第33話 思春期は怖くないよ。

 リビングの時計は午前二時を回っていた。

 寺田さんは公称週休二日なので、明日は本来お休みだが、わたしはシフトなので仕事だ。


 やめてよ〜って感じだ。


 真っ赤に泣き腫らした目で無言の行を貫く小娘と粘り強く尋ねる寺田さんの攻防は続いている。

 今までわかったことはあの部屋の眺めが気に入っていたこととやっぱりわたしが気に入らないと言うことだけだ。

 なんで部屋にいたのかは自分でも説明できないとのことだった。


 「寺田さん。」

 「なんですか? 吉屋さん。」

 「もう寝ようよ。わたし明日仕事なんだよ。」

 「わかりました。吉屋さんはどうぞ。」

 「いや、こんな状況じゃ眠ることできないでしょ? 自分でも説明のつかない感情や行動なんて、思春期にはありがちだよ。もうさっきのことは小娘の両親に報告すると言うことで一旦、手打ちにしようや。」


 寺田さんは深く深くため息をついた。

 わたしは立ち上がって、大きく伸びながらあくびをした。


 「わかりました。棗(なつめ)ももう寝なさい。わたしは明日は休むのでもう少し起きています。」

 「はい。」


 小娘はわたしたちに頭を下げて客間に戻り、それを見届けてから自室に戻った。

 廊下に出るとわたしの部屋は照明がついたままで部屋の扉も開け放っていた。

 わたしは頭を掻きながら部屋に入った途端、息を飲んだ。


 「ひっ!? 」


 部屋からまろび出て、リビングに逃げ戻った。

 ガックリと疲れた様子の寺田さんの背中に声をかけた。


 「寺田さん!? 」

 「どうしたんですか? 」


 振り返ってわたしを見た寺田さんは驚いて立ち上がった。


 「ち、ちょっと来て。」


 わたしは寺田さんの手を引いて部屋に舞い戻った。

 寺田さんはわたしとの約束もあって部屋の手前で足を止めた。


 「いいんですか? 」

 「いいから。」

 「では失礼し…… おぉう……」


 寺田さんの言葉を失わせたその光景はベッドのど真ん中に刺さった銀色の高級そうなペンだった。


 「えっ? これ、棗がしたんでしょうか? 」

 「あのペンは見覚えがないし……」

 「呼んできます。」

 「いや、もういい。明日にしようや。」

 「どうしますか? 」

 「床に毛布……は止めて、リビングのソファで寝るよ。」

 「あの、あれでしたら、わたしがリビングで眠りますので、吉屋さんはベッドを使っても……」

 「男の匂いが染み付いたベッドは勘弁してくれ。いくら雑なわたしでもそれは無理ってもんだ。」

 「そう、ですよね。すみませんでした。」


 悄然とした寺田さんを引き連れ、タオルケットと枕を抱えたわたしはリビングに戻った。

 大きなソファは枕を置いて横になっても足が出ることなく、わたしの体を受け止めた。

 ミノムシのようにわたしはタオルケットにくるまった。

 寺田さんは申し訳なさそうな表情でリビングの照明を落とした。




 スマホの目覚ましで瞼を開けるともうリビングは日の光が差し込んでいた。

 重い体を起こしてソファに座り直した。


 「仕事に行きたくねぇ〜。」


 弱音を吐き捨てたわたしは枕を抱え、タオルケットを引きずりながらとりあえず自室に戻った。

 朝日の中でベッドに刺さったペンが輝いていた。


 「いやぁ、何度見ても衝撃的だなぁ。」


 わたしは部屋の隅に枕とタオルケットをまるめて置いた。

 身支度を済ませてキッチンでお湯を沸かして煎茶を煎れた。

 お抹茶の方がカフェインが強いかなぁと思ったが、たてるのが面倒だ。 

 ダイニングの椅子に腰を下ろして、ぼぉっと茶を啜りながら体温が上がるのを待っていた。

 時計を見ると休みの日でもいつもは起きてくるような時間になっても寺田さんは起きてこなかった。

 

 「血糖値を上げるか。」


 昨日の残った白飯をお茶碗に盛り、その上に梅干しと大根の糠漬けを乗せて食べはじめた。

 炭水化物ダイエットとかいうが、ジャポンの遺伝子がそうそう米を手放すことなんかあるはずがない。

 米食を基本に体が出来上がってんだよ。こちとらはよぉ。 


 「すっぱ〜い。」


 梅干しがすっぱく感じるのはわたしにとって、まだそれほど疲れていない証拠だ。本当に心身のお疲労さまが蓄積すると梅干しが酸っぱく感じなくなる。


 カカカッと食べていると昨晩のヤンしかない小娘が起きてきた。

 黙って朝食を食べているとウロウロと何かを探している様子だった。

 探し物は大体見当がついているが、こちらから教えることもないので黙っていた。


 ふう


 胃袋に血液が集まるのを感じつつ、出勤の準備をしよう。


 服は考えるのが面倒なので、白のレースブラウスに淡いピンクのプリーツスカートにした。

 顔はというと、うん。嫌だなぁ。

 三日目なのにまだ腫れている気がする。表情を変えてみるが、大きな口を開けると違和感がある。あと顔のバランスがよくない。

 ちょっと濃いめにファンデーションとチークを塗る。それでもナチュラルに見せるのがテクニックらしいが、そんなことはできないのでマスクをつけた。


 「これくらいなら大したことないか。」


 いつものピンクのショルダーバッグで準備完了。所要時間、概ね十分。

 不器用なので時間をかければかけるほど、変なことになってしまう。諦めが肝心だ。

 リビングに出ると寺田さんと小娘がいた。


 「おはよう。じゃあ、仕事に行ってくる。昼は自分で食べてくれ。あと夜は何がいい? 」

 「おはようございます。晩御飯は兄夫婦が来るので、お寿司でも取りましょう。」


 わたしはしばらくフリーズした。


 「わたしが仕事に行っている間に帰っているんじゃないのか? 」

 「新幹線で来るので、お昼過ぎごろに到着でしょう。あと、娘の不始末に関して兄夫婦に謝罪をさせますので。」


 わたしを睨みつけた小娘を一瞥でぺしゃんこにした寺田さんはごく当たり前のようにわたしと自分の兄夫婦の会食のセッティングを考えていた。


 「おい、それでいいのかよ。お互い面倒ごとは避けることで合意していただろう。」

 「この件に関しては吉屋さんがいない間に終わらせることはできないでしょう。身の危険があったのですから。兄夫婦に関してはわたしの方から説明しておきます。」

 「こないだの説明を見ている限り、寺田さんのプレゼン能力に疑問があるぞ。」

 「大丈夫ですよ。」


 時計がこれ以上の議論を許してくれなかった。

 わたしは玄関に向かうことにした。


 不安だ。不安しかない。

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