第31話 「大使の息子」のアドバイス
「バスケ部!部員募集中です!」「吹奏楽、やってみない?」「陸上部です!」「ゆる~い卓球部です」「サッカーやろう!モテモテだぞ!」
放課後になると、新入生は部員勧誘に燃える先輩たちの格好の餌食であった。教室から昇降口に至る廊下、階段の両端は先輩たちで固められている。手を伸ばされ、掴まれ、いらないチラシを強引に押し付けられる。迷惑だった。
「あ!あなた、小山内君ね!?」
「は?はい……」
それは「EnjoyDance!」とプリントされたお揃いの黒いTシャツを着た女子の先輩たちに出くわした時だった。昇降口はもうすぐそこだというのに、4人の壁が立ちはだかっている。
「みるみるー、誰?」
「ほおらあ!ポリカのCMでイツキが踊ってたCM覚えてない?あのCMでイツキと踊ってた子役だよ!ね!小山内君!」
「うっわ!マジ!?有名人じゃん!」
「いや、その」
「小山内、ダンス部入らない?一緒に踊ろうよ!男子歓迎!」
「いいいいいえ。帰宅部で……」
「みるみるの圧やべー!もっとソフトにいけよ!アハハハハ」
全然人の話を聞いてくれなさそうな女子先輩たちが腹を押さえて笑ったすきに昇降口へと向かい、すぐに靴に履き替えた。中学校に入学してからというもの、毎日誰かに声をかけられる。知り合いならまだしも、初対面の人たちの距離感が怖いほど近い。しんどい!校門を出る頃にはぐったりだった。
朝は朝でびっくりする。昇降口で上履きに履き替えた時だった。
「お、おはよう。小山内君」
「………おはようございます」
知らない女子から声をかけられる。その子は挨拶だけすると、とっとと階段を駆け上がっていった。誰?昨日声をかけてきた女子とは違う女子だった。同じクラスでもないので名前を知る術がない。まるで毎日毎日ピンポンダッシュされている気分だ。
放課後は放課後で、教室を出ると2、3人で固まった女子がじっと見つめてきたりする。目が合ってしまうと手を振られる。俺じゃなかろうと思い無視すると、背後から「無視されたー!」という叫び声が聞こえてくるが、俺はすでに部活勧誘の嵐に飲まれているので引き返すこともできない。引き返すつもりもないが。
不思議体験はまだまだ続く。入学して一週間もしていないのに下駄箱からヒラリと手紙が落ちてくるのにビビる。廊下を歩くと、教室からひょっこりいくつも顔が出てくるのが怖い。トイレに行き用を足していると、隣に立ってる男子から股関を覗かれるのが不快だ。体育が終わって教室に戻ると、学ランのボタンが無くなっている。代わりに毎回同じハートのカードが挟まっている。どこの怪盗の仕業なんだ。
「俺、もしかしていじめられてる?入学早々この仕打ち……」
「アホか。むしろ自慢か?」
同じクラスで最初に友達になった康平に事情を話すと一刀両断された。
「人気者っていう証拠だぜ?」
「………意味わかんねえ」
「はあ?マジ嫌みにしか聞こえねえわ」
康平は全く相手にしてくれないし、この連日の不思議体験に同情もしてくれない。
俺はこんなことで悩んでいられるほど余裕はなかった。
****
「26時間テレビ」という毎年恒例のチャリティー番組のメインパーソナリティーを、今年はAファイブが務めることになった。発表は3月にテレビ番組でされた。それからというもの、泰一のテンションはいつにも増して高く、夏の放送を今からとても楽しみにしているようだった。
それだけなら俺には関係のない話だったが、4月に事務所のキャリアウーマンから聞いた仕事に驚いた。「26時間テレビ」で行われる実話をもとにしたドラマ『車輪の最高速度』で、Aファイブの津本潤さん演じる主人公の幼少期を俺が演じることになったのだ。俺はこのドラマの主人公の演技が全然イメージできずにいたのだ。
26時間テレビ特別ドラマ『車輪の最高速度』
小さいころから活発な少年、加藤基樹は、小学5年生の時に交通事故により両足を失った。ふさぎ込む日々が続いたある日、車いすレースを見たのをきっかけに、車いすレースに打ち込むようになる。基樹が成長する中、比例するように交通事故の後遺症を抱える母親の身体が悪くなっていく。そんな母親を励ましたい、勇気づけたい。そんな想いで臨んだ全日本選手権で、基樹は見事優勝した。しかし、その次の日、母親の容体は急変、帰らぬ人となった。その後基樹は、世界で活躍する選手となった。
そもそも俺自身が「活発な少年」ではない。このドラマの主人公、基樹は、まるで泰一のようなガキのようだった。
特に演技が難しそうなのは、基樹が足を失うシーンだ。交通事故の後、基樹は意識を失う。目覚めるとそこは病院で、膝から下が無くなっている。その驚きとショックで冷静を失い、声を上げる。
俺は冷静さを失うほどのショックを受けたことがないから、どんな反応をするのがいいのか想像もつかなかった。困ったことに、台本に書かれているのは唸るような「うわああ、ああっ(繰り返す)」というセリフだけだった。ここ、どうやればいいんだっ!「(繰り返す)」って何だ!
毎日考えているが、何も検討がつかない。自分の経験の無さと想像力不足がとても嫌になる。
「はあ……」
俺は机に顔をうつ伏した。
「また眠るのか?眠り王子」
「王子はやめろ。恥ずかしい」
「なら、せいぜい寝るなよな。関係ない俺が先生に言われるんだから」
中学校から帰ると、部屋のベッドに倒れ込んだ。スマホを持ち、メッセージの友達欄にいる樹杏をポチッと押した。樹杏とのやり取りは、ケンカした撮影の朝の「今日も頑張ろう!」という言葉を最後に空白となっている。
樹杏ならどうする?どうやって、セリフを言う?表情は?動きは?
あの日、撮影を終えた後、服を着替えた樹杏は次の仕事へと猛ダッシュで向かってしまった。俺はすぐに謝れなかったことを後悔している。謝るタイミングをすっかり逃した。次はいつ会えるのだろう。会えた時、どう話せばいいんだろう。樹杏、樹杏……。
「ごめんな」
その時、突然スマホが鳴り出し、画面には「長谷川 徹」の文字が現れた。驚いて体を起こし、電話に出た。
「もしもし」
『あーもしもし!唯我君!?久しぶり!』
「久しぶり。どうした?」
『今、ヒマ?今日、ヒマ!?』
「は?う、うん」
『今から立並駅来て!電車乗るからカードだけ持ってきて!』
「今から!?」
『うん!10分後集合ね!!じゃっ!!』
電話はブツンと切れた。長谷川、適当言いやがって。少し腹立たしい気持ちにもなったが、久々に会えると思ったら、少し嬉しくなった。しょうがないから行ってやるか。
****
「よしよし!ちょっと大きいけど大丈夫だね!さすがジェニーズ!よく似合う!」
「何してんの!?」
「何って、僕の制服着てもらってんの」
「お前の制服!?」
久々に会った長谷川と募る話もしないまま、駅のトイレの中で服を着せられた。それは小学校の卒業式で長谷川が着ていた私立中学校の制服だった。茶色のブレザーに紺色のネクタイ、チェックのズボンは、少しだけ俺の体より大きかった。それが少しムカつく。
「これから僕んとこの中学に行くよ!」
「は!?いや、ちゃんと説明しろよ」
「会ってほしい人がいるんだよ。さっき友達から目撃情報が入ったんだ。学校で会えるのも少なくてね。同じクラスなのにね、僕も入学してまだ一度しか会ってないんだ。そんな大物!」
「お、大物?」
「よし、行こう!」
あれよあれよと電車に乗り、最寄り駅から歩いて10分。そこにはレンガで作られた囲いがあり、立派な門の奥に時計塔が見える学校だった。門の前には目力の強い大柄な警備員さんが立っている。長谷川は慣れたようにその警備員さんの横を通り、門をくぐった。俺はドキドキしながらも平然を装い、長谷川の後ろをくっついて歩いた。
「怖っ!私立って、こんな門があるんだ」
「いいとこの坊ちゃんにお嬢様も通うような学校だからね、警備は厳しいんだよ」
「へ、へえ……」
そんな金持ち学校の大物に、俺を会わせたいってのは、どういうことなんだ。驚いたことに、この学校は外履きのまま学校の中を歩くらしい。長谷川はぐんぐん廊下を進み、階段を上った。俺は初めて入った見知らぬ学校の校舎を、きょろきょろ見回した。
「あ、あそこっぽい!見て。来てるって噂を聞きつけた人達が固まってる」
確かに、ある教室の前だけに制服姿の男女がざわざわとしていた。その中から、「徹!」と手を上げた男子生徒がいた。長谷川がそいつと「ハイ」と外国人みたいに挨拶してハイタッチした。
「唯我連れて来たよ」
「ああ、ユー!ナイスチューミーチュ―!」
「な、な、ないすちゅー……」
外国人ノリのこいつは誰!?よく見ると、黒い髪の奥に見える瞳は灰色のような薄い色をしていた。
「唯我君、彼はマッド。同じクラスの友達なんだ。ハーフなんだ。だから日本語と英語がわけわかんない混ざり方してしゃべるんだよ。それが面白くて」
「ああ、イイェイ。よく笑うよね、徹は。唯我、よろしくネ」
「よ、よろしく」
マッドは俺より背の少しだけ高い長谷川よりも背が高い。力強く握る手をブンブン振り回してくる。
「徹、とにかく彼はステイヒア。今は友達と話してるだけみたいだから、いけると思うヨ」
「オーケー。唯我君、行こう!」
「ちょっと待て!何か情報をくれ!どんな奴と俺はこれから会うんだよ」
「ああ!彼はね、イタリア大使の息子でね」
「は!?大使の息子!?」
「早く自立したいって、もう働いてて、一人暮らしをしてるんだって。すごいよね」
俺は驚きと緊張で体が固まった。長谷川が俺に会わせたがっているイタリア大使の一人息子って!?
長谷川は教室の扉をガラッと開け、中へと入って行った。教室の中からは「ハハハ」という笑い声が響いていた。
「J!こんにちは!」
「ああ、ハイ!徹。元気だったかい?」
「うん。君こそ元気?J」
「もちろんだよ。けど、これから補習だと思うと、気持ちが沈むけどね」
「君は忙しい中でも、ちゃんと学校に来て勉強するんだから偉いよ」
「ははっ。そんな偉いことでもないさ」
「J」と呼ばれるそいつは、とても落ち着いた物言いで、フワッと笑う奴だった。こんな知り合いは俺にはいない、と思えるほど、しっかりとした大人な男に見えた。
しかし、そのくりんくりんとした赤毛や、長いまつ毛の下から見える青い瞳には、見覚えがあった。
「J、君に会わせたい人がいるんだ。僕の友達を紹介させてほしい」
「それは嬉しいね。一体どんな……、人……」
彼のフワッとした笑顔は徐々に崩れた。彼はどうやら、長谷川の後ろにいた俺に気づいたらしい。
「僕の小学校の友達なんだ。小山内唯我君。君と同じ、ジェニーズだよ」
「………ワオ」
「J」は腹に力を入れて笑うのを抑えている俺を見ると、みるみる顔から血の気が引いた。
「唯我君、この人は大貫樹杏君」
その名前を聞くと、俺は余計に腹がけいれんしてしまった。笑わないようにするので必死で、声が震えた。
「お、小山内唯我です。は、初めまして……。大貫樹杏君」
「や、やあ。初めまして……。お、小山内唯我君」
こんなに恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている樹杏を見たことがない。面白すぎる!
俺は樹杏がインフルエンザになって施設にやって来た時のことを思い出した。樹杏のうわ言や、樹杏の言っていた「変な家」というのが、どんなものなのか疑問だったが、なるほど大使の一人息子ねえ。そりゃ「お手伝いさん」がいるのも納得だ。
「ああ、やっぱり初めましてなんだ。それなら会わせたかいもあった!J、もしも唯我君とお仕事をする機会があったら、よろしく頼むよ」
「おい、長谷川。お前はどの目線でそれを言ってんだよ」
「もちろんだよ、徹。よおく覚えとくよ。ジェニーズJrでダンスばっかり踊ってる小山内唯我君ね。お仕事一緒になっても、きっと僕と同じレベルで演技してくれないのかもしれないけど。まあ、徹の友達っていうなら、その時は面倒見てあげてもいいかなあ」
見知らぬキャラ設定の樹杏はニコニコ顔を崩さず、静かな声で悪気もなさそうに言いやがった。樹杏の奴ふざけんじゃねえ!腹の奥からどす黒いマグマみたいなものがボコボコ音を立てて沸騰している。俺も樹杏に対抗すべく、口角を上げて笑ってやった。
「その時になったらよろしく頼むよ。でも樹杏君がダンスをする時は、どうぞ俺の足を引っ張らないよう、せいぜい練習して下さいね!」
「そのつもりだよ。演技もダンスも完璧にこなすのがプロですからね!」
俺たちは顔面を近づけて笑いながらにらみ合った。ムカつく。ムカつく!樹杏の奴、あの撮影の日のままかよ!
不穏な空気が教室に流れ、教室にいた人からは一切の言葉が消え、俺たち二人から距離を取っていた。すると目の前の樹杏がニコッと笑った。
「ねえ、唯我君。場所を変えようか」
俺もニコッと笑ってやった。
「ええ、そうですね!」
****
俺たちは校内のどこかにある非常階段の横に移動した。放課後の校舎からは吹奏楽部の練習音、校庭からは部活動の掛け声が聞こえていた。樹杏と俺は対面してにらみ合っていた。
「てめえ、樹杏。いつまでそうやっているつもりだよ。気分悪いんだよ」
「唯我……。まさか徹と友達だったなんて想定外だよ。しかも、ここの制服まで着てさ。不法侵入だよ、それ」
それは確かに言えている。何か言いかえさなきゃ、アホの樹杏に口で負けてたまるか!
「お前、まさか学校ではあんなキャラだったなんて想像してなかったよ。落ち着いた感じ?似合わねえの。それでも俳優かよ、下手くそ」
すると樹杏の顔が真っ赤になった。
「むっ!唯我には関係ないもん!」
俺の知るアホの樹杏の顔に戻った。してやったりだ。
「そら関係ねえな。あんな奴、俺の友達にはいねえもの」
「友達……」
「っていうか、俺、お前のことあんま知らないんだなってことがよく分かった」
「え?」
「イタリア大使の一人息子とか、初耳だし……」
そう言うと、樹杏は黙ってしまった。俺から目を反らした表情は、ショックを受けたような、ほっとしたような、悲しいような、嬉しいのか嬉しくないのか、感情の読み取れないとても複雑な表情だった。
「関係なく、接してほしかったんだもん。たった一人、僕だけを……」
その声はとても小さくて、涙ぐんだ声だった。
「唯我、知りたかった?なら聞けばよかったじゃん。聞かれても答えなかったけど……」
答えてくれねえのかよ。いやいや、こんな話したくて場所を変えたんじゃない。仲直りしたくて、今ここで樹杏と顔を合わせてるんだ。
「俺、怒ってねえよ。隠されてても、嫌じゃねえよ」
「……本当?」
「そんなことよりも、お前とケンカしてることの方が嫌だ」
「……僕も、嫌だ。嫌なこと言ってるのも嫌だ。ごめん」
「俺も……、ごめん。本当に」
樹杏を見ると、青い目には涙が溢れていた。樹杏は「うわあああああああん!!」とガキみたいに声を上げて俺に抱きついた。
「ごめんなさいいいいっ!唯我!唯我あああ!!」
「う、うるさい!うっとうしいんだよっ!制服を濡らすな!!」
「……唯我、ちょー似合ってるよ制服。このままここの学校の生徒になっちゃえよ」
「い、嫌だよ」
「何でえ!?」
「あんな大人ぶってるお前を毎日見て過ごせってのか!?面白すぎて身がもたねえよ!」
「そんなことで!?いつか慣れるよ、きっと!」
「無理だろう!」
目尻を赤くした樹杏が、いつものように笑ってくれたので、それでようやく俺の胸の中がスッと軽くなった。
「俺、お前に相談したいことがあるんだ。教えてほしいことがあって……」
その時、学校のチャイムが鳴った。これがとてもおしゃれな鐘の音だった。
「午後から補習なんだ。今週、仕事で全然学校来れてなかったから。それが終わったらいいよ」
「わかった」
すると、どこからか「おおいっ!」という長谷川の声がした。校舎の上の窓を見ると、そこから長谷川とマッドが手を振っていた。
「やあっと見つけた!二人で突然どっか行っちゃうんだからあっ!」
「二人はフレンドなったかい?」
俺はマッドのよくわからない言葉に思わず「ふっ」と笑った。長谷川が俺をここに連れてきてくれたおかげで、マッドが樹杏を見つけて長谷川に連絡をくれたおかげで、俺は樹杏と仲直りできた。二人に手を振ろうと手を上げた。
「二人とも、ありがとう。唯我君とはいい友達になれそうだよ」
落ち着いた声は校舎の壁を渡って響いた。隣の樹杏を見ると、教室で見た大人っぽく笑う樹杏になっていた。手をふわふわと振る姿は、俺の知るアホでうるさい樹杏とは全くかけ離れている。
俺は小声で聞いた。
「なあ、お前のそのキャラは何なんだ?」
樹杏はニコニコ顔を崩さず、手を振り続けながら小さい声で言った。
「…………、大使の息子キャラ」
思わず笑った。この際事情なんてどうでもいい。腹が痛い。明日には腹筋がシックスパックになっているかもしれない。
「お前も大変だな」
「うるさいなあ!もうっ!」
それから樹杏の補習を待つ間、校庭を見渡す場所に設置されたベンチに長谷川とマッドと座って話をした。新しい学校のこと、部活のことや生活のこと。マッドには、幼なじみの年上の彼女がいること。それはとても盛り上がったが、熱心に聞いていたのは俺ばかりだった。
****
長谷川と別れ、着替えてから樹杏と合流すると、すっかり夜になってしまった。俺は樹杏を連れて施設に戻ってきた。樹杏は俺を出迎えたみこに興味深々だった。みこは樹杏の青い目を見つめて固まっている。
「なあに?この子!カーワーイーイー!」
「樹杏、近い。近いつってんだろ!離れろ!」
「唯我、おかえり。って、樹杏君!」
「はっ!!優里子ちゃあーん!!」
「ふざけんな樹杏!優里子に近づくんじゃねええ!!」
優里子に駆け寄る樹杏の背中を追いかけた。背中を掴み、速攻で階段を駆け上がり、俺の部屋に突っ込んだ。樹杏は、まだ使い始めて間もない俺の部屋の一番目のお客さんとなった。
「唯我ったら強引なんだからあん!」
「キモイ声を出すな!」
「ちぇっ。たまにはノッてくれてもいいのにさ」
「絶対ノンねえよ!!」
それから樹杏に26時間TVのドラマ台本を渡した。
「26時間テレビのドラマ、今年はこんなんやるんだあ。なるほどねえ、足を失うのか」
「その病院のシーンが難しいんだ。その唸るみたいなセリフはどうしたらいい?」
「それ、僕に聞いてどんすんの?」
「え?参考にする。お前ならどうする?」
「教えなあい」
「なっ!!」
「そんなの自分で考えなよー。試しに僕やってみようか?そんなことしたら、きっと唯我の演技じゃなくなっちゃうよ?人のまねっこじゃあ、演技なんてうまくなるわけないじゃん」
「俺だって考えたよ。でも、”うわあ”って、そんな言う感情ってのがわからないんだよ。想像もできない……」
「困ってやんのお。ぷぷぷ」
指を差して笑う樹杏を見て、やっぱりこいつムカつくと思った。
「じゃあ、唯我倒れて」
「は?」
「倒れて眠って?それで、目覚めるの。まず体を起こしてごらんよ」
上から目線な樹杏の態度がムカつくが、黙って樹杏の言う通りにした。ベッドに横になり、目を閉じた。そしてゆっくり目を開けて、両手をついて、ぐいっと体を起こす。
「はい。今腕使って起きたでしょ?」
「当たり前じゃん」
「今度は、起きてみると知らぬ間に左腕がなかった設定で起き上がってごらんよ。どんな動きになる?……ああ、難しい顔して考えないの!ほらほら!まずやってみなよ!」
俺はもう一度ベッドに寝そべった。寝て起きて、そしたら左手がなかった。俺は体を起こす時、左手を使わないで起きてみた。腹筋と右手だけ力を入れる。すると樹杏が「ブッブー」と指でバッテンマークを表した。
「左手を使うななんて言ってませーん」
「はあ!?」
「僕はね、気づいたら左手がなかった!ビックリ!っていうのを見たかったんですー。ほら、左手はないよ?でも使って、起き上がってみなよ」
左手はない。でも使え……?意味わからん!俺は固まった。すると樹杏はもう一度「ブッブー」と言った。
「じゃあさ、明日から左手でもどこでもいいから体のどこかを使わないで過ごしてごらんよ。毎日別の場所が使えない。どこが使えないかは朝一で決めて過ごしなよ。不便だよお?きっと。そして、そこからだんだん見えなくしていけばいい。唯我には、失った体の部位は見えない。消えていく。そして本当の意味で失うんだ。その恐ろしさたるや、感じてごらんよ」
「………」
「あははっ!困ってるう!」
「お前の言ってることが変なんだ」
「多分、突然わかるよ。じゃ、僕は帰る。明日も仕事、終わり次第学校なんだ」
そう言って、樹杏は施設の前に呼んだタクシーで事務所の隣にある宿泊施設の通称「城」807号室へと帰って行った。樹杏の見送りをしても、俺の頭の中は整理がつかなかった。隣に立っていた優里子が「唯我?」と何度も声をかけてくれていたが、俺は気づかずに部屋に戻ってしまった。
いつの間にか失った体の部位を使って起き上がれ?どうやって?そして、それがあの唸り声にどうやってつながるんだ……。
****
樹杏が来た次の日、施設のガキたちは居間に集められた。その日、施設長の横には小さい男のガキが一人立っていた。
「今日から、また新たな家族となる子が来ました。名前は服部
「はーい」
みこの兄だという英の黒い瞳やツヤツヤの髪の毛、丸い輪郭も、確かにみこにそっくりだった。しかし、施設長から紹介を受ける間もずっとムスッとしている。まるで何かに怒っているようだった。英に最初に駆け寄ったのは泰一、次に文子だった。
「僕、泰一!よろしく!」
「文子。惚れてもいいよ」
英は二人に視線もくれず、二人の間を通り抜けると、しゃがむ俺とみこの前に来た。手を上げた瞬間、バチンと音がした。英はみこの頬を思いっきり叩いた。強い力に押されたみこは俺の膝に倒れ、ワーッと泣き出した。
「何でここで普通に生きてるんだよ!!」
その言葉に、居間の空気は固まった。
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