第7話 初オーディション

 その日、俺は事務所の美人キャリアウーマンから呼び出された。事務所のエントランスでキャリアウーマンがすっと出したのは、汗まみれになって無我夢中で踊る俺の写真だった。足の先から背筋を通って頭のてっぺんまで一気に熱がこみ上げた。

「あら、いい写真じゃない!」

 隣にいた優里子は明るい声で言った。俺は恥ずかしくてたまらず、頭を振った。

「私も素敵な写真だと思います。この写真を撮った所澤さんは、ジェニーズのライブには必ずかけつけてくれるプロのカメラマンです。各所にパイプを持っていらっしゃる方でして」

 優里子は「へえ」と感心していた。

「今日お呼びしたのは、所澤さんのこの写真を見た方から、オーディションを受けないかというお話をいただきました」

「オーディション?」

「はい。清涼飲料水のテレビCMです。受けていただきますよ、唯我君」

「え?」

 道に枯れ葉が舞い始めた頃、俺はCMのオーディションを受けようと、都内の古びたビルにキャリアウーマンと一緒にやって来た。

「唯我君、私は別の仕事に行くことになりますので、2時間後を目安にお迎えに来ます。オーディションの話をいただいて1か月と短期間で覚えた課題ダンス、あなたなら上手に踊れるわ」

「はい……」

 到着したオーディション会場には、泰一と同じくらいのチビから中学生くらいの男たちがたくさん集まっていた。背筋をピンと伸ばして座っている奴もいれば、イヤフォンをして待つ奴、ひたすらゲームをし続ける奴もいる。男がひしと詰まった狭い空間には、ピリピリとした緊張感が走っていた。

「CMオーディションの受験者はこちらの部屋にお越し下さい」

 遠くで手を伸ばす女の人の呼びかけに、男たちは一斉に移動を始めた。指示された部屋に入ると、番号と名前を呼ばれた人から整列した。

「41番、小山内唯我君」

「はい」

 「41」と書かれた番号札を受け取り、左胸の前にくっつけた。集められた部屋は3面の壁が鏡になっていて、まるで事務所のレッスン室のようだった。

 正面には長机と、2脚のパイプイスが置かれている。いかにも審査員席だ。そう思うと、見られるという意識が強くなった。自分の心臓が頭にあるみたいに感じられるほど強く脈打ち出す。刃物をさわる時のような緊張感が部屋いっぱいに広がって、空気は頑丈な縄のように体を締め上げる。

 その時、トントンと続くリズム音が鳴った。聞き覚えのある音だった。男たちは顔を上げた。扉の前には、この部屋に移動を呼び掛けた女の人がマイクを持って立っていた。

『5分後、課題ダンス審査となります。ご自由にお過ごしいただいて構いませんので、しばらくお待ちください』

 そう言うと、女の人は出て行った。扉が開いたことで、周りの空気が少し軽くなったようだった。周りには、恐る恐る床に座る奴や、体を伸ばし出す奴もいるし、部屋をぐるぐると歩き出す奴もいる。

 俺は、何を自由にしていいのかわからなかった。周りは知らない人だらけだし、暇をつぶすような便利道具を持っていないし。ただ、わかるのは今流れているリズム音は、この1か月で覚えた課題ダンスのリズム音と一緒だということだった。

 何もしないのも落ち着かず、鏡に振り返った。ここは施設の居間だと思おう。朝の日差しがカーテンを通して柔らかく居間を照らす、毎日の朝練の空間に、今俺はいる。心臓の音とリズムの音を重ね合わせ、ステップを始めた。

 5分間が終わると、部屋には2人のおじさんと、1人のイケメンががやって来た。

「イツキだ。世界的ダンサーだよ」

「本物だ……」

 イケメンの登場に周りはざわついた。俺はそのイケメンを見ても、「イツキ」という名前を聞いてもピンとこなかった。「イツキ」は長い髪を一つに束ねていたが、バラバラと収まらないくせっ毛が口角を隠し、首筋を撫でていた。「イツキ」はどうやら有名人らしい。

 2人のおじさんは審査員席にどっしりと腰を下ろすと、次に女の人がマイクを持って立ち、説明を始めた。

『これより、課題ダンス審査に入ります。今流れるリズム音に合わせ、私が8つカウントをします。皆様には8より課題ダンスを初めていただきます。さっそく始めさせていただきます。スタンダップ!』

 女の人の掛け声で、座っていた全員が立ち上がった。それまでざわざわとしていた部屋の空気はキュッとしまり、緊張感が増した。5分間の待ち時間に踊っていたことで体はすっかり温かくなり、頭にまで聞こえていた心臓の音がトントンというリズム音に溶けていく。始まるまで、自分の中でも何度もカウントする。それは、ライブの時に暗い道の中で低くなってJrたち全員でジャンプするのを待っているような感覚に似ていた。

『1・2・3・4・5・6・7・8』

 女の人の「8」で最初のステップを踏んだ。その瞬間、俺の集中はダンスだけになった。全員で課題ダンスを踊り出すと、「イツキ」がガキどもの周りをうろうろしながら、じっと見つめては小さなメモ帳に何かを書いていた。俺は気づかなかったが、それがガギどもの緊張を煽ったようだった。

「はい、お疲れ様~」

 リズム音が終わるとおじさん2人に拍手され、オーディションはあっさりと終わった。そして結果が10分後に発表された。

『7番、36番、41番、89番、135番。以上の方が1次審査通過者となります。読み上げました5名はこのまま待機をお願い致します。他の方は速やかにお帰りいただけますようお願い致します』

 俺は胸元の番号札を見た。41番。俺は1次審査を通過したらしい。張りつめた空気はため息に混ざって重たくなった。他の奴らは荷物をまとめて部屋を出て行く。俺の前を通っていく奴らの顔をちらっと見ると、何人かは座る俺を睨みつけていった。俺が何かやったか?俺は睨み返した。

 部屋には女の人と、5人だけが残った。7番は泰一みたいなチビだった。36番、135番は中学生か高校生くらいの俺より身長が高い奴。89番は俺と同い年くらいの奴。こいつがすげえ俺のことを見つめてくるので、隣にいて気まずかった。

「続けて2次審査となります。1名ずつ、番号順に別室にお呼びしますので、呼ばれたら別室へお越しください。審査終了後はお帰りいただきます。まずは7番」

7番の番号札をつけたガキが「はい!」と返事をして荷物を持って出て行った。しばらくして次の番号の奴が出て行った。

「ねえねえ、君、唯我君だろう?俺のこと覚えてる?」

 89番が俺に話かけてきた。誰だよ、こいつ。

「いや、覚えてない」

「ひっどいなあ。こないだのジャックウエストのライブで一緒にバク転したじゃんか」

 俺は初ライブを思い出した。舞台の袖に智樹と控えていた。その時には緊張と集中で何も考えることはできなかった。思い出せるのは、女たちの叫びと、ジェットウエストのキラキラしたステージ、「純君」、智樹のダンス。それから、優里子の笑顔。

「悪い……」

「俺、矢久間やくま 栄次えいじ。中2。Jrは4年やってるんだ。よろしく」

「小山内唯我です。小4です。よろしく」

「小4?見えない。もう中学生かと思った!だって、ステージに立って踊るとかバク転するのなんて、Jrを4年、5年やってる奴でもようやくだってのに」

「へえ……」

 俺はとても困った。よく本番前にこんな大きな声でベラベラと喋れるなあ。せっかくの緊張感がどこかへ飛んでしまった。その時、部屋に女の人が入って来た。

「41番、小山内唯我君。移動してください」

「はい」

「じゃあな。唯我君」

 矢久間にぺこりと頭を下げ、荷物を持って別室へ向かった。少し疲れた。しかし、最初の体を締め上げられるような強い緊張感はもう消えてしまった。

 移動した部屋にはさっきも見たおじさん2人と、イケメン「イツキ」がいた。「イツキ」は入って来た俺に近寄り、手を叩いて急かした。

「さ、早いところ終わらせよう。僕はイツキ。ローマ字で”ITUKI”って書くんだ。よろしく、41番君」

「小山内唯我です。よろしくお願いします」

「さ、まずは課題ダンスから。早く準備して。一緒に踊るよ、唯我君」

「はい」

 俺はすぐさま荷物を隅っこに置いて、髪ゴムを伸ばして一つにまとめた。その姿を2人のおじさんが凝視しているのでとても恥ずかしくなった。そんなに見てんじゃねえ。おかげで髪はいつもの朝練のようにはうまくまとめられず、イツキのようにばらんばらんと長めの髪があごのあたりに落ちてきた。イツキとダンスをする中、とても邪魔になった。

「彼、もしかして所澤君の写真の子じゃない?」

「ああ、そうだ。あの写真のジェニーズJrだ」

 そんな2人のおじさんのこしょこしょ話など聞こえず、その日はイツキと並んでダンスをしただけで終わってしまった。


                  ****


「受かった?」

「今回のオーディションの肝は、当日一緒に踊っていたダンサーのイツキさんとのコントラスト。その点において、最も優れていたのが、唯我君だったということよ」

「コント…ラスト?」

 それはオーディションから数週間経ち、クリスマスライブの準備のためにレッスンを受けた後でのことだった。頭の中は年末のライブのことでいっぱいで、すっかりオーディションのことなど忘れていた。

「ということで、年越し後、3月17日にCM撮影が行われることになったわ。予定を必ず空けておいてくださいね」

「はい。3月17日」

 キャリアウーマンに頭を下げ、レッスン室に戻る途中で、一緒のオーディションを受けていた89番、矢久間に会った。矢久間はオーディション会場で会った時と変わらず、わははと笑いながら大きな声で「唯我君!」と手を振った。

「オーディション、どうだった?俺はダメだったあ。やりたかったなあ、CM」

「あ、う、受かったらしい」

「お!すげえ!おめでとう!」

 少し気まずかった。けれど、矢久間が笑ってくれていたので、少しほっとした。そこに智樹がやって来た。

「やっくん!唯我!どうしたの?仲良しになったの?」

「ふはは!そう、仲良しバク転組!ははは」

 矢久間は俺に腕を回し引き寄せた。とても恥ずかしいし、大声が耳元でうるさくて困った。

「意外な組み合わせだな。大笑いのやっくんと、クールな唯我」

「そうなんだよ。こいつ暗いよなあ。でも、俺と同じオーディション受けて、受かったの。すげえんだな。こいつ」

「え、オーディション?何の?」

「テレビCM!しかも、あのイツキと踊れるんだぜ?俺も最終まで行って、イツキと踊って落ちちゃった」

「イツキと踊ったの?うらやましい」

 俺にはさっぱりピンとこなかった。

「まあ、唯我は努力家だから。こいつ、毎日自主朝練でダンスしてから学校に行くんだって。俺の言うことも素直によく聞いてさ。おめでとう、唯我。頑張れ!」

「うん。サンキュ、智樹」

「朝練?ウケる!そりゃうまくなるだろうなあ。俺だって毎日練習してないのに」

「唯我。矢久間は俺の次にダンス上手いんだぜ?」

「はあ?智樹の次だと!?」

 二人が大きな声で笑っていると、後ろから現れたオカマコーチが二人の頭をチョップした。

「そんなに元気が有り余ってるなら、午後のレッスン、気合いれちゃうわよん?いいわね?うふん」

 真っ赤なタラコ唇が楽しそうにニッコリと笑ったのが、少し不気味だった。


                 ****


「たーいま」

「たーいまじゃなくて、ただいま。全く、いつからかっこつけ始めたんだか。お帰り。どうだった?オーディションの結果は」

 施設に戻ると、優里子が出迎えてくれた。靴箱から内履きを出し、靴を履き替えた。

「うん。受かった」

「すごいじゃない!おめでとう、唯我!頑張ったね」

「サンキュ。撮影は来年の3月17日だって。覚えておいて」

「わかった。カレンダーに書いとこ!」

 ふふんと嬉しそうに鼻歌を歌いながら、優里子は職員室に向かった。優里子は職員室のカレンダーをめくり、3月17日を探した。

「3月17日、3月17日っと」

「優里子、その日何かあるのかい?」

 職員室にいた施設長が話しかけた。

「唯我、こないだのオーディションに合格したんだって!それで、撮影が3月17日に……」

 優里子はカレンダーを見て固まった。そこには大きな文字ではっきりと「駿君、卒業の日」と書かれていた。

「3月17日は、駿君が施設から発つ日だよ。唯我、知らないんじゃないかい?」

「そうだ。3月17日は、駿君が施設を出る日じゃない!」

 その時、廊下を歩いている俺は駿兄と会っていた。

「おかえり、唯我。オーディションの結果出たのか?やけに優里姉がごきげんだったなあ」

「うん。受かった」

「お!マジか!おめでとう、唯我!確かテレビCMだろう?やったなあ!いつ撮影なの?」

「来年の3月17日だって」

「……3月17日?」

「うん」

「あ……、そっか。3月17日か。撮影なら、きっと一日かかっちまうだろうな」

「そうだね。多分」

「そっか」

 駿兄は笑った顏のまま立ち尽くしていた。「ははは」と笑う声は弱々しく、窓から差す薄暗い光は駿兄の笑った顏を白く浮き上がらせた。足元は秋らしく涼しくて、ひんやりしていた。

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