第12話
「知ってる、日蓮?」
「はい。鎌倉仏教の……」
「鎌倉仏教?」
「天台宗と真言宗以来の、鎌倉時代に新しく興った宗派の総称です」
「詳しいね」
「大学生ですから」
むしろ何でお前らは知らんのじゃ。
水を調達してきた丸山も含め、鎌倉仏教の解説をする。自殺者数の時にも感じたが、僕は今ここで教養の大切さを学んだ。正しい知識を持てば胡散臭い話にも正しく接することができるのだ。教養は身を助けるということか。
その後、日蓮がいかにすごい存在なのかといった、今度こそ本当に興味のない話が続いた。具体的に何を話されたのかは、もはや興味がなさ過ぎて覚えていない。
そうして、気がつけば目の前には入信申請書なる一枚の紙が置かれていて、こちらを見上げていた。
賞誇会と、どうやら彼らはそういう団体のものらしい。後から調べて分かったことだが、なかなか過激な団体として有名ならしい。最近も勧誘に際して暴力事件を何度も起こしており、一度は車に乗せて連れ去ろうとしたこともあったらしい。
「大丈夫だから。今回のは単純に礼拝に必要な書類ってだけで、ほら、判子の欄がないでしょ? 書類っていうのは判子がないと法的拘束力は持たないから。この紙には僕だけが判子を押す。そうすれば、僕だけが責任を負うことになるから」
なんとも都合のいい話だった。
そうだ、そういえば話の流れで近くの教会に礼拝をすることになっていたのだった(教会だの礼拝だのと、やたら西洋発の言葉が出てくるのは単純にそれに該当する固有名詞を僕が忘れているからである)。
僕はようやくこの時、どうしてわざわざときわ台に呼ばれたのか、本当の理由に気づいた。彼らは最初から僕を協会に連れ込もうと画策して今回の食事に臨んでいたのだ。ガストに入るとき、入り口のドアに勧誘禁止の張り紙があったのはこういうことかと、遅すぎる伏線を回収する。
僕は彼らが判子の持つ法的拘束力についてあれやこれや語っている間に、必死に頭を働かせる。入信申請書に書き込まねばならない項目は、氏名、性別、年齢、住所、電話番号の五つ。授業で習った四大個人情報とやらは氏名、性別、生年月日と……あと一つは何だっけか。まあいい。この場合、住所と電話番号は変更することが可能なため四大には数えられないらしいが、この場合、しつこく勧誘される場合を想定すると、住所と電話番号は絶対に隠さねばならない。この際大まかな年齢と性別は知られているも同然とすると、氏名と住所、電話番号を偽装して書いておくのが正解だろう。
そもそもこんなもの書かずに店を出ればいいだけの話なのだが(何しろここは日曜のファミレス、周りを見れば人、人、人なのだから)、僕の好奇心がそれを邪魔してしまった。僕は他人と比べて好奇心旺盛な方だと思うし、家族や友人からもよく言われる。キリスト教系の勧誘はいくつか受けたこともあり、ぶっちゃけてしまえば飽きていたりもしたが、法華宗の勧誘は初めてだった。
僕にとって教会に礼拝に来ないかという誘いは、小説のネタにもなれば、東京観光にもなる素晴らしい提案だったのだ。
さて、肝心の入信申請書である。できれば名前はかなり本名から遠ざけたかったのだが、残念なことに僕はLINEの名前を本名で登録してしまっている。仕方がないので「櫻井崇人」の櫻を桜に直し、人も抜き、「桜井崇」としておいた。後で隙を見てLINEの名前を「櫻井崇人」から「サクライ」としておけばバレることはあるまい。
住所は実家の住所を書いたということにして、「群馬県太田市みどり町」と、適当に群馬県の地名を切り貼りしたものをでっち上げた。東京ならばまだしも、群馬県の地名なぞそう分かるものでもない。何せ都道府県魅力度ランキングでは毎年ワースト三常連からな!
電話番号は簡単だ。適当な数字を並べればいい。これも後から知ったことだが、宗教勧誘では実際に正しい電話番号を書いたのか、その場で電話をかけて確かめる例もあるらしい。幸い加藤と丸山はそんな疑いを持つこともなく各々の名前をその横に書いていったが、危ないところだった。
ちなみに、親友の方の加藤から、賞誇会の加藤の下の名前の読み方を聞かれていたが、どうやら「ミツヒロ」と読むらしかった。
「じゃあ、早速だけど」
と、丸山と加藤が席を立つ。何だかんだでガストに入ってから三時間が過ぎようとしていた。
僕がレシートを取ろうとして手を伸ばすのよりも早く、一つの手がレシートを取った。
「僕が払うよ」
自然な風に言った加藤のその笑顔を見たとたん、ほんの少しではあるが、宗教もいいかもしれないと思ったり思わなかったりしたことは、この際記憶から消去しておこう。
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