
堤監督が挨拶すると、その場にいた全員から「お願いします」という声が上がった。顔を上げると、隣に座るAファイブの津本さんが俺にウインクした。津本さんはTVで見るよりずっとイケメンで、オーラの溢れるザ・芸能人という感じがした。千鶴さんとは違う個性のあるジェニーズだと思った。
「それでは、早速台本の読み合わせを始めます。ナレーションから入りましょうか。津本さん、お願いします」
「はい」
津本さんが一息置いた瞬間、部屋の空気は一変した。
「……これは、両足を失った僕の物語です」
いよいよ読み合わせが始まる。俺の最初のセリフはこれだった。
「おい皆!何して遊ぼうか!」
ドキドキしながら、泰一のように明るくテンション高めの声を出した。緊張で少し声が震えるけれど、部屋を覆い始めた空気には絶対縛られない。固くならないように、思考を止めないように、慎重に、真剣に、登場人物の気持ちに寄りそい丁寧に言うことに努めた。
そして一番の難所のシーンがやって来た。それは家族で交通事故に合い、病院で目覚め、両足がないことに驚き声を上げるシーンだ。想像した。朝、目覚めるとそこは知らない場所で、自分の体を見ると、あるものが無くなっている。
「……何?なん…何で?足が……足がっ!!わあ、うわああああっ」
驚きと動揺、痛みと無感覚。混乱が体の中で渦を巻く。俺は全力疾走した後のように息を切らし、呼吸を早めた。父親役の俳優が「基樹、基樹っ」と声をかけるが無視して唸り続けた。
「唯我君」
堤監督の声が強く響いてドキッとした。
「それだとちょっと痛みが強いよね。動揺、信じられないっていう困惑の感情をもっと含めて。もう一回」
「………はい。お願いします」
ワークショップの時の穏やかな堤監督とは少し違っていた。机の上に置く台本を見つめるばかりで、顔を上げた俺と全く目を合わせない。俺は考え方や声の出し方を少しずつ変えながら、何度か声を上げた。おかげで読み合わせが終わる頃には喉がカラカラだった。
「唯我君、唯我君」
読み合わせが終わり解散した後、堤監督に声をかけられた。
「はい」
「良かったよ。こないだ受けてくれたワークショップで教えたこともちゃんと生かされてた。よく考えてきたんでしょう。上手だったよ」
そうは言われても、読み合わせの時、俺は何度もセリフを言い直した。まだまだ役作りが足りないというのは明らかだった。
「ありがとうございます。でも、まだまだ足りませんから、もっと考えて演技につなげたいです」
「うん。そうだね。頑張ろうね」
堤監督は大きくて温かい手で背中をポンポンと叩いた。堤監督が帰られた後、「唯我!」と声をかけてくれたのはAファイブの津本さんだった。俺は急に緊張した。
「お、お疲れ様でした。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。ゴールデンウイーク明けの金曜日、基樹さんと会う予定だけど、学校は大丈夫そう?」
「はい。担任の先生にはお話ししてあります。午後から行きます」
「オーケー。よろしくね」
「よろしくお願いします」
津本さんはアイドルスマイルをして、爽やかに帰って行った。アイドルオーラがすごい!これが今をときめくAファイブか!とても感動して、このことを泰一に話してやりたいと思ったが、それは夏までの我慢だ。
****
施設に帰り、自分の部屋に来てみれば、英がベッドにうつ伏してマンガを読んでいた。右手でページをめくり、左手でマンガを押さえている。
「あ、おかえり。様子、元に戻ったね。イライラは終わった?」
「……ただいま。英、お前勝手に」
英はすっかり自分の部屋のように過ごすことが多くなった。
「この部屋、エロ本なくてつまんない」
「勝手に探すな」
「あ、唯我兄ちゃん!おかえり!」
すると、今度は後ろから泰一の声がした。
「ちょうどいいや!二人とも、夕飯できたから食べよう」
「泰一、英がここにいるってわかってるなら一言言ってやってくれよ」
そう言っている間に、英はするりと俺の背後を抜けて部屋を出た。
「兄ちゃん。英ね、質問すると少しは答えてくれるようになったんだよ。ちょっと一安心」
「そうか……」
泰一がニッと笑う顔を見ると安心した。ここでの生活に、英も慣れてきたと思っていいだろうか。
「俺もすぐ行く。腹減った」
「ねえ兄ちゃん」
「ん?」
「ここ数日ね、優里姉が皆のこと、上手に唯我兄ちゃんと距離を離してくれてたんだよ。あとでちゃんとお礼言いなよ」
優里子の名前を聞くだけでドキッとした。そうだ。俺、最近は自分のことでいっぱいで、皆のことも優里子のことも考えてやれなかった。頬がほわっと熱くなった。
「………わーってるよ」
「お礼とかなんとか、デートにでも誘うか告白でもしたらあ?」
「すっ、するかよっ!」
ニヤニヤ笑う泰一と食堂に行き、皆で「いただきます」をした。カチカチと食器の音が立つ中、正面に座る泰一は口にご飯を詰めながら話した。
「兄ちゃん、最近忙しいね。ライブ三昧?」
「いや、他にもいろいろ。劇団のワークショップとか、行くと勉強になるんだ」
「ふうん。何か、兄ちゃんがどんどん忙しくなって、最近全然遊んでくれないからつまんない」
「俺はもう中学生だからな。小学生みたいに遊んでばっかじゃいられねえんだよ」
「それがつまんなーい」
泰一は頬を膨らませた。
「泰一だって、施設の手伝いで忙しくしてるじゃないか」
「それとこれとは違うの!」
何が違うんだか。泰一は隣に座るみこの口元を拭きながら、呟くように言った。
「まあいいんだけどね。唯我兄ちゃんが頑張ってるんならさ、僕も頑張らなくちゃじゃん。でも、たまには構ってよね。寂しくなっちゃう」
「お前は俺の彼女か」
泰一は大笑いした。俺の隣にいる英が「ぷっ」と笑った。初めて英が笑ったのを見た俺と泰一は驚いた。
「英が今笑った!年上を笑うんじゃないの!」
「泰一がおかしいんだ。唯我も変なツッコミ入れるし」
さらに驚いた。初めて「あんた」ではない呼ばれ方をした。俺は少し残念な気持ちになった。
「名前呼びなのー?いいけどさあ。”にいに”がよかったなあ」
泰一、俺もそう思ったところだ。
****
夕飯が終わり、俺は自分の部屋に戻り、もう一度台本とにらめっこした。今日の読み合わせの反省や、堤監督からの指示、セリフや演技の流れをイメージした。
英は当たり前のように俺の部屋のベッドでマンガを読んでいる。こいつはいつ出てってくれるのだろうか。もはや英がいることが当たり前になりつつある。俺だけの部屋のはずなのに!
「唯我って台本読む時ブツブツうるさいね」
「うるさいってなら出てけよな」
「それとこれとは話が違う」
その時、ドアをノックする音が鳴り、優里子が顔を出した。
「あ、やっぱり英君ここにいた。すっかりお気に入りの場所ね」
「唯我が好きなだけいていいって言ってた」
「そりゃその時だけのつもりで言ったんだよ」
「英君、今日は皆と寝ようね。ここずっと唯我ベッド使えてないから、ゆっくり寝かせてあげて」
「……しょうがねえなあ」
「しょうがなくないだろ」
優里子に連れられて、英は強制退室した。ドアに手をかけた時、英は振り返った。
「また来るけど……」
それは、不器用な英が意思を示してくれたんだと思った。「また来てもいい?」って言ってくれれば可愛いもんなのに。
「いつでも来い」
「うん」
英は少し満足気な顔をして、さっさと行ってしまった。ドアの前に残った優里子と目が合うとドキッととした。
「ああ、優里子」
「うん?」
泰一が言っていたことが本当なら、ちゃんとお礼は言った方がいいだろう。
「最近、俺イライラしてたから、その間、皆にうまいく接してくれてたんだよな。サンキュ」
「何だ、そんなこと。うん、どういたしまして。ドラマはうまくいきそう?難しいって言ってたじゃない」
「まだ足りない。頑張らないとまずいけど、少しはつかめてきたかも」
「ならよかった!」
とびきりの笑顔を向けられると、心臓が強く動いた。優里子にもっとこんな笑顔になってほしいと思うし、その笑顔が俺だけに向けれくれるものにならないだろうかと欲がわく。そして、泰一に言われたことを思い出し、俺は勇気を絞りまくった。
「その、全部終わったら……、どっか行きたい」
「どっか?皆で行く?」
「………ん、と……。お前と……」
顔が熱くて声が震える。心臓の音がうるさくて、自分の声がよく聞こえない。その時、電話越しに聞いた駿兄の言葉を思い出した。
『優里姉の天然をなめんなよ。ストレートに突っ込め!』
「唯我、皆でどこ行きたい?」
「やっ!皆でじゃなくて、優里子と!二人で!ふたっ!二人だけでっ……!」
言った。ストレートに言った!脳みそがゆだって、「二人だけでどっか行きたい」ということを伝えることしか考えられなくなっていた。優里子の顔なんて見れたものじゃない!
そう思っていると、「ふうん」という優里子の声が耳元でした。驚いて体がビクンと反応した。いつの間にか優里子が俺の真横に立っていた。
「じゃあ、落ち着いた頃に二人でお出かけね。どこ行くかとか、ちゃあんと考えておいてね。唯我」
オーケーしてくれたと考えていいのだろう。信じられなくて、驚きすぎて、ふふっと笑う優里子が可愛くて、俺はこくんと頭を振ることしかできなかった。
「じゃあ、おやすみ。唯我」
「………おやすみ」
優里子の微笑む顔がドアの向こうに消えると、部屋中に俺のバクバク動く心臓の音が響いた。俺は、いろいろ終わって、落ち着いた頃に、優里子と二人きりでお出かけに行く約束をしたんだ。デートの約束をしたんだ!
「よっしゃ……。よっしゃ!」
俺は両手に拳を握り腕を振った。背筋をピンと張った。明日からはゴールデンウイークが始まる。俺の予定は、東京のライブと名古屋のライブで休みは埋まっている。ダンスに明け暮れるゴールデンウイークが終わると、今度はドラマの撮影が始まる。撮影は平日にもする予定だから、その日は学校を休む必要がある。まるで樹杏みたいな生活だ。
充実した5月の予定が書き込まれたスケジュール帳を見るとますます嬉しくなった。ジェニーズとしてできることが増えたんだと実感できるからだ。ここで頑張れたなら、今後もずっとジェニーズとして頑張れるんじゃないだろうか。いや、そうなれるようにしなくちゃいけない。
それに、全部落ち着いてから優里子と行くデートだって、うまくいけば「弟」じゃなくなれるかもしれない!「男」として好きになってもらえるかもしれない!……いやいや、さすがにそれは調子乗りすぎな想像だ。
仕事へのやる気がみなぎるが、口元が柔らかくなってにやけてしまう。俺は久々に英のいないベッドにダイブした。ふかふかの俺のベッド最高!優里子可愛い!枕に布団に顔をうずめて、ドキドキする胸が落ち着かずしばらくもだえていると、いつの間にか眠っていた。
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