第32話 枯れ尾花って何さ? 

 もう一度入湯したい気持ちは大きいが、とりあえず寺田さんがわたしたちの関係をサルにもわかるように説明するということで、ソファに座る彼のとなりに腰を下ろして待っていた。

 無言でパジャマに着替えてやってきたメスザルは眩しいくらいに若さが溢れていた。


 「黙ってりゃ美少女なのになぁ。中身を知っちゃったから、ぜんぜんそそられないや。」

 「なんか言った? 」

 

 わたしはにっこりと微笑んで、寺田さんを見つめた。


 「棗(なつめ)。」

 「は、はい。」

 「こちらは吉屋百合子さん。ひと月半くらい前からルームシェアをしている方だ。」

 「は〜い。」

 

 かた苦しい寺田さんの紹介にわたしはウィンクと横ピースをしてみせた。プックリと腫れたほおの赤みがきっとキュートだ。


 「吉屋さん。」

 「ごめん、ちょっとフレンドリーにいってみようとした。」


 わたしの返事に信じられないようなものを目の当たりにしたと言わんばかりの表情のメスザルが指をさしてきた。


 「なにこの人? 」

 「何年か前から友人だった。」

 「いやそうじゃなくって、この頭の軽さのことを…… って、何年も前から付き合ってたの!? えっ!? お母さんは知ってるの!?」 

 「吉屋さんがとある事情で困っていらしたんだ。わたしは相談を受けていたんだが、幸いうちには空き部屋が多い。色々と問題はあるだろうと思ったが、友人に無下なことをするわけにもいかないと思い、ルームシェアを提案した。」

 「えっと、おじさんの方から同棲しようって言ったの? 」

 「ルームシェア。」


 寺田さんのいい顔が無表情に小娘に言い直しを迫った。小娘は視線に耐えきれず目線をそらせて小声で復唱した。


 「ルームシェア。」

 「それで今に至る。」

 「えっ!? それだけ?」


 わたしは大きな声をあげると寺田さんは不思議そうな表情でわたしを見つめた。


 「追加で説明すると、永住する気は無いから。わたしとしては急な夕立に軒先を借りたつもりなのね。

 ん〜 寺田さんからも怒られちゃったんだけど、ベッドはおろか家具一つ持たないで今まで住んでいたところを出てきたわけで、自立できるまでお世話になることでルームシェアの約束をしたの。

 寺田さんのご厚意に甘えるだけでは申し訳ないから、わたしは家の掃除や寺田さんのご飯の支度とかをさせてもらっているの。

 それだけの関係よ。」


 小娘は無言でわたしを睨みつけていたがプイッと顔をそらせて黙り込んでいた。


 「棗、お前は吉屋さんに何か言うことがあるだろう? 」


 寺田さんが促しても小娘は無言を貫いた。


 「いいよ。頭でわかっても心で納得できないことはたくさんあるよ。」

 「吉屋さんは優しすぎますよ。」

 「そんなことはない。」


 聞えよがしのサルのため息に肩をすくめた。


 「気持ちがないのにあやまれてもなぁ。まあお前がその気になったらでいいや。」

 「あんたねぇ〜!!」

 「わたしはバカだからバカにされてもいいけどな、メスガキが見ず知らずの人の仕事までバカにすんのはやめーや。親に飯食わせてもらってる分際で、自分の体を張って飯を食べている人をバカにできるほど、ご立派な生き方をしてるんか? 」

 「あっ、ぐっ……」

 「ふざけた口調で言っている間に反省してね。」


 寺田さんは何も言わずにわたしに頭を下げた。


 「ねえ、もう一回お風呂に入っていい? 」

 「どうぞ。」


 柄にもないことを言ってしまい、気恥ずかしいわたしを寺田さんは感謝の眼差しで見つめながら、頷いてくれた。


 浴室に入り、ため息をついて一度掃除をしてから、湯はりした。

 お湯が溜まる間にもう一度着替えやバスタオルを持ち込んだ。

 裸で浴室に入ると、またバラのバスオイルをとかして官能の海に身を委ねていた。

 シェードを開けた窓からは星明かりが入ってくると思ったが、東京のエネルギーは星の明かりも溶かすほどだった。

 ボタンを操作していると天井の照明が落ちて、要所要所の間接照明が灯った。


 なんだこれは? どエロい風呂だな。

 いいぞ。リラックスしてやる。


 火照った体にナイトウェアを纏った。ミッドナイトブルーの柔らかな服に身を包まれて、お腹にタオルだけをかけてベッドに横になった。

 いろいろなことがあったが、最後にまたお風呂に浸かって、バラと柑橘系がブレンドされた香りに包まれて、熟睡できそうだ。




 それから土曜日までの三日間、朝と夕にしか寺田さんの姪とは顔を合わせることはなかった。

 家で何をしているのか、興味もなかったがわたしの部屋に入ることはないので安心をしていた。

 わたしとは口をきく事はないが、ときおり寺田さんの部屋で何やら話しているらしい事は知っていた。

 

 なんだかんだでわたしの作ったご飯はちゃんと食べるんだよね。

 そこが子供っぽくておかしかったが、寺田さんからも言われたので面と向かって指をさして笑う事はしなかった。


 金曜日の夜、明日には親が迎えに来るという事で、小娘は早々に客室に戻った。

 どうやら反省文を書かされているらしい。

 寺田さん、お前は学校の生活指導になった方がいいぞ。


 いつもは二人一緒にいることは少ないのだが、寺田さんの姪が泊まっているので、すぐに対応できるように一緒にいることが多かった。

 いまもわたしと寺田さんはソファに腰を並べていた。

 もともとテレビはあまり見ないわたしとニュース以外は興味のない寺田さんが一緒にいると、結局のところ音楽を聞くか映画を見るかといったところしか娯楽がない。

 木曜日は寺田さんの好みの音楽を聴きながら、つうが家に来てみたいをいうことを伝えた。

 ついでに彼女の高校時代からのオタクエピソードを話した。

 つうよ、お前のすべらない話は寺田さんにとても受けていたぞ。


 そして今日は伊織ちゃんから教えてもらったベトナムの映画を鑑賞していた。

 現代。といってもちょっと前くらいだろうが、ベトナム戦争以降の新しい時代の若い男女のお話だった。兄妹の同居生活がなんともエロスでよかった。

 わたしは女しか愛せないが、ヘテロの恋愛ものを見て萌えられないほど偏狭でもない。ああ、そういう感情ってわかるわ〜くらいだけど。

 ラストにアメリカのオルタナティブバンドの有名な曲が流れた。


 「この監督の映像は美しいの一言ですね。」

 「ストーリーは?」

 「映画は映像美が一番です。個人的には処女作のほうがいいですね。あのノスタルジックな映像美にフィルムの解像度の粗さが物語によくあっています。」

 「つまりはそういうことか。」


 わたしは笑ってリモコンを操作した。

 寺田さんはわたしのグラスに冷たい緑茶をそそいでくれた。わたしは羊羹をつまみながらとりとめもない話をして、寺田さんはそれを聞いてくれていた。


 「そろそろ部屋にテーブルと椅子を置きたいなと思っているんだ。」

 「また伊織さんに頼むんですか? 」

 「まあね。」

 「か、かの、かれ、……んんっ。伊織さんからインテリアを揃えて見てはどうかと言われました。」

 「まあ、わかるよ。彼でいいよ。別に伊織ちゃんは女になりたいっていう子じゃなくって、男の娘がいい人だから。で余計なことを言ってなかった?」

 「三人称での呼び方は最近、とても難しいですよね。特には何も言ってませんでしたよ。吉屋さんの好みを教えてもらって、それに合わせた感じでのトータルコーディネートのイメージを見せてもらいました。」 

 「それが余計なことだっつーの。伊織ちゃんはわたしにこの家を染めちゃえばいいって煽るんだよ。だから怒った。」

 「そんなことをすれば、ここにずっと住むと言っているようなものですからね。でも、確かに彼の提案はよかったですよ。一考に値します。」

 

 ガタリと音がなり、そちらへと注意を向けると小娘が立っていた。


 「どうした? 」

 「別に。喉が渇いただけ。」

 

 そっけない声色で答えて立ち去った彼女はなんとも言えないような影の薄さを感じずにはいられなかった。


 「帰らなきゃいけないから落ち込んでるのかな?」

 「それより親と会うほうが憂鬱でしょう。」

 「あ〜あ〜、聞こえな〜い〜 それはわたしに跳ね返る。」

 「いつ実家へ顔を出す予定ですか? 」

 「弟がタイミングを見計らっている。まずはわたしの様子を伝えながらお母さんが落ち着くのを待っているみたい。」

 「そうですか。」


 二十二時になり、わたしは寺田さんにおやすみを告げて寝室に入った。

 最近寝苦しいのか、寝汗をかくのでナイトウェアの着替えが激しい。

 今日はガウンのようなタイプで太ももの真ん中に届く長さだけど、胸の下のリボンで留められるだけで、あとはパッカーンと前スリットで風通しがよくなっている。

 凛は夏でも肌が重なると暑くて嫌だと長袖の長ズボンで通していたが、わたしは逆に布にまとわれるのが苦手なのだ。


 ばったりとベッドに倒れるように横になるとすぐに夢の国へと赴いた。


 「ん……」


 寝苦しくて目が開いた。


 窓は閉めていてエアコンはタイマーでもう止まっているのに、足元からお腹にかけて空気の流れを感じる。


 無意識にナイトウェアの裾を引き寄せて、おへその下を押さえた。


 また目をつぶろうとして、強烈な違和感にまた目を開いた。


 「……だれ? 」


 薄暗い部屋の中、廊下の間接照明に薄ぼんやりとシルエットが滲んていた。


 「何してんの? 寝ぼけて部屋を間違えた? 」

 「……」


 わたしに声をかけられたその影は動揺を隠せずにいた。


 「もしかして、毎晩来ていた? 」

 「……」


 「もう寝なさい。忘れてあげるから。」

 「……」


 いきなり影がわたしに覆いかぶさろうとした。


 わたしは転がってベッドから落ちた。覚醒が低い。体が思うように動かない。声も出ない。

 影は髪を振り乱して、わたしを追いかけようとした。


 いきなりカパッと声帯がひらけた。


 「寺田さん!! 助けて!! 」


 わたしの叫びにさらに動揺した影は廊下に逃げようとした。


 四つ這いになったわたしはベッドに向かい、枕元のリモコンに手を伸ばした。


 部屋の照明がついた。


 紫のドット柄のパジャマが逃げ出し、廊下で肉が打たれる湿った音が響いた。


 腰の抜けたわたしは這うように廊下に顔を出した。


 そこには仰向けに倒れ、号泣する寺田さんの姪の棗と壁に寄りかかって右手で目を覆った寺田さんが立っていた。


 「怒んないであげて。わたしは大丈夫だったから。」

 「吉屋さんは優しすぎます。」

 「実害はなかったから。あと思春期の衝動はどうしようもないよ。」

 「吉屋さんが言うとまったく違う意味に聞こえるのはなぜですか? 」

 「おめぇ、さては余裕があんな? 」

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