第26話
中津川の家というのは、駅から歩いて十五分といったところにあった。何の変哲もないアパートである。
「え、ホントに中津川さんの家なんですか?」
実は住居用のアパートと見せかけて秘密の集会場になっていたり、ひそかにサリンでも作っている場所かもしれないと今更ながら警戒する。まあ、さすがにサリンというのは考えすぎか。
「そりゃそうだよ。仮にも男と女がこれから話し合いをするんだもん。こっちが絶対的優位な場所じゃないとまずいでしょ?」
「それも何か間違っているような……大体、話し合いをするなんて初耳なんですけど」
「だって言ってないし」
「……」
遊ばれていた。
「ご飯は食べてきたんだよね? 私シャワー浴びてくるから、適当にくつろいでて」
中津川はそう言うと、玄関の扉を開けてさっさと中へ入っていってしまった。慌ててついていく。
………………。
…………。
……。
この場合、大抵は「初めて入る女子の部屋……!」となるのだろうが、今僕の頭の中で考えられていたことは、果たして中津川を「女子」と、そう形容できるのか否かについてだった。僕は他人の年齢に鈍感な方だと自覚しているのであまり自信はないが、どう広く見積もったところで、彼女は二十代から三十代のどこかであろう。少なくとも、これまでの発言から僕よりも年上であることは確実だ。しかし、いや、だが女子トイレというのも日常的に使われる言葉であることに変わりはなくそういったところを考慮してしまえば……
「おまたせー」
僕の思考は中津川の間延びした声に打ち切られた。振り向くと、そこにはパンツスーツ姿ではない、私服の彼女の姿があった。寝間着だろう、かなり緩い服装だったが。
「じゃあ、まずはしよっか」
「え?」
「礼拝」
「あ、はい」
そういえば、一日に数回、彼ら賞誇会員は本尊に向かって礼拝をするのだったか。クラスの面々にパフォーマンスとして披露して以来、一度もそんな真似をした覚えはないので、およそ二週間ぶりだった。
「はい、お経。私は全部覚えちゃってるから、貸したげるね」
中津川はテレビ横の引き出しからあの青い小冊子を取り出して、僕に手渡した。顕彰会歴が長いのか、それとも礼拝の先導役として何度も練習してきたからか、小冊子はだいぶ使い古されていた。
「さて問題です。その本の色は何でしょう?」
「青じゃないんですか?」
「残念。インディゴ――つまり藍色だね。私たちが見ている本は本来同じ色をしているはずなのに、藍色という言葉を知っていたのと知らなかったので、君と私、色の認識に齟齬が出たわけだ」
「?」
「まあ、その話は後で。まずは礼拝を済ませちゃおう」
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