第21話 ドラマ『シークレットハート』

 「少しだけ髪を伸ばしていてほしい」と言われてから2カ月、首筋にちくっと髪が触れるのが気になる長さになった髪を、現場のスタイリストさんが切って整えた。その間、俺は4月始めの登校日のことを思い出していた。

「お、おはよう。唯我」

「はよ」

 まだ慣れない6年生の教室で、ランドセルも下ろさずに、大沢が固まっていた。

「何だよ」

「唯我、あんた、女の子だったっけ?」

「は?意味わかんねえ」

 そこに「おはよう!」と元気よく長谷川がやってきた。すると、長谷川は俺を見て「おおっ!?」と驚いた声を上げた。

「ゆゆ、唯我君が、美少女になってる!!」

「は?」

 俺にはピンとこなかった。しかし、確かにその時には俺の髪の毛は今の通り、肩につくくらい長かった。「意味わかんねえ」と言いながら、長い髪の毛を耳にかける仕草を見て、唾を飲むバカな男たちがいたことを、俺は知らない。

 スタイリストさんが首筋に添わせるようにブラシを通して、ドライヤーをすると、まるで女みたいな髪型になって、鏡に写る自分の姿にショックを受けた。しかし、この鏡に写る姿が、今日から始まるドラマの撮影では重要になるのだ。


                ****


 4月からのNTK土曜深夜ドラマ『シークレットハート』で、俺は主役の小学生から中学生時代を演じることになる。


 春、男子高校に入学した立川いさみは、同じクラスの男子に恋をする。主人公の勇は、体は「男」だったが、心は「女」だった。それを家族にも打ち明けられずに過ごしている。

 小学6年生の頃、女子のスカートへ興味を持つようになったのがきっかけで、その頃から、男子の服装に違和感を持つようになった。ある日、出来心で洗濯ものに紛れていた姉のワンピースを着た瞬間、自分の本性が「女」であることを自覚した。中学に上がると、男子制服に袖を通すことに抵抗を持つようになるが、両親や友達との関係を壊したくない勇は、それを黙っていた。

 自分が本当は「女」であることを打ち明ける怖さ。受け入れられるかわからない不安。日々募る恋心を隠して男友達として過ごす辛さを抱えながらも、人とは違う自分を受け入れ強く生きようとする勇の姿を描くドラマ。


 俺自身は体も心も「男」だし、好きなのは「女」だ。立川勇の全てを理解して受け入れることは難しかった。そこで、どうしてもとお願いして、佳代にあることを頼んだ。

「……も…、もう、無理。もういいでしょう?唯君……」

「まだ、もう少し……」

「は、早くっ……」

 佳代は少し息を切らして、顔を真っ赤にして体を隠すように腕を組み、軽く握った手で口元を隠していた。俺は床にしゃがみ込みノートにメモをしながら、佳代をじっと見つめた。見つめれば見つめるほど、佳代は恥ずかしそうにもじもじとした。

「ちょっ…、ちょっと唯我!何してんの!?」

 その時、佳代の部屋の扉をノックもせずに優里子が開けて入って来た。優里子はものすごく怒った顔をして俺の頬をつねり吊り上げられ、あまりの痛さに「いだだだっ」と声を上げた。佳代はフラフラと床にヘタリ込んでしまった。

「あんた何考えてるの!?何で佳代ちゃんに、こないだあんたが着たブレザーなんて着せてるの!?何をしてたのよ!」

 優里子の成人式の日、俺が着たブレザーは少し大きくて、佳代でも着れるサイズだった。そのため、佳代に少しだけ着てもらったのだ。それを見た優里子は驚いた。

「いや、男子の服を着たら、女子がどんな反応になるのか見たくて」

「はあああっ!?」

 優里子は頭にきて大声を上げた。おかげで他のガキどもも声を聞いて部屋に寄って来た。頬をつねる手が離され、俺は床に落とされた。頬をさすっていると、泰一が心配そうな顔をして「大丈夫?」と声をかけてくれたが、文子は「唯我サイテー」と言った。ムカつく文子。

「佳代ちゃん。あのバカの言うことなんて、嫌なら嫌って言って構わないからね」

「……ううん。大丈夫よ。ドキドキはしたけど」

「どんなドキドキ?」

「唯我!あんたは少し反省しなさい!」

「いいの。唯君は、ちゃんと大丈夫?ってたくさん聞いてくれたわ。その上で着たのよ」

「そもそも何で着ることになったの?」

「唯君の役作りのため、だって」

「役作り?」

 優里子は振り返り、俺を睨んだ。俺も優里子を睨んだ。何の事情も知らないで、ほっぺつねりやがって!しかし、おかげでわかったことがたくさんあった。優里子越しに目を合わせた佳代は、顔を真っ赤にしたままニコッと笑ってくれた。「頑張れ」と言ってくれているようで、俺は安心した。

「唯我!にやけるんじゃない!」

 誰がにやけてるだ、優里子のバカ!


                 ****


 何かを隠すことや着たくない服を着る違和感、恥ずかしさはよく分かる。俺にとって女子の服を着ることに抵抗があることと同じように、勇にとって男子の服を着ることは抵抗があるのだ。

 だから佳代に男子の服を着てもらった。女子が男子の服を着た時、どんな反応をするのか参考にしたかった。俺が演じるのは「男」ではない。「女」なのだ。

「小山内唯我君です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 スタジオの中は暗くて、そこにたくさんのスタッフたちが集まっていた。俺の挨拶を聞くと、拍手が起きた。少し緊張したものの、遠くでキャリアウーマンが手をひらひらと振ってくれたので、知っている人がいるという安心感から、少しだけ落ち着けた。

 その日の撮影は、スタジオに作られた「勇の部屋」での撮影だった。俺は「勇の部屋」に立った瞬間、違和感を覚えた。こげ茶色のフローリングには白のもこもこした敷物、白い布団に挟まれるピンクのタオルケット、枕の横にあるクマのぬいぐるみには、フリフリした薄い水色の洋服が着せられている。机の上にはやたらとカラフルなペンが立てられてて、机の横にかかる手提げは外見は無地の紺色だが、中は細かい花模様の上にチェック柄だった。整理された置き方、壁にかけられる服の配色。よく言えばおしゃれっぽい。しかし、同年齢の男子の部屋とは言い難い雰囲気だった。

 俺は勇の服を着てベッドに腰かけた。黒いポロシャツと白いズボンを着ているけれど、ベルトは真っ赤、しかもインナーはピンク。俺だったら選ばない服だ。偏見だけど、ピンクは「女」の色だ。そもそも手にも取らない。

 じっと部屋を見渡し、フリフリの服を着たクマをポンポン投げて遊んでみた。スカートがひらりと動いて、クマのおしりが見えると、まるでパンチらを見てしまったような罪悪感を感じたので、腕の中にすっぽり収めて遊ぶのはやめた。多分、勇はこうして遊ばない。小さい子どもが人形ごっこするように、可愛い友達のように扱うのだろう。パンチらを見たような罪悪感もないのだろう。

「唯我君、今日の撮影はここからここね。勇が初めて中学の制服に袖を通すシーン。それからここ。お姉ちゃんのワンピースを着るところ」

 ベッドの横に来た黒ずくめの男のスタッフは、丸めた台本を広げて指さした。

「はい。よろしくお願いします」

 「勇の部屋」のシーンのみの撮影だが、時間軸も心境の変化の順番も違う。そこが流れでできないのは難しいと思ったが、やるしかない。俺は腹も心も決めた。

 渡された中学校の男子制服は学ランだった。ズボンを履いて、ワイシャツの途中までボタンを留めてスタンバイした。カメラは2台あり、一つは俺の横、もう一つは後ろにある。

「よういっ」

 パチンとカチンコが鳴る。ドキドキしながらワイシャツのボタンをゆっくり留めていく。椅子の背にかけていた学ランを手に取り、スッと腕を通す。学ランの金色ボタンを全て留めると、勇は自分の姿が気になって鏡を見つめた。両手を広げて見て、鏡に写る背中を見つめて、視線を落とすと、真っ黒な学ランに光る少し大きめの金色ボタンが光る。勇は男子制服に抵抗を感じる。男子の制服なんて着たくない。体の前で両手を組み、俯いた。

「カット!」

 え?

「唯我君、全く伝わらない。自分は女の子って自覚してるんだよね?」

「はい」

「うん。その自覚が全然伝わってこない」

 マジか……。

「鏡に写る自分と、本当の自分の差をもっと表現してほしい。君は、”女の子”なんだからね?」

 俺は鏡を見た。鏡に写る自分と、そこに写らない本当の自分を表現する。俺は、「女の子」にならなきゃいけない。佳代が顔を真っ赤にして緊張しながら着てくれた時の様子を思い出す。あれをどうやって表現する??

「もう一回、お願いします」

「学ランのボタンだけ外して、もう一度留めるところから始めよう」

「はい」

 俺は「女の子」。「女の子」が新しい服を着る時のしぐさを思い出せ!!

「はい、よういっ」

 それから何度もカチンコを鳴らされた。少し疲れて、髪の毛にブラシを入れてきれいに整えてもらい、何度も鏡を見て動作を確認して、何度もカメラを回してもらった。

「うん。少し大きめだけど、きっと来年には背も伸びて、制服のサイズもちょうどよくなるでしょう。ね、勇」

 それは鏡の前で、一緒にその姿を見つめる母親の言葉だった。

「うん。……、お母さん……」

 振り向いて笑ったつもりだったが、上手にはできなかった。

「……はい、カット!”お母さん”っていうまでの間、ため込みすぎじゃない?」

 スタッフからはははという笑い声がした。俺は恥ずかしくて顔を赤くした。しょうがないじゃないか。特別、緊張してしまった。

「けど、いい表情だから、いいことにしようか!」

 スタッフたちが移動していく中、母親役の女優が肩を掴んで言った。

「唯我君、さっきの”お母さん”のシーン、すごくよかった。複雑そうな表情とか、キュンてきちゃった」

「あ、ありがとうございます……」

 複雑な顔してたんだ。そりゃそうか。俺は生まれて初めて、誰かに向かって「お母さん」と言った。

「次のシーン行こう!」

 次がこのドラマ最大の俺の試練。姉のワンピースを勝手に取ってきて、内緒で着るシーン。勇は内緒で持ってきた緊張と、着てみたかった服を着る嬉しさで、ドキドキしてワクワクしている。

 俺は違う。女物の服を着ることが犯罪のようで緊張している。しかも、その様子をこのドラマを通じてたくさんの人の目に触れられるのが、あまり嬉しくない。しかし、視聴者にとって、俺の気持ちなんてどうでもいいのだ。「勇」という人間が、どんな気持ちで姉のワンピースを着るのか、それを期待している。


                ****


 新土曜深夜ドラマ『シークレットハート』の第1話の始まりは、温かい日差しの中に桜の花びらがふわふわと気持ちよさそうに舞っている春らしい光景からだった。そこに手を伸ばすのは、高校生の勇である。

 

 ― 今日から、男子高での生活が始まる ―

「おおーい、勇!早く来いよ!」

「あ、ああ!今行く」

 ― 誰にも言えない、秘密を抱えて ―

 勇は男友達のところへ駆け寄った。その途中、一人の男子とすれ違う。そのシーンは、これから始まる二人の運命の恋を想像させた。


 新しい高校の男子制服を受け入れることはとても難しい勇の心の動きを、勇役のイケメン俳優は、動きや視線の向きで表現している。俺にはできなかった表現だった。

「何か、大人っぽいドラマね。唯我はいつ映るの?」

「1話と3話、4話。それから8話と、最終話。どれも主人公の思い出シーンだから、ちょこっとだけど」

「そっか。楽しみね」

 食堂でドラマの録画を優里子と見ていた。1話には、俺にとって一番難しかったお姉ちゃんのワンピースを着るシーンがある。それは1話のドラマの最後にあった。


 勇は桜の下で、一人の男子と向かい合っていた。勇はその人から目を離せず立ち尽くし、学ランの第二ボタンをキュッと握った。

「勇?」

 ― この人は、の秘密を知ってしまったら、どう思うのだろう ―

 思い出すのは、西日に染まる勇の部屋の中のこと。黒いランドセルと脱いだ服をベッドに置き、足からゆっくりワンピースを着る。長い髪の毛を両手でまとめる。花柄のお姉ちゃんのワンピースを着る自分の姿が鏡に写る瞬間、勇は衝撃を受けた。そこに写る姿は、だった。嬉しくて、ぎゅっと自分自身を抱きしめると俯き、勇は涙をこぼした。

 ― が「女」だとわかったら、どう…思ってくれるのだろう ―


 エンディング曲が流れ始めると、俺は緊張を解いて「はあっ」とため息をついた。ようやく終わった。ワンピースのシーンでも何度もカチンコが鳴ったことを思い出し、まだまだ未熟な芝居の完成度にショックを受ける。カメラマンの技術と演出さんの編集技術に感謝した。

「唯我、ヤバい。もうめちゃくちゃキュンキュンしちゃった」

「ああそう……」

「反応薄くない?」

「うん……」

 そんな感動する余裕は、俺にはない。

「ねえ唯我!あんたがやった役でしょ?」

 優里子が俺の肩を持って左右に揺らした。体が揺れる度に一緒に揺れる髪の毛優里子の手に触れた。

「しっかし、あんた髪本当に伸びたわねえ。今までで一番長いわよね」

「まだ撮影終わってねえもん。最終話のために伸ばしてほしいって言われてるから、その撮影が終わったら切るよ」

「学校で何か言われたりしてないの?」

「うん……」

 長谷川に「美少女」と呼ばれたことを優里子に話すと、優里子は爆笑した。ムカつく。「美少女」なんて言われても嬉しくも何ともない。

「でも、ある意味、役作り大成功してるんじゃない?見た目って大事よね」

 笑いながら言われても、説得力がなかった。


               ****


「はい、カット!唯我君、お疲れ様でした!」

「唯我君、クランクアップです」

 いい天気に恵まれた外での撮影が終わり、スタッフの拍手に包まれながら花束をもらった。

「ありがとうございました」

「唯我君、お疲れ様!また一緒に仕事したいな!」

「はい」

 高校生の勇役のイケメンは爽やかスマイル全開で俺と握手をしてくれた。

「唯我、お疲れ様」

「ありがとうございます。大地さん」

 大地さんといえば、舞台『ジール スタンドオンザグラウンド』で青年ジールを演じた口数の少ないクール系のイケメンである。今回、大地さんは高校生の勇が恋をする相手役だった。同じ現場に居合わせられたのは今日が初めてだったが、俺は今日で撮影が終了するので、会うのは最初で最後となった。大地さんは頭を撫でながら微笑んだ。

「しかし、美少女だな、マジで」

「うん。めっちゃ可愛いよ、唯我君。本当に切っちゃうの?」

「……切らせて下さい」

 勇役と大地さんが髪を撫で回す手つきが、少しだけ気持ち悪かった。可愛がられて撫でられる時の手つきとは違う。具体的に何が違うかはわからなかったが、きっと女の人を撫でる時の手つきだからだ。

 その後、現場にいたキャリアウーマンと話をして、スタイリストさんに髪を切ってもらい、俺は初ドラマを終えた。


                ****


 次の学校登校日の朝、長谷川は大声を上げた。

「ああ!うちのクラスの美少女はどこに!?」

「……少しは黙れ」

「とっても残念だ。写真くらい撮らせてほしかったよ」

「撮らせるかよ」

 今までより少し短くしたら、首元がスース―して落ち着かなかった。首をさすっていると、大沢が話しかけてきた。

「唯我、前より短いね。イメチェン?」

「何も考えてないよ。でも確かに、前より短いかも」

 ドラマのために長くする前でも、俺の髪の毛はあごのあたりまであったと思う。俺を見て、何故か大沢はニコニコ笑っていた。

「何だよ」

「唯我、変わったね。大人っぽくなったみたい。5mmくらいだけど」

「……あっそ」

 その言葉は、前にも言われたことのあるような気がした。



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