第18話 カツレツ ミルフィーユで刺抜き

 謝罪は受け入れたが、指先のささくれや新しい靴を履いた時の踵のようにふとした拍子にチクリとくる心の棘が残っているような気分で仕事を終えた。

 気分を変えるために夕食は何にしようか。

 商店街のお肉屋さんで特売の牛肉のスライスを買い込み、青果店でキャベツとトマト、スーパーで生パン粉を手に入れた。


 「というわけで牛のカツレツミルフィーユ!! 」


 キッチンで大きな声を出して盛り上がろうとしたけど、一人きりではただお寒いだけだった。


 作業に入ろう。

 牛のスライスを何枚も重ねて、小麦粉をまぶして、溶き卵を塗って、生パン粉をつけて、第一段階終了とする。

 フライパンに油を入れて、コンロの油温設定で揚げ物を選んで火をつけた。油の温度が上がるまでキャベツを千切りしていると電子音が聞こえた。


 「はいはい。」


 彼女と同棲していた団地のコンロではパン粉を落として油の温度をチェックしたが、寺田さんの家のコンロを信用することにして、カツレツを投入した。

 油がはねる音を聞きながら、魚を焼くグリルの上にキッチンペーパーを敷いた。

 カツレツの衣がきつね色になる頃に取り上げて、その上にカツレツを置いて油を切った。

 皿を二つ出して、キャベツの千切り、トマトの柵切りを添えて準備完了だ。

 衣が湯気を吸い込まないようにラップはかけないでキッチンペーパーで覆いをして、余熱で火を通す。

これで今日の夕食の準備は終了、髪や身体に油の匂いが移っている。


 わたしは冷蔵庫のホワイトボードに入浴と書いて、シャワーを浴びることにした。

 顔や髪についた揚げ油を念入りに落とし、脱衣所に出るとガリな女が裸で立っていた。


 可愛げもない女だ。


 首から鎖骨にかけてのラインと胸元の肌には自信がある。

 けど、そこから先には谷間のできないようなささやかな双丘はお寒い限りだ。

 バレエをしていた時の財産でウエストラインは細く、発達した腰回りの筋肉のおかげでお尻から足のラインには自信がある。

確かに体のラインは綺麗かもしれないけど、抑揚に乏しい。自分が見てもただキレイなだけの何も唆らない観賞用のボディだ。

 もう少しお肉をつけた方が扇情的でかわいいか?

 マシュマロまで行かなくても、いまは抱きしめられても骨が当たりそうだ。

 せめて身だしなみでも整えて、見れるようにしておかないとどの女も寄って来ない。

 そろそろ自分を磨き直そう。


 ため息をついて、ルームウェアに着替えた。

 リビングに出るとぼちぼちいい時間になっていた。

 お腹が空いたので先に食べようか、それともいつもならもう少しで帰ってくるからもう少し待とうかと悩んでいたら、電話が入った。 


 「おっ? で、出なくてもいいって、言われたな。んん、でも、なんかもどかしいな。」


 電話の前にウロウロとしていたら、すぐに留守電に切り替わった。


 「寺田です。遅くなるので、先に食べていてください。」


 シンプルな伝言だった。


 「なんだよ。電話じゃなくって、スマホにDMでもよかったのにさ。生真面目だな。」


 わたしは笑顔でキッチンに向かった。

 冷蔵庫からビールを取り出し、自分の皿とともにテーブルに並べた。


 「かぁー! うまい!! 」


 一気にグラス半分ほど飲み干してから、カツレツにソースをかけた。

 電子レンジで温めてもよかったが、少しぐらい冷めていた方が実は好きなのだ。

 サクサクとナイフで切れた肉は柔らかくジューシーだった。芯の方は肉がピンク色で、とても柔らかい。


 「うまぁ。」


 ご飯をよそい、口いっぱい頬張った。肉汁でいくらでもご飯が進む。

 皿も茶碗も空になると腹がいっぱいになり、動くのが面倒になった。

 よたよたとソファに横になると今度は瞼が重くなった。




 「はっ!?」


 目が醒めると二十二時をすぎていた。

 つけた覚えのないテレビから海外ニュースが流れてきた。

 人の気配に腹の上にかかっていたタオルで体を覆い、そちらを向くと寺田さんがダイニングで夕飯を食べていた。


 「あっ、おかえり。」

 「ただいま。よく寝てましたよ。」

 「あぁ〜、腹いっぱいになって寝ちゃったみたいだ。」

 「そうだったんですね。今日の夕食も手が込んでいるみたいですが、平日はもっと簡単なものでもいいですよ。」

 「いや、それはそれほど手間はかかんないよ。重ねて揚げるだけだし。」

 「そうなんですか? 料理はよくわかりませんね。簡単そうなものの方が手間がかかっていたり、こういうものの方が簡単だったりと。」

 「ああ、実際に作らないとそうだろうね。」


 わたしはソファから立ち上がろうとして、手にしていたタオルに目を向けた。

 見慣れないホテルなどで使っていそうな厚地の白い大判のタオルだ。


 「これって、寺田さん?」

 「いくら暖かくなってきたとはいえ、お腹を冷やしてはいけないですからね。」

 「まるでお母さんみたいだ。」


 寺田さんは微笑んでまたグラスを傾けた。

 眠気が覚めたわたしはタオルをきちんと畳んでソファに置いた。夕食を食べたままの口の中が油でねっとりとしているようで歯を磨いた。

 ダイニングに戻って寺田さんの前の椅子に腰を下ろした。


 「目が覚めた。」

 「でしょうね。寝酒でもしますか? 」

 「あ〜 一杯だけ貰おうか。」


 自分でグラスを取りにゆき、差し出すと寺田さんはちろりを手に取り、注いでくれた。


 「寺田さんはこれが一杯目なのかい? 」

 「そうですよ。遅かったので先にご飯をいただきました。」


 見るとカツレツの皿がもう空になっていた。


 「なにか追加しようか? 」

 「いえ、大丈夫ですよ。」


 ほんのりと目元が緩んでいる。絶対に一杯目じゃないだろう。


 次の日の朝、寺田さんが出かけてから酒瓶をチェックしようとした。


 「チッ。」


 おとといまでは三分の二は残っていたはずの四合瓶が空っぽで分別ゴミの箱の中にこっそりと捨ててあった。

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