第8話 優先順位

 クリスマスライブは12月24日、25日の全2日、2グループが1日3回ずつ行う予定だった。つまり、全てのライブを数えると12回行われる。ジェニーズJrたちは、この12回を分担してステージに立つことになる。

 俺は2日で6ステージ、智樹と矢久間は8ステージに立つという。ジェニーズの先輩たちも大忙しだけど、Jrも大忙しのクリスマスには、事務所の横に立つマンション、通称「しろ」に皆でお泊りするのが毎年のことだそうだ。

「食堂は1階。大浴場は地下よ。12歳以下のJrは8時までに夕飯を終えること、お風呂を済ませて完全消灯するのは10時。朝は7時にご飯。最終日はきちっと布団をたたんで退室すること。いいわね!」

「はい。お願いします」

 俺は12月23日の夜、城に初めてお泊りすることとなった。城の外観は灰色で、青いツタが伸び伸びしているので、まるで森の入り口みたいだが、内装はきれいで、外から見るよりずっと広かった。

「唯我君は205号室。春田君は208号室、あとは」

 皆を案内するのは、城の大家さんで、「ジェニーズのママ」と呼ばれる三田さんというおばさんだった。ふくよかな体で大きな手振りがいつも誰かに当たってしまう。この時も動かす腕が俺の隣で名前を呼ばれた春田の頭を直撃した。「あらあらごめん。気にしないでね」なんて軽く言うが、涙目で痛がる春田を見て、あの太い腕の中にはどれだけのパワーが秘められているのか想像した。

 ロビーに置かれる大きなのっぽの古時計を見ると、6時半を指していた。カチンカチンとリズミカルに鳴る針の音が何だか心地い。まだライブ会場にいるような気分になって、思わず「1・2」とカウントしてしまう。すると、ライブスイッチの切れない体からぐうっと音が鳴った。

「まずはご飯食べなさい。今日も良く寝て、早く大きくなりなさい」

「はい」

 俺は痛そうに頭を押さえて、未だに痛がる春田と他のJrたちと一緒に移動した。


                ****


 風呂も終え、部屋の壁にかかる時計は10時を指していた。その時、扉が開き「ただいまあ」という智樹の声がした。

「あ、唯我!お疲れ様。お互いハードだな」

「お疲れ様。あ、お、お帰り。俺は智樹ほどハードじゃないよ」

「俺も帰ったぞー。唯我、お疲れ様あ」

「矢久間、お疲れ様」

 矢久間は「頭撫でて」と目の前につむじを見せてきたので、俺は慣れない手つきでよしよしと撫でた。施設のガキたちにだってしたことないのでとても恥ずかしかったが、矢久間はとても満足そうに「あんがと」と笑った。こいつ中2だよな。

「やっばい。足パンパン。笑えるな」

「足めっちゃ震えるもんな。あはははは」

「とりあえず風呂。飯!そんでさっさと寝よう。唯我、気にせず先に寝とけよ。成長できないぜ?」

「そうする」

 智樹と矢久間は前日からこの部屋に泊まっていた。二人が同じ予定で行動することと、ガキっぽい矢久間が14歳ということもあり、俺の部屋の完全消灯時間は12時だった。

 前日から部屋を使っている二人の布団はぐっちゃぐちゃで、施設でこんな状態にしていたら優里子が怒る。そう思ったらそのままにしておけず、二人の布団をきれいに敷き直して、俺は先に寝ることにした。

 部屋の電気を消すと、窓から外のカラフルな光がぼわんと入ってきた。外ではクリスマスの時間が流れていて、今日はまだ終わっていないんだと思った。

 施設では、クリスマスイブには施設内に装飾をして、ケーキを作って皆で食べるのがいつものことだった。きっと、今頃は施設がクリスマス仕様になっていて、ガキたちはサンタさんを待って眠れないでいるんだろうな。優里子は夜遅くまで起きていて、ガキたちが食い散らかした部屋を掃除して、食器を片付けて、サンタさんからのプレゼントを整理しているんだろうな。

 その時、駿兄が自分の部屋の椅子に座って勉強している姿を思い出した。来年のクリスマスには、その光景はないんだ。

「さむ……」

 城が古いからか、急に寒さを感じて、ふかふかの布団の中で体を縮こませた。


                 ****


「ほら、走れ走れ!遅れちまうだろう!」

「早くしろよ」

 息を切らしながら、一直線に並ぶ列の前方からそんなひそひそとした声が聞こえた。クリスマスライブ最終日、最後の公演中だった。ステージの裏側で、Jrの渋滞が起こっていた。誰かが道を間違えたらしく、正しく並んでいたはずの列は狭苦しい通路でごちゃごちゃになっていた。

 イライラした空気が、蛍光灯で真っ白く照らされる通路の中でどよめいていた。通路にはリアルタイムでライブ会場の音が聞こえてくる。明るい曲の中に響く女たちの熱い叫び、生の歌声、気迫が、Jrたちの苛立ちを余計に強くさせている。

 ようやく列が動き出したが、ダッシュしなくちゃステージに間に合わない。

俺もJrたちも猛ダッシュして、ステージの裾に到着した。ハアハアと息を切らしてスタンバイする。そして次に何をするか。俺たちは金色、銀色、赤色、緑色のキラキラしたリボンをまとめたフリフリを持って、ステージから伸びる外周をダッシュし続けるのだ。観客と接近するので、途中でへばって歩いたり立ち止まったり、その上疲れた顔なんてした時には先輩から雷が落ちる。

 全員して、「これが本当に最後のダッシュ!」と思って息を整える。音楽とリズムを聞いて、皆でカウントする。3・2・1……!

 中央のステージで汗だくになって踊る先輩たちの横を通り、観客の間を縫うようにつづく通路を猛ダッシュ!もちろん、笑顔でだ。俺は笑顔なんて作れるほど余裕がなかったので、本番はどんな顔していたかわからない。ただ、ダンスと違って集中することがなかったので、観客からの応援の声が良く聞こえた。

「頑張れー!」

「キャー可愛い」

「こっち見てー!」

 可愛いわけない。見れるわけない。その時、俺の顔は火が出そうなほど熱く火照っていた。

 施設に帰って来たのは、12月25日の夜9時だった。俺は重たい足を何とか動かしている状態だった。

「唯我、お帰り!」

「た、ただいま、優里子……」

 優里子、疲れた。クリスマスライブは想像をはるかに超えるほど大変だったんだ。

「わあ、ちょっと、ここで寝ないの。唯我、唯我!」

 俺は施設の玄関先で優里子の顔を見ると気が抜けた。優里子が両手を広げて近づいてくるから、俺もその手に向かって頑張って近づこうとした。体に力が入らず意識が遠のく中、ふわっと優里子の匂いがした。

「優里子……」

 小さなガキみたいに優里子に抱きついて眠った。

「唯我、お疲れ様。頑張ったね。明日は皆でケーキ、食べようね。お誕生日、おめでとう」

 布団みたいにふかふかで温かったのは、優里子が優しく抱きしめてくれたからだということに気づかぬまま、静かな聖夜に寝落ちした。


                 ****


 施設に帰った次の日には、俺が過ごさなかった施設のクリスマス会の装飾を取って掃除した。泰一や文子はクリスマスの楽しい余韻を残しているので、朝からキャハハと笑いながらクリスマスの飾りで遊んでいる。佳代は充留を抱えて「お星さまと、サンタさん」なんて飾りの絵を指差して話していた。

 あああ。昨日までの俺の苦労を誰も知ったこっちゃねえってか、ちくしょう。俺は少しイライラしながら窓に残るセロハンテープのノリを削っていた。横で同じような作業をする優里子から何度も同じことを言われた。

「ライブはどうだった?お泊りまでするんだから、すごい大変だったのね。あんな倒れるように寝ちゃう唯我、初めて見たもの」

「朝から何度も言わなくていいよ。うるせえなあ」

「どんなことやったの?またバク転した?見たかったなあ」

「2日ずっとダッシュしてた。少し踊ったけど、バク転してないし。とにかくずっとダッシュしてた」

「聞いてるだけじゃあ運動会みたいねえ。さすがに今日は朝練もしなかったし、寝坊するし、そうとう疲れたのね。ゆっくり休みなさいよ。当分Jrの活動もないんでしょ?」

「うん。年明けにはまたレッスンが始まるけど、当分はCM撮影のための準備があるって」

「あ、そっか。CM撮影ね……」

「……」

 最近、CM撮影のことを言うと会話が止まってしまう。明らかに3月17日に撮影することが関係している。少し気まずい空気が流れる。そこに、大きなごみ袋を持った駿兄が通りかかり、しゃがむ優里子の頭と俺の頭をポンポン叩いた。

「元気にやってるかー?寒さに負けんなよー」

「はあい。駿君もね」

「全然平気!」

 駿兄は左手を上げた。服の裾が落ちて、駿兄の左腕が見えた。そこには、一見大きなほくろのように見える丸い跡がポツンとあった。駿兄はそれを隠すことをしないが、その事情を知る奴らからすれば、胸をズキンとさせるもののひとつだった。

「作業が終わったら、皆でお菓子食べよう。温かいミルクと一緒に。で、夜は昨日できなかった唯我のお誕生日会ね」

「うん」

 優里子の笑った顏を見て、俺の胸のズキンとする痛みは和らいだ。

 施設の奴らは皆知っている。駿兄の大きなほくろのような跡は、幼い頃に父親から受けた根性焼きの跡だ。


                 ****


 26日の夜には1日遅れで俺の誕生日会があって、それからお正月を迎えて、皆でおせち料理を分けて食べた。施設の庭で毎年恒例の餅つき大会と、羽子板大会が行われた。皆ではしゃいで、顔を黒く染めて笑った。

 俺はチラチラと駿兄を見ていた。年が明けると、どんな場面でもこれが最後と思えた。俯いたり、一人でぼんやりしていると、駿兄はいつものように俺の頭を撫でては長い髪が逆立つのを笑った。俺は余計寂しくなった。

 学校での3学期の始業式が行われる頃、ジェニーズ事務所で年明け最初のレッスンが行われた。そこで智樹と会うと、智樹は嬉しそうな声で言った。

「聞け唯我!俺、Jrでつくる新しいグループのメンバーに選ばれたんだ!4月から活動開始だって。すげえ嬉しい」

「おめでとう。智樹ならすぐそうなるって思ってた」

「ありがとよ!これから忙しくなるから、会える機会も少なくなるかもな。どこかで会ったら声かけてくれよな」

「うん」

「唯我はCMの撮影、3月だろう。うらやましいよ」

「サンキュ」

 俺は普通に答えたつもりだった。しかし、智樹が心配そうな顔で俺を見た。

「元気ねえのな。いい話じゃん。CM撮影。まさか嫌なの?」

「……違う。気持ちがのらないだけ」

 智樹が「どうして?」と聞くので、施設の駿兄とのお別れの日と、CM撮影が重なっていることを話した。

「兄貴には、撮影があることは話してるんだろう?許してくれてるなら、それでいいんじゃね?寂しいのはわかるけど」

「うん……」

「唯我、お前これからもジェニーズ続けるんだろう?」

「うん」

「なら、そんなしんみりした顔してんな。Jrとはいえ、ちゃんとした仕事受けてんだ。お前には、ジェニーズとしての責任がある。ちゃんとしろ」

 智樹の言葉は理解したつもりだったが、ダンスのアドバイスのように素直に受け入れきれないでいた。言葉を聞けば聞くほど、心は細々として胸がきゅっとしまるようだった。

「唯我、お前のせいでジェニーズJrの印象が悪くなることだってある。そしたら他の人にだって影響が出るんだ。やりたくなきゃ最初からやるな。やるなら中途半端にやるんじゃねえ」

「うん……」

 中途半端にするつもりなんてない。だけど、駿兄の姿を見ては心細くなって、寂しくなる気持ちを、どう抑えたらいいのかわからない。智樹が本気の言葉をぶつけてくれているのがわかるのに、その気持ちにどう返事したらいいのかわからない。

 涙がこみ上げて、鼻水をすすった。その時、いつもの明るい智樹とは思えない低い声が聞こえた。

「ダセ。唯我」

「え?」

「俺、お前はもっと聞き分けいい奴だと思ってた。けど、やっぱ他のJrのガキと変わらねえや。そんな奴が撮影ねえ。本当ダセエ、唯我」

 そんなことを言う智樹を俺は知らないし、少し怖かった。

「智樹の言う通り、ガキっぽいかもしれねけど」

「俺たちは、プロとして認めてもらえていない。はなから中途半端な存在なんだよ」

「智樹」

「そこから血反吐出るくらい努力して、はい上がって、大人たちにプロとして認めてもらわなきゃいけねんだよ。お前がやるCMの仕事を、やっくんも含めて、どれだけの人間が本気でやりたかったか、わかんねえだろ」

 智樹は俺の胸倉をつかんできた。

「お前なんかが、仕事と気持ちの優順位なんか勝手に決めていいわけねんだよ。これからもジェニーズ続けていくってんなら、気持ちなんて後回しにしろ。優先順位を間違えるな!今のお前、すっげえムカつく」

 智樹は鼻の頭を赤くして、掴んだ胸倉を投げ捨てるように離した。怒った様子のまま俺から離れて行った。俺は申し訳ない気持ちのまま、謝ることもできず、智樹の後ろ姿を見つめていた。

 優先順位。駿兄への気持ち。智樹への気持ち。全部そっちのけにして、仕事ってするものなのか。そんなの、辛いばっかじゃんか。

 抑えていた涙が溢れそうになって、腕で目を押さえつけた。ここで泣くことこそダセエ。止まれ。止まれ!しかし、少しでも動けば涙が落ちそうだった。俺は、それからレッスン室に向かうことができなかった。


                 ****


「たーいま」

 結局、それからレッスンに戻ることができず、俺は施設に帰ることにした。そこには、怖い顔をした駿兄が立っていた。

「唯我、お前CM撮影断ろうとしてるんだって?」

 それは事務所を出る時に、キャリアウーマンに話したことだった。キャリアウーマンは深くは事情を聞いてこなかったが、心配して施設に電話をしたらしい。その内容を聞いた駿兄は怒っていた。

「どうしてだ、唯我」

「駿兄には関係ない」

「関係なくない。納得できる理由を言え」

「今の俺には撮影なんて無理だよ。中途半端にしたくねえ。優先順位なんてつけられねえよ」

 俺は駿兄の横をさっと通り過ぎるつもりだったが、駿兄が俺の腕を掴んで離さなかった。

「お前、最近妙に下向くよなあ。何かあんのか?」

「だから、駿兄には関係ないっ」

「俺はな、お前のCMめちゃめちゃ楽しみなんだよ。だって、俺が施設を出た後、テレビでお前の頑張った姿が見れるんだろう?こんな嬉しいことない」

「駿兄……」

「優先順位っつったか?自分自身の優先順位なんて悩んでるなら、相手の優先順位考えろ。俺は、お前の頑張る姿が見たい。いいか。今回の仕事は、俺のためにしろ!」

 思いもよらない言葉だった。この時、俺にとっての優先順位は、俺の寂しい気持ちよりも駿兄の楽しみにしてくれる気持ちの方が上になった。

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