第24話
将棋には、同様の局面が連続して起こる千日手というものがあり、その場合は仕方がないので、先手と後手を入れ替えて指し直さねばならなくなる。もちろん、対局者も記録係も観戦記者も解説者も、その対局にかかわる全ての人がみな、そんな面倒なことを望んではいない。ある棋士は「千日手は将棋の癌だ」と言ったとか言わなかったとか。
そんなわけで、解説者は千日手が発生しそうな局面であっても、「あれ」とか「それ」とか言うようにして、決してその名を口にしない。ひとたび千日手という言葉を口にしてしまえば――いわゆる言霊信仰というやつだ――それが現実になってしまうやもしれぬということで、古くからそのような慣例がある。
つまり何が言いたいのかというと、たとえ事実であろうと世の中には言って良いことと悪いことがあって、中津川の衝撃の発言は、僕たちのような田舎者が東京様に対して言って良いようなことでは決して、そう、決してなく……
「いやホントに。一度も考えたことがなかったとは言わせないよ? 私も経験者だもん、よく分かる」
体勢を戻しながら、中津川は再び窓の外を指さす。外はすっかり夜だが、これはさすがに見えないということはなかった。
「スカイツリーったってさ。よくよく考えればただのでっかい塔じゃん、アレ」
中津川の指さす先には、煌々とライトアップされた世界一高い電波塔があった。
「毎日毎日、通学や通勤時に見てるとさ、やっぱりどうしても飽きるんだよ。君も、あんなわけの分からないお経を三十分も読まされて退屈だったでしょ? 最初の数分間はともかく」
まあ私は君がその間に何を考えていたかなんて分からないけどね――と、中津川はこちらを流し目で見る。やけに意味ありげなその視線に何か思うことがなかったわけではないが(ずっと中津川を見ていたことは内緒である)、それよりも、僕は彼女の言葉に意識を持っていかれてしまっていた。
「住めば都じゃないですけど、同じ土地に何年も住み続けて、刺激を感じなくなってしまったと?」
「そんな感じ。つまり慣れだよね。どんなに好きな音楽でも、何度も聞いていくうちに、気づけば初めて聞いた時ほどの感動を味わえなくなってしまっている、みたいな。許せない! 殺してやる! とか思っていても、そんな感情、数か月もすればほとんど消えちゃってる、みたいな。適応せよ! という防衛本能のなせる業なんだろうけど、時と場合によってはなかなか厄介な代物だよ、やれやれ」
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