第22話 芽生え

 ドラマ『シークレットハート』が始まってから1ヶ月、ゴールデンウィークの終わる頃、矢久間から手紙が来た。矢久間はデビュー前のジェニーズグループのメンバーオーディションに合格し、4月から大阪の高校に通っている。矢久間とは、優里子の成人の日にあったジェットスターのライブ以来、会わずじまいとなっていた。


唯我へ

 元気してるか?俺は今年の夏にもデビューを目指し、グループの仲間と頑張っています。グループのメンバーとは元々知り合いだったから、すげえやりやすい。

 唯我の言ってたドラマ見たぜ!かなり棒だった(笑)いつか、お互い有名になって共演とかできるといいな!頑張ろうな。


 矢久間の明るい声が聞こえてきそうな手紙は、思ったより嬉しかった。手紙は「それから」と内容が続いた。


 それから、智樹もすげえ頑張ってるみたい。今度ジェニーズ舞台に出るっていうから、見に行けば会えるよ。事務所に言えば、チケットもらえるぜ!


 ジェニーズ舞台というものを俺は知らなかった。そこでキャリアウーマンのところに行った。

「歴代のジェニーズが座長となって、演出や内容を決めて行われてきたジェニーズの伝統的な舞台よ。唯我君、秋川千鶴さんから連絡があってね、7月に行われるジェニーズ舞台への出演することとなりましたよ」

「千鶴さんから?」

「千鶴さん、というよりは、社長からの連絡と言った方がいいわね。唯我君が代役をしたジールの初日を見に来ていた社長が、唯我君にもジェニーズ舞台への出演をと一言申されたそうで、7月の公演メンバーに加えられました」

「しゃ、社長!?あの舞台、見てたってことですか?」

 俺の初舞台の初日はとにかく酷かった。そんなのを社長が見ていたなんてショックすぎる!俺は顔から血の気が引いた。

「今日受けられる表現レッスンの間に、7月までの予定を用意しておきます。レッスンが終わりましたら、またこちらに寄っていただけますか?」

「わかりました……。あ、あの、お願いがあるんですけど」

 俺はキャリアウーマンにお願いして、ジェニーズ舞台のチケットをもらった。一人では行きにくく、樹杏を誘った。


                ****


 席は観客席の上にあるVIP席で、4人がけのボックス席に、樹杏と俺だけで座った。下を見ると、たくさんの観客の頭が並んでいるのが見えた。

「懐かしい。僕のデビューはこの舞台なんだ」

「そうだったのか?」

「ちづさんが座長をやった時でね、舞台に立ってるのに、ここは夢の国だなって思った。全部キラキラしてて、誰もが笑ってる。すげえってなった」

 辺りが暗くなると、開演を知らせるブザー音が鳴った。すると、観客席の上にキラキラした金色の紙吹雪が映し出された。

「わあ、プロジェクションマッピング!」

 樹杏は声を上げた。観客席もざわついた。たくさんの人の首がキョロキョロと動いていた。

 次に男の人の甘ったるい歌声が聞こえてきた。わかる観客からは歓声が上がった。ゆっくり幕が上がると、そこに西洋の豪華なお城の内装が現れた。白い柱が並び、モザイクガラスの大きな窓が奥に向かって並んでいる。

 舞台の右側には、白い螺旋階段があり、そこから一人のイケメン白王子が降りてきた。歌声の主はその王子だった。さらに反対の舞台裾から別のイケメン白王子が歌いながら現れると、観客の歓声は増えた。

「二人組の双流星だ。きっとどっちかが座長だね。ヤバいねこれ。すごくない?」

「すごすぎ……」

 俺はすでに腹がいっぱいになった。キラキラの世界が目の前に広がっているのに、距離を感じる。

「あ!あれ、Jrじゃない?わかる人いる?」

 樹杏が指差した先を見ると、観客席の間の通路に男が6人立っているのが見えた。6人は舞台上にいる白王子とは違い、紺色のブレザーをお揃いで着ている。金色のブレスレットがキラキラ光る。ダンスが始まった時、俺はようやく、その中から智樹を見つけた。

「D2-Jrだよ。左から2番目は友達」

「へえ、いくつ?」

「中2。比嘉ひが智樹っての」

「へえ。比嘉……」

 俺は久々に会う智樹を見つめた。去年の夏から会ってなかった智樹のダンスは、俺の知る智樹よりもずっとレベルが上がっていた。リズミカルなステップに加えて、メリハリのある体の強弱の動き、手の先へ視線を向ける首筋や長く伸びる手足。

 D2-Jrのメンバーは、真ん中の通路を進み始め、双流星とD2-Jrが舞台に揃った。すると、軽快な音楽が流れ、ステップを踏み出す。双流星は歌いながら舞台を歩き、その後ろでD2-Jrが踊っている。観客のテンションも上がりつつあり、ペンライトと頭の揺れ動くのが、上から見ると夜の浜辺に波打つ潮のようだった。

 俺は舞台にいる智樹を見つめた。智樹は笑顔を絶やさない。努力を重ねる智樹の姿を知っているから、舞台の上に智樹がいることが嬉しかった。


                ****


 舞台が終わり、俺は楽屋を覗きに行った。樹杏と一緒に顔を出すと、D2-Jrのメンバーからは「おお!」と声が上がった。

「Jがいる!」「Jが来てる!」「レアキャラ!」

 その声に樹杏は驚き、俺の後ろに隠れた。よくわからないが、こいつは俺以外のJrとは馴染もうとしない。事務所でも、俺以外のJrが近づいてくると、必ず何かに隠れてじっと見ているのだ。よくわからない奴。

 樹杏のことはどうでもいい。それよりも、俺はD2-Jrの人たちの言葉にショックを受けた。

「隣のヤツ誰?」「さあ……」

 そら樹杏は有名だし人気者だけど、この差はなんなんだ。CMにも出たこともあるのに。今ドラマにも出てるのに。

 そんな中、智樹は俺をじっと見ていた。

「唯我……」

「智樹、お疲れさま。久しぶり」

 智樹は俺をつれて楽屋を出ると、廊下で話をした。自動的に樹杏も一緒に来たが、廊下の少し離れたところにあったベンチに一人で腰掛けた。

 智樹の身長が少し伸びていた。よくよく考えてみると、こうして向かい合って話すのは去年の夏よりもっと前だった。気まずくて、何を話したらいいか言葉を探した。

「あ、聞いたか?矢久間、4月から大阪なんだって」

「知ってる。あいつ夏にはデビューの予定だろ?俺が先にデビューするかと思ってたのに、抜けがけしやがった」

「でも年上だし、長く続けてきたからこそ」

「それはそうだな。いや、単純に悔しいんだ」

 ようやく目を合わせた時、何故か照れくさくて、お互いうつむいた。樹杏は「片思いの相手かよ」と心の中で呟いた。樹杏はじっと智樹を見つめていた。

「お前も頑張ってんじゃん、唯我。去年のCMとか、イツキと踊ってたじゃん!」

「智樹に比べたら、いろいろ全然足りない。今日も智樹の踊ってたの見てても思ったよ」

「またまたあ」

 いひひと智樹は嬉しそうに笑った。よく話をしていた頃と変わらない智樹の笑顔に安心した。

「智樹、俺、今は本気で何でもやるって思ってるよ……」

 それは、ある日の智樹の言葉への返事だった。

「ならいい。そのまま、俺たちは突き進むしかないぜ?」

「うん」

 智樹は俺の胸を拳で押した。力強い視線は、俺にも力を分けてくれた。俺たちは突き進むしかない。その通りだ。

「話終わった?」

 樹杏が後ろから俺に抱きついてくると、額をぐりぐりと背中に押しつけてきた。待つのに飽きたガキみたいだ。

「わかったからやめろ」

「ねえ!智樹君とやら」

 あまり自分から話しかけない樹杏が、俺の肩から目だけ出して、智樹に声をかけた。

智樹君ての?」

「え?ああ、そうだよ」

「もしかして、青春隊の裕二郎さんと何か関係あったりする?」

 それまで意識したことがなかったが、確かに、智樹の名字と青春隊の裕二郎は名字が一緒だった。

「僕、聞いたことあるんだ。裕さんの親戚がJrにいるって」

「ああ、そっか……」

 その時、智樹の表情は冷ややかだった。見たことのない智樹の表情に、俺は少し驚いた。しかし、それも一瞬のことだった。智樹はすぐに、いつもの笑顔に戻った。

「裕二郎さんは、俺の親父の弟だよ」

「ふうん。そっか!いいね!」

 樹杏の反応が薄かった。いつもなら、もっと騒ぎそうな話なのに。樹杏は「さ、帰ろう!」と強引に俺を押して出入り口へと向かった。

「またな、唯我!今日はありがとう!」

「ま、またな!」

 振り返ると、智樹がイケメンスマイル全開で大きく手を振ってくれていた。会えてよかった。話ができてよかった。きっと、また会える。

「僕、あの人嫌い」

「は?何で」

「僕のこと嫌いな人も嫌いだけど、僕の友達のこと嫌いな人も嫌い!」

 樹杏の言ったことがよくわからなかった。この時の樹杏は、智樹と俺が話している様子をベンチからよく見ていた。俺は気づかなかったが、会話しながら笑った後の一瞬、智樹はするどい目を俺に向けていた。下からじっと睨むような怖い顔を思い出すと、樹杏は腹が立った。

「唯我には僕がいるんだから、他に好きな人は作っちゃダメだかんね!」

「何だよそれ」

「あ!でも優里子ちゃんはいいよ」

「なっ!!!」

「え?隠してたつもり?バレバレだっての」

 俺たちが廊下から姿を消すと、智樹は楽屋に戻った。

「おかえり。友達?Jr?」

 メンバーの一人が言った。

「ああ。去年、イツキのCMで踊ってた奴だよ」

「ああ!あれがそうなんだ。仲いいの?」

「まあね」

 そう言いながら、智樹はスマホの画面に視線を落とした。そこには今日の舞台への書き込みが並んでいた。褒める称えるファンの呟きの中をスクロールしていくと、舞台に立ったメンバー以外の話が上がっていた。

「このツーショットはレア!」「樹杏君、降臨!!」「ツーショットゲット!」「何これ!!」

 そこには、会場の観客席から見えた樹杏と俺の姿が写っていた。会場の外で肩を並べている俺達の後ろ姿もある。

 智樹の表情は、樹杏が見た怖い顔になっていた。嬉しくない、楽しくない。俺の知らない智樹の心がそのまま映し出されていた。

「うざ」

 智樹の心は、もうずっと前に俺から離れていた。それを知るのは、もっと大人になってからのこと。


                 ****


 6月の土日は、ほとんどジェニーズ舞台のためのレッスンに時間を割いた。事務所にある地下体育館に総勢40人ほどのJrが集まり、ダンスの振り付け指導をされる。ダンスだけならライブ練習と変わらないが、ジェニーズ舞台では座長の目を通して指導される。これが振り付け師さんやオカマコーチよりもずっと厳しい。

「違う違う!そこはさっき修正したところ。もう一回いくぞ!」

「はいっ!!」

 決まっていたはずの振り付けや動きが変わることはしばしばで、集中を切らせてしまうと、混乱して動けなくなりそうだった。

 形がだいたい決まると、次は会場での練習に移った。そこでも動きの演出の変更がある。体力も精神力も費やす日々で、学校に行っても頭の中はジェニーズ舞台のことでいっぱいになり、授業も休み時間も上の空だった。

 そして7月の日曜日、ジェニーズ舞台の本番当日がやって来た。その日の舞台の衣装は、全身真っ赤でテカテカと光っている。頭にラメで光る赤い羽根の飾りをつけて、袖をまくしあげられ、胸元のボタンを二つ外された。派手な格好に違和感しか感じない。ここまで媚びを売る露骨な奴みたいな恰好をしたことがなくて、変な緊張が体を走った。

 舞台は2段に分かれていて、主役となるジェニーズ、kiss your hand2キス ユア ハンズは最前列に立ち、Jrはその後ろの段で控えていた。舞台は幕が上がるまで真っ暗だった。

 俺は暗い舞台の上で、智樹の踊っていたジェニーズ舞台を思い出した。観客席から見るこの舞台は、キラキラとした夢に溢れていて、音楽とダンス、総合パフォーマンスに彩られていた。まさにアイドルの立つ舞台。そこに俺も立つんだ。こんなにも自分がアイドルの立場にいることを実感するのは、今日が初めてだ。

 会場には開演のブザー音が鳴り、それまで観客の声や動作音で溢れていた会場から、一切の音がなくなった。

 一人が息を吸い込み、アカペラで歌い始めた。幕の向こうからは歓声が上がった。舞台にはメンバー7人にスポットライトが当たり、幕が上がる。

 2段目に控えたJrは立ち上がり、ポーズを決めてカウントする。曲のリズムに合わせて1・2・3・4!両手を広げてステップを踏み、手を縮めてから、羽を広げるようにもう一度手を伸ばして背を反らす。その場でターン、決めポーズで静止。単純な動きでも、大勢で揃えると、まるで赤い大きな波が舞台を打ちつけるように見える。

 俺たちはあくまでバックダンサー。だけど、アイドルらしく表情は明るく、豊かに微笑む。周りのJrがよく笑う奴らばかりで、俺も表情が作りやすかった。それでもニコニコとはできない。最低限の笑みを浮かべるのを意識するだけで精一杯だった。

 意識して手を観客へと伸ばした瞬間、客席から歓声が上がる。ステップを踏みながら、それに合わせたようなリズムの拍手が聞こえる。視線を向ける度、腕を伸ばす度に、観客席からは上手な合いの手が聞こえ、ペンライトの明かりが波打った。

 今までライブの舞台に出る機会も多かったが、こんなに舞台から客席が見たのは、これが初めてだった。


                 ****


 舞台のフィナーレは、全員が舞台の前列を歩き、観客に手を振る。俺も列に並び、誰ともわからない人たちに手を振った。

 最前列の人が「キャー」と突然声を上げたのに思わず驚いて、思わず見てしまった。すると女の人とばっちり目が合った。「キャー」は俺に向けられたわけではないのに、反応してしまったことが恥ずかしくて、「すみません」と思わず呟いた。

 その時、確かにカメラのライトが一瞬光った。どこで撮ってるんだろうと探したが、その時には既に舞台の裾の暗闇が広がっていた。

 裾の中でも響くほど大きな拍手と高い声が会場に溢れていた。俺はようやく深呼吸して、汗で濡れた額を手の甲で拭った。舞台に立っていた感覚がまだ残ってる。

 案外、楽しかった。今までたくさんのライブに立ったけれど、いつも踊るばかりで、観客のことをあまり気にしていなかった。だけど、今日の舞台はダイレクトに観客からの視線や反応が体に響いてきた。まるで、自分のダンスに反応をもらえているような気持ちになって、すごく気持ちよかった。

 Jrたちのいる控室に戻った。早い奴は既に着替え終わって「お疲れ様」と挨拶して帰っているが、だいたいの奴らが笑い合って話しながら着替え中だった。

「唯我、お疲れ様」

「お疲れ様」

 年々、智樹や矢久間、樹杏以外のJrの中にも顔見知りも多くなっていく。すると、ジェニーズの人たちへの仲間意識が強くなる。しかし、同じ衣装を着ていても、できることもやりたいことも違う。

 ただ、目指すゴールは一つ。今日の舞台の主役になれるアイドルになることだ。舞台の中心で、全身にハイライトを浴びて、歓声を立たせ、心を躍らせる。それは夢の国で唯一の魔法使いにでもなるような気持ちなのかもしれない。

 樹杏が言っていたことを思い出した。

「舞台に立ってたのに、ここは夢の国だなって思った。全部キラキラしてて、誰もが笑ってる。すげえってなった」

 この舞台に立って、それがどんな気持ちだったかよくわかった。今度、樹杏に会った時は話してみよう。

 このキラキラした夢の国で、日々やりたいことが増えていく。俺は案外、ジェニーズの活動が好きみたいだ。


                 ****


 次の日に優里子、施設長と一緒にジェニーズ舞台のホームページを見た。ホームページには、その日舞台に登場したジェニーズメンバー全員の顔写真が載っていた。

「あ、いた!唯我!」

 優里子が指をさしたところにあったのは、退場の時に「キャー」という声に驚いて、「ごめんなさい」と言っていた瞬間の姿だった。変なにやりとした顔だったが、施設長はとてもほめていた。

「唯我、すっごい爽やかないい笑顔。優しそうだね」

「キモいじゃん」

「そんなことないよ。ねえ、優里子」

 優里子にこんな変な顔を見てほしくなかった。しかし、意外な反応が返ってきた。

「衣装もキラキラしてて、唯我、めっちゃアイドルスマイルじゃん!私好きだよ。この写真」

 「好き」という言葉が体中に響いた。

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