第12話 ポリカにまつわる秘密
運動会が終わった後、施設にたくさんの清涼飲料水ポリカとDVD、イツキのライブチケットが届いた。泰一は早速DVDをデッキに差し込んだ。
モノクロの画面から、キュッと床を踏む音、服の揺れる音、小さくて懸命な呼吸の音が聞こえる。画面の中で、少年は一人踊り続けていた。
『子供の頃から、夢は世界一のダンサーになるこだった。誰よりも上手くなりたくて、何よりもダンスが大好きだった』
イツキの低くて抑揚のない声がそう言った。
画面の奥で、あごを上げてポリカを飲んだ少年は、汗を流し、乱れた髪の隙間から強い眼差しを遠くに向けた。画面は少年が置いたポリカを大きく写している。『だけど、それは今も変わらない』
それを今度は大人の手が取った。グビッとポリカを飲み込んだのは、汗だくのイツキだった。ポリカを置くと、リズミカルな音楽が鳴り出した。まぶたを閉じるイツキがアップになって目を開く。そこから、さっきまで少年がやっていたダンスが始まる。長く伸びる手が大きく滑らかに動き、足はテンポに合わせて強くステップを踏む。乱れた髪はイツキの視線を動かし、その視線の先に何を思っているのか想像させた。
『俺はこれからだって』
決めポーズから顔へアップする。強い視線は画面の先へと向けられた。
『強くなる』
口が開き、息の乱れを感じさせないようイツキが言った。最後に画面の下に水色に白抜き文字で「清涼飲料水 ポリカ」と表示された。
それは駿兄が施設を出る日に撮影したCMで、画面に映る少年は、紛れもなく俺だった。しかし、見事な演出で映像編集を終え完成されたCMは、あの日の俺の気持ちなんて無視して、まるで俺ではない俺を映していた。
映像が終わると、居間には大きな拍手と「すごい!!」という声があがった。俺は突然のことで驚いてビクンとした。
「唯我兄ちゃん、かっけえ!!」
「すごいすごいすごーい!!」
泰一と文子は大興奮。施設長は俺の肩を後ろから掴んで揺らした。
「いやあ、頑張ったね。唯我」
「驚いた。あの日、これを撮影したんだね、唯我。私、感動しちゃった」
隣に座る優里子は、少し涙目だった。「ふふふ」と笑う優里子を見ると、俺はあの日の寂しい気持ちを思い出して、優里子の涙目のせいでもらい泣きしそうになった。
「全然すごくねえよ。ほとんどイツキしか映ってねえじゃねえか」
「でも、唯我はちゃんと映ってたよ。上手に踊ってたよ」
優里子に重なって、駿兄の嬉しそうな顔が見えてくるようだった。施設を出た駿兄が、テレビでこのCMを見てくれたら、優里子や皆のように喜んでくれるだろうか。
「俺はな、お前のCMめちゃめちゃ楽しみなんだよ。だって、俺が施設を出た後、テレビでお前の頑張った姿が見れるんだろう?こんな嬉しいことない」
そう言ってくれた時の駿兄のことを思い出すと、目頭が熱くなって、涙がこぼれてしまいそうになったからギュッと目をつぶった。
****
施設長、優里子、泰一、文子、佳代、俺は6月の日曜日に、都内の大きな舞台へと向かった。その日は、イツキのダンスパフォーマンス舞台「ITUKI in TOKYO LIVE」の最終日だった。会場周辺には、あちこちにポスターが貼られていた。他にも旗が立ち、横断幕が掲げられている。会場の中は、ジェニーズのライブに似た雰囲気がフツフツとわいていて、静かな熱気に泰一も文子もあおられてテンションを上げていた。
実は、誰にも内緒で俺にはやることがあった。それはDVDを受け取ったことをキャリアウーマンに伝えた時のことだ。
「イツキ君のライブ最終日、私もひっそり会場に向かいます。前半が終了すると、15分間の休憩があります。その間に私と合流して、準備をしてください」
会場には空気が震えるほどの絶叫が響いた。泰一と文子は「ワー!!」と一緒に叫んだ。佳代は大きな声に慣れなくて身を縮こませた。優里子は周りをきょろきょろとしてから、あることに気が付いた。
「あれ?お父さん、唯我がいない!15分間の休憩の時はいたのに!」
「大丈夫だよ。静かに見てなさい」
事前に施設長にだけは、これから何をするのか話していた。施設長は優里子をなだめ、ドキドキしながらその時を待っていた。しかし、優里子はずっと俺がいないことが気がかりだった。
クライマックスに向け、イツキのダンスパフォーマンスは続いた。会場の熱気も歓声も一段と増す中、舞台の上で最後のターンを決めると、イツキのやり切ったという笑顔が会場の大きなモニターに映った。その時、バンと大きな音が鳴り、会場の全ての光が消えた。
『子供の頃から、夢は世界一のダンサーになるこだった』
突然、イツキの抑揚のない声が響いた。何が起こっているのかわからないイツキと観客たちは静まり返った。すると、ステップを踏む音だけが静かに聞こえ始める。
『誰よりも上手くなりたくて、何よりもダンスが大好きだった』
舞台から伸びる通路の一番端っこに、スポットライトが当たった。舞台の上で立ち尽くすイツキは、スポットライトの真ん中で踊る少年に目を奪われた。少年は一人、無音の舞台でステップを踏んでいた。足音、服のかすれる音、小さな息づかいまでが聞こえる。
まるでモノクロの映像のような光景を見て、イツキは何となく理解した。驚いて、口を覆ったり、外国人みたいにわけがわからないという風に手を上げてうろうろしている。表情だけはとても楽しそうで、イツキの驚きと嬉しさが観客にも伝わった。
「あれ?これってCMのセリフ?じゃ、じゃあ、あそこで踊ってるのって……」
「唯我だよ」
優里子と施設長は小さな声でそう言った。優里子が視線を向けた先で、俺は一人踊っていた。
CMのダンスに少しだけ振り付けを加えられたので、CMよりも一人で踊る時間が長くなっていた。音楽もなく、カウントを知らせるリズム音もない。俺の視界はスポットライトの強い光のせいで足元しか見えない。舞台に立ち尽くすイツキなんてすっかり忘れて、俺はダンスにだけ集中した。
ストン!と気持ちよく音を立ててステップを止め、停止する。
『だけど、それは今も変わらない。俺はこれからだって、強くなる』
バンと音が鳴って舞台は明るくなり、それまでイツキと一緒に舞台に立っていたバックダンサーたちが声を上げて集まり始めた。皆してお揃いの青いTシャツを着ている。胸元にはわかりやすく清涼飲料水のポリカのロゴマークが白抜き文字で入っている。イツキは完全に理解した。これは、ポリカ会社とダンサー、俺の仕組んだサプライズだった。
CMでイツキが踊っていた音楽が鳴りだす。俺は通路から舞台に向かって助走をつけて、舞台に上がる瞬間、ロンダートからバク転をして、イツキの前まで来た。
イツキは目の前に現れた俺を見ると、嬉しそうに笑って抱きしめた。
「あはは!唯我君!」
「カ、カウントが始まる。早く離して」
『レディ!』
イツキは腕を離し、俺を横に立たせた。汗だくのイツキは、ニンマリして俺を見降ろした。
「わかった。焦って間違えるなよ?」
『……1・2・3・4・5・6・7・8!』
イツキを交えて全員でCMのダンスを踊った。かかっていた音楽の音量が大きくなり、観客席からは空気を震わすほどの大きな声と拍子が上がった。イツキは時々俺を見た。俺も顔を上げて目を合わせる。CM撮影のために二人でダンスの練習をした時の空気が、そこに蘇った。
全員で最後の決めポーズまで決めた瞬間、舞台の両端から金色の紙吹雪が飛んだ。隣のイツキは大爆笑だった。俺とハイタッチすると、俺を軽々と持ち上げて振り回し、最後に力強く抱きしめられた。
『サイコーだよ。お前ら!』
****
舞台が終わった後、俺は施設の奴らに楽屋へと来てもらった。施設長が「失礼します」とそっと楽屋の中に入って来た時、俺はイツキに写真をバシャバシャ撮られていた。二人での自撮りをされている時、「唯我」と優里子の声が聞こえた。俺は見られたことが恥ずかしくて、顔を真っ赤にした。
泰一は俺に向かって走り寄り、ギュッと抱きしめた。何を恥ずかしがっているのか、文子は優里子の後ろでひっそりする佳代の後ろからニヤニヤした顔で楽屋を覗き込んでいる。
「ああ、これが君の守りたい家族か。君を強くするものに会ってみたかったんだ」
イツキは俺に抱き着く泰一の頭を撫でて言った。
「唯我君、君に会えて僕は幸運だ。唯我君の幸せが、これからも溢れますように。グッドラック」
ウインクをするイツキと握手をした。最後の言葉がよくわからなかったが、とてもいいことを言われたような気がして、勝手に嬉しくなった。
次の日、イツキは本拠地アメリカへと帰って行ったとのことだった。
****
ポリカのCMがテレビで放送され始めたのは6月中旬頃だった。その頃、学校では長谷川と俺、大沢で出かける計画を立てていたが、3人して予定が全く合わなかった。長谷川はご自慢の習い事で忙しく、俺はイツキのライブやジェニーズのライブがあって忙しく、大沢は家族旅行で土日が埋まっていた。
このまま出かける話は流れて無くなると思っていた矢先、偶然にも予定が合ってしまったのが七夕だった。「お祭りがいい!」という大沢の希望により、3人で七夕祭りに行くことになった。お祭りは県外だった。そのため、俺たちは最寄り駅で待ち合わせをすることになった。
最初に駅に着いたのは俺だった。日陰にいても暑さを感じるようになり、凍らせたはずのポリカは俺より汗をかいてさっさと溶けてしまった。
「唯我君、おはよう!」
「チッ。おはよ」
長谷川はリュックをパンパンにしてやって来た。何をそんなに積めてるんだよ。
「会って最初に舌打ちとは失礼な!友達にする挨拶じゃないぞ!」
「いちいち指を差すな!」
長谷川の人差し指をペチンと叩くと、「何だよ!」と声をあげて俺を睨んだ。睨まれたからには睨み返すしかない。
「お・は・よ・う!」
すると、俺たちの間に割って入ってきたのは大沢だった。麦わら帽子にふわふわと揺れる白いワンピースを着て、小さなバッグを持ってやって来た。小学校でいつも見る姿とは少しだけ違うような気がした。
「大沢さん、お、おはよう!」
「おはよう」
長谷川は目をキラキラさせて大沢を見つめた。大沢はニッコリ笑った。
「おはよう、長谷川君、唯我!今日は楽しくなるといいね!」
「まあ……」
「まあって何よ」
大沢は「ふふふ」と笑った。
それから長々と電車に揺れた。真っ暗な地下をずっと通って、ビルや家々の間を通り抜け、しばらくして畑や川、田んぼの景色が電車の外に広がった。その間、俺はボックス席の窓際に座って、ずっと外を見ていた。大沢と長谷川は話ながら、時々声をかけてきた。
長谷川のリュックから出てくるお菓子を大沢が美味しそうに食べていて、お菓子を俺に差し出す時、楽しそうに笑っている。もらったお菓子は特別美味しく感じた。多分、長谷川ご自慢のお高いお菓子だったんだろうし、俺の腹がちょうどよく空いている時だったんだと思う。
今さらだが、こうして友達とどこかに遊びに行くのは初めてだった。二人は教室にいる時より楽しげで、それにつられて、俺もほんの少しだけ楽しい気分になった。
****
「わあ、大きい!」
駅を出るとすぐ見える商店街には、「七夕祭り」と書かれた横断幕があり、アーケードには巨大な七夕飾りが吊るされていた。長谷川は少ししぼんだリュックから大きくて立派なカメラを取り出した。
「それ、長谷川君の?」
「そう!写真撮るの好きなんだ」
「へえ」と大沢が関心していると、何の合図もなくパシャっとシャッターが押された。長谷川は満足げな顔をした。
それから俺たちは、商店街の中を歩いた。店頭で作られる焼きそばやたこ焼きのソースの匂い、オヤジの手の先でふわふわと膨らんでいく綿菓子、花壇で咲くチューリップみたいに並ぶ真っ赤なリンゴ飴、集まる人びとの行き交う音が、お祭りの楽しい雰囲気を作っていた。
「まずは短冊書きましょう!あそこに大きな竹あるよ!」
大沢は長谷川と俺の手を引いて、商店街の奥に向かって歩き始めた。長谷川は頬を真っ赤にしている。俺はソースの匂いにつられて腹が減ったが、大沢はお構い無しに歩いていく。
特設された竹の周りには長机がおかれ、短冊とペンが置かれていた。俺たちはそれぞれ短冊を書き、手の届く枝の先にくくりつけた。
長谷川の短冊には「唯我君に体育負けない!」と大きく書いてあり、大沢のは「ずっと仲良しでいられますように」とあった。
「唯我のは、”もう少し頑張れるようになりたい”だって。何それ」
まさか声に出して読まれるとは思わず、顔が熱くなった。大沢はクスクスと笑い、長谷川は「僕はよく理解してるつもりだよ!」と言った。余計なお世話だ。
「何をもう少し頑張れるようになりたいの?」
「いろいろだよ」
「ふうん。お姉さんのこととか?」
大沢がニヤニヤしながら言った。ムカついたのでデコピンしてやった。
「いろいろは、いろいろだよ」
大沢はほっぺを膨らませて「つまんなーい」と言った。
「唯我は秘密がいっぱいだよね。お姉さんの他にも何か隠してるでしょ」
「え」
勘のいい大沢は、「そうだ!」とひらめいた。
「水風船釣りやろう!皆でやって一番少ない人が秘密を言うのはどう?」
「は?」
「いいねえ!」
大沢はまた手を引いて歩き始めた。3人で水風船の浮かぶ水槽の前にしゃがみ込み、金具の付いたヒモを手にした。
「唯我、覚悟しなさい!いくよお?よーい、ドン!」
結果、大沢、長谷川は釣れずにおまけで1個もらい、俺は無駄に3個も釣った。俺は水風船をバシャバシャ音を立てて手のひらで跳ね返らせていた。
「さあ、秘密を言え。まず長谷川な」
「僕の父さん、大学の昆虫博士なんだ。なんだけど、実は僕、虫が大嫌いなんだ」
「ああ、言っちゃったあ」と呟きながら、長谷川は顔を赤くしていた。大沢は「へ、へえ」と薄い返事をした。俺はする気にもなれなかった。どんな秘密を言うのかと思っていたが、期待して損した。
「皆の前ではすごく我慢してるんだ。あと、虫の出なさそうな場所を選んで行くから、突然遭遇すると心臓が止まってしまうんだ」
「死んでるじゃねえか」
「ぶっ!ふふふふ」
長谷川は顔を真っ赤にした。
「つ、次は大沢さんだよ!」
「私かあ、えと……」
大沢は恥ずかしそうに言った。
「実は、小説を書いてるの。今度賞にも出そうと思ってて……。私こそ、誰にも言ったことないし、見せたこともないの。だから、3人の秘密ね」
大沢は顔を真っ赤にしてうつむいた。これはマジっぽい。
「わかった」
「うん!僕も絶対内緒にする!」
顔を上げると、大沢は照れくさそうに笑った。それから日がくれるまで、屋台の並ぶ町で食べ物を手に、はぐれないように歩いて回った。
「あれ、唯我?」
聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返ると、そこには中学校の制服を着たジェニーズJr仲間の矢久間がいた。
「矢久間……」
「おお、唯我!なんでこんなところに!」
「お前こそ」
「俺は地元だよ。部活帰り」
「本当に中学生だったんだな」
「失礼な!」
後ろで「誰だろう」「唯我君、こんなところに友達いたんだね」と大沢と長谷川が話していた。矢久間の後ろには、矢久間と同じ黒の学ランを着る男が二人、クスクス笑っている。
すると、矢久間は大沢を見てニヤけた。
「もしかして彼女?唯我もすみに置けねえなあ」
「違うよ。同じクラスの女子」
その時、矢久間の後ろで笑っていた男がなにかに気づいた。俺をチラチラ、どこかをチラチラして、矢久間に耳打ちした。
「もしかして、この子……」
「ああ、そうそう!こいつだよ!」
「うっわ、マジか!」
すると耳打ちしていた男二人が近づいて、俺の手を取って固く握手した。
「有名人!俺、初めて有名人に会ったよ」
「これはイケメンだわ。やっくんは似非ジェニーズだから」
「ひでえなあ!俺だってジェニーズでーす」
「ふははは」と大きな笑い声が響いた。俺は訳がわからないでいた。有名人?俺が?
すると矢久間が指差した。そこには、見上げるほど大きなポリカのCM ポスターがあった。俺の横顔とイツキの横顔が上下に白黒画像で写ってる。真ん中にポリカの水色のラベルがあった。俺は驚き過ぎて言葉が出なかった。
「こんなのが駅前にあるからさ、すぐ皆に自慢したんだ。これ、俺のジェニーズの後輩って」
それから矢久間は手を降って離れていった。……これはまずいことになった。
「ねえ唯我」
ビクッとした。大沢の声で後ろに振り返ると、二人はぼんやりとしていて、大沢は震える指でポスターを差していた。
「これって、唯我なの?」
バレた。
「唯我君って、ジェニーズやってるの?」
長谷川も小さな声で言った。俺はあきらめた。こうなっては、もう隠せない。
「うん。今やってるCM に出てるのも俺だよ。秘密にしてたけど……」
うつむいてそう言った。初めて施設の奴ら以外に言った。緊張した。すごく照れくさいし、二人からどんな反応がくるのか不安で顔をあげられない。
しばらくしてカシャッと音がした。振り返ると、長谷川が持つ立派なカメラがこちらを向いていた。
「おおおっ!我なからとてもいい写真が撮れたよ!」
「あ、本当だ!」
二人はカメラを見て盛り上がっていた。俺が二人を見て固まってると、大沢と長谷川はニコニコ笑った。
「あはは。唯我は秘密言わなくても良かったんだよ?」
「そうそう。水風船、3つも取ったのに」
二人はニヤニヤとしてそう言った。俺は恥ずかしくなった。こんな風にバカにされるなら言わなきゃ良かった。
「でも嬉しい。唯我が秘密言ってくれたこと、すっごい嬉しい!」
「僕も!」
大沢と長谷川は俺に駆け寄った。二人が俺に笑顔を向けてくれていると、お腹の辺りがほかほかと温かくなたった。
「唯我さあ、”もう少し頑張りたい”とか書いてたけど、すでにすっごい頑張ってる
んじゃん!」
「うん。これは並大抵の努力じゃないよ。僕はまだまだだ」
そんなことを言われるとは思いもよらず、胸がいっぱいになってしまった。
「そんなことねえよ……」
俺には足りないものがたくさんある。それを気づかせてくれたのは、大沢と長谷川だ。二人に「頑張った」と言われるほど、まだ頑張ってない。だから、”もう少し頑張りたい”と思ったんだ。ジェニーズだって、友達だって、いろいろ。
長谷川がカメラを上げて、3人で自撮り写真を撮ると、お祭りを後にした。
心地よく揺れる帰りの電車の中で、俺たちは眠った。ボックス席で隣に座っていた大沢は俺の肩にもたれて眠っている。重い頭が肩に触れたことに気づいた時には、さすがに恥ずかしくなったが、目の前の長谷川が爆睡していたから安心した。俺もしばらく目をつむって、眠気に身を任せた。
疲れた。けれど、楽しかった。
****
「はい、どうぞ」
長谷川が学校で渡してくれたのは、お祭りの日の写真だった。白い封筒からは、3人で撮った写真と、ポリカのポスターの前に立つ俺の写真だった。
「唯我の写真、よく撮れてるね」
「自信作だよ」
「何で大沢にまで渡してるんだよ」
「これも思い出でしょ?」
長谷川のニヤニヤした顔がムカついて「うるせえ長谷川」と言うと、様子を見ていた大沢が「あはは」と笑った。
大沢は封筒にもう一枚写真があることに気づいた。それは帰りの電車の中で、眠った大沢が俺にもたれかかる様子が写る写真だった。大沢は、山が噴火したみたいに一気に顔を赤くした。
「は、長谷川君。長谷川君!」
大沢は小さな声で長谷川に耳打ちした。
「ああ、それ?大沢さん、欲しいかなと思って。唯我君には渡してないから秘密だよ」
「なななななな」
「何でって、大沢さんは唯我君のことが大好きだろう?だからさ」
それはお祭りに出かけた時の大沢の様子から、長谷川なりに気づいたことだった。ニコニコする長谷川の前で、大沢の頭から機関車みたいに蒸気が上がった。
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