第4話 初オカマ!初レッスン!

 4面の壁のうち、3面が鏡になっている部屋の中で、リズミカルな音に合わせて男たちが踊り狂っている。運動会前の体育の時間のようだ。その中に全く馴染めない俺は、コーチと呼ばれる男と対面していた。

「1・2・1・2」

 コーチが手を叩くのに合わせて、手を伸ばしてステップ。反対の手を伸ばしてステップ。節々に釘でも刺さったようにカクカクしている。自分でもわかるくらい、とてもぎこちない動きだ。目の前の一面鏡に写る自分と目が合うと、顔がほてって余計に体が動かなくなった。

 そんな俺をじっと見つめ続けるコーチの長くて黒いまつ毛が、鳥の羽ばたきみたいにバッサバッサ動いているのが気になるし、金髪を頭の上でまとめているのがうんこみたいで気になるし、明太子みたいに真っ赤な唇がアヒルみたいにちゅぱちゅぱと動くのが気になる。

「唯我ちゅわん。あまり運動は好きじゃないのん?」

 とりあえず頭を横に振った。考えたことがなかった。運動は嫌いではないが特別好きというわけでもない。

「ダンスは楽しくないのん?まあ緊張しないで、まずは楽しくやるといいわよん。それが一番の上達法」

 ウインクされると余計緊張した。俺は人生で初めてこんなにも特徴的な人と話した。細い手足には固そうな筋肉の筋が見えるのに、縄跳びみたいにふにゃふにゃと動く。肩幅もあってキュッとしまったお尻は男っぽいのに、立ち姿やしぐさが女っぽい。これが、オカマっていうやつだ!俺は感動と動揺で頭の中をいっぱいにしていた。

「はあい。休憩にしましょっ」

 コーチの一声で踊り狂っていた男たちが一斉に体から力を抜いた。俺もようやく終わったと思いダルンと腕を下げた。緊張した。それから、恥ずかしかった。鏡に写る自分が踊っているのなんて見てられるもんか!何で皆は当たり前のように踊っていられるんだ。

 俺が座り込もうとした時、最初に話しかけてきた男が後ろから肩を組んできた。

「よっ!お疲れさま。緊張とれた?」

 俺は突然知らない人に話かけられて驚いた。

比嘉智樹ひがともき。智樹でいいよ。唯我」

「……ど、どうも」

「何だよ、暗い奴だなあ!」

 そういって智樹が笑っていると、「何々?」「どうしたの智樹」と俺と同じか少し年上の男たちが集まってきた。皆ニコニコとしていて、俺を囲って質問攻めしてくる。

「唯我は何年生?」

「どこから来てるの?」

「好きな食べ物ある?」

 俺はとても困った。質問に答える前に次の質問がやって来る。何が始まるのか予想がつかない。誰が誰なのかわからない。どうしたらいいのかわからない。こんなふうに人に囲まれていることは初めてだった。

「ん?どうした、唯我」

「こんなの、初めてで……。よくわからなくなる」

「そりゃ今日が初めてなんだろう?当たり前じゃん!気楽に行こうぜ」

 智樹はわははと笑いながら俺の背中を何度も叩いた。周りからは明るい笑い声と、その中に「唯我」と誰かが名前を呼ぶ声が聞こえた。ふと鏡に写る自分と、周りの様子が目に入ると、足がふわふわと浮いているような感覚がした。あまりに現実味がなくて、自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなった。

 すると、突然部屋が薄暗くなった。男たちは「おおっ」と嬉しそうな声を上げた。天井に取り付けられていたプロジェクターに光が付くと、知らない曲が流れた。次に、唯一ある普通の壁に映像が映った。キラキラした紙吹雪が舞うステージには3人の男が立っている。

『準備はいいかー?』

『ついて来いよお前ら!!』

 映像の中からは女たちの悲鳴が上がった。同時に部屋の中の男たちは手を上げて「フウ!」と声を上げた。それぞれ立ち上がり、映像の男たちと同じように踊り始めた。

 映像の男3人のうち、センターで踊っているのが今よりずっと若いスーパーイケメン秋川千鶴だった。いつの間にか俺を囲っていた智樹や他の男たちも立ち位置につき、笑顔で楽しそうに踊り始めた。そんな周りの状況に追いつけず、俺は映像の秋川千鶴のダンスを見つめるばかりだった。

「もう15年くらい前になるわね。この映像」

 突然、後ろから両肩にポンと手が置かれてビックリした。振り返ると、オカマコーチがいた。目が合うと、「見たことある?」と聞いてきたので、俺は頭を横に振った。

「これがライブよん。いつか、ここにいる誰かが立つステージ。キラキラしてて、楽しくて、本気で誰かに夢を与えられる場所」

「これが、ライブステージ……」

 こんなに音が大きくて、忙しそうに踊って歌って、なのに皆笑ってる。キラキラしてて、本当に夢みたいな場所だと思った。

 若々しい秋川千鶴がアップで映ると、細い手が前に差し出された。部屋の中で楽しそうに踊る男たちも合わせて手を伸ばした。とても不思議な光景だった。まるで、映像のライブ会場にいるような錯覚がした。

「ジェニーズは、希望と夢を与える人間たちのことです」

 その時、施設にやって来た秋川千鶴が言った言葉が頭の中に響いた。映像の秋川千鶴がそう言っている気がした。

 次にライブ会場全体の景色が映った。会場を埋め尽くすペンライトの波が秋川千鶴を中心とする3人のステージに向かって押し寄せているように見える。3人は額に汗をにじませ、大きく空気を吸い込んではマイクに声を通し、足を動かし手を動かしている。曲が終わると、女の悲鳴が上がり、部屋の男たちからも声が上がった。

「どうしてあんたはジェニーズをやってるんだ?儲かるから?女からモテるから?」

 秋川千鶴に質問した時のことを思い出した。秋川千鶴は両手を広げて答えた。

「どちらもステキで、僕はそれを大事にしたいと思ってる!」

 正直、その言葉は嘘だと思っていた。きっと俺を引き込むための文句なんだと。けれど、目の前に映る秋川千鶴の目は、会場の全員を優しく見つめているようで、カメラへの視線は、この部屋にいるジェニーズJr全員に向けられているようだった。

 これがライブ。これが、ジェニーズ。そして、今ここにいる男たちは皆、ジェニーズになる夢を追って努力する人たち。

「はい!体が温まったところで、続きやるわよん」

 ライブ映像はその1曲を流して終わり、そこからはまたオカマコーチによるレッスンが始まった。俺は最初と変わらずぎごちない動きしかできなくて、鏡に写る自分と目が合うと恥ずかしくて顔を真っ赤にした。


                 ****


 レッスンが終わると、男たちはそれぞれの活動に入った。部屋の中で遊びだす奴、柔軟体操をする奴、すぐに部屋を出て行く奴もいる。俺はレッスン室を出て扉を閉めると、頭から足の先にまで疲れが一気に落ちてきた。疲れた。疲れた!俺はしばらく頭の中を整理するのに扉の横でしゃがみ込み、頭を抱えた。

 ジェニーズってこんなに踊りまくるのか。あんなにフレンドリーなのか!皆笑ってるし、皆楽しそうだし!やっぱり俺とは違う人種ばっかり集まってる集団だ。きっと友達になんてなれっこない。馴染める自信ない。コーチみたいに、智樹みたいに踊る自信ない。キラキラしたステージに立つなんて想像できない!どうしよう。これから一生ここでジェニーズとして活動していくのか。どうしよう!

 俺はグルグルとする頭を抱えながら廊下を歩いた。前をよく見ていなかったためすれ違った人と肩が当たってしまった。

「あ、すみません……」

 それは灰色のスーツをビシッと着こなすハゲのいかついおっさんだった。鋭い目で俺を見下ろし「チッ」と舌打ちした。俺は怖くて一瞬固まった。すると、おっさんは固まる俺の頭をぐりぐりと撫でた。

「お疲れ様。とっとと帰りやがれ」

 おっさんはレッスン室の方へと歩いていき、扉を開くとレッスン室からキャハハと楽しそうな声がもれた。おっさんはスッと息を吸い込むと叫んだ。

「ここは遊び場じゃねえんだよ!とっと帰れってんだバカガキども!!」

 レッスン室からはたくさんの男たちが一斉に走って出て行った。おっさんは「廊下を走るな!」と叫び、男たちはピタリと止まり、歩き出した。おっさんは「ったく」と言い捨てて奥の方へと歩いて行ってしまった。

 ここは小学校か。俺は少し笑えた。

「あ、唯我。おかえり。初レッスンどうだった?」

 事務所に一緒に来た優里子がロビーで待っていた。

「今までで一番、ハードだった」

「ハード?そんなに大変だったの?すごいわね。さすがジェニーズ」

 優里子は小さく拍手していた。俺が「ハード」と言ったのはレッスンの内容ばかりではなかったけれど、それを説明するのはとても面倒だった。すると優里子は周りをキョロキョロと見ながら俺に顔を寄せてきた。ドキッとした。

「もう私、ここにいたら心臓が爆発しちゃうわ。周りにいる男の子たちの美少年っぷりったらないし。しかもね!さっき元青春隊のトミーがいたのよ!ステキすぎた!一人で興奮してたの。もう感激よ!かっこよすぎる!!」

 小声でウキウキした声で言った。優里子の頬がポッと赤くなってて、口元がニヤついてる。俺は少しイラっとした。

「青春隊って?」

「何年か前に解散しちゃったジェニーズのグループのこと。すっごい人気だったの。3人組でね、秋川千鶴さんがいたグループなのよ」

 秋川千鶴がいた3人組のグループと言えば、レッスン中に見たライブのグループだ!

「秋川千鶴のいたグループ……。もう解散してるの?」

「うん。メンバーの一人が、交通事故で下半身不随になったのをきっかけにね」

 その頃、すれ違ったハゲのおっさんは「レコーディングスタジオ」とある部屋を開けた。そこには、ヘッドホンを当てて音源調整をする車椅子に乗る人がいた。

「裕二郎、もう時間だぞ」

 その人はおっさんに振り向くと、ヘッドホンを外し、ニコッと笑った。

「トミー。もうそんな時間?あとちょっとなんだけど」

「これでも2時間は待ってやったんだ。病院が終わっちまうだろう」

「はあ、やだやだ。リハビリなんてやってられないって」

 おっさんが車椅子に手をかけると、裕二郎は急いでCDを取り出し、電源を落とした。

「ああ、もうちょっとで新曲できるのにい」

「いい年したおっさんがわがまま言ってんな」

「許してよ~。君の曲じゃないか」

「そりゃどうも」

 レコーディングスタジオを出ると、車椅子の音が廊下を通った。

「お前の甥っ子、また熱心に踊ってやがる。さっきレッスン室覗いたが、レッスンが終わっても自主練してたよ。あ、ほら。聞こえるだろう?お前の曲で踊ってんの」

 2人はレッスン室の前で立ち止まった。廊下にはジャカジャカという音と、キュッと鳴る靴の音が聞こえてくる。それだけ聞くと、裕二郎は「ふふ」と笑った。

「彼はそういう男だよ。まだ12歳なのに、しっかりしてるよね」

「お前そっくりだ」

「そう?俺はそんな熱心な方じゃなかったよ」

 レッスン室を離れ、車椅子の音は廊下を曲がり、エレベーターへと向かった。

 その時、俺はレッスン室に忘れ物をしたことに気づいた。

「水筒、レッスン室に忘れてきた。すぐ取って来る!」

「わかった。ここで待ってるわね」

 俺は優里子をロビーに待たせ、ダッシュでレッスン室に向かった。2台あるエレベーターの前に立ち、上の矢印ボタンを押した。

 2人は降りるエレベーターに乗り、1階のボタンを押した。

「お前そっくりと言えば、さっきガキどもの中に、昔のお前そっくりな奴がいたな」

「あはは。何それ」

「キレイなツヤのある真っ黒なストレートヘアで、長くて、人を威圧しやすい切れ長の目で、少し猫背で」

「え、悪口?君だって人のこと言えないよ。ガラ悪そうだもの」

「下から人を見上げてるところとか、人見知りっぽい感じとか。昔のお前そっくりで驚いたぜ。マジで一瞬タイムトラベルしちゃったかと」

「そんなにか?あはは。でも君がそこまで言うなら、似てるのかなあ」

 その時、俺の目の前のエレベーターが開いた。そして2人のエレベーターが1階で開いた。

「まあ、その子もジェニーズなら、いつか会えるだろうね。千鶴にも見てほしいなあ。トミーが言うほど似てるのか、千鶴にも聞きたい」

 俺はロビーのある2階でエレベーターに乗り、2人は駐車場に直結している1階でエレベーターを降りた。

「千鶴だったら、そんなガキ見つけたら逃がさねえかもしれねえな。お前のこと大好きだから」

「……そうかなあ。千鶴、俺に会いに来てくれないぜ?嫌われてるよ、きっと」

「互いに、正直に話しなさすぎなんだよ。もう俺は2人の間なんて取り持たねえぞ。昔とちがって、大人なんだからよ」

「出たよ、トミーお得意の”大人なんだから”。何でもそうやって言うんだから。わかってるよ。もうおっさんですよーっだ!」

「だからお前」

「ああ、やだやだ。リハビリなんて行きたくなーい」

               

               ****


 俺はレッスン室前に来ると、そっと扉を開いた。すると、最初に声をかけてくれた智樹が一人、レッスン室に残っていた。智樹の足元にはスマホが置かれ、そこからジャンジャンと音が流れていた。鏡の自分を見つめながら踊る智樹の目はとても真剣だった。鏡越しに俺に気づいた智樹は動きを止めて振り返った。

「唯我、お疲れ様」

「お前はまだ帰らないのか?」

「ああ、やり足りねえからもう少しやってくよ」

 智樹は手を振ると、また踊り始めた。智樹は鏡に写る自分の体の動きを細かくチェックしながらリズムに乗って踊っていた。伸ばした手の指先まで滑らかな動きをしていて、背骨がないんじゃないかと思えるくらいぐんにゃりと曲がる。智樹のダンスは俺のダンスとは大違いだった。

 俺は置き去りにしていた水筒を手に取り、鏡越しに智樹に手を振った。明るく笑いながら手を振って踊る智樹は、ここで見た秋川千鶴のライブや、テレビで見るAファイブのようなジェニーズに見えた。

 レッスン室の扉を静かに閉めると、俺は考えながらゆっくり廊下を戻った。

 俺と智樹のダンス、オカマコーチのダンスは全然違う。上手だった。でも何が違うから上手だと思うんだろう。手の振りとかステップとか?それなら他の奴らだって上手だった。でも智樹は特別何かが違った。何が?

 思い出すのは、智樹の笑顔だった。楽しそうだった。見てて胸がワクワクとした。

 俺はまたエレベーターに乗った。エレベーターには大きな鏡がある。俺はじっと鏡に写る俺を見た。

 恥ずかしがっているのは俺だけなんだ。見ている人からすれば、踊ることは恥ずかしいものじゃなくて、楽しませてくれるもの、ワクワクさせてくれるものなのかもしれない。

 俺は自分の手で口角を上げてみた。笑った顏をつくっているつもり。しかし、おかしな顔で見ていられない。自分でやっていることが恥ずかしくて顔を真っ赤にした。だが恥ずかしがっているのは自分だけ。そう思い、もう一度やってみる。

 俺はジェニーズになるって決めたんだ。ジェニーズは踊って歌って、夢や希望を与える人間のこと。早く一人前になって、施設のガキどもと施設長、優里子を守れる男になるんだ!

 その時、エレベーターのドアが開いた。そこにはベンチに腰掛ける優里子がいて、優里子はエレベーターの中の俺を見てキョトンとしていた。俺は恥ずかしくて顔を真っ赤にしたが、突然のことで顔から両手を離さないまま笑った顏でいた。しばらくすると、優里子は「ぷっ」とふくと、腹を抱えて笑った。バカにしやがって!

「優里子、笑うな!俺は今」

「わかったわかった。変な顔してたことは施設の皆には言わないから。ふふふ」

「死ぬまで内緒だぞ!いいな!」

「はいはい。二人だけの秘密ね」

 とても嫌な二人だけの秘密ができてしまった。なのに優里子がクスクスと笑う顔が可愛いくてドキッとしたことは、俺だけの秘密にしようと思った。

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