第36話

 津田沼行きの電車に揺られ、自宅へと向かう。吊革につかまって外堀を眺め、神田川を眺め、隅田川を眺める。東京スカイツリーが見えた辺りで、僕の思考は賞誇会へと向いていた。

 賞誇会が解体した直接の原因は、度重なる暴力事件による社会的評判の悪化と白鷺会長の死による求心力の低下であり、さらに禁止薬物の保持がこれらに追い打ちをかけたらしいが、実際のところ……壊滅状態といっていい賞誇会からどうして禁止薬物が見つかるというのだろうか。元から警察は疑いを持っていて、好機とばかりに強制捜査に乗り込んだというのか。

 スマホで調べたところによると、白鷺会長の死が二〇一九年の十一月で、警察の強制捜査によって禁止薬物の保持が発覚して、当時副代表を務めていた湯上穣一が事情聴取を受けたのが二〇二〇年の一月。

 さらに詳しく調べてみる。湯上穣一は禁止薬物の保持を否認、そもそも禁止薬物の存在など知らなかったという主張を繰り返し、後に事情聴取を受けた他の賞誇会幹部も同様に禁止薬物の存在を知らなかった。そのため証拠不十分で逮捕も起訴もされず、禁止薬物は白鷺会長が単独で扱っていたものという結論に至ったが、宗教団体と禁止薬物という取り合わせがオウム真理教を想起させたのか、その報道は日本を数週間賑わせた。

 そして、事件を報道する当時の週刊誌の記事の中、たった一行の文言を、僕は見つけてしまった。

 事の発端は、警察を強制捜査に踏み込ませた原因は週刊誌の記事らしいのだが、その週刊誌に禁止薬物保持の疑いのネタを持ち込んだのが、以前に賞誇会から執拗な勧誘を受けた大学生だというのだ。

 不意に、櫻井から聞いた中津川の言葉を思い出す。

『明鏡止水の湖に、石を投げ入れたい。

 足跡一つない雪原を、踏み荒らしたい。

 何一つ変わらない日常に、不意打ちを与えたい。

 そうやって、私たちは初めて「生きる」』

 ………………。

 …………。

 ……。

 なるほど、自分の一言で日本中を混乱させるのは、その大学生にとってはとても楽しい、刺激的な体験だったことだろう。

 僕は平井駅で電車を降りた。改札を抜け、自宅へ向かって歩く。周りには多くの人がいるが……騒がしいのだろうか?

 東京の夜が果たして本当に騒がしいのかどうか僕には分からないが、櫻井や中津川の言葉を借りるならば、それは多分、僕の人生が無意識化にあるからなのだろう。東京での生活に慣れてしまって、僕の人生から「東京の騒がしさにうんざりする」という経験が失われてしまったのだろう。

 念のためにと知り合いに送っておいたLINEのメッセージに杞憂に終わったと付け足ししつつ、今度はいつ二人で櫻井と話せる日が来るだろうかと、そんなことを思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る