第23話 マッコウクジラでドライブ
次に目がさめると朝に見送ったテーラードスーツの男性が目の前に座っていた。
辺りを見回すと、そこはまだ居酒屋で中原くんは席を移動してわたしの横に座っていて、伊織ちゃんはニヤニヤとピンクの縞猫のような鬱陶しい笑みを浮かべていた。
「起きたようですね。帰りましょうか? 」
「なんでいるの? 」
「覚えてないんだ。ユリちゃんが自分で呼び出したんだよ。」
「そんなことするわけないじゃん。だって、寺田さんは出勤中だったろ。」
「一応業務時間は終了してましたよ。」
「それだって……なんで呼び出したん? 」
「ウチらは止めたんだけど……飲み過ぎで自分で帰られないでしょって伊織が言ったら、じゃあ寺田さんを呼ぶわ!って自分で寺田さんに電話をかけたのよ。」
「そして、そのままチ〜ンって沈んじゃったんだよ。」
二人の話を聞きながら、わたしは静かに揺れていた。
「覚えてないが、すまぬ。」
ゴチン!
わたしは頭を下げようとして、制御がきかずにテーブルに頭をぶつけた。
「ごめんなさいね。いつもはここまで酔うことないのよ。」
「いままで寂しくって、溜め込んでいたものが爆発しちゃってねぇ。」
「そうなんですか。」
「う〜ん。まあねぇ。人肌恋しいって言われても、わたしたちにはどうしようもないよね。」
またウトウトとしていると三人で話しているのが耳に入ってくる。
「ほら、迎えが来たんだから、ユリちゃんは帰るのよ。」
中原くんがわたしの肩を掴んで、上体寝土下座の状態から起き上がらせた。
頷いて立ち上がったが、今度は体が揺れている。
中原くんは寺田さんを見つめたが、彼は両手のひらを彼に見せて首を横に振った。
「あとで怒られそうなので、お願いしてもいいですか? 車を回して来ますので。」
「あ〜 そうね、その方がいいかもしれないわね。」
「まだ触れたことないの?」
「伊織。」
ふらふらとした身体を中原くんの大きな体に持たれかけて、伊織ちゃんに前に話した注意を促した。
すると彼はペロリと小さな舌を出して、ごめんねと笑って謝った。そして中原くんとは反対側に回り、わたしの腰に手を添えて支えてくれた。
「でも、帰りはどうするの? 」
「あっ。」
「それまでには酔いを覚ます。」
「無理よ。」
「無理よね。」
「お前ら、声合わせんな。轟沈しちまえ。」
二人に支えられながら、店を出た。
雨上がりの路上にはシュルリと筆で書かれたようなラインの黒い大きな生物のような自動車が鎮座していた。
「これってすごいわね。フランスのブランドだったわよね。」
「そうなん? クジラみたいだよね。」
「あぁ……言い得て妙ね。」
インテリアだけではなく、自動車にも詳しいらしい伊織ちゃんが驚いていた。あと自動車はブランドって言うんか? メーカーとちゃうんか?
わたしはよくわからないが、助手席の乗り心地が最上級なことはわたしの体が覚えている。
助手席のシートに埋まるように座ると目を閉じた。
「お家までついて行きましょうか? 」
「できればそうして欲しい気持ちもありますが、ご迷惑でしょう。」
「そうね。わたし達はここで別れましょう。」
「伊織、そんなこと言わなくっても。」
「しほくん、それがいいのよ。ネッ? 」
なにやら密談が行われているようだが、ウィンドウ越しのためにわたしには聞こえない。
やがて寺田さんが運転席に腰を下ろした。
ゆったりと動き出したクジラのような車の窓越しに夜の町並みを眺めていた。
「船みたい。」
「お好きですか? 」
「船酔いするから苦手。」
「そうですか。」
力のない声が返ってきた。
「でも見るのは好きだよ。」
「そうですか。」
「子供の頃ね、父がね、帆船を見るのについて行った。白くて綺麗だよね。」
「ええ。いいですよね。」
「このクジラ、車みたい。」
「さっきと逆になりましたね。あと、これは車ですよ。」
「クジラに乗ってどこまでも行きたい。」
「いいですね。でも吉屋さんはきっと船酔いしますよ。」
「いまもちょっと気持ち悪い。」
「それは泥酔したからですよ。」
クジラが停まった。
寺田さんはわたしの方のドアを開いた。そしてシートベルトを外してくれた。
「さぁ、降りてください。」
「靴がない。」
「えぇ? 」
寺田さんはかがみこんで、わたしの足元から黒エナメルのフラットパンプスを取り出して地面においた。
わたしは彼に右手を差し出した。
首を傾けた寺田さんも右手を伸ばして、わたしの手をそっとつかんだ。
ゆっくりと強い力でひっぱられた。シートとわたしのスカートの生地はとても滑りやすく、楽々と体が回った。
足を差し出した。
彼は片膝をついてわたしの素足、足裏にそっと手を添えて、パンプスを履かせてくれた。
わたしはかがみこんでいた寺田さんの肩に右手をおいて、シートから立ち上がった。
「歩けそうですか? 」
「まだ揺れている感じ。」
「揺れてますしね。」
寺田さんの左腕にわたしは体重を預けた。
そしてひねりこむようにして、彼の腕にわたしの腕を絡ませた。そっと右手に彼の手が滑り込んだ。
「こっちの方が安定する。」
「そうですか。」
地下駐車場の薄暗い照明の下、わたしと寺田さんはエレベーターの入り口に向かった。
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