第14話

 外は暑い。照り付ける太陽が肌をジリジリと焼いていく感覚が本当にするのだ。スポーツに青春を捧げる少年少女たちの肌がそろいもそろってああも褐色なのは、なるほど頷けるものである。

「どのくらいの距離なんですか?」

「五分くらいじゃないかな」

 僕の質問に丸山が答える。ときわ台駅に呼ぶわけだった。

 結局丸山はほとんどの時間を黙っていたままで過ごしていたのだが、彼の役目は何だったのだろう? 数合わせだろうか? 例えば勧誘においては必ず多対一で臨み、相手に威圧感と圧迫感を与えること、のような。

「お、群馬の出身なんだ」

 加藤が僕の入信申請書に目を通しながら言った。

「確か群馬にも、大学生が二、三人所属してたっけな」

「へえ、仲間ですね」

 心にもないことを言ってしまった。その、群馬にいる数人の大学生たちとやらは、果たして心から日蓮を崇拝したうえで入信申請書に名前を書いたのだろうか。分からないが、素直な感想を述べさせてもらえるならば、それは案外少ない数だった。群馬県といえど一応は首都圏の一角を担う都道府県なのである。そこそこの人口はあるのだ。

 教会への道中は、入信した人たちがお経を唱えて功徳を積み、癌が治ったとか回復したとか、そんなやはり胡散臭い話を加藤から聞いていた。

「ここだよ」

 ちょうど五分が経つか経たないかの時間で、教会までの道を先導していた丸山が、前方の白い建物を指さす。二階建てかそこらでかなり広かったことは覚えているが、建物の細かい構造などはどうやら記憶から抜け落ちてしまっていたらしい。もやがかかっているかのように、全くといっていいほど思い出せない。

 というのも、公園や児童図書館という、何をはばかることもなくお天道様に顔向けできる施設がすぐ近くに建っているというその立地と、門の前、それから玄関の前にそれぞれスーツ姿の警備員らしき人物が配置されているというその異様さに、僕は意識の大半を持っていかれてしまっていたからだ。

「じゃあ、受付済ませてくるから、礼拝のしかた、教えといて」

 玄関の隣にはちょっとしたスペースが設けられており、テーブルと椅子、それに日除けのシートが張られていた。加藤は僕と丸山をそのスペースへ促すと、玄関の前に構えていた警備員に軽く会釈をし、建物の中へ入っていった。

「こっちこっち、櫻井くん」

 丸山は手前側でも奥側でもない、ちょうど中間あたりの席を選ぶと、僕の分と思われる椅子を持って、話しやすいようにか位置を調整していた。

 お互い席に着くと、丸山おもむろにカバンの中からトランプほどの大きさの小さな青い冊子と、黒色を基調とした数珠を取り出した。

「まずは数珠の使い方ね」

 輪を八の字にねじって、二本の房が出ている方を右手の中指に、三本の房が出ている方を左手の中指にそれぞれかけて、房は手の甲側に垂らす……やってみて? と、丸山はようやく自分の出番が来たとばかりに、ファミレスの時よりもやや声を弾ませていたように思う。もし先ほどの勧誘には多対一で臨むべしという理由が本当で、丸山がそのためだけに来たのだとしたら、彼も相当暇だっただろう。もしかしたら、僕と同じように加藤の話に突っ込みたいという思いもあったかもしれない。そういえば、日蓮について加藤が説明をする際に、宇宙は僕たちが今まで思っていたのよりも広くて、実は僕たちが知覚できていた宇宙の広さというのは実際の四パーセント程度でしかないんだと話していたが、その時の丸山はどんな反応だっただろうか。あの時は何とも荒唐無稽な話に、僕も思わず「もし暗黒物質とかダークエネルギーの話をしたいのだとしたら、それは広さじゃなくて質量ですよ」と心なく指摘してしまったが、果たして。

「じゃあ次はお経の読み方だけど」

 と、次に丸山は青色の小冊子を開きながら説明を始めた。

 小冊子は五十ページほどで、一ページに謎の漢字らしき文字が八文字×五行で四十文字。それぞれにカタカナで読み方が表示されていた。

「……ここの部分は三回繰り返して……ここは読まなくて大丈夫……ここまで行ったら次はここに飛ぶから……」

 いきなり言われてもそう簡単に人は覚えられない。無理に覚えようと頭を使うのも面倒だったので、僕は素直に諦めて話半分に相槌を打っていた。

 あくまで真剣に話を聞いている風を装い、僕は周囲の様子をうかがう。僕らのほかにもいくつかのグループがあった。きっと同じように勧誘されてきたのだろう。中には外国人も二人混じっていた。スーツケースを携えているところから鑑みるに旅行客だろうか。「ベリーベリーコールドジュースインザットビルディング」などと言われてついてきていた。それほど日本は暑かったのだろうか。

「終わった?」

 と、まだお経の読み方の説明は終わっていなかったが、どうやら受付が済んだらしい、加藤が帰ってきた。

「もう礼拝始まっちゃうから、読み方はその場で教えるよ」

 まだ終わっていないことを丸山が告げると、加藤はそう返した。加藤、僕、丸山の順に建物に入ってゆく。内装というか、入り口はお寺や葬式会場を思わせるものだった。キレイに整備されている一方で、意識的に取り入れているのであろう木造の部分に、不思議と逆に違和感を覚えた。

 畳敷きの部屋へ通される。十人から二十人ほどの勧誘者、被勧誘者が既に正座して待機していた。先ほどの外国人二人は体育座りをしていたが。そういえば竜王戦の第一局をフランスはパリで行った際にも、会場の責任者たち(もちろん正座なんて文化はない欧米人たち)は窮屈そうに体育座りをして対局の始めに立ち会っていた。

 部屋は十畳ほどだっただろうか、狭いということも、反対に広いというわけでもなかった。

 正面には本尊とでも呼べばいいのか、五十センチほどの像が安置されていたように思う。その像を守護するようにして黄金色の仏壇が建っており、その様は東大寺の大仏が窮屈そうに本殿に収まっているのと酷似していた。東大寺の本殿は数回焼き討ちにあっており、予算の関係で立て直す度に段々と小さくなっていったらしいが、まあそれとこれとは何の関係もあるまい。

 それよりも僕の興味を引いていたのは、それぞれ端に設けられた三十センチ大のろうそくが火を模したLEDライトだということと、BGMだろうか、低音量で常時流れているお経のようなものが、音楽ライブでよく見る特大のスピーカーによって再生された音声だという、いかにも現代チックで、悪く言えばちっともありがたみの感じられない設備群だということだった。

「どのくらいの時間お祈りするんですか?」

「三十分くらい。正座大丈夫?」

「はい」

「きつかったら足崩しても大丈夫だから。あ、ショルダーバッグは外しておいて」

 仏前なのだからバッグは横に置いておくのが礼儀かとも思いつつ、それでも警戒してあえて肩にかけたままでいたのだが、やはり駄目なようだった。一応ひもの部分を膝で踏んでおくことにする。これで簡単には盗られないはずだ。

というより、そもそも仏前で彼らがそんな気遣いをするとは、正直思ってもみなかった。彼らにも信仰心はあったのかと、軽く驚いた。

「これ、何語か分かる?」

 青い小冊子を開いて加藤が僕に尋ねる。漢字文化圏の言葉なのは文字からして分かるが、それ以上は知らなかったので素直に「いえ、分かりません」と答えた。

「サンスクリット語なんだ」

「……へえ」

 別に、だから何だという話では、ないらしかった。

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