第14話 寝込む。それから

 目覚めると、天上も壁も布団も真っ白な施設の医務室のベッドの中だった。額に貼られた冷えピタはすっかりカピカピで、はじっこがはがれている。体は熱くて動かすのもしんどい。

 ベッドの隣にある棚の上にはポリカのペットボトルとコップが置かれている。上げようとする腕が重い。十分伸ばしてるはずなのにコップに手が届かない。

「おおい、唯我。起きてるかい?」

「……施設長」

 真っ白なカーテンがガララと開かれると、そこにニコニコした施設長がいた。

「はい、おはよう」

「……はよ」

「はいはい、水分取ってね」

 施設長は俺の体に手を添えて、ゆっくり体を起こした。それからポリカを飲んで、持ってきてくれた濡れタオルで体を拭いてくれた。背中を優しくすべっていくタオルがひんやりしていて気持ちいい。

「もう夏休みも終わるねえ。明日は学校行けるかな」

 体が熱くてダルくてたまらない。明日から始まる学校に行けるかわからない。

「疲れが出たんだよ、きっと。ずっと頑張ってきたからね」

 そう言われる実感がなかった。俺が熱を出したのは2日前のことだ。あろうことか、事務所のレッスン中にぶっ倒れてしまった。それからずっと体に力が入らない。


               ****


 暑くて暑くてたまらなかった2日間を終えた「ジェニーズJr祭りEAST☆」の最後、土井先輩は表情を全く変えずに、本当にさらりと言った。

「俺はいいや。踏ん切りがついたよ。俺、今年いっぱいでジェニーズ辞める」

「ジェニーズを、辞める?何で?」

「これまで、ステージに立って踊ったり、何度か歌ったり、舞台で演劇してみたりしたけどさ、声をかけられたのは最初だけ。その後ってのが全くなかった。このまま続けても仕事も無くなって、ただ在籍するだけのフリーでしかいられねえ。それじゃあ、意味ないだろ」

 土井先輩は、遠くで嬉しそうに笑う同期の狩野さんを見つめていた。

「同じように10年続けて、俺はあそこに立つことができなかったんだからさ」

 そう言って、土井先輩は盛り上がるホテルのロビーを抜けて、解散を待たずに去ってしまった。

 あの日、最後に見た土井先輩の遠くなる背中を思い出すと、周りの音が消えてしまうようになった。それでも考えずにはいられなかった。土井先輩とトリガーの狩野さんのように、いつか、俺と智樹もそうなるんじゃないか。

「……唯我、唯我!」

 はっとして我に返ると、ライブ会場の熱気と大音量が俺に戻ってきた。現在、ジャックウエストのライブ真っ最中だった。薄暗い舞台裏で、怒った顔の先輩が小声で怒鳴った。

「何ボーっとしてるんだ!もう来るぞ!」

「はい」

 俺とJrの先輩は、ステージにに立つの次の衣装のセットを持ってスタンバイしていた。メンバーが舞台裾にダッシュで戻って来る。次の登場は床下から登場するので、移動しながらの着替えになる。俺はジャックウエストでも厳しいと評判だった駿君の着替えを担当することになっていた。ハーサルもして、着替えの流れも道も確認しているはずだった。

「シャツ、ベルト、ベスト、マイク。…唯我、マイク!」

「は、はい!」

 駿君から言われる通りに物を渡してくはずだったのに、手元に残ったピンマイクがコロコロと動いて言うことをきいてくれなかった。ようやく渡した時、目の前に柱があるのに気づけず突っ込んだ。それを見ていた全員が笑って、俺を置いてさっさと行ってしまった。痛くてたまらない真っ赤な鼻を抑えて、俺は皆の後ろ姿を見送った。遠のく足音を追うほど、不安になった。

「ほら、唯我!次だ!ステージに戻るぞ!」

「はい」

 Jrの先輩に肩を叩かれ、俺はジャックウエストのメンバーとは逆の方へ、他のJrと一緒に走った。

 その日のライブが終わって、施設に帰ると、優里子が玄関先に立って待っていた。足を開いて、両手を腰に当てている。可愛くも何ともないのが残念で、疲れた目にはとてもしみた。

「お帰り、唯我」

「たーいま……」

「たーいま、じゃなくて」

 玄関で靴を脱ぎ上履きに履き替えて顔を上げると、優里子よりも先に、玄関からすぐ見える掲示板に目がいった。

「何これ」

 掲示板には、俺のポリカのCMの画像が貼られていた。

「ああ、今CMが撮影した映像から、イツキのライブでのサプライズ映像に変わったじゃない?それで、ポリカのホームページをチラッと見たら、唯我の画像、たくさん出てきたんだ。嬉しくてつい!あ、ほら!イツキのインタビュー記事に、唯我のことも少し載ってるんだよ。ここに」

 記事を指さして、嬉しそうに話す優里子とは違って、俺はイライラしていた。優里子が話すそれらは、もう過去のものになりかけている。頑張ってやったことが、必ずしも未来を作ってくれるとは限らないと知って気持ちが落ち込んでいるのに、ダイレクトにグーパンチをくらったような痛みを胸の奥に感じた。

「やめろ。ほっとけ……」

「ん?何、唯我。まあた恥ずかしがってるんでしょ。ふふふ」

「人の気持ちも知らないで、勝手に面白がりやがって!ふざけんな!」

 イライラして頭から火が噴き出しそうだった。俺は声を上げて優里子に怒鳴ってしまった。

「あ、うん。そうか、ごめん唯我。……ごめん」

 それまで笑っていたのに、俯いて黙ってしまった。やっちまった。そう思った。優里子は1ミリだって悪くなかった。俺がイライラした気持ちに任せて八つ当たりしてしまったのに、優里子に謝らせてしまった。

 嫌になる。俺、最低だ。けれど、視界に入ってくる掲示板の画像が気持ちを荒立てた。その場にいられず、優里子を置いて走った。

 何かしていないと、とてもじゃないけど気持ちが落ち着かなかった。次の日、次の日と、俺は夏休みの宿題を放り投げてジェニーズの事務所に通い、連日レッスンというレッスンを受けまくった。オカマコーチのダンスレッスン、意味があるのかよくわからないボイストレーニングのグループ教室、ラジオ番組の見学。レコーディングの見学。

 一日のほとんどを事務所で過ごし、施設に帰って体がぐったりしていると少し安心できた。優里子が何度も「お帰り」と声をかけてくれていたことに気づいていたけれど、返事はしなかった。


                 ****


 そうして一週間前、俺はレッスン室でぶっ倒れた。室内で起こした熱中症だった。病院に運ばれて、点滴を打って施設に戻った。それから体調は回復せず、熱を出した。情けない。

 今この瞬間にも、矢久間や他のJrたちとの差が開いているかもしれない。思い起こされるのは、人気投票の数字だった。今も毎日毎日、どんどん俺の順位は下がっていく。そんな気がしてならない。

 不安なのは、俺がジェニーズに必要とされなくなること。仕事がなくなること。

そうして、土井先輩はジェニーズでいることをあきらめたんだ。そして辞めるんだ。自分だけの問題ならそれでもいいかもしれないけれど、俺は土井先輩とは違う。

 俺がジェニーズであることで、施設は存続しているんだ。俺がジェニーズを辞めてしまったら、ジェニーズからの施設への援助金は無くなる。そしたら施設が無くなってしまう。ガキどもの居場所がなくなっちまう。

「僕はね、嬉しかったんだよ」

 医務室で、熱い背中を拭いたタオルをたらいの水につけてギュッと絞りながら、施設長は言った。

「どんな理由であれ、唯我がジェニーズになるって言ってくれたことが」

「……何で」

「あの人も言ってたろ。水もしたたるイケメン。そうそう、秋川さん!秋川さんが言ってた通り、ジェニーズは人を笑顔にする人たちだ。初めてライブに行った時、お客さん皆、笑顔になって楽しそうだった。見に行った僕たちもね、唯我が出てきて踊ってるのを見たら、嬉しくて、楽しくて、笑顔になったんだ。唯我がすごおくカッコ良くて、一生懸命だった。その姿にどれだけ勇気づけられたことか」

 体がすごく火照ってきた。脳みそが湯だってて、体が言うことを聞いてくれない。顔も熱くて、鼻の奥で鼻水が出始めて、涙袋のしまりが悪くなった。

「だからね、今度は唯我自身が笑顔になってほしいな。唯我自身にとってのジェニーズをやる大きな意味を見つけて、楽しくて、夢中になってくれたら、僕は嬉しいな」

 水でぬれたタオルが、もう一度背中を冷やした。タオル越しの大きな手が、何度も何度も、俺の体の奥の何かを前に前に押してくる。

 施設長の言葉が嬉しかった。思いやってくれていることが伝わって、余計に頭の回転が悪くなった気がした。脱いでいた寝間着を掴んで、顔に押し当てていたけれど、寝間着がぐっしょりぬれてしまった。

 俺は、この人たちと一緒にいられるを、とにかく守りたい。


               ****

               

「まだ熱が……。ええ、ええ。承知しました。どうぞゆっくりお休み下さい。また連絡します。唯我君の体調が回復しましたら、お知らせいただければ、ええ。よろしくお願いいたしします。失礼いたします」

 事務所にある職員事務室内、キャリアウーマンは施設に電話をしていた。

、今の唯我?どうしたの?」

 キャリアウーマンの背後から声をかけてきたのは、スーパーアイドル秋川千鶴だった。キャリアウーマンは振り返った。俺は知らなかったが、秋川千鶴はキャリアウーマンのことを「ネコちゃん」と呼んでいる。

「それが、8月のレッスン中に倒れてからずっと体調を崩してて、今は熱が下がらないようです。次の仕事の依頼をしたかったのですが、これはキャンセルすることにします。この夏休み、色々と新しいことに挑戦していた様子だったので、残念ですが……」

「じゃあ、唯我。これからヒマなのね?」

「ヒマ……、というより動けないんです」

「動けないんじゃあヒマと一緒だよ。これから唯我、少し借りてもいい?」

 秋川千鶴のアイドルスマイルからのウインクには、誰もあらがうことができない。キャリアウーマンは少し不安だったが、秋川千鶴のウインクにだまされることにした。

 その時キャリアウーマンが秋川千鶴から受け取ったのは、一冊の脚本だった。真っ赤な厚紙の表紙には、『ジェニーズミュージカル 秋川劇団』とあり、その下には大きくて独特な文字でこう書かれていた。

『ジール オンアンダーザグラウンド』

『ジール:少年期 大貫 樹杏  青年期 川瀬 大地』


                ****


 広い部屋に、コの字に置かれた長机にびっしり男たちが並んでいた。その中に、一人だけ年齢の違うガキが座っていた。

「次、ジール 少年期 大貫おおぬき君」

「はい!大貫 樹杏じゅあんです!元気に頑張ります!よろしくお願いしまーす!」

 自己紹介したガキは小学5年生のガキで、毛という毛が赤く、目はラムネのビー玉みたにきれいな青色で、真っ白な肌にそばかすが浮かんでいる。それがニコッと太陽のように笑うので、周りの人達は日なたぼっこでもしたような朗らかな心地になる。その中で、偉そうに座る秋川千鶴だけがクスクスと笑っていた。

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