第20話 午前様への対応は何が正解か?

 とりあえず、夕食にすることにした。


 わたしのカレーは二人ともすでに食べた経験があるので、安心して出すことができた。

 寺田さんもいないし、二人とも運転できるとはいえ、お互いに遠慮してお酒は飲まないと言われた。

 なのでアルコールではなくって、ライムを入れた炭酸水を出すことにした。 

 辛味よりトマトの酸味が味の中心になっているカレーはそろそろ蒸し暑くなった夜に爽やかな美味しさだった。

 二人から家具の話や他の友人たちの話題を教えてもらい、わたしは弟との久しぶりの再会の話題を提供しているうちに気がつくとデザートも食べ終わり、後片付けも中原くんが手伝ってくれた。


 キッチンも綺麗になったところで、三人して玄米茶を片手にまったりとしていた。

 弟がお土産に持ってきた羊羹を出そうかと提案したが、もう甘いものはいいと断られた。わたし一人でも食べたかったが、太るとの一言で伊織ちゃんに切って捨てられた。


 「ほんとうに遅いな。」

 「今日は無理なんじゃない? 」

 「ウチらは気にしないから、ユリちゃんもゆっくりしていて。」

 

 う〜むとうなってみたものの、お招きしておいて申し訳ないような、寺田さんのことも心配なような、なんとも複雑な気分だった。


 「残念だけど、そろそろお開きにしましょうか。」


 中原くんが時計を見ながら提案した。


 「そうだね。しほくんも明日は早いし、ユリちゃんも早番なんでしょ。」

 「あ〜 忘れてた。そうだったな。じゃあ、またの機会にということで。」

 

 二人は立ち上がった。

 玄関で再度、謝ったが、気にしなくてもいいと笑顔で二人は去った。




 午前二時ごろになんとなく目が覚めてトイレにゆくと、リビングの間接照明がつけられていた。 

 そっと覗くと寺田さんだった。

 ソファに腰をおろして琥珀色の液体が入ったグラスを手にしている。


 「おかえり。」

 「……起こしてしまいましたか? 」

 「いや、トイレに起きただけだ。大変だったようだね。」


 わたしはそのまま寺田さんのとなりにそっと腰を下ろした。

 寺田さんは苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

 かすかにピアノの器楽曲が流れているのに気がついた。


 「そんなことはありませんよ。わたしはただデスクに座っているだけでしたけどね。」

 「そっか、ああ、友達が寺田さんのことを話したら、またの機会に会いましょうということで帰っていった。ちゃんと楽しんでたぞ。」

 「それは何よりでしたが、申し訳なかったと伝えておいてください。」

 「わかったよ。」

 

 あくび混じりで頷くとまた苦笑いをしていた。

 音楽はドラムとベースが混じり、どうやらジャズだったらしいと気がついた。正統的おっさん趣味だ。


 「明日も行くんだろ。もう寝ろ。」

 「これを飲んだら寝ます。」


 目の高さまで掲げた、大きな節の太い長い指が掴むグラスをわたしは手を伸ばして外させた。


 「いままで仕事だったから神経が昂ぶっているのは理解するが、アルコールは睡眠の質を下げるだけだ。どうせ飲むのだったら、人肌に温めたミルクとおつまみにビスケットで終わるんだ。」 


 「吉屋さんはまるでお母さんみたいですね。」

 「うるさい。寺田さんの母親もうるさい人なのか?」

 「わたしの母は、忙しい人でしたね。何をするのでも人一倍時間がかかるほうで、笑いながら自分は不器用だと話していました。」

 「そうか。」


 懐かしむように目を細めた寺田さんの横で、わたしはもしかして深入りしてしまったのではないかと後悔しはじめた。

 両腕を上げて大きく伸びをして、立ち上がったわたしは手にしたグラスを寺田さんには渡さずにキッチンに向かった。


 「もう寝ろ。ボクも早いんだ。」

 「はい。」


 寺田さんも立ち上がった。

 キッチンでグラスの中身をシンクに投げ捨てたわたしは手早くグラスを洗い、食器カゴに伏せておいた。寺田さんの夕食の準備は手をつけられてはいなかったが、うるさく言うこともないかと黙っておいた。

 

 「おやすみなさい。」

 「おやすみ。」


 次の日、起きるともう寺田さんの姿はなかった。

 夜更けには手をつけることなく、そのままだったカレー皿は食器カゴにまだ水滴がついたまま置かれていた。

 そしてホワイトボードにはごちそうさまと書かれていた。


 薄地のガーゼケットで寝ているとはいえ、そろそろ寝汗も気になる季節になってきた。

 きのうまで着ていたタンクトップのナイトウェアは洗濯かごに入れた。

 薄手の夏服に着替えると長いカーディガンを羽織った。

 洗濯物を洗濯機に突っ込んで、自分用の洗剤と柔軟剤を入れて、タイマー設定をして出勤することにした。


 コンシェルジュカウンターには今日はおじいさんが立っていた。まつりちゃんじゃないので会釈だけして、マンションを出た。



 午前中はあくびを噛み殺しながら仕事をしていた。

 鏡がないのでお客さんたちには気がつかれなかったが、反省しながらお昼休みはちょっと仮眠した。

 インディさんから早く帰るように心配され、電車で寝ようと思ったがすぐに着くので諦めた。


 ふぁ〜あ。


 大アクビをしながら、スーパーでおかずの材料を買ってマンションに戻るとまつりちゃんから声をかけられた。


 「おかえりなさい、吉屋さん。えっとお荷物が届いていますよ。」

 「えっ? 誰からだろう? 」


 吉屋さんが奥から取り出した箱は果物の段ボールだった。

 送り状を確認すると知らない名前だったが、受け取り主が寺田さんで送り主の名字も寺田だったので受け取ることにした。


 「ありがとう。」

 「いいえ。最近寺田さんのおかえりが遅いですね。」

 「あぁ、忙しいみたい。朝もすごく早く出るし。」

 「吉屋さんも引っ越してきたばかりで大変ですね。」

 「えっ? ほっといて……もないか。まあ、ぼちぼちだね。」

 「はぁ〜 そうなんですね。いいですね。」

 「なにが?」

 「あっ、いえいえ。」


 わたしは肘にエコバッグをかけて、両手で箱を抱えてエレベーターに向かった。


 「あっ!? 」


 頑張ってみるもエレベーターのボタンが押せない。

 肘で押そうとしても箱が傾いて中身が傷つきそうで怖いし、背中やお尻でも難しい。

 頭ならいけるか? 無理だった。

 わたしがグダグダやっているのに気がついたまつりちゃんが駆け寄ってくれた。


 「すみません! すみません!! 気がつきませんでした。」

 「あ〜あ、ボクが不器用なだけで気にしなくていいよ。」


 一緒にエレベーターに乗るとまつりちゃんのコロンの香りが鼻をくすぐった。

 また大きなあくびをするとまつりちゃんに笑われた。


 「お忙しいんですか?」

 「いや、きのう友だちが遊びに来たんだけどね。」

 「遅くまでいらっしゃったんですね。」

 「いやいや。そんなに遅くまでいなかったんだけど、寺田さんが仕事が遅くってさ。午前様で帰って来たんだ。」

 「平日なのにですか?」


 まつりちゃんはちょっと怒ったように返した。

 わたしは眠たい頭のままで答えた。


 「うんにゃ。なんかね、遠くの方でトラブルがあったらしくって、ずっと待機してたんだって。デスクに座ってるだけだって笑ってたけどねぇ。

 で、気がつくとご飯も食べずに酒だけ飲んでたから、取り上げて怒ってやった。

 で、朝起きるとボクよりも早くに起きて出かけたんだけど、朝食に夕ご飯になるはずだったカレーを食べて、皿まで洗って、メモ残してたよ。

 律儀だよねぇ。」

 「吉屋さんは起きて待ってたんですか。」

 「そんなことする義理なんてないから寝てた。なんか起きたら帰ってたってだけ。グーゼンだよ。」

 「いいですねぇ。」

 「そお?」


 わたしは荷物をまつりちゃんに渡して扉の鍵を開いた。

 廊下に荷物を置くと、寺田さんには悪いが勝手に荷物の封を開けようとした。だが銅のような爪が段ボール箱の封印になって開けることができなかった。


 「まつりちゃん、ごめんね。開けらんないぜ。」

 「えっ? その、気にしないでくださいね。わたしはカウンターに戻りますので。」


 早口でそういって、そそくさと戻っていった。


 「ま、まあ、勝手に人におすそ分けするわけにも行かないか。明日にでもあげよう。」


 わたしは荷物をそこに置いてきぼりにして、おかずの入ったエコバッグをキッチンに持っていった。

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