第17話 社会的表示ルールとノンバーバルコミュケーション もしくは VS ヤンデレ男の娘

 中原くんとランチの約束をしていたら、お店に伊織ちゃんがいた。


 な…なにを言っているのかわからねーと思うが、とかなんとか、定型句があるようだが、元ネタがわからないわたしは黙って、彼女の向かいに腰を下ろした。


 相変わらずなゴシックロリータっぷりだ。

 今日は金色の逆さ十字の刺繍が裾に入ったミッドナイトブルーのベルベットワンピースの前が開いて、中に着ている白のレースとフリルたっぷりなロマンティックチュチュが覗いている。

 黒のワンピースと共生地でできた鈴のついたチョーカーにヒールのあるつま先が細いローファーを履いている。

 わたしはそちらへの造詣は深くないが、どこで見つけてくるのだろうか?

 ロングヘアのウィッグにまん丸メガネの伊織ちゃんはわたしの不審げな表情を気にせずに笑みを浮かべた。


 「こんちは。どうした?」

 「いつもしほくんとお昼でしょ? たまにはわたしと一緒に食べましょうよ。」

 「それは嬉しいが、中原くんの所在がちょっと気になるかもな。」

 「だいじょうぶだよ。しほくんには帰ってからまた躾の続きをするから。」


 そういった伊織ちゃんの瞳のハイライトが無い。

 リアルで瞳のハイライトが無い人をはじめて見た。


 「こえぇぞ。その目はやめろ。」

 「うふふふふふふ……」

 「昼から怪談なんてぞっとしない。」


 すぐに元の表情に戻った伊織ちゃんはグラスの水を飲んだ。


 「軽く顔を伏せて、瞼を少し下げると髪やまつ毛なんかの影で瞳が光を反射しなくなるんだよ。それを利用すると、こんな感じに、ね。」 


 うふふふふふふと不気味な笑いとともにまた瞳のハイライトが消えた。


 「すげえ自己演出だと思うが、できても羨ましく無い。あっ、ランチセットお願い。」


 軽くビビっているウエイトレスのお嬢ちゃんに注文するとわたしもお冷を半分くらい飲み干した。


 「まあボクも伊織ちゃんにも会いたいと思ってたんだ。」

 「なんで?」

 「チェストをくれたたまこさん、伊織ちゃんのおばさんだってな。お礼が言いたかった。ありがとうな。」

 「あら、気にしなくっていいのよ。おばさんからも面白い友達がいるのねと言われたわよ。」

 「ところでたまこさんはフリー?」

 「もう狙いをつけたの? この肉食獣め。残念でした。夫持ちです。」

 「なんだ。別に狙っていない。候補者リスト入りしただけ。でも夫がいるならいいや。」

 「候補者リストなんてあるの? こっわ。」

 「いまは新しく恋愛するつもりはない。けど、その気になった時のために用意してる。」

 「ほんとうに逞しい子ねぇ。」


 呆れた伊織ちゃんとわたしの目の前に今日のランチが届いた。

 きょうのランチはかわいらしい前菜とトマトソースの冷製パスタ、そしていちごのデザートだった。

 女向けに食べやすくなっているので、伊織ちゃんも苦労せずにフォークを口に運んでいる。


 「そういえば、しほくんと一緒におうちに招いてくれるんですって? ありがとう。」

 「ボクの家じゃない。寺田さんの家だ。」

 「まだそういう感じなんだ。いっそ自分の家にしてしまえばいいのに。」

 「なんだぁ。どういうことだよ。」

 「なんでもないわよ。」


 かぱっと横広に開いた伊織ちゃんの口に真っ赤に熟したトマトの前菜が入れられた。


 表情筋が柔らかいのか、この子は怪人二十面相のようにどんな顔でも作れる。

 それに声も本来の声や伊織ちゃんのいうメス声と使い分けることができて、感情のトーンやプロソディと呼ばれる抑揚や調子も意識的にコントロールできる。 

 だから、言葉と言葉に込める感情の調子、表情がすべて乖離するという離れ業を楽々やってのける。

 友だちだから、ふざけているんだなとか、表面上は常識に即したことを言いながら、非言語的コミュニケーションに意味を潜ませているんだなとかわかる。

 が、よく知らない人は彼に翻弄されてしまうか、メンタル的に健康を損なっているのかと、思うことになるだろう。 


 「伊織ちゃんは女優にでもなればいいんだ。」

 「あら、むかし笹塚だったか下北沢だったか、そのあたりの小劇団に誘われたわよ。興味ないから断ったけど。」

 「もったいねぇ。」

 「ユリちゃんは興味あるの? 」

 「別にない。バレエをやめてからそう言った表現には興味ない。」

 「あら、そうだったね。あ〜 ごちそうさまでした。」

 

 きれいに食べ終えた伊織ちゃんはわたしに小さなタブレットを渡した。


 「しほくんとの会いすぎ問題もあるんだけど。」

 「おい、マジに怖いからやめて。」

 「ユリちゃん好みの家具をいくつか見繕ってあげたわよ。」

 「ほお。」


 彼の見せてくれた画像はどれも気に入ったチェストと同じような中華風(シノワズリ) の家具だった。 

 

 「好きな人は好きなんだけど、あんまり数が出ていないわね。それでもお値打ち品なものを集めたわよ。」 

 「あっ? 商品なんだ。」

 「もちろんでしょ? 次は何がいいのかしら? 」

 「ブックシェルフかテーブルセットがいいな。いま本が床に平積みだし、おしゃれなテーブルでお茶したい。ハンガーラックに服をかけているのもほこりがつくから嫌だな。あっ、そういえば姿見も欲しいと思ってたな。でも洗面台の馬鹿でかい鏡で十分か。あ〜 この丸い棚、めっちゃいいな。」

 「そういえばしほくんから聞いたけど、お宅、ミニマル過ぎて何もないんだって? 」

 「寺田さんちは無駄に広いからなぁ。あの人こそワンルームでも十分に過ごせる人だよ。」

 「いっそ、ユリちゃんのカラーで染めてみちゃえばいいのよ。」


 そう言いのけた伊織ちゃんの薄暮のような薄闇色の影が差した顔には三つの弓なりの月が浮かんでいた。

 わたしはタブレットを差し出すと彼は細長い白い指先で受け取った。

 綺麗な形の爪は短く切りそろえられていて、ベージュがかった灰色っぽいピンクという上品な色合いのネイルカラーだった。


 「だから怖いって。あと寺田さんを巻き込むのはやめて。

 わたしたちとは違う世界の人だからね。

 いまはただ、ご好意で軒先を借りているだけなんだよ。

 いずれはまたネットだけのお付き合いに戻る人なの。

 だから、お願い。

 煽んないで。」


 何もなかったように伊織ちゃんの顔が元に戻った。


 「久しぶりにユリちゃんのホントの言葉が聞けたわね。」

 「だからって…… 煽るにしても言葉は選んでくれない? 」

 「……ごめんね。しほくんにも怒られちゃう。」


 しょんぼりとした声にうつむきながら、タブレットを可愛らしい手提げ袋にしまっていた。

 いまは表情と声と言葉が一致している。

 多分、本当なんだろうなぁ。


 「言わないけど、うちにきた時に変なことを言いださないでね。」

 「うん。わかった。あと、ユリちゃんはいまのお話の仕方の方が素敵だと思うわよ。」

 「なんだと。」


 これもまた素敵な笑顔で伊織ちゃんはデザートを口に運んだ。

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