第2話 仕返しの方法

 少し成長した俺が、女たちの叫びの中にハイライトを浴びて立っている。Aファイブのヒット曲の前奏が流れると、叫びは一層増した。俺は何も聞こえていないように、平然とマイクスタンドに手をかけ、歌い出す。しっとりした愛の歌。俺の声は伸びやかにホールに響き、その声に魅了された女たちはシンとして、熱い眼差しを向けるのだ。闇の中には、ハイライトの当たるマイクと、女たちが振るペンライトの波だけが浮かんでいる。

 次の日の学校での休み時間、俺はそんなことを想像した。だけど無理がある。あり得ない。あり得ない!俺が女たちにワーキャー騒がれるなんておかしい。そもそも騒がれるのはとても嫌だ。何度考えてもあり得ない!

「どうしたの?」

 前の席に座るクラス委員長、大沢が声をかけてきた。俺はあまりにおかしな想像をしていたので、無意識に頭を抱えながら横に振り続けていたようだった。大沢にはそれがとてもおかしく見えたのだろう。

「何でもない。気にするな」

「だって、様子が変なんだもん」

 そうは言われても、この落ち着かない胸の中をどうしたらいいかわからない。昨日のことを思い出すたび、ふつふつと悩みはふくらんでいく。


               ****


「俺が……、アイドル!?」

 昨日の夜だった。優里子や施設長、駿兄が俺を静かに見つめていた。施設長は、驚いている俺に落ち着いた声で話した。

「そうだ。アイドルにならないかというスカウトを受けている」

「は?は?意味わかんねえ」

「唯我、興味ないの?」

「駿兄……」

「俺だったら、即行OKするけどなあ」

「ちょっと、駿君!適当なこと言わないで!いい、唯我。この話はそう簡単な話じゃないの。もしかしたら、あなたの一生を左右するかもしれない選択なのよ。駿君みたいに適当にOKなんて言えないの」

「適当って、ひどいな優里姉」

「でも、何で俺に何も話してくれなかったんだよ。俺にきた話だろう?だったら」

「それは……」

 施設長や優里子、駿兄も黙り、職員室には穏やかではなさそうな空気が流れた。

「よくわかんねえ。俺にそんな話がきてるとか、皆知ってたのに黙ってたとか」

「事務所の方は、返事は今すぐじゃなくていいと言ってくれている。しかし、この返事は君にとっても、我々にとっても、とても重いものなんだ」

「何が重いんだよ。俺が、OKするか、しないかだろう?」

「唯我……」

 優里子はとても困った顏をしていた。しかし、何に困っているのかをはっきりと言おうとしないことが、俺をイライラさせた。

「何だよ。はっきり言えねえ事情でもあんのかよ!もう知るか!」

「あ、ちょっと!」

 俺はダッシュで職員室を出て行った。腹を立てながら寝室に来ると、既に寝ついた充瑠のお腹を、まるでお母さんみたいにポンポンと撫でながら添い寝する佳代がいた。佳代は唇の前で人差し指を立て、「静かにね」と小さい声で言った。俺は腹を立てていたが、静かに自分の布団を敷き、足の先から頭のてっぺんまで布団で覆ってバリアをはった。

 しばらくして、寝室に駿兄がやって来た。駿兄は布団をゆすり、俺をバリアの外に出そうとした。

「おい唯我。話聞けって」

 俺は断固として布団から出ようとしなかった。駿兄にも返事をしなかった。

「何だよ、お前。面倒くさいなあ」

 駿兄が俺の布団を引きはがそうとしていると、横になる佳代が人差し指を立てて睨んでいた。しばらく静かになったが、布団の横にはまだ駿兄がいる気配があった。俺は余計に布団をぎゅっと握って、より頑丈なバリアをはった。

「唯我、お前に秘密にしていたのは理由がある。施設長にも、優里姉にも、俺にも」

「……」

「話、聞きたくなったら来い」

 駿兄の足音が部屋を出て行った。俺は布団からもぐらのように頭を出し、駿兄が出て行ったことを確認した。すると、佳代の手が俺の頭を撫でた。

「ケンカは嫌よ」

「違えよ。隠し事されてたのがムカつくだけ」

「そう」

 佳代のいいところは、余計なことを言わないでいてくれるところだ。優里子とは少し違う感覚だけど、とても落ち着く。何も言わずにいるはずなのに、その気持ちがとても伝わってくるから不思議だ。

「わかってるよ。明日には仲直りするから」

「うん。それがいいわよ」


               ****


 教室にはいつもと変わらずバカとアホの甲高い声が響いていた。休み時間の度にはしゃぎやがって、うるさいにもほどがある。頬杖をつき、窓の外に目を向けると、思わずため息が落ちた。

「やっぱり変。いつも以上にイライラしてる」

 委員長の大沢は誰にでも親切で、困っている人をよく見つけては助けようとするお節介ババアだった。クラスでもよく話かけてくるが、楽しく会話を弾ませたことはないし、一緒に何かして遊ぶこともない。特別仲がいいこともないのだ。なのに、俺は気まぐれで大沢に聞いてみたくなった。

「なあ、ジェニーズってどう思う?」

「Aファイブとかのアイドル?カッコイイと思うけど」

「まあ、イケメンしかいねえもんな」

「確かにイケメンばっかりだけど、私はそれよりも、歌って踊って、ファンの皆を元気づけてる真剣な姿がカッコイイと思うけど」

 俺はとても驚いた。そんな風にジェニーズを見てカッコイイと思う奴がいるんだ。大沢は俺が思っているよりもバカではないのかもしれない。

「何よ。変な顔して」

「変な顔はしてない。驚いただけ」

「何に驚いたの?」

「お前は他の奴とは少し違うのかもしれない」

「な、何のこと?」

「もう一つ聞くけど、もしもクラスにジェニーズに入ってる奴がいたらどう思う?しかも、いじめられてるような奴」

 大沢は少し困った様子だった。だが「んんー」っと頭を傾げながら考えている。俺は少しだけ期待した。大沢なら、いい答えを出してくれるかもしれない。

「私は、その人が決めたことなら、心から応援するわ。それがクラスのいじめられている子だとしても。だって、ジェニーズに入れるのって、選ばれた人間だけなのよ。努力する人は、絶対誰かに認められる魅力があるんだと、私は思うわ」

 大沢の言葉を聞いて、気持ちがすっと軽くなった。俺の心にある扉みたいなものを開けてくれた気がした。

 すると放課後の帰り道に必ず俺にちょっかいを出してくるバカとアホがやって来た。顏がニヤニヤしている。いつものいじめるモードの顔だ。

「おい、大沢。小山内と何を話してたんだ?」

 わざとらしく「君」をつけやがった。ニヤニヤした顏が気持ち悪い。

「別に。テレビの話よ」

「へえ。仲がいいんだね。あ、もしかして付き合ってるの??」

「ヒューヒュー」

 大沢は顏を真っ赤にして立ち上がった。「違うわよ!」という声が震えていた。クラスがざわざわして、とても嫌な空気になった。俺は嬉しいことを言ってくれた大沢が困っているのは嫌だった。大沢の前に立ち、バカとアホを睨みつけると、少し後ずさりしたのがわかった。

「な、何だよ。小山内」

 するとチャイムが鳴ったので、立っていたガキたちは一斉に席に戻り始めた。目の前のバカは俺を睨みながらその場を離れて行った。

「小山内、放課後覚悟しとけよ」

 お前こそな、バーカ。心の中でつぶやくと、後ろにいた大沢が背中の服を掴んできた。振り返ると、大沢は赤い顏で目をうるうるさせて俺を見ていた。

「私のせいでごめん。嫌な気持ちにさせたでしょ」

「別に。気にすんな」

 ぎゅっと掴んでいた手が離れると、大沢はうなずいた。


                ****


 その日の放課後、いつものように校門を出て住宅地に入る。俺の後ろからは、バカとアホの気配がいつも以上にぷんぷんした。今日はお互いに戦闘モードになっている。気配を読みながら、火ぶたが切られるのを待っているようだった。

 真っ黒な車がゆっくりと目の前を通り過ぎると、いつもの路地に入った。その瞬間、後ろからダッシュしてくる音がした。あいつが来た!

 俺は振り返り、ポケットに手を入れた。今日こそはカッターで切り刻んでやる!しかし、ポケットの中にあるはずのカッターを見つけられなかった。俺は焦った。ズボンのポケットを全て裏返して出したが、カッターの影は全くなかった。

「え、噓だろう!?」

 奴は迫って来ていた。俺は必死に記憶の中も探った。そして思い出した。朝、俺はダッシュで施設の玄関を抜けた。寝坊したのだ。お見送りしてくれた優里子が「ちょっと!」と話しかけてきたが、俺は焦っていたので無視した。

 遠のいていく優里子は、俺に向かって叫んでいた。何て言ってたっけ?

「ポケットに入ってたカッター、預かっておくからねー!もう入れちゃダメよー?」

 今になって優里子の叫んだ声が頭の中で響いた。優里子のバカ!何で今日に限ってカッターに気づいた!!何で今日に限って取り出しやがった!!

 もう目の前にバカはいた。手が伸びてくると、俺の肩を掴み、そのまま地面に押し倒された。

「てめえ、調子こいてんじゃねえよ!孤独の子のくせに!!」

 バカは俺の上にドカンとまたがり、俺の頭や体を叩き続けた。俺は両手を頭の上で組んで耐えるしかなかった。体をひねり、バカから離れようとしたが、アホが俺に抱きつくと、また地面に押し倒された。

「あははは!バーカ、バーカ!」

「孤独の子は、孤独に死ね!」

 さすがに最後の言葉には傷ついた。不覚にも目に涙があふれてしまった。誰が好きで孤独になったと思ってやがる!

「こいつ泣いてやがる。あははは!」

 泣きながら、笑われながら、殴られながら、俺は考えた。俺は孤独の子。本当にそうだっただろうか。確かに俺を産んでおいて俺を捨てたバカ親の顔なんて知るわけないけれど、言葉もしゃべれず泣くことしかできなかった頃だって、施設長と優里子がいた。施設のガキども、佳代、駿兄がいた。一緒に飯食って一緒に風呂に入って、一緒に眠る。いつだって、誰かがそばにいた。孤独だったことなんて一度もない。一瞬だってないじゃないか!

 俺はバカの体を横に押し倒し、その上にまたがった。

「俺は、孤独の子じゃない。ずっと小さい頃から、施設の奴らが一緒にいた。孤独だったことなんてねえんだよ!」

 俺は下で暴れるバカの胸倉を掴み、固く握った拳を振り上げた。バカは「うわああ」と叫びながら顔を手で覆った。いよいよ拳を振り下ろそうとした時、俺の手が誰かに捕まれた。

「はい、そこまでだよ。ぼくたち」

 その時、背後から大人の男の声がした。見ると、振り上げたこぶしを掴む男はサングラスをかけていて、女みたいに長いサラサラな茶髪を風に揺らして立っていた。ニコッと笑うぷっくりした唇、白い肌、真っ黒なスレンダーなスーツに、ギュンととんがった革靴を履いている姿は、まるでどこかのホストだかヤクザだかの強そうな雰囲気をかもし出していた。

 バカとアホは「うわあああ!!」と叫びながら一目散に逃げて行った。俺はしっぽを巻いて逃げる人を初めて見た。俺はバカが走り去る時に押しのかれて地面に倒された。しばらく自分で立てないでいると、男がぐんと腕を引っ張り、肩を貸してくれた。

「しっかり立て。男はまっすぐ背筋を伸ばして立つもんだ」

 男からは、女みたいないい匂いがした。見た目よりも優しい声で「大丈夫か?怪我してないか?」と聞いてくるので、安心したのか勝手に涙がこぼれた。

「めそめそしてるんじゃないよ。少年」

「してねえよ。勝手に涙が出てきてるだけだ。俺は弱くなんかない」

 俺は、バカが言ったように調子こいてたことなんて一度もない。親の顔は知らねえけど、俺には施設のガキどもがいる。施設長も、優里子もいる。あいつらのいう「孤独の子」じゃない。俺は、孤独じゃない!

 思えば思うほど涙が出て止まらなかった。鼻水も出てきやがった。カッコ悪い。知らねえ男に助けられた。それだけじゃねえか。

 男は俺の横にしゃがみ込むと、背を丸めて、上目づかいで俺を見つめた。

「少年、あいつらに仕返ししたくねえか?」

「仕返し?」

「そう。大人はどうやって仕返しするか知ってるか?相手がぐうの音も出ねえくらい、立派な地位や名声を得るんだ。誰とも違う、てめえの力を広く皆に見せるのさ」

「それは、あいつらの喉をカッターで切ることと、同じくらいの仕返しになるか?」

 男は俺の言葉に驚いたのか、キョトンとしていた。しばらくして、プッと笑い出した。

「少年、君は面白い例えをするね。きっと、そんな犯罪じみたことなんかより、ずっとすごい仕返しになるよ。それはそれで面白いことだと、俺は思うな」

 ニコッと笑う顔は、とてもきれいだった。長く細いまつ毛を持つ目はキラキラしていて、唇は絵に描いたみたいに口角が上がっている。それこそまるで、テレビの向こう側にいるスターのようだった。

「あんた、誰だ?」

「俺?少年、俺を知らないの?」

 男は立ち上がるとサングラスを頭にかけてウィンクした。

「僕は秋川千鶴。アイドルさ」

「秋川千鶴?」

 芸能人に疎かった俺は、全くピンとこなかった。すると、秋川千鶴は笑顔で「よし、行こう!」と俺の腕を引っ張って、乗り付けてきた運転手付きの黒い高級車に強引に押し込めた。……ん?ちょっと待て。一体どこに「行こう!」と言っているんだ?俺は一人で焦っていた。これって、これってまさか!ゆ、誘拐されたんじゃないかっ?!

「はい、到着~」

 そして車のドアが開くと、そこは施設の前だった。その時、俺は知らない人の車に乗る恐怖を覚えた。安心と恐怖で、俺は汗をダラダラと流した。


                ****


 施設の中は、イケメン秋川千鶴の歓迎ムードに包まれていた。

「おおおお待たせしました。粗茶ですが、どうぞお」

 応接室のふかふかのソファに座る秋川千鶴にお茶を出す優里子の手は震えていた。顏が真っ赤で、秋川千鶴を直視できずにいた。

「ありがとうございます。優里子さん」

 その瞬間、秋川千鶴からはキラキラオーラが贅沢に発射され、すでに立っているのもやっとの優里子に襲いかかっていた。

「いいいいいいいいえええ!いくらでもごゆっくりしていって下さい!!」

 優里子は頭から煙を上げると、ピュンと応接室を出て行ってしまった。そんな優里子を見たことがなかった。俺は少しイラッとした。出て行ったくせに職員室の窓から中を覗く優里子を睨み、秋川千鶴を睨んだ。秋川千鶴は俺の視線に気づくと、「眉間にしわはよせちゃダメ」と言って、ニコニコ顏を崩さないまま、細い人差し指で俺の眉間をぐりぐりと押した。痛てえ!

「こちらまでご足労いただき、ありがとうございます。秋川さん」

「いいえ、施設長。こちらもセールスみたいに毎日電話ばかりして、大変失礼をしておりましたから。このように温かくお迎えいただけるとは思わず、とても嬉しく思います。思いやりの溢れる、温かくて優しい施設のようだ。それに、今日はこちらに来るにはいいタイミングのようでしたし」

 秋川千鶴は俺に向かってウィンクした。俺は帰り道にバカどもに乱暴されていたところを助けられたのだ。俺は目に力を入れて秋川千鶴を睨み、必死に「黙れ!」と訴えた。秋川千鶴はニコニコ顏を崩さないまま、今度はこぶしで俺の頭をぐりぐりと押した。痛てえ!!

「さて、早速ですが本題についてお話させていただきたい。我々ジェニーズ事務所としては、小山内唯我君の将来性を見越し、我々の仲間として受け入れたいと考えています。同時に、こちらの施設の経営支援についても考えています。この温かな施設がされてしまうのは、こちらの地域において、また広く社会にとって大きな損失になる。我々は、あなた方の力になりたいのです」

「……え?」

 今、何て言った?

 施設長はふううっと深く息を吐きながら椅子の背もたれに寄りかかった。秋川千鶴の隣に座っていた俺は、大人たちの難しい言葉の会話についていけずにいた。

「待って、施設長。俺にもわかりやすく説明して。この施設がされるってどういう意味だ?」

「君、何も聞いてなかったのかい?この施設のこと」

 驚く俺の横で、秋山千鶴が驚いていた。秋山千鶴はすぐに頭を下げた。

「申し訳ございません。大変失礼を致しました。唯我君に、まだ何もお話しされていなかったのですね」

「いやいや、構いません。言わなかったのはこちらの都合です。どうか頭を上げて下さい」

 施設長は俺をじっと見つめた。とてもまっすぐで真剣な様子で、施設長は静かに話し出した。

「唯我、落ち着いて聞いておくれ。この立並児童養護施設は今、このまま施設を続けていくお金がなくてね、もう、いつ無くなってしまってもおかしくない状況なんだ」

「続けていく、お金がない?」

「そこに、ジェニーズ事務所からお金の援助を申し出がきたんだ。だけど、この援助を受けるには、一つ条件がある」

「もしかして……」

「唯我が、ジェニーズ事務所に入所すること。つまり、君がジェニーズになれば、この施設は無くならないということだ」

 何だよ、それ。俺がジェニーズにならなければ、施設は閉設されるってことじゃないか!……どうする。どうしたらいい!?

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