第18話

「最寄り駅は市ヶ谷だったよね? ホントすぐ終わるから、いつ頃時間ある?」

「そうですね……そろそろテスト期間に入るんで、向こう一週間は無理です」

「じゃあ再来週だね。木曜日の二十時、空いてる?」

「……ええ」

 まだ彼らの目的が宗教への勧誘だと知る前に、油断して最寄り駅などの大まかな住所を彼らに教えてしまったことを、僕は激しく後悔した。まあ、だとしても入信申請書にはでたらめな住所を記載しておいたので、正確な住所を突き止められる心配というのはまずない。木曜日の二十時に市ヶ谷駅に近づかなければいいだけの話だ。電話番号ももちろん正確なものではないし、家に帰ってからのんびりと加藤のラインをブロックして削除すれば、それで僕と彼ら賞誇会との縁は完全に切れる。少し考えてみれば、意外と何とかなりそうだった。

「じゃあ、今日は長い間ごめんね。帰りは電車?」

 待ち構えていたかのように加藤が場を切り上げにかかった。三人で車から降り、駅に向かう。車は駅から徒歩一分するかしないかの駐車場に止められていたので、駅まではすぐに着く。

 がしかし、この街には賞誇会の人間しかいないのか、加藤と同じスーツ姿の男に声をかけられる。

「あーいいですね、なんかこう、若さに溢れてる!」

 先ほど礼拝を済ませてきたところだと加藤が伝えると、その男は僕を見て開口一番、そんなことを言った。とりあえず何か褒めておこうとして、そして少し失敗した感じがした。初対面の相手に対して一瞬でそれっぽい褒め言葉を用意しろというのが、どだい無理な話なのだ。

 三十秒ほどでスーツ姿の男と別れ、今度こそ駅に着く。

「じゃあ、再来週の木曜日に」

「今日は貴重な体験をどうもありがとうございました。それでは」

 貴重な体験をさせてもらったということに関しては、嘘偽りなく感謝している。それに何しろ、九百円のねぎとろ丼に加え、五百円もするらしい小冊子と数珠までプレゼントしてくれたのだ。電車賃が往復六百円なので、占めて八百円も得をしたことになる。素晴らしい。

 改札を抜けてホームへと向かう。二人がもう見えないことを確認して、僕はいよいよ笑いを我慢しきれなくなってしまった。その場にうずくまって二十秒ほど肩を震わせる。

 ああ、これが東京かと、これが新興宗教かと、僕は好奇心が存分に刺激されたことにとても満足したのだった。非日常への扉は、案外すぐ近くにあった。

 その後、せっかく池袋駅で乗り換えるのだからと、そのままジュンク堂へと足を延ばして漫画を数冊購入した。途中で将棋を知る友人に『生きた』と生還報告をして、僕は無事に、家へと帰還したのだった。

 この日は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る