第10話 小5問題
「はーい、集まって!撮るよー。はい、チーズ」
優理子の声に合わせて目を開く。明るい春の陽気にあふれた施設の中庭に立つ小さな桜は満開だった。新学期の朝、施設のガキどもは桜の前に並んで写真を撮った。今日から中学生の文子は新しいセーラー服を着てにやにやしている。
「唯我、似合ってるでしょ。ふふふ」
「にやにやしててキモい」
「何だと⁉」
「文ちゃん、制服はスカートよ。足気をつけてね」
「佳代姉、そんなの私だってわかってるよ。パンツ見えないように半パン履いてるから平気だよ」
今日から高校生になる佳代も新しい制服を着ていた。胸元のりぼんをモジモジといじる充瑠は、2才になり言葉を言うようになって、佳代が「そうねえ」と言うと、「うねえあ」と言うようになった。それが面白い泰一は「充瑠、充瑠」と佳代の腕に捕まるようになった。
その泰一は小学4年生、俺は小学5年生になった。
「いいなあ、唯我兄ちゃんはクラス替えあって」
「面倒なだけだよ」
「僕もクラス替えしたかったー」
文句を言う泰一は、学校の校門を抜けたところで友達たちと合流した。俺は新しいクラスに向かった。
「あ、唯我」
「大沢」
新しいクラスの自分の席に座ると、目の前の席には4年生の時と変わらず、大沢が座っていた。
「これでとうとう6年生まで同じクラスね。ご縁があるのね」
「どうかな」
大沢は「ふふふ」と嬉しそうに笑った。クラス替えした教室は落ち着きがなく、席に着いて周りの様子を伺ってキョロキョロしてる奴がいたり、バカみたいに大声で笑って過ごしてる奴もいる。というか、あれはバカとアホじゃないか。また同じクラスか。先が思いやられる。
二人を眺めていると、視界を遮るように3人の男がやって来た。
「大沢さん」
「はい?」
そいつらは大沢に用があったらしい。横並びでいるので、俺の席の横にも人がいるのが落ち着かない。
「僕は長谷川徹。よろしく」
「よろしく。去年まで隣のクラスだったよね」
「知ってたの?」
「だって成績優秀で運動神経いいって女子に評判じゃない、長谷川君」
長谷川という男はあからさまに嬉しそうな顔をした。長谷川を囲う二人は小声で「やったじゃん徹!」と耳打ちしている。わかりやすい。この長谷川という男は大沢が好きなんだ。
「でも運動神経なら、唯我だって負けてないよね」
「は?俺?」
「だって、バク転できるの、多分学年でも唯我だけだもん。それに、足も早いしさ」
「へー、唯我君ていうんだ。よろしくね」
長谷川は俺に笑顔を向けている。しかし、背中からはメラメラとした何かが見えるような気がした。わかりやすく他の二人が俺を睨んでるし。
「それにね!今度バク転見せてもらう約束してるの!ねー唯我!」
「へー、そうなんだあ」
メラメラが増した気がする。大沢、今だけは黙ってろ。
それから長谷川は暇さえあれば大沢にからみにやって来た。その度に俺を睨むようになったおかげで、休み時間が過ごしずらくなった。とても困った。だから授業が終わると席を離れるようになった。
これを優里子に言うと、優里子は爆笑した。
「唯我、あんたそれは目つけられたね。当分続くよそれ。あははは」
「6年生までクラス替えないんだけど」
「あーお腹痛い!あははは」
「わ、笑い事じゃない!」
大沢と話をする時、俺がいないことに気づき始めた長谷川は、何につけ俺と張り合うようになった。給食の片付けで張り合われ、床の雑巾かけで張り合われ、ただ階段を上がるだけを張り合われる日々が続いた。長谷川は必ず俺より先に立ち、ふふんとしたり顔をするのだ。それがめちゃくちゃムカついた。うっぜえ!
そこに目をつけたのはバカとアホだった。ある放課後、二人は長谷川に接触した。
「長谷川君、長谷川君」
「何?」
「小山内唯我の弱みを探ってるんだろう?いい情報があるよ」
****
その日は長谷川の周りにバカとアホが増えていた。二人はニヤニヤとしていて、感じたことのある嫌な雰囲気があった。
「唯我君は何か習い事はしているの?」
長谷川が聞いてきた。
「いや、何も」
「僕はね、小さい頃から英語とピアノを習ってる。家には勉強を教えてくれる家庭教師が来てくれるんだ。君は何か家ですることはないの?」
長谷川が得意気に話をしてくるのが腹立つ。施設ですることと言えば、毎日の朝練だが、それををこいつに話す気にはならなかった。朝練を抜かせば、他に具体的に答えられるものがなかった。
「ねえな」
「そうなの?君みたいにバク転ができて、運動もそれなりにできるなら、何か習い事でもすればいいじゃない」
……うざい。
「しねえよ」
「それはもったいない。何か始めた方が、これからの君のためになるんじゃないかなあ」
うざい。
「けど難しいか。僕ん家はお金持ちで家も大きいけど、君の家は」
その時、思わず机をバンと叩いて立ち上がってしまった。突然の大きな音に、教室は静まり返った。
「な、何だよ」
ビビる長谷川を見ているだけで頭の血管が切れそうだたった。俺は長谷川を睨み、バカとアホを睨み、教室を出ていった。
「……はは。あんな怒るなんて、唯我君は怖いね」
「けど唯我は逃げたよ。君の勝ちだ。長谷川君」
バカがニヤニヤ顏で長谷川に耳打ちした。
「へ?まあ、そうとも言えるね!」
「ちょっと!」
大声がした方に振り返ると、怒った顔の大沢が早足で近づいて来た。長谷川が「大沢さん」と声をかける寸前、大沢はおもいっきりビンタした。
「長谷川君、最低!」
「な、何が」
「知らないの?唯我のこと。もし、唯我のこと知っててあんな挑発みたいなことしてたんなら、あなたには幻滅よ!」
教室の大沢は教室を出ていった。静まり返る教室に、大沢とすれ違うように先生が入ってきた。長谷川は涙目で叩かれた頬に手を添えていた。
「どうしたしましたか?」
「先生。……全ては、僕のせいです」
先生の質問に、長谷川は正直に答えた。
****
その頃、俺はムカムカする腹を空に向けて、芝生の上に寝転んでいた。思わず教室を出てしまったおかげで帰りずらい。どうしようか。
「あ、授業さぼってる不良見っけ!」
大沢が俺の顔を覗き込んできた。大沢は笑いながら「あ、私もさぼってるから不良だね」と言って隣に座った。
「何しに来た」
「そりゃ、唯我を連れ戻しに来たんだよ」
「余計なお世話」
「そう言うと思った。一緒に教室帰ろう。それで長谷川君と仲直りしよう。どうして最近ケンカしてるかは知らないけどさ」
「は?ケンカ?」
「違うの?」
どうやら、大沢は俺と長谷川がケンカしているのだと思っているらしい。物分かりのいい大沢が、まさかこんな鈍感な奴だったとは思わなかった。
「わかってねえな。お前」
「何が?」
「お前が、あいつと話した時に俺を引き合いに出したからだよ」
「え?よくわかんない」
鈍感な大沢に、俺は長谷川の気持ちを話していいのか迷った。しかし、このままではらちが明かなかった。
「長谷川は、お前が好きなんだよ」
すると、大沢は固まってしまった。まるで信じられないという顔だ。
「女ってどうしてこんなに鈍感なんだ」
ため息混じりにそう言った。優理子も鈍感、大沢も鈍感。何を言っても通じなくてもどかしい。少しだけ長谷川に同情した。
「何それ。女ばっかじゃないよ。唯我だって鈍感じゃん」
大沢はうつむいて、小さな声で言った。
「俺が?」
「そうだよバーカ」
大沢の顔はタコみたいに真っ赤になっていた。抱える足の間に顔を埋めて「ああ、もう!」と呟いた。大沢は耳まで真っ赤で、短い髪の隙間から見えるまつ毛が少し潤んでいた。
「俺は鈍感じゃない」
「バカ。ただのバカ。唯我のバカ」
「……意味わかんねえ」
それからしばらく大沢は静になった。風が芝生を撫でて細かい草が舞った。校舎の中では皆が授業を受けている。それなのに、俺たちだけがのんびりと過ごしている。のどかで、日差しが心地よく温かい。
優里子と一緒にこんな風に穏やかに過ごせたら、楽しいだろうな。今、何してるかな。
その時、静かな芝生の上で大沢が「ねえ」と声をかけてきた。
「唯我は好きな人とかいるの?」
「突然だな」
「いるの?」
抱える足に頬を乗せて、大沢が真っ赤な顔して俺を見た。睨むような強い視線。俺は「答えてやるもんか」と思ったが、長谷川の気持ちを勝手に大沢に言ってしまったことや、それに対して大沢がわかりやすくショックを受けているのを見ると、ここで答えないのは二人に対して不公平になると思った。
「いる」
「誰?誰?」
大沢が突然前のめりで近づいてきたので驚いた。
「……小さい頃から、施設でお世話になってる人」
「歳上?」
「……うん」
「どれくらい?」
そんなに聞くことなのか?
「9こ上」
「うっわ!大人じゃん!何それ!!」
「何それとは何だ!失礼な」
大沢は俺をじっと見て、しばらくしてまた足を抱えて顔を埋めた。
「でも、何となく、唯我には好きな人がいるんじゃないかなって思ってた」
「え」
「だって変わったもん、唯我。少し、明るくなったもん」
大沢に、前にも同じことを言われたことがあるのを思い出した。それは去年の秋の頃、大沢は「5ミリくらい変わった」と言っていた。ちょうど、初めてのライブが終わって、バカとアホが無意味にからまなくなった頃だった。
「あの二人とつるまなくなった頃からかな」
二人とは、きっとバカとアホのことだ。
「今日だってさ、長谷川君にべったりだったじゃん。そしたら長谷川君、いつもと違う感じで唯我に近づいてきたし」
その通りだった。今日の長谷川はいつもとは明らかにからみ方が違っていた。多分、バカとアホに浅知恵でも吹き込まれたのだ。大沢はすごいな。
「長谷川君なら、唯我がちゃんと話せばわかってくれる人だと思うよ。私も謝らなくちゃいけないし。一緒に帰ろう」
大沢は立ち上がり、お尻をぱっぱと叩いた。
「お前、すごいな」
「え?」
「人のことよく見てるよな」
「そう?こんなの普通だよ」
大沢は「普通」という言葉を、そんなふうに落ち着いて言えてしまうのだ。俺はいつも関心してしまう。大沢はすごい奴で、いい奴だ。
「それを普通って言えるのは、お前の長所だ」
俺も立ち上がり、お尻を叩いて教室に戻ろうとした。振り向くと、大沢は背中を向けて動こうとしなかった。
「大沢、行くぞ」
「……やっぱ、唯我一人で帰って」
「は?何で。お前が迎えに来たのに」
大沢は振り向こうとしなかった。俺は大沢の肩をつかんで強引に振り向かせた。すると、大沢は大粒の涙をボロボロと流していた。
「……え?何で」
「もう、唯我先に帰ってよ!私落ち着いてから行くから」
大沢は「ううっ」と声を漏らして泣いていた。涙は止まりそうもなくて、両手で拭っても拭っても涙が出てくるのを見てられず、ポケットからハンカチを出した。
「カッターが出てくると思った」
ドキッとした。
「どうして、ポケットにカッターあったこと」
「そんなの……」
大沢は受け取ったハンカチをじっと見てから目に当てた。
「これ、ちょうだい」
「は?」
「明日、新しいのあげるから」
「……いらねえよ」
すると大沢の涙は余計溢れた。何で?何で!?
「もう、本当バカ!眼中にもないんだから」
「何が」
「そうよね。きっと頭の中はお姉さんのことで一杯なのよ。私には好きな人さえ聞こうとしないんだから!」
何だそれ。聞いてほしいのかよ。
「……誰だよ」
「言うわけないじゃん!バカ!」
意味わかんねえ!
大沢は「うわああん」と声を上げて泣いた。すぐには泣き止みそうになく、困った。これじゃあ教室には帰ることができない。俺だけ帰ることも出来ないし。
仕方なく、もう一度芝生にお尻をつけてあぐらをかいた。
「座れ。一緒に帰るんだろ」
「うん」
大沢は俺のハンカチで涙を拭いながらしゃがみ込み、ゆっくり泣き止んでいった。
****
放課後、沈んだ顔の長谷川と、目の下が真っ赤になった大沢と俺が教室で先生を交えて話をした。
「唯我君、僕は君にとてもヒドイことをしてしまった。ごめんなさい。大沢さんにも、嫌な気持ちにさせてしまったと思う。ごめんなさい」
「いいよ。私なんか叩ちゃったもの。ごめんなさい。怪我してない?」
「平気だよ。叩かれて冷静になれたんだ。ありがとう」
俺は大沢が「叩いた」事実を知らなかった。大沢に「お前、叩いたの?」と確認すると、大沢は「うん」と申し訳なさそうな顔をした。マジか。
「唯我君、僕は君に何でもいいから勝ちたいという気持ちが強くて意地をはってたんだ。調子に乗って、善悪の判断もできなくなった」
「うん。すげえうざかった」
「ちょっと、唯我!」
「僕は反省した。自分勝手な意地だけの勝負では意味がないんだ。卑怯な手を使って勝ち得る勝利なんて望んでないんだ。……だから僕は、唯我君に正々堂々勝負を挑むことに決めたよ」
……うん?
長谷川の反省を聞きながら、話の流れに違和感を覚えた先生と大沢、俺は目を合わせて「話がおかしいぞ」とアイコンタクトした。
「唯我君!5月末の運動会、僕と勝負しろ!」
熱の入った長谷川は立ち上がり、俺を指差した。先生と大沢は「なに言ってるの!?」「指差さない!」と言ったが、長谷川には聞こえていないらしい。
「勝負をするからには賭けをしよう。勝った方が、大沢さんとデートする!」
「は?」
大沢は「へ?!」と声を出して驚き、一気に顔を真っ赤にした。
「勝負だ!唯我君!」
長谷川は鼻息を荒くして、俺を指差して見下した。隣の大沢は驚いたまま固まって、頭から湯気を出していた。俺はだんだんと腹の奥がクスクスとけいれんし始めて、口元がゆるくなりそうなのを抑えるので必死だった。
こいつ、ただのバカだ。どう考えても、俺には何のメリットもない賭けだった。
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