第13話 ジェニーズJr祭EAST☆
『夏だあ!海だあ!ジャニーズJrの夏が来たああ!』
豆絞りを頭に巻いて青い法被を着た、祭り男が、マイクを握って叫んだ。すると、集まっていた男たちが「おおお!」と雄叫びを上げた。隣の矢久間は楽しそうに「おお!」と声を出して拳を上げている。俺は周りのテンションに全くついていけなかった。
8月の夏休み初め、俺は浜辺のホテルに来ていた。ホテルに到着すると、広々としたロビーには、事務所で顔を合わせるJrたちが集まってざわざわとしていた。俺は矢久間に会うと、すぐに腕を引かれてJrで混み合う輪の中に連れていかれた。ロビーから見えるきれいな浜辺をさえぎるように、ガラス張りの壁に「ジェニーズJr祭EAST☆」という横断幕が張られていた。
「何これ……」
「唯我は初参加だもんな!関東で活動してるJrが集まって、毎年やってるフェスだよ。同日開催で関西でもやってるんだよ。関西は
矢久間は肩を組んで耳元で元気よく話していた。耳に空気の膜ができたような感覚になった。
『ジェニーズJr祭はあ、ご来場下さるたくさんのお客様のために、我々Jrが全力をつくしておもてなしをする場である!同時に、今年もジェニーズJr祭に参加する全Jrの人気投票が実施される!』
「人気投票?」
「そう!参加するJr全員が対象。これが面白いんだぜ!」
面白そうには全く思えない。人気投票なんてやらなくていいじゃねえか。
『ライブに出たからって人気者になれるわけじゃねえ!これはアイドルとしての実力とコミュ力と愛きょう勝負!関西でやってるJr祭
お祭り男が言うと、グループ活動をしているJrたちから「何だとコラー!」とヤジが飛び、それ以外のJrから「その通りだ!」「ステージくれ!」と大声が上がった。
「フリーども?」
「つまり、俺らみたいなグループに属してない奴らのこと」
「なるほど」
「さあ!楽しまないと損だぜ、唯我!頑張ろう!」
男どもの大声がロビーの中に響いている中、矢久間は俺の耳元で叫んで拳を上げた。うるさくて顔を反らした時、男たちの中に智樹の姿を見つけた。智樹は俺の視線に気づいて目を合わせたが、すぐに顔を反らした。智樹とは、3月に会った以来の再会だった。
智樹に胸倉を掴まれ声を上げられた時の感覚が、生々しく蘇った。ただ顔を合わせただけなのに、気まずい。
****
智樹に話しかける間もなく、「ジェニーズJr祭EAST☆」がその日の午後から始まった。参加者が屋外で活動する時は、必ず首から名札をぶら下げる。服装は自由だったが、俺はポリカのロゴ入りの真っ青なTシャツを着せられて、ポリカを売ることになった。
ポリカを売る仮設テントは、会場と浜辺の道路に面する微妙な場所にあるので、Jr祭に来る人と海に遊びに来た一般客、犬の散歩をするじいさんなんかも混ざってポリカを買っていく。
「今日は熱いから、ポリカは相当売れるだろうね。熱中症、気をつけてね」
「はい。よろしくお願いします」
仮設テントの中で、一緒に売り子をするJr、土井先輩と顔を合わせた。身長が高くて細身で、パーマがよく似合うイケメンだった。だけど表情の動かない人で、しゃべる声もボソボソとしている。日陰の中だからか、暗い人に見えた。はっきり言ってアイドルっぽくない。こんなジェニーズJrもいるんだと内心驚いた。ちなみに24歳らしい。
俺はすぐに、真夏の海辺での活動はとにかく暑さとの戦いだとわかった。おかげでポリカはお客さんの手に渡る前に、俺の胃袋へどんどんたまり、一緒に売り子をする土井先輩に怒られた。
「あれ?もしかして、ポリカのCMの子じゃない?」
「あ、本当だ!チビイツキだ!」
水着を着た二人組の女の人がやって来た。ポリカを受け取ると、二人は俺をじっと見つめた。
チビイツキ?
俺は自分のことを言われていることに、すぐにピンとこなかった。二人は俺を強引に引っ張り出し、太陽の眩しいところで「はい、チーズ!イエエイ!」と自撮りした。
「お名前は何ていうの?」
「いくつ?」
「……お、小山内唯我です。小5です」
「小5!?絶対ウソ!」
「超美形!かわいい」
俺は頭を振ることしかできなかった。この人たちの目的がわからなすぎて困った。一体、俺は何をされているんだろうか。
二人が「じゃあねえ」と手を振って帰って行ったその時、Jr祭り会場のステージからワアッと歓声が上がった。
『さて、4月に結成されたグループ!D2-Jrの登場でーす!』
テントの奥に見える特設ステージに、6人のJrが登場した。一番背の小さいのが智樹だった。他のメンバーは見るからに高校生くらいで、智樹よりもずっと体の大きい男たちだった。
『皆さん、こんにちは!D2-Jrです!』
『僕たちはダンスに特化して作られたグループです!まずは1曲、皆さんに楽しんでもらえれば嬉しいです』
『よろしくお願いします!』
6人はポジションに着き、最初の振りの姿勢になった。その姿が、まるで写真みたいに画が止まって見える。脈のようなドクン、ドクンという音に合わせて、波が立って引いていくような動きが繰り返された。そして突然始まったハイテンポのリズム音に合わせて6人はポジションチェンジして散らばった。
前奏までの振りを見ただけでもよく分かる。このグループは、Jrの中でも一番ダンスのレベルが高い人たちだ。そこに智樹が立っている。
「智樹、すげえ」
智樹のダンスは、6人の中でも一番体が小さいなんて思わせなかった。感動した。
しばらく智樹の立つステージにくぎ付けになっていると、土井先輩が頭をチョップしてきた。振り向くと、背の高い土井先輩が無表情で立っていた。俺を見降ろす土井先輩からは、無言だけど「早く戻れ」と言われているような気になった。
「ステージ気にするより、目の前のお客さんを大事にしてね」
その通りだと思った。俺は「はい」と返事をして、売り場に戻った。それからは、耳でステージの音を聞いていた。
****
その夜、ホテルのロビーにはプロジェクターが用意され、そこに今日の人気投票結果が映し出された。それを見たJrの先輩たちからは喜びの声や、悔しがる声が上がった。
「唯我、お前も何票かもらってんじゃん!」
隣にいた矢久間が嬉しそうな声で言った。俺は「ジェニーズJr祭りEAST☆」に参加する45人中、6票で40位だった。その下は3票で41位が1人、0票で45位が4人いる。いい結果とは言えない気がした。
「俺はいいよ。矢久間は?」
「俺?30位!38票ゲット!」
俺と相当差がある。「へへへ」と笑う矢久間の横で、少し落ち込んだ。智樹の名前は、48票で24位にあった。こんなふうに数字で結果を見ると、少し遠いところでメンバーに囲まれて笑っている智樹の存在が遠く思えた。余計に話しかけにくくなってしまったように感じた。
****
二日目の午前中は、前日に引き続きポリカを売っていた。相変わらず「ポリカの子?」と声をかけられることが度々あった。隣で売り子をする土井先輩は「ファンです」「頑張ってください」と声をかけてくる人に、アイドルスマイルを向け「ありがとうございます」と握手している。まるで別人だった。俺はこんなふうに挨拶できない。
「イツキのダンス、すごいよかったよ!」
「唯我君っていうんだ。頑張ってね」
「……は、い」
声をかけられる度に驚き、固まってしまう。握手してくれる人もいるけれど、それは勝手に手を握られるだけの単なる接触でしかなかった。
「そろそろトリガーのライブだ。お客さん、増えてきてるな」
土井先輩が汗をぬぐいながらステージに振り返った。
「俺の同期の奴らなんだ。ようやく一定数のファンがついてきたから、デビューも近いかもな」
土井先輩がステージをじっと見つめていると、5人組グループのトリガーがステージに姿を見せた。正面から日差しを受ける明るいステージは、5人のイケメンが立つことで一層明るくなったように見える。観客席からは「キャー」という女の人たちの歓声でいっぱいになり、会場は笑顔で埋め尽くされた。
『こんな暑い中、集まってくれてありがとう!』
『これまでで一番のステージにするから、一瞬も目を離さないで』
センターに立つイケメンの甘い声に、会場の女の人たちは顔を真っ赤にして声を上げた。トリガーはピアノの前奏に合わせてゆったりと踊り始める。一瞬止まると、そこから軽快な曲に乗ってターンを決め、軽やかにステップをして、マイクを握る手を口元に近づけ、甘い声で歌い始めた。
一人、テントの影の中から明るいステージを見る土井先輩。ステージに立ち、アイドルスマイルを崩さず踊って歌うトリガーの5人。俺は、土井先輩の横顔を見ていると寂しくなった。同時に、昨日の俺と智樹の姿を重ね合わせた。
「おおい、交代の時間だよお」
その時、午後からの売り子担当のJrがやって来て交代し、俺と土井先輩はホテルに戻った。
クーラーのよく効いたホテルに用意されたお昼のケータリングを土井先輩と一緒に食べていると、外から大音量で流れるトリガーの歌がかすかに聞こえてきた。土井先輩は窓の外に視線を向けながら、ゆっくりご飯を食べている。
「センターの狩野とは、事務所に入った時からの友達なんだ。同じように頑張ってきたつもりだったけど、いつの間にこんなに差がついたんだか……」
「差?」
「ステージに立てる奴と、そうでない奴の差」
頬杖をつくその横顔の、スッとした鼻筋や長いまつげ、凛々しい眉毛にパーマを当てた細い髪が、夏の日差しに溶けるようだった。土井先輩は暗いところにいると一層暗い人に見えるけど、まぶしいくらい光の当たるところにいると、イケメンな好青年に見える。じいっと見ていると、その視線に気づいた土井先輩は俺を見てふっと笑った。
「お前、多分相当なイケメンになるよ。羨ましい」
「土井先輩こそ、何ていうか……。キレイです」
「キレイ?」
「はい」
「……はは。褒められちゃった」
土井先輩はとてもクールに笑う人だった。こんな人が、ファンの前では別人のようにニコニコとする。まるで役者みたいだと思った。
「唯我は、今年が初めての参加なんだよな。なら、祭に来た人たちに覚えてもらえるコツを知っておいた方がいい。いいか」
それから土井先輩は、Jrたちの「ファン活動」と呼ばれる活動を教えてくれた。
****
昼を食べた後、俺はポリカのTシャツから祭のTシャツに着替えて会場に向かった。
「あれ?唯我だ!」
会場に着くと、さっそく矢久間が声をかけてきた。矢久間は朝からニコニコしていて、テンションが高かった。
「何?ファン活動?意外!」
「昨日、土井先輩が教えてくれたんだ。気づくのが遅くなって、もう時間も残り少ないけど、できることはやってみようと思って」
「いいよ、いいよ!初日に言ったろ?楽しまなきゃ損だって!」
「うん」
矢久間の言う「楽しむ」ができるほど余裕はなかったし、矢久間のように心から「楽しむ」ことは難しい。それでも、俺が今できることはやってみようと思った。
「それにしても、それ何持ってんの?」
「ああ、土井先輩からついでにゴミ拾いしといてって」
それを聞いて矢久間が「ぶっ!」と笑った。笑う理由はよくわかっていた。俺はあご下で止めるゴム付きの麦わら帽子を首から下げて、ビニール袋と長いトングを持っていた。絶対カッコ悪い。わかってはいるけれど、断れなかった。それに、どんなに意味ある「ファン活動」をしようにも、炎天下に立っているだけは耐えられない。
外にいるだけで焼かれて丸焦げになりそうなほど暑い中、俺は会場のゴミを拾いながら歩き回っていた。麦わら帽子はありがたかったけれど、汗でじとっとする肌に髪の毛がついてくるのが気になって後ろで一つにまとめて麦わら帽子をかぶっていた。
「あ、いた!ポリカのイツキ!」
「いたいた!ポリカの子!」
女の人4人くらいが近づいてきてきた。声が大きい女の人たちの声が響いたのか、徐々に他の人たちも集まり出した。握手をして相づちをうっていると、そこかしこに伸びる腕の上にスマホが浮いていて、そこからパシャパシャとシャッターが切られる音がしていた。少し困った。どうしたらいいんだろう。そこで、土井先輩がさっき教えてくれた「覚えてもらえるコツ」を思い出した。
「まずは相手をまっすぐ見てあげること。それから笑って、ありがとうと言う。次に嬉しいことを伝える。そうする、相手はようやくJrじゃない俺自身を見てくれるようになる。これ初歩だから」
やろうとするととてつもなく恥ずかしくてたまらなかった。目の前で手を握る人の顔さえ見られない。舞台に立つのとは全然違う緊張感がある。心臓はドキドキするし、それが手の平で脈打っているから、俺の手より大きくて細いお客さんの手にまで、その脈が伝わってしまいそうだった。
「あ、の……。こんな暑い中、来てくれてありがとうございます。会えて、嬉しいです。お、覚えてもらえたら、もっと…嬉しいです」
顔を上げると、目の前の人はポカンとしていて、周りも同じように固まっていた。何か変なことを言ってしまったかもしれない。言うんじゃなかった!
すると、お客さんが「か……」とだけ呟いた。
「か、可愛い!」
握手していた手が胸の前で両手でぎゅうっと握られた。するとポカンとしていた人たちにもスイッチが入ったみたいに突然前のめりになっていろいろな言葉が飛んだ。皆の顔がパアッと明るくなって、ニコニコとしていた。
「名前、小山内唯我君だよね」
「唯我君!」
「めっちゃ可愛い!」
「ポリカのイツキ!」
「唯我君!」
「唯我君!」
相当恥ずかしくなって、顔を上げられなかった。ドキドキしているのは、知らない人と話す緊張と、名前を呼んでもらえる嬉しさと、目の前のお客さんが笑ってくれたことに安心したからだ。それから、少しの期待のせいだ。
土井先輩はあんなに暗い人なのに、ちゃんと笑ってファンに応えられるんだから、すごい人なんだな。
****
その夜、最終投票結果が出た。2日間の総合1位を取ったのは、土井先輩と同期だというトリガーの狩野さんだった。狩野さんは仲間と一緒に拳を上げて、大きな声を出して喜んでいた。投票数は、トータルで1058票で圧勝だった。
「くっそ!100いかなかった!」
隣の矢久間は24位で投票数が92票だった。悔しがるヤクマの横で、俺は自分の記録を見た。総合40位で投票数は2日間で37票だった。
「ま、まあ来年また頑張ればいいんだって!元気出せ唯我!」
「サンキュ。でも、俺の2日間の成果だと思う」
その時、遠くで「やったあ!」という明るい声が聞こえた。智樹の声だった。智樹はグループのメンバーに囲まれて喜んでいた。智樹の順位は総合18位で、投票数は140票だった。やっぱり智樹はすごい。
はっきりと数字で見える結果は、そのまま今の智樹と俺の距離と同じように思えた。そしてわかったことがある。この差が、「ステージに立てる奴とそうでない奴」なんだ。
「2日間、お疲れ。唯我、お前やけたな」
土井先輩が声をかけてくれた。
「お疲れ様です」
「総合32位だった。20位台にも入らなかったよ」
「俺はほとんど最下位でした」
「唯我は初めてだったんだから、いいんだよ。票をくれた人達に応えられる奴に、これからなればいい。来年、頑張れよ」
「土井先輩も。また来年」
「俺はいいや」
それはとてもサラッとした言いようだった。
「踏ん切りがついたよ。俺、今年いっぱいでジェニーズ辞める」
その瞬間、周りの音が一切消えてしまった。
「ジェニーズを、辞める?」
(第15話 ジェニーズJr祭EAST☆ おわり)
→次回更新:6月15日(土)22:00
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