第31話 飴と鞭、北風と太陽もしくは父と母のロールプレイ

 小娘の事件が夕方前だったとは信じられない。


 そして夕食を作るにしても二人分の用意しかしていない。

 そのことを寺田さんに告げると今日の晩御飯は罰として抜かせようとぬかすので、それはさすがにネグレクトであることを説明した。 


 「さて。」


 追加で買い物にゆくことを考えたが、鏡を見て諦めた。

 寺田さんが代わりにゆこうかと申し出てくれたが、小娘と二人きりになるのもぞっとしないので断った。


 冷蔵庫にはジャガイモとステーキ肉とトマト、あとは玉ねぎのかけらになんやらかんやらだ。

 まずはジャガイモと玉ねぎを細かく刻んで、その上に顆粒のコンソメをふりかけて置く。

 馴染む間に牛肉の下ごしらえをする。

 スマホでどう検索しても肉の量が足りない時の便利レシピなんてないから諦めて、キッチンの引き出しの奥の奥に眠っていた名状しがたいミートテンダライザーらしきもの、要は肉叩きのかなづちを取り出す。

 どこかのメスガキの顔を思い浮かべながら、叩いていると驚いた様子で寺田さんがやってきた。


 「どうしたんですか? 」

 「肉の下ごしらえ。」


 寺田さんはわたしの手元を見つめて、ほどほどにしてくださいねと去った。

 伸びきって薄くなった肉をスライスして、粉チーズを混ぜた衣をまぶして少し休ませる。

 先ほどのタマネギに戻り、バターで炒める。火が通って透明になった頃合いでジャガイモも投入する。ジャガイモは細かく刻んであるのですぐに火が通り、そこに水を注いだ。

 フライパンは大きくて深底なので、そのまま煮続けて、十分ほどたったところで火からおろす。

 流石にミキサーはないので、木べらでスープの具材を潰してはステンレスのザルで漉す作業を何度も繰り返して、どんどん滑らかにしてゆく。

 ボールの中でミルク色になったスープをまた鍋に戻して、牛乳を入れて塩と胡椒で味を整えた。

 ボールは一度洗ってから、冷蔵庫で豊富に作られている氷を投入してその上に鍋を置く。

 氷が鍋の熱を吸収してみるみるうちに溶けてゆく。

 わたしはぬるくなったボールの水を捨てて氷を再投入し、鍋の中身をかき回しながら、急速に粗熱をとってゆく。

 適度な頃合いで赤いガラスのボウルにできたばかりのビシソワーズを移して冷蔵庫に保管する。


 時計は十九時を指していた。


 フライパンをさっと洗い、水気を飛ばしてオリーブオイルとサラダ油のブレンドを入れた。

 バターを入れて香りづけするらしいが、ビシソワーズもバターを使っているから、わたしはなんとなくくどく感じて苦手なので、アレンジとしてオリーブオイルにする。

 また揚げ物の油温設定をして火をつけた。

 油温が上がるまでにトマトは薄切りにして、冷蔵庫の寺田さんのおつまみのチーズを挟める。

 チーズの種類はモッツァレラではないことは確かだが、よくわからん。プロセスチーズが欲しい。あれが一番汎用性があって、料理する方は嬉しいのだ。

 試しに食べてみると割合ケンカしないので、皿に持って上からオリーブオイルをたらりとかけて出来上がり。


 ちょうどいいよ! とガスコンロの油温センサーが教えてくれたので、カツレツをそっと入れる。


 キッチンペーパーを敷いたグリルで油を切って出来上がり。


 「寺田さん! 」

 「はい。なんでしょうか? 」

 「小娘を呼んで来て。晩御飯だよ。」


 彼は微笑みながらキッチンを出て行った。

 わたしがトレイに夕食を乗せてリビングに運んでゆくと、小娘は寺田さんのとなりに腰を下ろして待っていた。

 二人の前に夕食を並べた。


 「どうぞ。」

 「いただきます。」


 寺田さんはスムーズにスプーンをとったが、小娘は目を見開いてわたしを見つめた。


 「なんだ? 」

 「その姿でエプロンするの? 頭おかしいの? 」


 寺田さんはゆっくりと6からカウントダウンをはじめた。

 わたしは聞かなかったことにして、寺田さんのために冷蔵庫の野菜室に入れておいた安いイタリアワインの白をデキャンタに移して持って来た。

 最近わかったことだが、寺田さんは酒の味がよくわからないらしい。

 あんだけの大酒飲みがと思ったけど、正確にはビールの銘柄と日本酒の味にはこだわりがあるようだが、焼酎はある銘柄しか飲まないし、ワインはからっきしだ。ウィスキーに至っては、ただ酔うために飲んでいるようなものだ。

 なので食費の軽減に酒量調節も兼ねて、お値打ちなイタリアのワインをスーパーで買ってきて冷蔵庫で冷やして飲ませている。

 何も知らない寺田さんは上機嫌でワインに口をつけている。


 くくく。


 高いからといって美味しいわけではないのだよ、寺田くん。


 わたしもエプロンを取り、寺田さんの真向かいに腰を下ろした。

 まずはビシソワーズに取り掛かる。味は良好。滑らかさは、まあがんばった。パセリか青ネギかクルトンを浮かべたかったが、急ごしらえだから仕方がない。


 「適当に作った割にいい出来になったよ。」

 「本当に料理がお上手ですね。」

 「なに? いい加減なものを食べさせているわけ? 」

 「ガキ、お前がおじちゃまの家に突然来たおかげで、計画していた夕食の材料が足りない。挙句に人の顔を腫らすもんだから、外に買い物にも行けやしないんだぞ。

 お前のおじちゃまはお優しくて、お前の分まで作ってくれというからなんとかしたんだぞ。

 涙を流しながら、食材となっていただいた命に感謝して食べるがいい。」

 「えっ?」


 驚く寺田さんだが、わたしは素知らぬ顔をしてカツレツにナイフを入れて口に運んだ。


 「イッテェ! 」


 固いものを噛むと頬が腫れているせいで痛みが出た。目尻に涙がたまる。


 「大丈夫ですか? 」


 寺田さんの心配そうな顔の前に手をあげて、なんともないと示した。そしてため息をついてバターの入らないインチキミラノ風カツレツの皿を彼の前に押しやった。


 「やる。料理中の油の匂いで胸焼けもしているからいいわ。」


 わたしはまたビシソワーズに口をつけた。

 しばらく戸惑っていた寺田さんだったが、わたしの皿を受け取った。

 彼のとなりに腰を下ろしている小娘は、わたしよりも寺田さんにまた怒られないかとビクビクしながら、小さく切ったカツレツを頬張っていた。

 緊張感の漂う夕食が終わり、エプロンをつけ直したわたしは後片付けをはじめた。

 そろりと寺田さんがキッチンに入ってきて、わたしのとなりに並んだ。

 

 「手伝いましょうか? 」

 「かわいい姪が来ているからって、いいところを見せようとしなくってもいいんだぜ。」

 「そんなことはありません。」

 「わかっているって。何か話したいことでもあるの? 」

 「ええ、まあ。」


 口ごもった寺田さんにわたしは泡のついた皿を渡した。彼は黙って受け取り、流水ですすいで、洗いかごに立てて置いた。


 「小さい頃から他の子供に比べて活発でしたが、小学生頃から本をよく読む物静かな子供に成長していたんです。」

 「ああ女の子って、ロールのルールが多いからなぁ。」

 「あんなに攻撃的な一面を持っているとは思いませんでした。」

 「攻撃的っていうか……家で抑圧されて、アオハルで爆発して、やさしくて顔のいいリッチなおじさんに頼ろうとしたらこんな女がいて……って感じだろう? まあわからないでもないよ。」


 ため息がこぼれた寺田さんにまた皿を渡した。彼は受け取って、黙々とすすいでいた。


 「ただ、なんだ、あのボキャブラリーは? 頭がいいんだろうけどなぁ。やっぱり寺田さんの家は敷居をまたぐのに仁義を切らなきゃいけない家なんだろう?」

 「何をおっしゃっているのかわかりませんが、すみませんでした。」

 「あっ。聞こうと思っていたんだけど、宅配なんとかってなんだ? 悪口っていうか、わたしのことをその職業と勘違いしていたようだけど。」

 「えぇ? それをわたしに聞くんですか? 」

 「寺田さん以外に誰に聞くんだよ。……小娘に聞いてもいいがまたケンカだぞ。それとも中原くんや伊織ちゃんのような他人に聞いてもいいのか? 」 

 「そうですよね…… それはまずいですよね。」

 

 また深いため息をついた寺田さんは口重く教えてくれた。

 何やら、電話一本でご自宅や指定したラブいホテルの一室にお伺いして、短時間、お手軽な恋人気分で男性をリラックスできるようなご奉仕をする代わりにある程度まとまった額のお金がいただけるというお仕事だと教えてくれた。


 「つまりなんだ。世界最古の職業のデリバリーだとわたしのことを言ったのか? 」

 「もうこれ以上、棗を怒らないでください。」

 「なんだぁ? かばうのかぁ? 」

 「いえ、この顛末は兄夫婦に教えますので、そちらに任せてください。吉屋さんが直接、棗にクレームをぶつけるとまた何をしでかすかわかりませんし、最悪わたしの家から逃げ出されても困ります。」

 「……わかった。」

 「ありがとうございます。」

 「いいや。寺田さんが謝る筋合いのものでも……」


 わたしが言いかけたところ、足音高くメスガキがキッチンに乱入してきた。

 わたしたちの密談を見つけたメスガキは顔を引きつらせて、一瞬フリーズしたがすぐに体勢を立て直した。


 「ちょっと!! わたしの部屋がないんですけど!! 」

 「お前、ここの家のもんじゃねぇだろ。」

 「なんですって!!」


 激昂したメスガキに諭すように寺田さんが声をかけた。


 「棗。ケンカ腰になるんじゃない。棗たちを泊めていた部屋は吉屋さんがルームシェアをすることが決まってから、片付けたんだ。」 

 「えっ? そうだったの? まったく使ってない様子だったじゃん。」


 びっくりしたわたしをいつもの表情で見下ろした寺田さんは頷いた。


 「ええ、わたしのとなりの部屋が空いていますし、そちらを客間にして、家具を移しました。ついでに清掃業者を呼んだので、自宅を丸ごと綺麗にしてくれましたよ。」

 「だってさ。」

 「なんでこの女のためにふた部屋も開けなきゃいけないのよ!! 」

 「ちょっと待て、お前、わたしの部屋を覗いたんかい!? 」


 何が悪いという面構えをしているこの野生のメスザルに向かって、水の滴る泡まみれのスポンジを投げつけようという衝動に駆られたわたしの腕に寺田さんのあたたかい大きな手が添えられた。


 「このことも棗の親に伝えることにする。はやく入浴しなさい。」

 「……」

 「あぁ、お風呂といえば、あのバスオイル、すっごくよかった。ありがとう。もう肌もツヤツヤだし、香りもいいよ。触り心地もいいだろう? 」

 

 わたしは寺田さんの大きな手に包まれている自分の腕を掲げた。

 寺田さんは何か微笑ましいものを見るような表情で頷いた。


 「喜んでもらえてよかったです。」

 「気持ちもよかったし、女の贅沢を味わったんだけどねぇ。」


 そう言いつつ、何やらハンカチの端を噛み締めていそうな表情のメスザルに流し目を送った。

 寺田さんはわたしの目線を追うと察したかのように自分の姪に向けて何やら一言物申したいような表情を浮かべた。

 それからわたしに向き直り、肩を落してすみませんと謝られた。キッチンの入り口で足をふみならすメスザルがいるが気にしない。

 相手にしてもらえないと思ったサルはそのまま足音高くどこかに去った。


 「からかうのもNGですよ。」

 「いや、反応が面白くって。うちの弟はサトリ系でさぁ。何をしても達観してんの。関西に行ってからツッコミとボケを覚えてきたみたいだけど、あそこまで面白いのは新鮮だね。」

 「ップ……だめですよ。おもちゃじゃないんですから。」

 「寺田さんだって、笑ってんじゃん。」

 「そんなことありませんよ。」

 「ウソ言いさんな。はい、ありがとう。助かったよ。」

 「いいえ。どういたしまして。」

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