第26話 旧友来たる 亦楽しからずや
今日来る友人はわたしの友人たちの中でも珍しい人物の一人だ。
閉店準備を半分くらい進めていたところに彼女がやってきた。
ボサボサのツヤのない髪をキャスケットで隠し、体のラインが丸出しの伸びきったスウェット生地のマキシワンピースにデニムジャケットを羽織っただけの緊張感のない姿だ。
「ニヘッヘッヘッヘッ。」
「久しぶりだな。」
「まだその口調なの? うん、やっと締め切りが終わった。背中がバッキバキだよ。」
「あ〜 ご苦労さん。じゃあ、つう、こっち来な。あと、これが本当のボクだぞ。」
胡散臭そうに生温い笑みを浮かべて、つうはわたしの後をついて来た。
つうこと千鶴はストレートの女だ。実は一番古い友人で、高校時代からの付き合いだ。
着替えをするコーナーに案内すると扉を開けっぱなしでワンピースをずるりと脱いで下着姿になった。一応着替えたようだが体を締め付けないストレッチ素材のカップインキャミソールも脱ぎ捨ててウェアに着替えた。
唸り声を上げてうつ伏せになるとお願いという言葉を残して、夢の世界へと旅立ってしまわれた。
とりあえずの徒手的な検査でも異常はなく、少し安心しながら頭皮のリリースからはじめた。
「うぇ。シャワーくらい入ってこいよ。」
ぬるりと脂ぎった髪で手が滑ったが、我慢して頭皮を動かした。タオルで手を拭って、頚部、背部とゆっくりと下に向かって皮膚と筋膜を引き剥がすようにストレッチを行う。
指を立てて他動的に体を動かして引き剥がすのが最近の主流らしいが、わたしのは小児科専門の上司から技術移転された赤ちゃんや子供に使うタイプの手技だ。
効果はゆるいが副作用も少なめで重宝している。ちなみにインディさんはわたしの手技を見て、古いことやってんねぇと言われた。「だめ? 」と聞くと効果があるんだから、関係ねぇと返された。
「ウン、グググ……」
鼻を鳴らして寝続けるつうの意思をほったらかしにして先に進める。
「よっこいしょ。」
わたしがひっくり返して仰向けにしても起きない。
まあ、友人だからできる技だ。
顔にタオルをかぶせて、額や眉間、ほおなどを細かくマッサージして、デコルテの皮膚をゆっくりと引き上げるように伸ばすとつうにしては珍しく色っぽい声をあげた。
「痛いの?」
「気持ちいい。重たくって肩張るわ。」
「贅沢病め。」
本人の申告ではFだが、どう見てもそれ以上ある。人に見せるわけでもないのに無駄肉だ。
「きちんとした下着をつけないと垂れるぞ。」
「それは困るわ。目が覚めたら考えるわ。」
そう言ってまた目を閉じた。
程よくだるい腹のお肉を避けて両方の股関節と膝、足関節を圧迫とリリースを繰り返した。
つうだけの特別メニューとして指関節も足と同様にして、手のひらも揉みほぐした。
「ほれ、終わったわよ。」
「んが!? 」
口を開けてだらしない顔をしていた彼女は身を起こして、肩を回した。
「あぁ〜 楽になったわ。」
「そう。よかったな。はい。」
わたしはつうの前に手を出すと自分の掌を乗せた。
「アホ! お代じゃい。金よこせ。儲けてんだろ! 」
「んん〜。儲けてんのかなぁ? 使う暇はないから口座がどうなってるのか分からないけど、わたしのような泡沫作家なんか儲かってるわけないじゃん。アニメ化とかドラマ化でもすれば、実感するかもねぇ。」
「本屋で見かけるぞ。平積みになってんじゃねぇか。」
「ありがとう。」
つうは学生時代から雑食系でカップリングを妄想するオタクで、オリジナル小説を小説投稿サイトで頻繁に投稿していたら、いつの間にかイラスト多めで若い女向けの恋愛小説でデヴューしていた子だ。
寝食よりも妄想するのが大好物で、女子高時代も校則通りの冴えない制服で卒業まで通したつうと美少女ばかりを目で追っかけていたわたしはどこか馬があって、よくつるんでいた。
また開けっ放しで着替えをすませて、ジャケットのポケットから剥き身のお札を取りだした。
「おい、いくらなんでも無用心だろ。」
「そうかな。このあとひま? 久しぶりだし、お話ししたいなぁ。」
「あ〜 どうすっかなぁ? 」
「なに、彼女? 」
「いんにゃ。 ルームシェアの人に夕食をお願いしていたんだよ。」
「いいじゃん。一緒でもいいよ。」
「つうが良くても相手がどうかだな。」
「聞いてみてよ。」
わたしは仕方がなく、スマホの連絡帳にある寺田さんの家の電話番号を選んだ。
「はい。」
「ああ寺田さん? 実は久しぶりに旧友と出会ったんだけど……」
「あまり深酒しないようにしてくださいね。今日はわたしはお迎えにゆけませんからね。」
「あっ? うん。わかったよ。あ〜 あと、今日は先に誘ってくれていたのにごめんな。」
「いいですよ。旧交を温めるのに勝るものはありませんよ。」
「そう言ってくれると助かる。じゃあ。」
通話を切ると後ろで立っているつうに振り返った。
「なんか遊びにってもいいよって。あれはきっとボクがいない間に酒を飲もうって魂胆だな。」
「仲が良いようで。」
「勘違いしているようだけど、彼女じゃないから。」
「違うの?」
わたしは頷いて店の片付けをはじめた。
つうは邪魔にならないように受付のところに移動した。
「ルームシェア先の家主よ。片付けを終わらしちゃうから待ってな。」
「うん。」
店を出たわたしたちは途中の新橋で降りて、適当な居酒屋に入ることにした。
「じゃあ、かんぱ〜い。」
「乾杯。」
生ビールの中ジョッキをあおったわたしたちはホルモン焼きをつまんだ。
まわりは祝日のためにスーツ姿のおじさんたちは少なくって、ラフな服装の観光客らしき様々な国の人たちが機嫌よくグラスを傾けていた。
わたしは久しぶりのつうに最近あったことを話し出した。
つうは聞き上手で適当な相槌を打ちながら、わたしの話を引き出していた。
「うん。中原くんの言う通りだ。」
「でも彼女と一緒にいるとわたしがダメになるって、何が何だか訳がわかんね。みんな教えてくれないしさ。」
「そっか。」
「つうならわかるんじゃない? 」
「教えて欲しければ、小説のネタをよこせ。」
「ねえよ、んなもん。つうはヘテロ専門だろ。百合やガールズラブは書かないだろ。」
「迂闊にかけるジャンルじゃない。」
ドン!
つうはテーブルに叩きつけるようにビールジョッキを置いた。もう目が座っている。
「『壁になりたい』とか『質感が高い』とか『伏線がすごい』とか、そう言うのが好きなのはオタクとしてわかるけど、実際に書こうとしても、難しいし、話の筋は忘れるし、設定やそれに使う小道具の情報を集めたり、知識を仕入れるのにとんでもなく時間がかかるし、うまくかけても編集さんから、「ちょっとわかりにくくないですか?」とか、「ト書きが多すぎて会話のテンポが死んでます。」とか、「会話文が短くて、解釈が多くなりすぎるからもっと説明させろ。」とか、「一人称じゃないと読者がついてゆきませんよ。視点変化すると読者が混乱しますよ。」なんて言われた上に、「ここでラッキースケベをいれてゆきましょうよ。」とか、「肌色は多めにお願いします。」、「ラブシーンなんて、擬音をたっぷり使って、ちょっと下品な方が受けますってばよ。」、サービスサービスって言われるのだよ。
確かに売れ行きも伸びることのあるけど、イメージと違って書きにくいわ、読者からキャライメージとちょっと違いませんかってクレームはくるし、結局、製造物責任はわたしの方に行ったりするし、やってらんねーっすわ。
あっ、そうだ。ユリのようにもともと一人称がお嬢様で、あることからボーイッシュでがさつになるけど、精神を揺さぶられると元に戻るとかと言うキャラの会話の揺れで心理状態を表してゆくってのも面白そうね。
でも、きっと、編集さまやお読者さまから、「一人称ブレてますよ。」とか言われんだこれ、きっと。なんとかミニを賭けなくってもわかる。つう、覚えた! つう、わかるもん!」
早口で駆け抜けたつうはわたしについて何か語っていたような気もするが、よくわからなかった。
「言ってる意味が分かんね。」
レバーを歯で咥えて串から引き抜き、もぐもぐと噛み締めた。
「ともかく、なんか面白い話ない?」
急に冷静になったつうに前に思いついた軟禁ネタを伝えようとして口ごもった。
「あ〜 やめた。友だちと自分を売りたくない。」
「ですよねぇ。みんなそう言うわ。でもなんか参考になる程度で、ユリの妄想話が聞きたいな。」
「妄想ねぇ……例えばインテリ経済ヤクザが男目線でのボーイズラブの女を軟禁して、獣欲を満たしているうちに女がメス堕ちするとか。」
「18禁は求めていない。客層が違う。女の設定がひねりすぎている。あと欲求不満か? 」
「失恋してから2ヶ月と立ってないから、いま人恋しくって震えている。」
「禁断症状ワロス。」
つうがグラスを煽った。テーブルの上に乗っかった胸元にグラスの底についた水滴がポタポタと落ちて、スウェット生地のワンピースを濡らして色を黒く変えさせていた。
「つうの方こそどうよ。」
「わたしの愛は伝道者たちへと向けられているのさ。」
「伝道者? 」
「愛読者のこと。最近、執筆している様子をネットで配信したりしているの。それを見ている人たちが自分たちのことをそう呼んでいるの。健気にもわたしの本を布教しようと頑張ってくれているから伝道者。」
「おい、それ大丈夫か? 」
「サイン会とかで顔バレはしているからね。」
「いや、服装とか、メイクとか、そんなボロボロな姿でよく全世界に配信なんてできるな。」
「あ〜 おおむねデスクトップの画面とキーボードを表示しているだけだしねぇ。イラストとかの絵師さんたちの実況よりはぐっと地味だよね。だからブツブツなんか呟いたり、チャット欄の質問に答えたりかなぁ。来場するのも一回の配信で百人くらいかなぁ。」
「意外と多い。」
「一応収益化はできている。」
「文字を打ち込む様子をみせるだけで金が入るのか? すげぇ。」
「小銭だけどね。お布施って呼ばれている。わたしのやる気に繋がるようにってのと覚えてもらいたいらしいよ。」
笑いながらビールを煽っているが、つうの仲良く並んだ二つの富士山にどんどんグラスの水滴が染み込んでいた。
「よぉしわかった。ボクに任せろ。元カノと合わせてつうのプロデュースをしてやる。」
「いいよ。それこそ面倒な奴がよりつきそうだよ。」
「今のだらしなさが無自覚なエロにつながっていることを思い知れ! あとお前の手はかわいらしいから心配だ。」
「よくユリのような人種は手や指にこだわるとは聞いていたが、はじめて言われたなぁ。」
「昔から思っていたけど、つうは友人で嫁にならない奴だと思って我慢していた。」
目を見開いたつうはゆっくりとさみしそうに笑みを浮かべた。
「……たしかにねぇ。それに関しては申し訳ないなぁと思ってはいるんだけどね。でもどうして今になってそんなことを言い出したの? 」
「いま、彼女候補リストを作ってんだ。まだ次の彼女を作るような気分じゃないんだけど、次に進むような気持ちになった時のために心の中でリストを作っている。」
「身もふたもない話だ。でも面白いね。わたしもそのリスト入りされちゃうの? 」
「つうは友達枠だから。ちゃんとわきまえてるよ。親友のあんたにそういう気持ちは持たない。」
笑いながらスマホのメモに打ち込んでいたつうはこのあとどうするかと聞いてきたが、昨日の今日でもあり、帰りたいと話すと残念がっていたが、頷いてくれた。
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